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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第五章 太陽の婚姻
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6.クレア

 ウルスラ寮には、四人だけが残っていた。

 主を太陽の婚姻へと送り出したテレーズに、友のために足止めを買って出たティアナとクレアの主従。


 それから、その三人を黒い瞳で睥睨するミュリエル。


「私の糸を蹴り上げて平気な顔をしているとは、何者です?」

「私はクレア。ティアナ・フォン・リーフェンシュタール様にお仕えする、ただの侍女です」

「ただの侍女ですか」

「ええ。当家は少数精鋭主義ですので」

「少数はともかく、精鋭ではなかった王家もあるようですね」


 意味ありげにミュリエルが周囲を見回す。そこには、ミュリエルに向かっていき、そして果てたシャルロットの侍女たちの遺体が転がっていた。


「なんてことを……」


 息も絶え絶えのテレーズだったが、それは許せないとばかりに声を荒げる。


「強者はもっと威風堂々としているものです。気品なき刃の先には堕落しかございません」

「気品? 私はただ殺し、壊し、奪うだけですよ」

「それでは、教育して差し上げましょう」


 クレアが爪先立ったと同時に、その姿がかき消えた――ようにミュリエルには見えた。

 人が消えるはずがない。その証拠に、クレアは前傾姿勢で前進しつつ、ミュリエルの首元へと鋭い蹴りを放っていた。


「くっ」


 間一髪のところで糸が間に合った。両手で幾筋かの糸を広げて迎え撃つ。

 それを見たクレアが寸前で足を止めた。


 だが、まだ止まらない。

 戻した足を軸に、今度はクレアが拳を突き出す。全身がすっと伸びた綺麗な型から繰り出された流れるような連続攻撃。


 しかし、ミュリエルも後ろに飛んで直撃は避ける。


 届かない。

 にもかかわらず、クレアの動きは止まらなかった。


 止められなかったのではない。その証拠に、彼女の手の中には新たな武器が握られていた。袖口に隠し持っていたのか、錬金銃が流れるように手の中に収まっている。


 複数の銃身を束ね、六個もの銃口を備えた連発式の多銃身拳銃。蓮根ロータス・アンラシーネとも呼ばれる。目の前の的にすら当たらないと言われた精度の低い銃だが、この距離なら関係ない。

 クレアが引き金を引くと轟音が室内を反響し、鉛の弾がミュリエルの胴体目がけて射出される。


「なんて武器を」


 さしものミュリエルも、恥も外聞もなく床に転がって銃弾を避けた。彼女がいたはずの空間を通過し、壁を銃弾が穿つ。硝煙の匂いがミュリエルの鼻を突き、不快気に顔をしかめた。


「まだ終わりではありません」

「終わりですよ」


 クレアが更に接近しつつ引き金を引く。しかし、ミュリエルは、動かなかった。


「そうそう当たるものではありませんよ」


 ミュリエルの回避行動も計算に入れた射撃だったのか、クレアの次弾はミュリエルの髪をかすめるだけで終わる。それと同時に、ミュリエルが糸を放った。


「くぅっ」


 右腕に絡みつこうとする糸から、大きく腕を抜くようにして後ろへ下がる。そこへ更にミュリエルが追撃を放ち、錬金銃の銃身が斜めに斬り裂かれた。

 使い物にならなくなった錬金銃を投げ捨て、クレアとミュリエルの二人は距離をとる。


「随分と、高価な武器を使っていますね」

「命よりも高価なものはございません」


 それ以上、ミュリエルは錬金銃に関して口にしなかった。他にもう一丁あるかどうかも興味は無さそうだった。元より、興味という意味では義兄以外にないのだが。


「慢心がありましたね。やはり、義父さんと訓練しないとどこかで油断してしまうみたいです」


 無造作にミュリエルがクレアとの間合いを詰める。


「随分と珍しい技を使いますね――修身派の武術に拳銃を組み合わせるなど聞いたこともありません」


 心教には様々な宗派があり、その大部分は度々行われた宗教会議によって統合されるか、異端認定されて潰されていった。

 修身派の教義はといえば、心書も祈りも必要なく、ただひたすらに心身の修養を行って死後の審判に備えるという、教義を司るアリア教国からすると異端そのものとも言える存在だ。


 しかし、彼らもまたれっきとした心教徒であった。


 数回あった異教徒や異民族との戦いにおいて、修身派よりも勇敢かつ無私の精神で参加したものはおらず、いわば、彼らは自分自身で居場所を護ったのだ。


「この程度、ただの手習いのようなものです」

「その嫌味な謙遜が、気品を表しているというわけですか」

「世の中、上には上がいるということですよ」


 再び、クレアが動いた。


 人が消えるはずがない。いくら修練を重ねたとて、神が作られた世界が変わる訳がない。

 ならば死角に入っているのだろうと、ミュリエルは判断した。その理屈も方法も理解できないが、それさえ分かれば対処は出来る。


 死角から攻撃してくるのなら、死角を無くせばいい。


「小細工はこの私に通用しないと教えてあげます」


 糸を両手に挟み、左右に上に後ろにと楕円を描くかのようにまき散らす。威力はない、ただの探査用。

 手応えがあればそこにすかさず追撃を行う。網にかかった瞬間が、あの侍女の最後。


 しかし、両手の糸に反応はなかった。


 それも当然。クレアは、最初にいたのと同じ位置に佇んでいた。襲いかかると見せかけ、元の場所に戻ったのだろう。銃を隠し持っていればそれを使う好機だったにもかかわらず、一切手を出さずに。


「時間稼ぎが目的ですので」


 事も無げにクレアが言い放つ。


「そうですか。なら、しばらく付き合ってあげましょう」


 不敵に微笑んだミュリエルが、クレアに向けて糸を振り下ろす。

 同時に、クレアは右に飛んだ。それを追ってミュリエルが斬糸を放つが、届くよりも速く彼女は次の場所へと移動している。


 終わりのない追いかけっこ。

 しかし、崖の間に張られたロープの上で行われる追いかけっこでもあった。しくじったら、そこですべて終わり。否、常人であれば途中で速度が緩み、疲労で追いかけっこから退場する羽目になっているはず。


 にも拘わらず、クレアは逃げるだけでは終わらなかった。


 ミュリエルの糸を避けると、それが手元に戻るのにあわせて流麗な踏み込みを見せる。そのまま彼女の懐に入り、先ほど見せた突きを放った。

 しかし、二度目となるとミュリエルも対応に余裕がある。両手の間に糸を渡して、クレアを迎え撃つ。


 最初のように攻撃を取りやめるか、あるいはこのまま拳が切り裂かれるか――その刹那、クレアの腕が突如として軌道を変えた。蛇のようにのたくった拳が糸をかいくぐって、危険な牙となってミュリエルをとらえる。


「やりますね」


 ミュリエルは動きを見切り、上半身を反らしてその一撃を避けた。言葉ほどの余裕はないが、差し迫った危険もないといった風情。


 一瞬の攻防。


 むしろ、見守っているだけのテレーズの方が疲弊していた。それ以上に、希望と期待で傷の痛みも忘れるほどに夢中だったが。


「これなら……」


 勝てるかも知れない。


 そこまでいかなくとも、この攻防が続いている間に黄金の鐘が鳴り響く可能性は充分にあるはず。

 しかし、この追いかけっこの相手は、狡猾で油断ならない存在だった。


「随分と調子に乗っているようですね」


 ちょっとした遊び心。反応が見たくて、ミュリエルは矛先を車椅子の女――ティアナへと変更した。固唾を飲んで戦いを見守っている。ただそれだけの無防備な彼女へ。


 このまま殺しても良いし、クレアが割って入るならそれでも構わない。

 究極の選択を迫られたクレアだったが、彼女はどちらも選ばない。


 選択したのは、攻撃だった。


 ミュリエルの意識がクレアから外れる。そこに呼吸を合わせ、一気に懐へと飛び込んだ。速さはない。だが、距離そのものを縮めたかのような踏み込みと同時に、彼女の左手には再び錬金銃が握られていた。

 そのままクレアはミュリエルの脇腹に銃を押し当て、接射の体勢をとった。


「やはり、隠し持っていましたね」


 そんな状況にもかかわらず、ミュリエルは微笑みさえ浮かべて確信のつぶやきを漏らす。構わずクレアは引き金を引き、銃身を手の甲で払いつつ体を入れ替えたミュリエルの脇を銃弾が通過していった。


 まだ、クレアは止まらない。

 そのまま肘を畳んで手首を返し、銃口をミュリエルのこめかみへと向ける。一瞬の躊躇もなく発砲。間一髪で首をそらしたミュリエルの眼前を銃弾が通過していく。


「随分とムキになっていますね。大切なご主人様を狙われたのがそんなに気にくわなかったのですか?」

「当然です」

「素直なことですね」


 ミュリエルもやられっぱなしではない。


 輪を作るかのように斬糸を放って、クレアに首輪をプレゼントしようとする――が、黙ってそれを受け取るはずもなかった。

 クレアは首を引っ込めるようにして掻い潜ると、後ろに飛んでミュリエルと距離をとる。そして、着地すると同時に錬金銃を構えた。


「その距離で当たるはずがないでしょう」

「終わりにします」


 クレアが冷静に引き金を引き、同時に銃を傾ける。

 それは確かに一回だけだったが、銃声は同時に四発分轟いた。同じ数だけ銃弾が発射され、硝煙で一時的に視界が塞がれる。


 連発式の多銃身拳銃では時折、発射炎が他の銃身に飛び火して意図せず銃弾が発射されてしまうことがある。チェーンファイアと呼ばれる暴発だが、クレアは手首を返してそれを意図的に発生させたのだ。

 さすがにどれかは当たるだろうし、当たり所が悪くない限りは死ぬこともないはず――だった。


「だから、当たるはずがないと言ったでしょう」


 声は背後から聞こえた。


「クレア、糸で上に」


 主人からのその言葉で、クレアはなにが起こったか理解した。ミュリエルは弾丸が発射されるその瞬間、糸を使って蜘蛛のように頭上へ飛んだのだ。仕込みは、恐らく探査の糸を放ったときに済ませていたに違いない。


「理解できたからといって、なにが出来るわけでもないですけれど」


 酷薄な笑みを浮かべたミュリエルが今度こそ、クレアの首に糸を巻いた。そのままぎりぎりと締め上げていく。


「私の勝ちです」


 窒息するのが先か、首が落ちるのが先か。


「クレアっっ」

「今更、悲鳴を上げてどうするのですか? これがあなたの行いの結果でしょう」

「お……じょう、さま……。おに、げ……」


 ティアナは、分かっているとばかりにクレアの目を見て頷いた。だが、動くことはない。そのまま臆することなく、きっぱりとミュリエルに告げた。


「まだ続けるというのであれば、わたくしがお相手をします」


 あまりにも突拍子もない言葉に、ミュリエルは吹き出ししそうになった。仮初めとはいえアマーリア女学院に在籍していなかったら、確実にそうしていたに違いない。


「お止め下さい」


 制止の声は、崩れ落ちたまま動くことも出来ないテレーズから発せられた。死ぬ行く彼女だが、ここでシャルロットの友人になにかあっては主君に合わせる顔がなかった。


「わたくしがどうにか出来るとは思えませんが、他に動けるものがいないのですから。わたくしがやるしかないではありませんか?」

「高貴なる義務という訳ですか?」

「いえ。大切な人のために、わたくしが出来ることをするだけです」


 なるほど、気品。


 あの女の言いたいことも分かる。確かに、立派なものだ。

 しかし、自分が相手をすると言うからなにか有るのかと思えば、これだ。


「気高いヒロインが、常に勝利を約束された世界であれば良かったんでしょうけどね」


 クレアには首に糸を巻いたまま、床に放り投げる。その上で、ミュリエルはティアナではなくその車椅子に糸を放った。

 糸が触れた瞬間、シャフトが切り裂かれ車輪が外れる。そして、車輪を失った車椅子は、ただの椅子にもなれず乗り手を地面に放り出すほか無い。


「現実は、こんなものですよ」


 石の床に横たわったティアナは、それでもミュリエルを睨みつけたまま、なんとか膝立ちになった。腕は小刻みに振るえ、お世辞にも安定しているとは言えないが。


「滑稽ですね。犬ですか」

「おじょう……さま……」

「し、心配ないわクレア」


 致命傷を負っていたテレーズよりも緩慢だが、確固たる意志と共にティアナはゆっくりと立ち上がった。

 両足はみっともなく開き、軽く押されただけで倒れてしまいそう。それでも、生身の足と練金肢とでしっかりと大地に立っていた。


「ここから先は通しません」

「…………」


 ミュリエルは黙って、その光景を眺めていた。いかなる感想を抱いているのか、その冷たい瞳からは伺い知ることは出来ない。


「お茶会のお誘いをお断りして、練習した甲斐がありましたね」


 クレアを元気づけるかのように、ティアナが微笑む。

 しかし、それが限界だった。


「あっ」


 木が裂かれるような音が寮内に木霊した。糸が切れた人形のようにティアナの体が大きく傾き、肩から床面に倒れ込んだ。頭こそ打ちはしなかったが、息が詰まり身悶えするかのような衝撃がティアナを襲う。


「はぁ……あっ……」


 精巧すぎる練金肢は中程でぽっきりと折れてしまった。もう、使い物にならない。もっとも、元々欠陥品ではあったわけだが――それでもティアナは諦めなかった。

 腕の力だけで床を移動し、車椅子に手をかける。それを支えに片足ででも立ち上がろうとするが、車椅子が崩れてその上に倒れ込んでしまう。


「おじょうさま……!」


 斬糸を首輪にされたクレアが必死にもがいた。だが、首や手を血だらけにしても、彼女が行動の自由を得られることはない。首を切断でもしない限りは。

 無駄な努力の生きた見本が、目の前にふたつも転がっていた。滑稽さを通り越して、哀れですらある。


 あまりにも必死で、ミュリエルは自分の中の殺意が急速に気化していくのを感じていた。興が削がれたといったところだろうか。

 義兄のアールや義父であるゲオルクなら、それでも殺していただろうが……。


「気が変わりました」


 酷薄な笑みを取り戻し、ミュリエルはティアナの耳元で囁いた。


「あなたは殺しません。あとでシャルロット王女の首を見せに来ますから、その時に始末してあげますしょう」


 その時は、義兄さんと一緒です。義兄さんに始末をつけてもらっても良いかもしれませんね。

 二人のあがきで萎えかけた殺意を、愉快な未来予想図で取り返す。


「お待ち……なさい」

「お断りします」


 もう、ミュリエルはティアナを見ていない。当然、クレアやテレーズも眼中にない。もう、どうでも良い。

 素晴らしい遊びを思いついたと言わんばかりの笑みを浮かべ、ゆっくりとその歩みを進めていった。


 愛する男と、殺すべき女へ向けて。

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