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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第五章 太陽の婚姻
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4.茶会(後)

 テレーズと別れたアールは、裏庭の泉で体を動かしていた。

 シャルロットからのお願いは果たせないが、仕方ない。とても、そんな気にはなれなかった。


 既に、額と言わず首筋と言わず、汗でじっとりと濡れている。それを拭うこともせず、アールは右の錬金肢から伸びた爪刃を構え、ミュリエルと相対するイメージを浮かべた。


 まず、容易には飛び込めない。正面から迎撃されるだけなら切り払えばいいが、錬金の技術で精製された斬糸の射程は長く、動きは不規則だ。

 それを天才であるミュリエルが操るのだから、一筋縄ではいかない。


 かといって、防御に回るのは下策だ。

 確かにシャルロットを守りきれば良いという勝利条件ではあるが、彼のスタイルはただひたすらに殺すことのみ。守勢に回った時の脆さは、シミュレーションの結果と汗の量が証明している。


 それに、ミュリエル相手なのだ。殺すつもりで、ようやく撃退できるかどうかというところだろう。

 ミュリエルの斬糸の射程圏外で前後左右に体を動かし、間合いを計る。円を描くような身のこなしで周囲を動き回り――彼女の死角に入ったと確信した瞬間、一気に速度を上げた。


「――――ッッ」


 そのまま躊躇わず爪刃を突き入れるものの、斬糸で僅かに軌道を反らされる。だが、その程度織り込み済み。上着のボレロの中のダガーは既に手の中にある。

 それを投擲しつつさらに肉薄し、ミュリエルの足を全力で踏み抜く。


 初めての命中。

 それに続けて爪刃を最小の動きで脇腹目がけて突き入れ――そこで、動きが止まった。


「今、私死んじゃいましたか?」

「その前に、俺は十人ぐらい死んでいるがな」

「それは素敵ですね」


 以前この泉で会った時と同じ制服姿のミュリエルが、木立の間から姿を現した。義兄を十回ほど殺したところを想像でもしているのか、頬に赤みが差している。


「ついに明日ですね。心変わりはしませんか?」

「外にマリーカがやって来ている。ゲオルク自らがこちらに来る可能性もあるそうだ。今ならまだ、安全に逃げ切れるのではないか」

「そうなんですか。ですけど、義兄さんが一緒でないと意味がありませんから」


 お互いを思いやった平行線。結局のところ、任務を遂行するアールと義兄を第一とするミュリエルに妥協点など存在しないのだ。


「それより、訓練なら付き合いましょうか?」

「ああ……。いや、もう充分だ」


 ただの憂さ晴らしのようなもの。それに、ミュリエルを付き合わせる必要はない。


「そうですか……」


 つまらなそうにミュリエルが呟く。

 昔から、この「寂しいけど我慢します」という表情にアールは弱かった。マリーカに言わせると「弱いんじゃなくて、甘いだけだよね」ということになるが、どうにかしなくてはという気分になるのは同じだった。


 明日、殺し合いをするとしてもそれは変わらない。


「そうだ――」


 名案。

 駄目なら駄目で良いと思っていたが、どうせならきちんと約束を果たした方が良いに決まっている。


「ちょうど良い。暇なら、昼過ぎに時間はあるか?」

「なにがあるんですか?」

「お茶会とやらに招待しようかと思ってな」





「ええ、そんな事だろうとは思ってました」

「どうした?」


 なぜか仏頂面でテラスに座る義妹を、アールは不思議そうな顔で見つめていた。小皿に載った焼き菓子が気にくわないということはないはずだ。以前、これと似た菓子をマリーカと嬉しそうに食べていたのを憶えている。


 同席しているシャルロットも難しい顔をしていた。自分で言いだしておいて、これまた、原因不明だ。


 豊かな金髪に美しい双眸。女性の理想を体現したかのような体つきをした美女であるシャルロットに、長い黒髪でスマートなミュリエル。

 更に華奢で儚げなセーラと華やかな美女が揃ったお茶会は、波乱の幕開けを迎えていた。


「私は、二人きりのお茶では味気ないから、誰か呼んでって頼んだだけよ?」


 この様子では、アールは絶対に分かっていない。非難を受ける前に、シャルロットは防衛線を張った。

 彼女としても、ティアナか昨日アールと話していたマリーカ(名前は知らないが)辺りを呼ぶのではないかと思っていたのだ。この選択は想像の外。


 アールとしても、まったくそのつもりだった……などとは、絶対に言わない方が良いような気がしてきた。気がしたのに、絶対。


「だけど、面白い招待客ではあるわよね」

「私はまったく面白くありません」


 そう言いつつも席を立とうとはしないミュリエルを慈母のような微笑みで眺めつつ、アールに給仕を命じた。


「アール、お願いね」

「……はい」


 野外ということで湯の温度が多少心配になるところだったが、最近シャルロットがどこからか手に入れてきた保温器のお陰で解決した。

 錬金術の無駄遣いという気がしないでもないが、錬金術が教会のものだった時代から、徐々に庶民のものになっていったという証でもある。それに、アールの腕よりもよっぽどましな使い道だろう。


 アールも手慣れたもので、いつも通りの手順で紅茶を用意していく。


「義兄さん……」

「なんだ?」

「いえ、なにも」


 積極的に感想を聞きたいわけではなかったので、カップに注ぐと同時にミュリエルの前へティーカップを置いてやる。シャルロットにもそうしてから、自分が初めて紅茶を飲んだ時の失敗を思い出した。


「そのままではなく、砂糖を入れてな」

「お砂糖を……?」


 シュガーポットを開き、ミュリエルに中身を見せる。言うまでもなく、中には白い宝石が詰まっていた。


「……今初めて、あなたが王女であることを実感しました」

「もしかして、私っていじめられてるのかしら?」

「あまり入れすぎると風味が損なわれるから、二杯程度にしておけ」

「はい」


 義兄の言うことを素直に聞いたミュリエルはティースプーンできっかり二杯分砂糖を入れ、少しかき混ぜてから口に含む。


「美味しい……」


 両手で持ったカップを離しながら、思わずといった風情でミュリエルが呟く。


「それはなによりだ」


 こうして見ると、仲の良い兄妹にしか見えなかった。いえ、実際にそうなんでしょうねとシャルロットは心の中で訂正する。


 対立の原因は、すべてではないが彼女自身にもある。

 それを思うと忸怩たる思いはあるが、同時に、アールならなんとかしてくれるような期待感があった。信頼と言っても良いかもしれない。


 自分を殺そうという相手にこんな感情を抱くのは、滑稽かも知れないが。


「そういえば、あなたに聞きたいことがあったの」

「奇遇ですね。別に気にすることもないかと思っていましたが、せっかくだから私も伺いたいことがあります」


 先ほどまでの柔らかな空気は一変。二人の間に緊張の糸が結ばれるのを、アールは確かに見た気がした。


「アールとあなたって、結局、どういう関係なの?」

「なぜ義兄さんが、あなたなんかの妹になってるんですか?」


 どちらも自分に関する質問だったことに、給仕としてシャルロットたちの傍らに立ったままのアールは驚くが、冷静になればこの二人の接点は自分しかないのだからそれも当然かと納得する。


「義兄さんに直接聞いたらいかがです?」

「私ではなくて、アールに聞けばいいのではないの?」


 この二人は、実は似たもの同士なのではないか。眼前の現実を直視したくないアールが、そんな感想を抱く。口には出せないが。なぜなら、まだ死ぬわけにはいかないから。


「アールからは聞いているわよ。でも、戦災孤児だったころに出会ったとしか言わないのだもの。だいたい、アールが枝葉の部分を伝えてくれるはずがないでしょう?」

「私だって、ある程度は聞いています。ただ、それ以上のことを聞くには、義兄さん経由では難しいだけです」


 酷い言われようだった。


 しかし、アールにとってミュリエルは幼い頃に出会い共に育った大切な家族以外の何者でもないし、シャルロットには色々振り回されてはいるが結局のところ共犯者であり協力者であるというところに落ち着く。


 過不足無い説明だった……とアールは信じて疑っていなかった。この期に及んでも、なお。


「分かりました。私と義兄さんの絆を理解させてあげましょう」


 ぐっと紅茶を飲み干してから、ミュリエルが高らかに宣言する。


「忘れもしません。三千二十五日前のあの日、私と義兄さんはグアーブル近郊の森の中で運命的な出会いを果たしました。赤の他人でなんの役にも立たない子供でしかなかった私に、義兄さんは共に生きようと道標をくれたのです」


 輝くような笑顔をアールに向けて、ミュリエルが力説した。

 正直なところ、なぜミュリエルと一緒に生きようと誘ったのか理由は今になってもよく分からない。その日暮らしで、余計な荷物を抱えるような余裕はなかったのに、迷いは欠片もなかった。


 分からないものは分からないで良いのかも知れないが。


「それから二人の生活が始まり、524日後に義兄さんが私のせいで右腕を失うあの事件が起き――」


 ミュリエルの手がアールに伸びて、愛おしげにその錬金肢をさする。いや、既にそこには無い右腕にそうしているのだろう。

 それが分かっているから、シャルロットから非難の視線が飛んでも邪険に振り払うことは出来ない。


 というか、いつまで立っていれば良いのだろう?


「――そして、義父に拾われた私たちは、共に暗殺者として育てられ生きてきたのです」

「ゲオルクって男のことね?」

「なぜそれを知っている?」


 シャルロットの前でゲオルクの名を出したことはないはずだ。いや、絶対にない。


「道具と国家権力は使いようよ」


 密かに調べさせたということか。

 もしかしたら、マリーカが言っていた横槍という話と関連があるかも知れないが、シャルロットは悪戯っぽい微笑みを浮かべるだけでそれ以上語ろうとはしない。


 まあ、こちらもシャルロットの事は色々調べ上げているのだ。お互い様というところだろう。

 そもそも、アールとシャルロットは協力関係にあるだけで、味方ではないのだ。


「義父さんの事は今は本質ではありません。それから私たちは順調に成長し、途中別離もありましたが、あなたを殺した報酬を元手に、また二人で暮らします」


 強引に話を引き戻したミュリエルが確定事項かのように単純化した未来を語り、アールにお茶のおかわりを要求した。


「なるほど。ずっと過ごしてきた年月が二人の絆というわけね」


 シャルロットもアールに二杯目を頼みつつ、深く頷いた。しかし、ミュリエルののろけ話にではない。

 アールから二人の間でした〝賭け〟の話を聞いて了承はしたが、今ひとつ腑に落ちなかったのだ。それが、ミュリエル側の話を聞くことではっきりした。


 ミュリエルからアールへの愛情。もはや偏愛と言っても良いだろうが、すべてはそれに起因している問題だったのだ。


「まったく、アールも罪作りよね」

「心書を引き合いに出すまでもなく、殺人は罪業だろうな」

「そういう意味ではなくてね……」


 苦労するわねとミュリエルを見ると、「約束がなければ、今ここで殺しても良いんですよ?」とそっぽを向かれてしまった。

 妙なところで似たところのある兄妹だ。


「私の話は終わりです。これ以上は、二人だけの思い出ですから」


 ミュリエルはアールからおかわりを受けとりながら、シャルロットに話を促した。


「なんでアールを妹にしたか……ね」


 改めて言われると難しいが、正直に答えるほか無いだろう。

 ミュリエルがもう一杯砂糖を入れるかどうか悩んでいるのを横目に見ながら、シャルロットは端的に結論を口にした。


「一目惚れ……かしらね」


 ガシャンと音を立て、カップとソーサーが不協和音を奏でる。幸い中身はこぼれていないが、代わりに、ミュリエルの魂が体からこぼれてしまいそうだ。


「死ぬ覚悟は既に出来ているようですね?」


 虚脱状態から一変、殺気をむき出しにするミュリエルを前にしても、シャルロットは動じない。というよりは、アールの反応しか見ていない。


 そのアールはといえば、なにを言われているのか分からないと不思議そうな顔を向けていた。

 まあ、最悪よりは悪くはない反応だわと溜飲を下げたシャルロットは、ミュリエルに向き直って話を続けた。


「一目見て感じたのよ。アールは誠実で嘘をつかない人間だとね。王宮で魑魅魍魎の相手をしてきた私が言うのだから、間違いないわよ」

「義兄さんの良いところは、私だけが知っていればいいのです」


 ミュリエルは頑なだった。


「そしてどうやら利害も一致しそうなのだから、手放すはずがないわ」


 アールが信頼に足る相手だと確信した上で、協力を持ちかけたと。要するにそういう話だった。


「だが、それなら妹にする必要はないだろう」


 淹れ直したお茶をシャルロットに差し出しながら、やや不満げな声でアールが問い質す。


「あるわよ」


 一方、シャルロットの回答は単純明快だった。


「こんなに可憐なのに行儀作法のなってない娘を、放っておけるわけが無いじゃない」

「…………」

「……まあ、気持ちは分かります」


 アールは、義妹の気持ちが分からなくなってしまった。


「しかし、下宿の小母さんのようなありがた迷惑ですね」

「ふふふ。そうかも知れないわね」


 下宿の小母さんがどの程度ありがた迷惑なのかシャルロットには理解できないが、その取り合わせに思わず吹き出してしまいそうになる。


「要するに、大した理由はなかったのですね」

「でも、結果には満足しているわ。アールと過ごしてきた時間はとても充実して面白いことばっかりだったもの」


 何度か心配させられたこともあったけれどとは、口に出さず心の中に止めておく。なぜだか、それを知られるのはとてもしゃくだった。


「とても王女様のお言葉とは思えませんね」

「私だって人間だもの」


 混ざりもののない二杯目の紅茶を口にしながら、シャルロットは言った。


「持て余した感情を抱えて生きていくしかないのよ、人間なんてね」


 まるでそれが結論だったかのように、テラスに沈黙の幕が下りる。


「ところで、アールはいつまでそうしているの?」

「あ、ああ……」

「私はそろそろお暇しましょう」


 促されてアールが席に着こうとしたそのタイミングで、ミュリエルは逆に立ち上がった。


「次は、あなたの死体と対面することを願っています」

「そうね。そうなるかも知れないわね」


 即位した後にすぐアールに殺されるという二人の約束を知らないミュリエルは一瞬動きが止まったが、からかわれているのだと判断したのか、無言でその場を立ち去った。

 後には、アールとシャルロットだけが残される。


「あなたたちのことだけを考えたら、私は王女のまま死ぬべきなのかも知れないわね」


 ミュリエルの後ろ姿を見ながら、シャルロットが呟いた。


「心変わりは勝手だが、俺はなにも変わらないぞ。ミュリエルには殺させない。殺すのは俺だ」

「それは頼もしいわ」


 アールの皿にある焼き菓子を朱唇でくわえながら、シャルロット笑って言った。

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