3.茶会(前)
翌日に太陽の婚姻を控えたその朝、アールはシャルロットからお願いという名の命令を下されていた。
「お茶会をしましょう」
アールの着替えを強引に手伝いながら、シャルロットは有無を言わせずそう告げた。
勝手にやればいい。
それで済めばいいのだが、もちろん、それはない。絶対に。
「あなた、リボンとかつけると可愛いんじゃない?」
「誰がつけるものか」
唐突な話題の転換だったが、内容が内容だけにアールは過敏ともいえる反応を見せた。
「可愛いわよ、絶対に。まるで花が咲くようだわ」
「勝手な想像をするな」
自室でコルセットの紐をぎゅっと結ばれているところだったが、アールは不信感と猜疑心に満ちた視線を背後に向ける。
「なによその目は」
「言葉では論破されるが、視線による抗議なら通じるかも知れないと思ってな」
「まるで私が暴君みたいじゃない。モルガンみたいな扱いをしないでよ」
〝主〟に祝福されしソルレアン王家とはいえ、名君ばかりではない。五代前の女王〝赤い手〟のモルガンは季節ごとの宮殿を建てるため貴族にも農民にも平等に重税を課し、反抗する者を親衛隊である竜騎士団で血の海に沈めた。
挙げ句、その四季宮の完成式典の最中、実の妹に毒を盛られてその報いを受ける。彼女は、一日たりとも宮殿で過ごすことは出来なかったのだ。
「それで、どうしてわざわざ俺に同意を求める?」
「え? リボンをつけても良いの?」
「お茶会の話だ」
そっちねとシャルロットは軽く舌を出し、コルセットを身に纏ったアールにベストを取ってやる。
「せっかくだから、誰か素敵なゲストを呼んでもらいたくて」
「……は?」
ゲスト? この人のいない学院で?
「いつも通りのお茶でも良いけど、たまには変化をつけましょう」
恐らく、二人にとってこれが最後のお茶会になる。最後ぐらい少し変化をと考えるのも、理解できないわけではない。
「それなら、自分で」
「あら。私が選んだのでは、私が驚けないじゃない」
至極、もっともだ。
アールが苦労をするという点を除けば、だが。
「場所は天気も良いしテラスにしましょうか。許可は私が取っておくわ」
言いたいことだけ言って、シャルロットは着替え用の天幕から出ていく。
後には、社交性皆無のアールだけが残された。
「……という、訳なのですが」
朝食前に、アールは思い切って隣室のティアナを訪ねていた。応対に出たのは、当然クレアだったが。
アールやシャルロットの部屋とは違う、ヴァルダー風の調度はどれも質実剛健。飾り気は少なく、デスクもチェストもどれも実用的だ。
例外はベッドで、足の悪いティアナのためか高さが車椅子と同じになるように調整され、豪華な天蓋が備え付けられていた。それから、気晴らしの為なのかベッドの近くに書架も置いてある。
「一緒にいかがですか?」
やはり、落ち着いた色合いで重厚な椅子に座ったアールが、部屋の主であるティアナに懇願するかのような視線を向けた。
「是非参加したいところなのだけど……」
「お嬢様は、午後からやらなければならないことがありますので」
そういえば、最近ティアナはどこかで何かをしているようだった。気にしていなかったのだが、まさかこんなところで関わってくるとは。
いきなり、命綱が切れてしまった。
「そう……ですか」
「ごめんなさいね。やはり、こういう事はあらゆる誘惑をきっぱりと断ち切り、継続しなくてはならないと思うのよ」
「ご立派です」
皮肉でもなんでもなく、アールは答えた。ティアナがアールやシャルロットの誘いを断るぐらいなのだから、相当に重要な事なのだろう。
「そうだわ、セーラさん」
落ち込むアールを見て気が咎めたのか、名案を思いついたとばかりにティアナが両手を合わせる。
「なんでしょうか?」
「お好きな色はなんですか?」
「黒……でしょうか」
そんなものはないというのが本当のところだが、強いて言うならばこれだった。しかし、答えてから聞くのも間が抜けているが、なんの話なのか?
「昨日のドレスは、レティシアさまからの贈り物でしたのでしょう?」
「ええ……」
シャルロットがティアナからドレスを借りた関係で、アールもしっかり見られていた。どんな目で見られていたかは、現実から目を背けていたので分からない。
「わたくしにも、セーラさんにドレスを贈らせていただけませんか?」
確かに、落ち込んだ友人を励ますにはぴったりの話題なのだろう。アールが、花も恥じらう乙女であれば。
地獄への道は善意で舗装されている。
そろそろ、この言葉を一般的な法則として掲示すべきではないだろうか。
「そんな、理由もありませんのに」
贈り物というだけならば、遠慮せずに受け取った方が円滑な場合もある。しかし、これは論外だ。
サイズだけ測られて、出来上がる前にこの学院から消えていることだろう。というか、採寸などされたらそれだけで事が露見する。
「理由ならありますわ」
アールの焦燥もなんのその。ティアナは自信満々に言い切った。
「わたくしたち、お友達ではありませんか」
それは確かに、状況によっては感動的な台詞なのかも知れない。しかし、絶対に聞き入れるわけにはいかなかった。
「その後、ドレスをお召しになったセーラさんをモデルに絵を描いたら素敵だとお思いになりませんか」
なるはずがない。
「あの、他の方に当たらなければなりませんから、このお話はまた今度」
そそくさと立ち上がり、アールは逃げ出した。
逃げ出せたのは良かったが、命綱は切れたまま。打診すべき他の方の心当たりなど、なにひとつ無かった。
「マリーカ……か」
ウルスラ寮を出て中庭を徘徊しながら、アールは呟く。
意外性があるゲストという条件にはしっかり合致する。マリーカ自身も、アマーリア女学院によく分からない憧れを抱いていた。呼んだら、二つ返事でやってくるだろう。
「呼べるはずないがな……」
シャルロットと引き合わせてどうするというのか。それに、偶然ミュリエルと顔でも合わせでもしたら、どうなることか。
八方塞がりだった。
「ああ、良いところに。あなたを探していたのです」
「はい?」
横合いからかけられた声に、素のままで返事をする。その無意識の返答が非常に女っぽかった点にショックを受けそうになるが、必死に耐えた。
声をかけてきたのは、シャルロットの侍女であるテレーズ・バゼーヌ。隙を見せて良い相手ではない。だが、同時に無視できる人物でもなかった。
「時間を頂きたいのだけど、いかが?」
「今は、シャル――レティシアさまに、お茶会をするからゲストを呼ぶようにと言われまして」
「そんなに気を使わずとも大丈夫ですよ。ここには誰もいませんから」
気付けば、聖堂の前まで来ていたようだ。確かに、この周辺にはシャルロットとレティシアとテレーズの関係を知るものしかいないだろう。
「まったく、あのわがまま王女はまたぞろ好きな人を困らせているのですね」
呆れたように首を振るテレーズ。王女の影武者である彼女がこんな場所にいて良いのか、尋ねようとしていたアールの舌が凍り付いた。
「好きな人……?」
「ええ。昔からそうなのです」
「私が? 好きな人?」
「そうでしょう。好きでもない人間を妹に出来るほど、シャルロットさまは出来た人間ではありません」
「いえ、それは誤解でしょう」
暗殺者であるアールを護衛として使うため、カモフラージュとしてそうしているだけ。そのはずだ。
「本気で言っているのですか?」
心の底から驚いたとばかりに聞き返したテレーズは、次にシャルロットに向けるような呆れた声でアールを諭した。
「まあ確かにシャルロットさまの愛情表現は微妙なところもありますが、そこはくみ取って上げて下さい」
「はぁ……」
思わず頷きそうになるが、その寸前でアールは彼女との決定的な認識の違いに気付いた。
俺は男だ。
対象が男か女かで、当然ながら愛情の種類も異なる。要するに、そういうことなのだ。
自らの発見に気を良くしたアールは、自分でも驚くほど滑らかに誘いの言葉を口にした。
「それで、テレーズさまはこの後――」
「申し訳ないわね」
しかし、テレーズから放たれたのは拒絶の言葉。
「……そうですか」
またしても、あっさりと断られてしまった。
そうなると、もうここに用は無い。立ち去ろうとしてアールは、この会話がテレーズから呼び止められたことが発端だったと気付く。
「それで、私になにかお話が?」
「ええ」
先ほど自分で他に人はいないと言ったばかりなのに、彼女は神経質そうに周囲を見回してから声を潜めて言った。
「あなた、私のことを気付いているわね?」
「悪いのは内臓ですか?」
唐突でな質問だったにもかかわらず、アールは間髪入れずに問い返した。シャルロットは気付いていないようだが、暗殺者であり毒のスペシャリストでもある彼の目までは欺けなかった。
「そう。いくつかやられているようです」
主語を省いた遣り取りだったが、当事者は理解している。つまり、テレーズは重大な疾患を抱えており余命幾ばくもないということだ。
「毒ですね?」
「医師によると、もう手の施しようがないそうです」
練金肢は、時を越えた天才と称されたディドロによってその基礎が完成されたが、残念ながら人は練金臓器までには及んでいない。否、ディドロの錬金肢が異常なだけなのだ。
「こうなることは引き受けたときから分かっていました。むしろ、シャルロット様に大過なく誇らしいぐらいです」
どこから出てくる忠誠心なのか分からないが、そう語る彼女の表情は真剣そのものだった。
「私に、この件を秘密にして欲しいと。そういうお話ですね?」
「話が早くて助かります」
誇らしげな笑顔でテレーズは首肯した。
「分かりました。シャルロットさまにはお伝えしません」
「ありがとう」
彼女の方からアールに声をかけたのは、この件を口止めするため。アールとしても、直前でシャルロットに変な気を起こされて困る。
利害は一致した。後ろめたいこともない……はずだ。
「それでは、私は明日の準備がありますので」
アールの返事も待たず、彼女は踵を返した。
去り際の覚悟を決めたような、清冽な笑顔。
それは死を意識した者だけが浮かべられる、最後の瞬間に燃え上がる炎のようなものだった。恐らく、どうせ死ぬのならばその命をシャルロットのために使おうとでも考えているのだろう。
独りよがりな忠誠。
しかし、身勝手でない思いなどどこにあるというのだろう?




