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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第五章 太陽の婚姻
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2.テレーズ・バゼーヌ

 アマーリア女学院聖堂内、女王の間。

 暁光の聖堂(クレプスキューレ)を模して作られているのだが、それは外見だけ。本物には女王の間など存在しないそうだ。


 その前に、アールはシャルロットと共にやってきていた。他に王女の介添えとして何人か聖堂に宿泊しているはずだったが、その気配はない。


 シャルロットとその影武者に配慮してかどうかは知らないが、望外の幸運にアールは〝主〟に感謝しそうになった。

 人目につかないというのは素晴らしいことだ。なにしろ、結局、無理矢理ドレスを身に纏わされているのだから。


 ドレスはサテンのゆったりとしたもので、清楚な純白の布地に波打つような真紅のレースが配置されていた。

 アールにとっては、そんな色もデザインもどうでも良く、当然のようにくるぶし近くまである裾や、やたらと大きく開いている胸元が気になって仕方ない。というか、コルセットで誤魔化しているとはいえ、このデザインはないだろう。


 どこから、あるいはいつから用意していたのか知らないが、男の自分にこんな物を着せるのは立派な陵辱行為だと訴えてみても、「私の見立てに間違いはなかったわね」とご満悦なシャルロットには届かない。


 ティアナやクレアにもお披露目された上、(お世辞だろうが)賞賛の言葉までかけられてしまった。


 こんなデザインでも誤魔化せるとは、セドリックはこのコルセットにどれだけの心血を注いだのか。そろそろ、怒りよりも感心よりも不気味さが凌駕してきた。


 まあ、それは記憶の海に沈めよう。


 この女王の間は、太陽の婚姻が行われるときにだけ使用される。実に数十年ぶりという訳だ。その間、ずっといつ使われるか分からぬ部屋を維持し続けてきたのだから逆に感心してしまう。


 傍らのシャルロットが、その扉をそっとノックする。

 彼女は、アールと同じ純白のドレスに緑碧のガウンを身に纏い、胸元には主席生徒(ル・メイユール)の証である紅玉の薔薇が輝いていた。


「どうぞ」


 ノックに応え、アールがそっと扉を開いた。

 中にいたのは、シャルロットと似た年格好の少女。しかし、シャルロットの長く美しい金髪と対照的なブルネットの髪は短めに切り揃えられていた。


 切れ長の目はややつり目がちで、ぱっちりと見開かれている瞳のシャルロットとは違い神経質な印象を受ける。化粧でカバーはしているが、頬がやや痩けているようだ。

 体型以外は、似ているところを探す方が難しいほどだった。


「あら、テレーズ。もう、変装は止めたのね」


 そんな彼女を一瞥すると、シャルロットは堂々と臆することなく女王の間へと歩みを進める。

 壁面には〝主〟を表す太陽を具象化した菊紋五芒印と、ソルレアン家の向日葵の紋章。燐光球の柔らかな明かりが部屋を包み、中央に据えられた長机には夕食会のごちそうが並べられていた。


「少し痩せた? 苦労をかけているわね」


 それらには一切目もくれず、久々に会う最も信頼できる友へと近づいていく。我が物顔というが、まあ、実際、ここは彼女の物と表現しても過言ではないだろう。

 実に見事な、女王然とした立ち居振る舞い。


 とても――


「おかしいわね。なぜだか、手袋が短くなってるわ」

「自分で切っていただろう」

「しかも、ドレスがしわに」

「床にぶちまけた後、ちゃんと片付けたのか?」

「ああ、どうしましょう。そうだわ。ティアナ、あの娘なら大丈夫」


 ――などと、直前になってティアナにドレスを借りに行くというどたばたを繰り広げたとは思えない。


 しかし、相手はもう一枚上手だった。


「遅刻をしておいて、なにを言いますか」


 近寄ってくるシャルロットを捕まえ、その耳をぎゅっと引っ張る。


「ちょっ、あ、やめなさいって」

「まったく、一国の女王になろうというお方が、そんなことでどうしますか。しかも、そのドレスは借り物ですね?」


 一目で見抜かれていた。


「なによ、制服よりはましじゃない」

「どちらにしろ、落第です」


 シャルロットとしてもレティシアとしても、色々台無しだった。彼女の信奉者がこの光景を見たら、卒倒するに違いない。

 そんな気の置けないやりとりを、アールは見ているほか無かった。というよりは、関わりたくなかった。心から。


「あーえっと、ほら、そうよ。テレーズ、あなたこそどうかと思うわ?」

「なにがです?」

「私の妹が、こちらを呆れたように眺めているわよ。まったく、初対面の人間を放置してどういうつもりなのかしらね」


 その無駄に勝ち誇った様子のシャルロットを半眼でにらみつつも、内容の正しさだけは認めざるを得なかったのだろう。

 シャルロットの乳母子であるテレーズは、ようやく主人の耳から手を放した。

 そして、アールに向き直り居住まいを正す。


「セーラさんだったかしら。あなたのことは、私の主から聞いています」

「それは……」


 どこまで、どの様に話しているのか。自分が暗殺者であることは? こんな格好をしているが男であることは? そして、シャルロットが戴冠した後に死を望んでいることは?

 答えを求めてシャルロットに視線をやると、なにを勘違いしたのか彼女は最上の笑顔をアールに送ってきた。


 役に立たない。マリーカのような反応をされても困る。


 結局、こんな格好で連れ出されたのだろうから女として対応する他はなにも知らない振りを選んだ。


「セーラ・ヴィレールです。その、あなたのことは、私の姉からなにも聞いていなくて、申し訳ありません」

「はぁ……」


 溜め息と共に横のシャルロットへ呆れたと顔を向けるテレーズ。しかし、シャルロットは目を背けて今度は目を合わせようとはしなかった。

 加えて、相変わらずアールが男であると気付かれる気配がない。理不尽にも、もう慣れてきたが。


「まったく……。私はテレーズ・バゼーヌという、シャルロット様の侍女の様なものです」

「私の腹心ね」


 侍女という言葉に様々な意味を込めて、テレーズが自己紹介をする。

 アールの場合は細かく話せないのだが、彼女はというと色々と複雑なので事情を省略したのだろう。これに関しては、シャルロットからある程度聞いているのだが別に構わないのだが。

 次に彼女がとった行動には、さすがに面食らった。


「我が命よりも大切な御方をお守り頂き、心から感謝します」


 テレーズは膝を折り、アールに向けて深々と頭を下げた。

 意外な行動に驚くが、それ以上に、最終的にシャルロットを殺すのはこのアールなのだ。勘違いも甚だしい感謝など受け取るわけにはいかない。無視しても構わないが、落ち着かないことこの上ないではないか。


「その辺にしておきなさい。セーラが困っていてよ」

「この程度では私の感謝は表せません。本当に、このわがまま王女に振り回されて大変だったでしょう」

「ええ……」


 思わず、肯定してしまった。


「なんて事を言うのよ。セーラも」

「後で洗いざらい話してもらいましょうか」


 それは、シャルロットとアールのどちらに向けた言葉なのか。それを明らかにすることなく、テレーズは立ち上がった。


 そして、部屋の中央に用意された長机へと二人を誘う。

 ようやく、夕食会が始まろうとしていた。

 シャルロットは当然、主賓席。残った席のどちらに行くべきかアールが逡巡していると、そっとテレーズが近づいて来てくれた。


 案内の途中、耳元で彼女が囁く。


「あなたのような人がこの学院にいてくれて良かった。〝主〟に感謝をしなくてはなりませんね」


 透き通った笑顔で話しかけられたが、アールは応える言葉を持たなかった。死相。なぜか、その笑顔に暗い陰を感じ取ってしまったから。

 そんな彼の様子を照れているとでも解釈したのか、硬い表情だった彼女はすっと笑顔を作り、シャルロットの左手側に案内してくれた。


「本来は順番に供するところですが、途中で給仕に入ってこられても落ち着かないでしょうから」


 見れば、前菜のチーズを使ったキッシュや貝類のグリル。さらに、牛肉のワイン煮込みやデザートの生菓子まで卓上に並んでいた。

 〝主〟(ソル)は贅沢は戒められても、清貧を絶対とはしない。過度の節約は、豊穣をもたらす〝主〟への背信であると考える神学者も存在した。


 特に、ソルレアンの宮廷料理の質は近隣にその名を轟かせるほどであり、多少冷めていてもその値打ちに変化はない。


 この世界に入ってから、明らかに食生活がおかしくなっている。

 戦慄を覚えるアールを尻目に、シャルロットは食事前のお祈りもそこそこに、早速あれこれ手を出しては、存分に舌鼓を打っていた。


「懐かしいわ。こっちの料理にも不満はなかったけれど、久々に味わうと格別ね」


 これが馴染みの味になる場合もあるのか……。

 妙な関心をしてしまったアールだったが、遠慮してテレーズに気を使われるのも煩わしい。適当な皿にフォークを伸ばし――たところで、テレーズが遠慮がちに。しかし、断固とした口調で場を仕切り始めた。


「お楽しみの所申し訳ございませんが、今の内に状況を確認させて頂きます」

「状況? そうね」


 私は食べているから勝手にやってとでも言いかねない雰囲気で、シャルロットが同意する。どうも、テレーズ相手だと良い意味でも悪い意味でも遠慮がなくなるようだった。

 主人の肯定を受けて、テレーズが淡々と状況を整理する。


「まず、アマーリア女学院内の敵対勢力は、セーラさんがほぼ排除されたと」

「その通りよ」


 帆立のグリルを口に入れてから、アールもゆっくりと頷いた。確かに冷めてはいるが、かすかな塩味が実に快い。


「それにしても、護衛としてではなく暗殺者として入寮させるとは感心しました。これなら確かに、妨害を受ける可能性も低くなります。宰相閣下もやるものですね」


 アールがじろりと、シャルロットをにらむ。どうやら、彼は騎士派か貴族派が送り込んだ暗殺者――に見せかけた宰相派という立ち位置になっているらしかった。

 セーラ・ヴィレールの出自といい、変に設定に凝るのはなぜなのか。


「そして貴族派の暗殺者は残り一人ということですが、太陽の婚姻当日まで手を出さない約定とはどういう事なのですか?」

「どうって?」

「なぜそのような取り決めになったのかがひとつ。それから、そもそもこの約定は遵守されるのでしょうか」


 あるいは、約束など破ってこちらから仕掛けて良いのではないかと、テレーズは言外に匂わせる。至極真っ当な疑問と意見だ。


「当然の疑問ね」


 シャルロットも首肯する。だが、まともに答えるつもりもなかった。


「その点は、当事者同士の取り決めがあったとしか言えないわ。そして、私はそれを承認した」

「では……」


 テレーズが、シャルロットからアールに視線を向ける。

 どう答えるべきか。ゆっくりと、手にしたパンを千切りながらアールは考える。シャルロットがこっちに丸投げしたのは、彼自身にどこまで真相を明らかにするか任せたからのはず。


 とはいえ、シャルロットと違って口は上手くない。ならば、下手な嘘をついてテレーズの心証を悪くする意味もないだろう。


「その暗殺者というのは、私の義妹です」

「なんですって……」

「一度やり合いましたが、その時の状況を勘案し、お互いに当日まで手を出さないという取り決めを行いました」

「姉妹で殺し合いを?」


 テレーズの意識は、自らの疑問よりもアールからさらりと述べられた事実に向かっていた。どうも、身内で殺し合いをするというのは結構な大事らしい。

 親族で、血で血を洗う玉座争いをしているというのに。


「約束は守る娘ですよ。敵対はしていますが」

「いえ、そういう話ではなく……」

「別に殺す必要はないわよ。私が太陽の婚姻を終えれば、相手にこっちを狙う理由はなくなるのだからね」


 シャルロットが戴冠を終えた場合、貴族派は妹のリゼットまで殺害する必要がある。だが、それは軍を掌握しているフェリックスとの全面闘争を意味しており、そうなれば、新しい宮廷に忠誠を誓って少しでもおこぼれにありついた方が良い。

 アールの存在がある以上そうは簡単にいかないのだが、テレーズにとっては至極真っ当な意見だった。


「分かりました」


 気分を変えるためか、グラスの中の赤ワインを一気に呷る。そういえば、これ以外には一切手を付けていなかったなとアールはテレーズの表情を盗み見る。


 表情は特に変化はなかったが、アルコールを吐き出すかのように口を開いたその瞬間、口内が暗褐色に鬱血しているのが目に止まった。シャルロットは気付いていないだろう。


 毒か、病気か。なんにせよ、シャルロットの前で出せる話題ではない。アールが追求を断念したところで、テレーズが次の確認事項に移る。


「同行しているのはすべて戦いの心得がある者ですけれど、秘密を守るため少数しかアマーリア女学院に同行させていません。それに、シャルロット様の正体が明るみに出ているにもかかわらず、また私と入れ替わって頂くわけにも参りませんから」


 王女は王宮におらず、アマーリア女学院に逃げ込んでいた。


 そんな醜聞を即位前のタイミングで認めるような行動は出来ない。それはつまり、テレーズ自身に出来ることは然程多くないという意味でもあった。


 本来の勢力を考えれば、ミュリエルなど蟻のように踏みつぶせるだろうに。今の彼女らは、両手両足を縛られた巨人のような有様だ。それ故、アールやミュリエルのような小人(暗殺者)の出る幕があるのだが。


「要するに、今まで通りセーラと頑張れば良いという話ね」


 生クリームがたっぷり載った生菓子へと視線をやりながら、シャルロットが事も無げに言う。

 テレーズはため息をつきながらそれを一切れ彼女へ取り分け、嫌々ながら肯定した。


「とにかく、太陽の婚姻さえ挙げてしまえば我々の勝利です」


 シャルロットの女王即位を信じて疑わないテレーズを、笑う気にはアールはなれなかった。


「差し出がましいことを伺うようですが……」

「なに?」

「太陽の婚姻を終えて即位をしたという証明は、どのようになされるのでしょうか」


 もしそういったものが無ければ、ミュリエルと二人で決着を付けるだけで済む。


「暁光の聖堂には、黄金の鐘があります。これは、王族しか知らない手順でのみ鳴らすことが出来るのです」


 当然、私にも詳細は不明ですがとテレーズが付け加える。

 鐘の音ということであれば、アマーリア修道院にまで届くのだろう。それで、証拠としては充分。


「要するに、フェリックスの手先は、私が鐘を鳴らしてから殺すしかないわけ。王家の秘中の秘を漏らしでもしない限りはね。あ、リゼットをつれて来るという手段もあるけれど、貴族派に暗殺のチャンスを与えるだけかしら」

「もうちょっと歯に衣着せるようにしてください。そんな事では、外交の場でどんな失敗をするか知れませんよ」

「なら、交渉事はテレーズに任せようかしら」

「私が申しているのは、社交の話です」


 二人のやりとりを聞き流しなら、アールは考えをまとめる。

 つまり、暁光の聖堂にシャルロットを送り込めば終わりという単純な話ではないようだ。ミュリエルから彼女を守りつつ、儀式も完遂させなければならない。


 まあ、良い。


 女装して女学院生としてこの一ヶ月過ごしてきたという苦行に比べれば、余程自分の得意分野ではないか。

 シャルロットと同じ生菓子に手を出しながら、アールは決意を新たにする。


 守り抜くが殺す。

 やることは変わらない。なにも変わらない。

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