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プロローグ(後)

「ご苦労、だったな」


 顔の筋ひとつ動かすことなくアールの報告を聞き終えたゲオルクは、それと同じくらい抑揚の無い声音で彼の働きを労った。


 〝右の二腕〟ゲオルク。四十絡みの、黒髪をなでつけた怜悧な男だ。端正な細面は常に不機嫌そうな表情で固定されている。仮面でももう少し表情がありそうなものだが、彼の表情に動きというものはない。


 この地下室は〝六本腕〟の幹部である彼の執務室だった。ゲオルクの子供達はここを、死後に〝主〟の御許で行われるという最終審問になぞらえて〝審判の間〟と呼んでいた。

 一方的に呼び出された挙げ句、たいていは地獄に落とされたかのような顔をして出てくるのがその理由だ。


 時折、出てこられない者もいるが。


 ゲオルクは元々将来を嘱望された錬金術師であり、かつてはソルレアン王国はおろか隣国のヴァルダー帝国にまでその名を轟かせた天才暗殺者でもあった。史上初めてマスケット銃による暗殺を成功させたという経歴も、それに貢献しているに違いない。


 今は一線から引きアールやマリーカといった彼の子供達の管理・指導に回ってはいるが、引退したわけではない。成功を収めた行商人が、店を構え丁稚を雇うのと同じ仕組みだった。

 とはいえ、ゲオルクから放たれる威圧感は本物だ。この部屋が息苦しいのは、なにも窓ひとつない地下室だからだけではない。


「貴様の仕事はいつも卒がない」

「失敗しろとでも言うのか?」


 燐光球が薄く照らす地下室。そこでゲオルクと一対一。平然と返してはいたが、アールは緊張の極みにあった。


 いついかなる時でも、ゲオルクには隙がない。それどころか、油断をしたらこちらが殺されかねないという想像に駆られてしまう。デスクに無造作に置いてある戯曲の本や引き出しから取り出した酒瓶。いや、ただの羊皮紙でさえも、ゲオルクがアールを殺すには充分すぎる。


「そうだな。そうすれば、師匠らしいこともしてやられる」


 そんな彼の緊張を知ってか知らずか、ゲオルクは口の端を厚紙一枚分だけ上げた。彼の子供達だけが、これを微笑だと判別できる。もっとも、それより上の笑顔はこの世界に存在し得ないのだが。


「俺にまた地獄を見ろと言うのか、このクソ親父」

「予行演習にはなるだろう。お互いにな」


 つまらない事をつまらなそうに言って、透明の液体を満たしたグラスをアールへ押しやった。


「喉なら乾いていない」


 にべもないアールの返答に気を悪くした様子もなく、そのまま放置。手酌で自らのグラスにも酒を注いでいく。

 それを流れるような所作で一息に飲み干すと、冷たい声でアールに告げた。


「では、次の仕事だ」

「……」


 休む間もない宣告に、無言でアールは頷いた。この程度いつものこと。むしろ、訓練ばかりでは勘が鈍ってしまう。


「シャルロット王女。それが今回の標的だ」


 ソルレアン王国の女王であるマリアンヌの長女。他国で言えば王太子に当たる月の巫女に擁立されてはおらず単なる第一王位継承者に過ぎないが、この国における最重要人物の一人であることは間違いない。


 ソルレアン王国は代々女系継承であり、その伝統は〝主〟と交感する巫王が権力を握っていた過去に由来する。アリア教国から心教が伝わり教化された今でも、その伝統は変わりない。

 シャルロット王女はあまり表舞台に立つことはなかったが、貧民救済に積極的であり、慈悲深い王女として臣民の素朴な尊敬を集めていた。


 その彼女を暗殺しろと、事も無げに命じる。

 アールはゲオルクから死ねと言われても平然としている自信があったが、さすがにこの標的には驚きを隠せない。


「お前も、そんな表情をするのだな」


 意外とは言わず、ただ珍しいと感想を述べるゲオルク。


 しかし、アールはもう、その言葉を聞いてはいなかった。

 代わりに考えていたのは、王城の見取り図や宮殿内の警備状況はどこまで調べることが出来るのかという実に即物的な事項について。


「だが、現在王女は王城にはいない。側近によって、数年前から別の場所に移されている。今宮殿にいるのは影武者だ」

「そうか」


 それならば、やや難度は下がる。


「この任務の難点はふたつ。ひとつ、すぐに殺せばいいわけではない。タイミングは、一ヶ月後の〝太陽の婚姻〟の直後だ」


 〝太陽の婚姻〟とは、王国南部のアマーリア修道院にある暁光の聖堂(クレプスキユーレ)で執り行われる、王位継承の儀式である。

 その内容を王族以外が知ることはないが、それが一ヶ月後に執り行われるということは即ち、マリアンヌ女王は既に身罷っている可能性が高い。


 しかし、そんなことよりもアールには確認すべき事があった。


「それまで、一ヶ月間も手出しするなと?」

「いや、彼女を狙っているのは我々だけではない。期日前に殺されてはこちらの任務が達成できなくなる」


 下がったはずの難度が上昇した。が、それはそれで面白い。殺すまでは守り。時が来たら殺す。まるで家畜の飼育だ。

 けれど、そんな愉快な想像はゲオルクの次の言葉で中断を余儀なくされた。


「そして、ふたつ。標的はアマーリア女学院に在学している」


 その名はアールですら聞いたことがあった。主に、義妹のミュリエルやマリーカ経由の情報だが。


 女王が〝主〟との〝太陽の婚姻〟を行う暁光の聖堂を中心にアマーリア修道院が形成され、そこに〝主〟に仕えるものを育成する機関が設置されるのは自然の流れであった。


 現在アマーリア女学院は、聖職者の育成だけでなく各国から貴族の子女を迎え入れ、厳格な指導で良き妻を育てる教育機関になっている。内実は知る由もないが、アマーリア女学院の存在は上流階級の間で一種のブランドとして確立していた。


 一般庶民の間でも、この乙女の園に憧れを抱くものは多い。特に、シェフェールによるアマーリア女学院をモデルとした舞台『薔薇園の秘密』が上演されてからは顕著だ。


 ゲオルクのデスクに戯曲の本などあるのはおかしいと思ったが、資料として用意していたものだったのだろう。


「彼女のそこでの名は、レティシア・ル・フォール。主席生徒(ル・メイユール)を務める才媛だそうだ」


 そんなアールの心中を知ってか知らずか、ゲオルクが彼女の特徴を記したメモと似顔絵を投げて寄越す。

 成績優秀、品行方正、眉目秀麗。〝主〟は人の内で最も彼に近い存在の一人に、惜しげ無く才能を与えたようだ。


 成績優秀者に送られる主席生徒である彼女は、同時に〝紅玉の薔薇〟ラ・ロサ・デュ・ルビスという異名で学園中の敬意と羨望の的となっている……らしい。


 実物も似顔絵通りの目鼻立ちのくっきりとした整った美人だとしたら、それも一因だろう。


 だが、今はそれを精査しているときではない。

 こんな乙女の園に一ヶ月も身を置いてレティシア・ル・フォールことシャルロット王女を守り、最後には殺さなくてはならない。男の彼が行うには余りにも無駄で困難が多い。


 その点を問いただそうとしたところ、機先を制してゲオルクが予想外の事実を告げた。


「田舎貴族の令嬢に変装して女学院に潜入し、任務を果たせ」


 失敗した。大失敗だ。素面でこんな話を聞けというのか? そう思って自分に向けられたグラスを見ると、中身は既に消え失せていた。

 ゲオルクを睨むが、その鉄面皮は揺るがない。


「アール。お前は今から地方貴族の娘、セーラだ」

「なっ」


 言われた内容にではなく、瞬く間に背後を取られたことに驚きの声が上がる。


「エバとエレーナは別の任務中。マリーカには任せられん。内容自体はお前の能力なら問題ない。変装は、きちんと指導役を用意した」


 アールの疑問を先回りして、すべて潰していくゲオルク。確かに、マリーカの様に日に焼けた令嬢などいるはずもないが……それよりも。


「変装? それは女装だ」

「アール、お前なら大差ない」

「それで誉めているつもりか?」


 精一杯の抗議も、ゲオルクに拘束されている今では虚しいだけ。まるで、数日前に殺害したヴィクトル・ジリベールの怨霊に祟られているかのようだ。


「抵抗は無意味だ」

「それが育ての親の言葉か?」

「運がなかったな」


 生きるため、戦場で漁った死者の思い出の品を二束三文で売り払ったあの瞬間。この右腕を失いながらも、義妹に降りかかる災難を実力で排除したあの日。暗殺者として育てられ、初めて人の命を奪ったあの時。

 様々な一線を越えてきたが、それを拒否したくなったのは初めてだった。


「入ってこい」


 待ち構えていたかのように、奥から男女の二人組が現れる。

 どちらも痩身でよく似ていた。それもそのはず、二人はセドリックとセラフィナという名の双子だった。前者はゲオルクから錬金術を学び、後者は暗殺術ではなく潜入や変装の術を受け継いでいる。アールと似たような境遇の〝兄姉〟だった。


「やあ、アールくん。これから君をとびっきりの美少女にしてあげますからね」

「ふふふふふ。任せてちょうだいね」

「逃げるなよ」


 ゲオルクに念を押された上で、二人の方へ押しやられる。


 逃げるかどうするか。果断な彼が珍しく悩んだところで、セドリックに捕まった。


 それと同時に、フード付きの外套を始めとしたアールの衣服が次々とはぎ取られていく。

 抵抗の気配を見せようものなら、ゲオルクが動くはずだ。それはマリーカが働く空飛ぶ仔馬亭で、法で決められた割合以上に酒を薄めている事実ぐらい確実。


 そうこうしている内に、膝下丈の濃紺のローブに同色のヴェスト。さらに上着としてボレロが、奇術師のように鮮やかな手並みで着せられていった。

 アールなどでは滅多に着ることが出来ない、仕立ての良い綿の衣服だ。着心地の良さに、状況を忘れて思わず感心してしまう。


「これが、アマーリア女学院の制服ですよ。う~ん。年齢と外見を考えると、胸を細工する必要はないようですね。でも、特製のコルセットはいくつか用意しておきましょう。もったいないですからね」

「既に作成済みかよ」

「お化粧と立ち振る舞いは後で私が講義をしてあげるわね。まずはお手本を見せるからしっかり憶えるのよ」

「無理を言うな」

「なにこの肌の張りは。羨ましすぎるわ」

「無視するなよ、おい」


 全く嬉しくない。だが、なにを言っても無駄なのは分かりきっていた。

 しばしなすがままになるアール。しかし、その胸の中では、この後の復讐プランが着々と練り上げられていった。


 手始めに、あの酒瓶を奪ってこの制服とやらにぶちまけてやる。

 育ての父の前で化粧をされるという絶対にしたくない経験をしつつ、現実的な作戦に落ち着いたアールだった。


「父さん!」


 そこに、けたたましい抗議の声と共にマリーカが現れる。ポニーテールが元気よく跳ね、彼女の存在感を否応無く強調する。


「聞いたよ。なんでアマーリア女学院に派遣されるのは、ボクじゃなくてアールなのさ!」

「アールじゃないですよ、彼はもうセーラです」

「セオ兄、なにを訳分からない事言って……」

「良いから、こっちに来てみてご覧なさい」


 セドリックの手招きに応じ、訝しげな表情でアールの正面へと回ったマリーカだったが、一目見た瞬間、その瞳に理解の光が宿った。


「ああ。セーラだ」

「訳の分からない納得をするな! さっきまでの勢いはどうしたんだ、マリーカ」 

「負けた。胸以外、全部まけちゃったよ……」


 マリーカが、へなへなとその場に崩れ落ちる。酒場で踊り子としても働いている快活な彼女らしからぬ反応だった。心なしか、ポニーテールも元気なく垂れ下がっているように見える。


「はぁ? マリーカ、なにを言って……」


 彼女は答えない。

 代わりに、セドリックが用意していた姿見をどんとアールの前に置き、それが答えだと言わんばかりに指さした。


 アールが反射的に覗き込むと、そこには見知らぬ美少女が映っていた。

 困ったような笑みを浮かべる、透明な雰囲気の少女。やや幼い顔立ちではあるが、薄く施された化粧が女であることを控えめに。しかし、はっきりと主張していた。


「これが俺……?」


 目の前の光景が信じられず思わず手で髪を抑えてしまうが、驚くべき事に、鏡の中の少女もまったく同じ動きをしていた。


 ありえない。


 ありえないが、現実は彼の想像力を大きく越えて事実を眼前に突き出している。

 伏し目がちで長い前髪が大きな瞳を隠し逆にミステリアスな雰囲気を醸しだし、細い体躯は触れれば折れてしまいそうだ。女性らしさは感じない体つきだが、それが逆にまだ熟す前の果実を連想させる。


 修道女の衣服を元にデザインされたお仕着せの制服はぴったりで、確かに下半身に違和感はあるが思ったより動きやすそうだった。


「胸もコルセットを利用すればなんとかなると思いますよ。この服なら目立たないでしょうが、内履きのズボンも用意しましょう」

「すごい、セーラ。育ちは良いけど初めて王都に出てきてきらびやかさに戸惑ってるお嬢様みたい」

「そうね。地方領主の娘ということであれば、ボロも出ないでしょうね」

「ありえない」


 ついに耐えきれなくなったアールは、心の声を実際に口にし、その場にがっくりと崩れ落ちた。


 セーラなどと呼ばれる筋合いはないし、マリーカの例は具体的すぎてよく分からないし、ボロが出ないはずがない。

 ありえないのだが、自分で見たものは否定できない。ミュリエルが見たら泣くだろうか、笑うだろうか。うっとりするのだけは絶対に止めて欲しい。


 最近思い出さないようにしていた亡き義妹まで引き合いに出して、目の前の現実をなんとか受け入れようと努力を続ける。ゲオルクへの意趣返しなど、とうに脳裏から消え去っていた。


「セーラ・ヴィレールとしてアマーリア女学院に編入し、太陽の婚姻の直後に王女シャルロットを亡き者にせよ」


 低く冷たい、決定事項を告げるゲオルクの声。

 その言葉に異を唱える気力は、すでにアール。いや、セーラには残されていなかった。

 

 アールの心が折れたのを見計らって命令を告げたのではないかと思い至ったのは、それから数時間後。セラフィナから化粧の手ほどきを受け、男として後戻りが出来なくなってからだった。

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