1.陽は翳る
目に痛いほどの美事な夕焼けが、何台もの馬車が連なる一行を照らしていた。
まるで葬列のようだ。
戴冠の儀式のためしずしずとアマーリア女学院へ向かう人の列を見てそう感じるのは、傍らにいる本物の女王が三日後に出会う運命を知っているからかもしれなかった。
だが、アールの感傷で事実が変わることはない。
アマーリア女学院の正門前までやって来た馬車の列はそこで止まり、一台だけが変わらず進み続けた。
おつきの馬車はここまで。学院内に入れるのは王女――新女王の馬車のみ。
ここから先の手順も、傍らで共に女王の馬車を待つ本物の王女から話を聞いていた。
彼女らの前で、もったいを付ける馬車が停止する。六輪で三頭立ての、馬車というよりは家をひとつ移動させているかのような乗り物だ。
その中から、厳かで静かな声が滲み出してきた。本物のシャルロットからは聞いたことがない、王女らしい格式張った言葉。
「しばし、あなたがたの学舎を使わせてもらいます。煩わしいでしょうが、協力をお願いします」
馬車の扉は閉じたままなので姿は見えない。しかし、声は本物のシャルロットと瓜二つだった。何らかの、錬金術の産物を使用しているのかもしれない。
「勿体ないお言葉です」
シャルロットの一歩後ろで、アールが頭を垂れながら予め決められていた台詞を口にする。
続けて、シャルロットの口上。
「アマーリア女学院を代表し心より歓迎いたします、シャルロット王女殿下。並びに、この度の女王陛下のご不幸に、お悔やみ申し上げます」
「ありがとう」
とんだ茶番だった。
しかし、シャルロットとその乳母子が入れ替わっているなど、側近中の側近しか知らぬ事。遠巻きにこちらを見る近衛や役人たちの目を欺くためにも必要な儀式ではあった。まさか、この場ですぐに影武者と入れ替わるわけにもいかない。
「わたくしの宿舎で夕食を共にしましょう」
一方的な通告。しかしそれは、予めスケジュールに組み込まれたイベントでもあった。
「喜んで、ご一緒させていただきます」
肯定の答えと二人を置き去りにして、馬車が閑散とした学院内へと進んでいく。
事情があり帰省できない者を除き、学院内には生徒は残っていない。特別に滞在が許された者も、必要がない限りは寮から出ることを禁じられていた。
主席生徒とその妹が、御幸された王女をお迎えするといった伝統行事はその一例だ。
後は、実家が遠く移動が困難なティアナもウルスラ寮に残っている。ミュリエルも、なんらかの理由をでっち上げて学院内にいるに違いなかった。もしかしたら、出ていった振りをして裏庭にでも潜んでいるのかも知れない。
「……どうだった?」
王女の馬車が宿舎である聖堂へと消えていくのを確認し、二人は学院内へと戻っていった。表向き、彼女らの仕事はこれで終わり。王女以外の接待は、アマーリア修道院の担当だ。
「本物の王女様みたいでした」
「それなら安心ね」
アールの冗談とも本気ともつかない感想を聞いて、シャルロットは満足げに頷いた。
「するりと、そんな言葉遣いが出るようになったみたいだし」
言われて、アールが何とも言えない渋面を作る。彼も、指摘されて初めて自分の言葉遣いに気づいたのだ。
「それはともかく、私をよく知っているセーラがその感想なら、王宮でも上手く誤魔化せたと信じられるわ」
「よく知っている?」
「そうよ」
基準はよく分からないが、言われてみればミュリエルやマリーカの次ぐらいにはよく知った女性かもしれない。
……というようなことを口に出していたら、マリーカには「浅はかだね」と言われたことだろう。
そのアール目がけ、背後から指先ほどの大きさの小石が飛んできた。
下らないことを考えてはいても、警戒は怠っていない。アールは即座に振り向き叩き落と……そうになって、それが過剰反応であることに気付く。
殺気はなかった。危険性も低い。
ならばと甘んじてそれを受けることにする。
「…………ッ」
覚悟をしていたからか、痛みはほとんど無い。しかし、頭に小石をぶつけられるというのは、なかなか屈辱的な経験ではある。
恨みがましい表情で小石の出元を窺うと、予想もしていない。しかし、聞き慣れた声が彼の名を呼んだ。
「アー、じゃなくて、セーラ!」
「……マリーカ!?」
王女の一行からするりと出てきたのは、マリーカだった。いつもの手足をむき出しにした衣装ではなく巡礼者のようなローブを身に纏ってはいるが、見間違えるはずがない。
「知り合い?」
「え、ええ……」
シャルロットからの問いかけに、呆然と頷くことしかできない。なぜここにいる?
「そう。なら、ここで待っててあげるわ。挨拶していらっしゃい」
言われるよりも早く、アールはマリーカに向けて歩き出していた。
この仕事は、アールにほとんど任されている状態。それなのに、マリーカがやってきたのには理由があるはずだ。
……ミュリエルの存在が露見した可能性もある。
緊張の面持ちでマリーカの目の前まで早足でたどり着いたアールは、王女の一行から彼女を連れ出して、アマーリア女学院の門壁近くまで移動した。
「ひっさしぶりだね」
「なにがあった?」
挨拶を飛ばして、いきなり用件に迫る。
「もう、つれないなぁ」
マリーカは、いつも通り過ぎるほどいつも通りだった。
さすがに、ミュリエルの事を告げに来たというのであれば、もっと深刻なはず。最悪の予想は外れたようだと、アールは密かに安堵する。
「それより、もっとお嬢様っぽく喋ってよ」
密談の内容を誰かに聞かれればそれで終わりなのだから口調を取り繕う必要などないと思っていたが、より安全を期するということであればマリーカの言う通りにすべきだろう。別の意図が含まれているのは確実だろうが。
「それで、ご用件は?」
「そんなに重大な用件じゃないよ。手紙でも良かったけど、ボクがアマーリア女学院を見たかったから来ただけだもん」
人騒がせな……。というか、うちの規律はどうなっている? いくら他に仕事がなかったとはいえ……。
「なんか、その不機嫌そうな表情も美少女っぽくて良いね」
「意味が分かりません」
「えっとね、もしかしたら、命令が変わるかも知れないって父さんが」
「命令が変わる?」
鸚鵡返しにしたのは、なにも考えていない証拠。それほど、別の意味で意外な伝言だった。
「つまり、太陽の婚姻の前に決着を?」
命令変更となると、他は考えにくい。声は冷静そのものだったが、なぜか手は震えていた。そんなアールの様子に気付かず、マリーカはゲオルクからの話を伝える。
「そんな大展開じゃないよ。でも、色々と横槍が入っているらしいから、最悪の場合は仕事自体が無くなるかもって」
「そうですか……」
「上の方では色々駆け引きがあるみたいだね。オスカー兄から漏れ聞こえる感じだと、王宮と交渉するかも知れないとかなんとか」
詳細は不明だが、今すぐにシャルロットを殺す必要はないらしい。それだけ分かれば充分だ。
必要以上に安堵している自分に気付こうとせず、アールは事務的な話を確認する。
「とりあえず、こちらは当初の予定通りに動きます。もし変更があれば連絡を下さい」
「うんうん。でも、もしかしたら、父さんが自分で来るかもって言ってたよ」
「なんだと?」
思わず素で応えてしまうほどの一大事。上で、なにが起こっているというのだろうか。
しかし、考えようによっては、ゲオルク自らがバックアップに動いているとも言える。アールはアールで最善を尽くせばそれだけで良いのだ。
なにも考える必要はない。
「なにかあれば、伝言をください。アマーリア修道院のアンジェという修道女の方なら、セーラ・ヴィレールの知り合いということで便宜を図ってくれるはずです」
「うん。分かった、それじゃ最後に」
「なんです?」
「どうして、標的のレティシアさんと一緒にいるの?」
「えっ……」
当然と言えば当然の問いに、アールはまともな返答ができない。
「ぬふふー。まあ、帰ったらみっちり話を聞くからね。色々頑張ってね、セーラ」
さりげなく精神的な打撃を与えていったマリーカが、修道院の方向へと消えていく。
しかし、アールは知らない。
本格的に精神的外傷を受けるのは、まだこれからであるという未来を。
「……お待たせしました」
マリーカとの密談を終えたアールがシャルロットの元へ戻るが、彼女はなにも言わずただ頷いただけだった。
やはり無言のままアマーリア女学院の正門をくぐったところで、シャルロットはようやく口を開いた。
「今の娘はあなたの恋人?」
「ぶはっ」
シャルロットの完全奇襲に、アールはアマーリア女学院に相応しくない反応を見せる。彼女からの不意打ちは、デレクを倒した後に続き二度目。心が折れてしまいそうだった。
「なによそれ、そんなに意外?」
「品格を疑う発言ですね」
「まあ、大体分かったからそれはいいわ。それじゃ、準備をしましょうか」
「なんのですか?」
人気はないが、用心のため女言葉で聞き返す。
「曲がりなりにも王女さまの夕食会に、こんな制服で行けるわけがないでしょう」
両手で裾を掴んで広げ、アールに強調する。だが、胸の紅玉の薔薇が夕日に反射してそちらに目が行ってしまった。
「着替えぐらい、一人でなさってください」
あんまり見るのは良くないと無意識に判断し、目を逸らしながらアールは静かに、しかしきっぱりと告げる。
「セーラ、あなたドレスなんて持ってきていないでしょう?」
話が噛み合わない。ドレスなどあるはずがないというか、それが会話の中に出てくる理由が分からない。分かりたくない。
「もしかして……」
「あなたも来るのよ、セーラ」
やっぱりか。
半眼で睨みつけるが、シャルロットはまったく痛痒を感じていない顔で続ける。
「伝えていなかったかしら? だけど、クレアには私たちの分は要らないと伝えてあるから、一緒に来ないと夕食抜きよ」
学生が帰省する間、学院内の各種サービスも停止する。食堂はその最たるもので、担当者が休暇に入ってからは、クレアがウルスラ寮に残った三人の世話をしてくれていた。
「わざとですね?」
「あらあら。姉を疑うというの? 世も末だわね」
芝居がかった台詞に、アールはため息をついてしまった。
一食ぐらい抜いても問題はないし、携帯食料の備蓄もたっぷりある。だが、この場を切り抜けたとしても、こんな罠が二重三重に張り巡らされているに違いない。
何度目になるか分からない諦めと妥協のため息をつき、それでも、シャルロットに対して昂然と要求を突きつけた。
「夕食会には出ます。ですが、ドレスは着ません」
「もう分かっているでしょう? 抵抗は無意味だって」
要求は、真っ正面から跳ね返される。
ゲオルクめ……ッッ。この場にいない義父に、とても筋の通った八つ当たりをするが、現実は変わらない。
ウルスラ寮はもう目の前で、アールに抵抗の余地は残されていなかった。




