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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第四章 毒蛇と毒蛾
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5.ミュリエル

 石が水面を跳ねて、いくつもの波紋を生み出していく。


 講義を自主的に放棄したアールは、以前ティアナに案内された泉の前でミュリエルを待っていた。

 密談に最適な場所故に選んだのか、あるいはこの光景を義妹に見せたかったからか。どちらでもあり、どちらでもない。だが、自然とこの場所を指定していた。


 ――ミュリエルは、自らの名前以外なにも持たぬ孤児だった。


 アールと同じく戦災孤児なのか、親とはぐれたのか、それとも捨てられたのか。それすら理解できぬほど彼女は幼かった。

 彼女にとって最大の幸運は、アールに出会えたことだろう。今、彼(格好は彼女だが)が佇む泉によく似た場所で。


 以来、ずっと離れずに生きてきた二人は一年前に別離を経験し――そして、また、二人切りで向き合う事になった。


 懐かしい気配を感じ、アールがゆっくりと振り返る。


 目の前にいる、膝下丈の濃紺のローブに同色のヴェスト。さらに上着としてボレロを身に纏った、どこから見てもこのアマーリア女学院の生徒にしか見えない少女。彼女、ミュリエルこそが、アールの死んだはずの義妹であり現時点においては最強にして最大の敵だった。


「初めて出会った、あの泉によく似た場所ですね」

「俺もそう思った」


 ミュリエルがアールに、にっこりと陰のない天使のような微笑を返す。


「義兄さんからお誘いを受けるなんて、初めてです」


 上機嫌。


 そう言って構わないだろう。これから行われる話し合いに反比例し、彼女の足取りは軽やかだった。

 義兄が、姉と呼ぶべき衣装を身につけていても、それは変わらない。


「また髪が伸びたな」


 今までの二回とは違って落ち着いた邂逅だったにも関わらず、再会の言葉は冴えないものだった。

 それでも、その不器用さに義兄らしさを感じてか、ミュリエルは頭を撫でられた子犬のような喜色を浮かべる。


「私は、どんな扱いになっていたんですか?」


 隠すことでもない。淡々とアールは答えた。


「組織の命令に逆らったので粛正された――といったところだ。ゲオルクも何らかの処分を受けたはずだが、詳細は分からない」

「義父さんに迷惑をかけたのは不本意ですが、それは逆らいますよ」


 ミュリエルに、悪びれた様子はまったくない。


「女を武器にして仕事をこなせだなんて、あり得ません」


 ゲオルクの頭越しに命を下されたとは聞いていたが、それも当然だ。そんなことを絶対に許すはずがない。

 そんな物を使う必要は無い。それは、ミュリエルを育てたゲオルクにとって、侮辱以外の何物でもないだろうし、看過するわけもない。同じ組織とはいえ、舐められたら終わりだ。


「この体は、髪一筋まですべて義兄さんのモノだというのに」

「お前の体は自分自身の物だ、ミュリエル」


 義妹のいつもの冗談をかるくいなしつつ、アールはその状況をシミュレートしていた。


 命令に逆らったミュリエルを粛正するために〝六本腕〟から刺客が放たれ、彼女はそれを切り抜けた。不可能と言いたくなるが、義妹が目の前にいるという現実は動かせない。


 正面から打ち倒したのか、あるいはまんまと逃げおおせたのか。組織も、本当に殺したつもりだったのか、生きていることを知りながら体面のために粛正したという結果を押し出していたのか。


 こんなディテールまでは知る由もないが、大枠では間違っていないはずだ。

 あるいは、ミュリエルが成長して制御不能になる前に鎖をつけたかったのかもしれないが、なんにせよ失敗。大失敗だ。


「もうひとつ、聞いても良いですか?」

「なんだ?」


 本当に昨夜殺し合いをしたのか疑わしくなってしまう。そんな二人の、日常そのものといった会話は続く。


「義兄さんではなく、お義姉さまとお呼びした方が良いですか?」

「――ッ」


 ここに来たばかりの頃の彼だったら、淡々と武器を抜いていただろう。だが、耐えた。シャルロットがいたら、私の教育の賜物ねと得意げに笑っていたかも知れない。


 より多くの忍耐を必要としたが、その想像にも耐えた。

 目の前にいる義妹と同じ格好をしているのだから、それも仕方ない。大体、ここで普段の服装をする方が危険だ。


 そう納得させた。


「昔から、絶対に女装は似合うって思っていたんです。それなのに、私がいないところでこんな……」


 ほぅ……とミュリエルが悩ましげなため息をつく。それはまるで、身分違いの恋に思い悩む深窓の令嬢のようであったが……。


 やはり、先ほど感情任せに動くべきだったか。

 自らの教育の失敗を棚上げにして、アールは天を仰いだ。木漏れ日になっていても、今日の太陽も強い陽射しを放っている。アールが〝主〟を呪いたくなるのは、概ねこんな時だった。


「それに、そんな抱きしめたくなる格好で男言葉は似合いません。お淑やかなお義姉さまとお喋りしたいです」

「ミュリエル――」

「冗談です」


 ちろりと舌を覗かせて、ミュリエルが可愛らしく謝罪する。しかし、そんな年齢相応の仕草はすぐに消え、酷く真剣な表情で彼女は三つ目の質問を告げた。


「それにしてもシャルロット王女をたらしこむだなんて義兄さんらしくもない」


 とても酷い誤解と見解の相違があるようだった。


「今の俺たちは……そうだな。共犯者のようなものだ。王女が女王になるまでに話だが」

「俺たち……ですか。ふぅん」


 露骨に厭そうな顔をして、アールの言葉を反芻する。彼は知る由もないが、シャルロットがアールを

「あの子」と呼んだときと全く同じ反応だった。


「やはり、そんなところですか。きっかけは気になりますが、騎士派の義兄さんを抱き込んで、〝太陽の婚姻〟までの安全を保障させた訳ですね」


 即位したら国のためにシャルロットは死ぬつもりだ――などとはさすがに想像の外なのだろう。常識の範囲内で、ミュリエルは妥当な結論に至る。


「お前はどうなんだ、ミュリエル」

「私の新しい雇い主は、貴族ですよ。自分たちとその階層のことしか考えていないのに、民を大切にしていると妄想を抱いている典型的な貴族です」


 シャルロットの命を狙う両派の代表となった二人だが、どうにもミュリエルの意図がこの状況形成に寄与しているような気がしてならなかった。


「なにが目的だ?」

「良いですね。私のことなら何でもお見通しな義兄さんを、心から愛しています」


 そうか、と愛の告白を軽く受け流し、アールは続きを促す。


「私と一緒に生きてくれませんか?」

「抽象的すぎる」

「答えをはぐらかすなんてずるいです」

「俺がお前を捨てたことはない」

「だから義兄さんが大好きです」


 期待通りの答えをもらったとばかりにミュリエルは微笑んで、自らの計画を義兄に伝える。


「この仕事が終わったら、私はこの国から出て行くつもりです。結構な額の仕事ですから、ロンディニゥムにでも渡ってそちらを拠点にすることも出来るでしょう」


 アールは無言で頷いた。

 本来であれば組織の離反者であるミュリエルを仕留めなくてはならないところなのだが、〝六本腕〟という組織自体に大切な義妹を差し出すまでの義理はない。ゲオルクや兄弟姉妹に迷惑がかからなければ、それで良かった。


 それに、〝六本腕〟が始末したというミュリエルの首を持って行けば、それこそやぶからなにが出て来るか知れたものではない。


「実は仕事が終わった後に義兄さんを迎えに行くつもりだったのですが――私は幸運です。こうして、今この場で出会えたのですから」

「そうとは限らないだろう」


 ミュリエルが逃亡するのであれば、アールは見逃すつもりだ。出来る限り、いや、それ以上に協力しても良い。

 しかし、自らの任務と対立するというのであれば話は別。


「分かっています」


 義兄の否定にも、ミュリエルは動じない。アールの正面から離れ、ゆっくりと散策するかのように水際まで移動していった。それを追ってアールも歩を進め、恋人同士の逢瀬のような形で物騒な話をすることになった。


「私の目的はふたつ。義兄さんを手に入れること。それから、〝太陽の婚姻〟までにシャルロット王女を亡き者にすることです」

「だが、俺は任務を放棄するつもりはない」

「それは義父さんたちのため? それとも王女のためですか?」

「契約のためだ」


 はっきりとしたアールの返答に、ミュリエルは少しだけ苛立った表情を見せ、足下の小石を泉へと蹴り入れた。その音に驚いて、近くにいた栗鼠が森の中へと逃げ帰っていく。


「そう言うとは思っていました。それでは、任務を達成した後に、義兄さんは私と一緒に逃げてくれますか?」

「無理だな」


 嫌とは言わず、無理と答えた。


「裏切り者が二人になっては、逃げられるものも逃げられまい」


 ミュリエルが生きていたというだけで〝六本腕〟の失態なのだ。シャルロット暗殺に成功したとしても、アールまで離反しては面目丸つぶれ。

 しばらくは時が稼げても、いずれ追いつかれることは火を見るよりも明らかだった。なにせ、ゲオルクまで敵に回すことになるのだ。


「ええ、その通りです」


 彼女も、この二人の間に妥協点がないことは承知している。それでも、義兄を諦めるという選択肢はない。それだけの事。


「ですから、義兄さん。賭をしましょう」

「…………」


 こうして話し合いに応じている時点で、なんらかの取引があるとは予想していた。ミュリエルから提案が無かったら、こちらからしていただろう。


 まずは、その出方を見る。


「私が〝太陽の婚姻〟までに王女を亡き者に出来たら、義兄さんは私のモノです。覚悟を決めて、一緒に逃避行をお願いしますね」

「それでは賭になっていない」

「そうですか? 義兄さんが〝太陽の婚姻〟が終わるまで王女を守り抜けたら、私を好きにしても良いですよ」


 もちろん、生きていればですが。そう付け加えたミュリエルはいたずらっぽい微笑みでアールに向き直った。上着のボレロの裾が翻る。はしたないと言ってしまえばそれまでだが、長く艶やかな黒髪が同時に踊るその様は、とても絵になっていた。


「俺のメリットはなんだ?」

「せっかちですね」

「講義を抜け出しているのでな」

「義兄さんの口からそんな台詞が出て来るだなんて……。ここに来て良かったです」


 相変わらず、この義妹の感覚は良く分からない。今まで通り聞き流すことにして、ミュリエルに先を促した。


「賭を受けてもらうために、義兄さんに有利な条件を提示しましょう」

「…………」

「〝太陽の婚姻〟当日まで、私はシャルロット王女に手を出しません。もちろん、義兄さんにも」

「今すぐ、決着を付けても構わないんだがな」

「いやですよ。そんな腕の義兄さんと戦っても、楽しくなんかありません」

「…………」


 使えないわけではないが、昨日の今日でなんとかなるような損傷でもない。時間を稼げる上に、攻撃側の最大のいつどこで狙うかというアドヴァンテージを捨てると言っているのだ。

 二人の実力差を考えれば、これ以上の申し出は現実的にありえない。


「保留はズルですよ?」

「その通りだな」


 シャルロットに相談せず独断の形になるがやむを得まい。むしろ、変に相談したら兄妹喧嘩は止めろ等と意味不明な説教をされかねない。

 その光景を想像し、なんとも言えない微苦笑を浮かべたアールは、すぐに顔を引き締め義妹に受け入れの意を伝えた。


「分かった。受けよう」

「義兄さんなら、そう言ってくれると思っていました」


 爽やかな。アールなどよりもよほど淑女らしい微笑みを浮かべて、ミュリエルは歓迎の意を表明した。


「怪しまれないうちに、俺は戻る」

「ええ。それまでは学生生活を謳歌しましょう。残り二週間のモラトリアムを」


 本気か嘘か分からぬその義妹の言葉に応えることはなく、アールはその場から立ち去っていく。

 太陽は中天に座しているが、アールの長い夜は今ようやく幕を下ろした。

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