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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第四章 毒蛇と毒蛾
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4.邂逅

「ようやくお会いできましたね、シャルロット王女」


 昼の間に蓄えた熱のお陰か、温室は夜の冷たさとは無縁だった。

 それ故、〝主〟の加護が宿る場所であると、温室内に祭壇が設けられる場合がある。それがアマーリア女学院の内部であれば、当然と言えた。


 『薔薇園の秘密』でも、二人の女生徒が気持ちを確かめ合い毒杯をあおるシーンで、印象的に登場している。


「少し、お待ちなさい」


 その祭壇にひざまづいて祈りを捧げていたシャルロットは、星明かりを反射する。いや、自ら光を発しているかのような金髪を揺らして立ち上がると、堂々と己の命を狙う暗殺者に命じた。

 聞き入れられて当然という態度で懐から呼び子を取り出すと、上品に息を送り込んだ。


「これで良いのかしらね」


 夜の静寂を切り裂く笛の音に顔をしかめつつ、練習ぐらいしておくべきだったわと、呼び子を懐に戻す。


「もう一度、吹いてみますか?」

「止めておきましょう。あの子が混乱してしまうかも知れないわ」

「あの子……ですか」


 シャルロットの言葉を反芻する。表情は微笑のままだったが、目は笑っていなかった。


「ええ。あなた、あの子と知り合いなの?」


 そうは言いつつも、あまり関心は無さそうだった。返事の前に、次の話を始めてしまう。


「見つかったのなら、もう明かりを付けても構わないわよね」


 温室内の要所要所に置かれていた燐光球の燭台から、黒綿の覆いを取り払っていく。温室が徐々に光に包まれ、それを受けるシャルロットはまるで世界の主であるかのようにこの場に君臨していた。

 いや、明かりの方が彼女に奉仕をしているのかも知れない。


 だとするならば、相対する黒髪の少女は闇の祝福を受けていた。

 浮かび上がる漆黒の影。艶があり真っ直ぐな髪は長く、腰にまで届いている。烏の濡れ羽色の黒髪は不吉を連想させると同時に、目を離せない美しさを併せ持っていた。


 それと同色の瞳は吸い込まれそうなほど深い。やや垂れ気味の目は、彼女の美貌から厳つさを取り除くのに貢献していた。


 整った鼻梁に薄く可憐な唇。


 アールのものとよく似た黒いスーツは、否応なく彼女のスマートな体形を強調し、立っているだけで古代の芸術品のような普遍的な美を彼女に提供していた。


 しかし、両者ともお互いの外見など問題にしていない。


「なぜ、私があなたの護衛者と知り合いなどと?」

「そんな気がしただけよ。違うなら、忘れてちょうだい」


 殺す者と狙われる者。それだけではない緊張感が二人の間を行き交っていた。薔薇に人並みの感情があったなら、萎縮し俯向いていたかも知れない。


「それで、あなたは私を殺しにきたの?」

「どうでしょう」


 シャルロットの言葉はいっそ剛胆と言えたが、黒髪の少女の返答はそれに輪をかけて人を食ったものだった。


「どちらかと言うと、あなたは餌です」

「あの子……アールを釣るための?」


 アールという名を出したのは、シャルロットからすると賭に近かった。しかし、少しでも時間稼ぎをしたい彼女からすると、それが最も分の良い賭でもあった。


「ふふふ。これでは自白してしまったようなものですね」

「素直な子は好きよ。アールみたいに難しい子は一人で充分」


 日溜まりのような微笑が二人を繋ぐ。

 しかし、それは一瞬の幻想だった。

 黒髪の少女の手が、その髪に触れる。少女が手で髪を梳き、振り落とした。


「え……?」


 なにが起こったのか分からないが、何かが起こっている。

 見えない巨人の手に捕まれているかのように、シャルロットは身体の自由を奪われていた。足を一歩動かすことすら出来ない。


 その事実があって始めて、キラキラと光を反射するなにかに締め上げられていることに気付く。身じろぎしようものなら、巨人の手がぎちぎちと締め上げ体をばらばらにされそうだった。


「あまり、調子に乗らない方が良いですよ」


 苦悶の表情を浮かべるシャルロットとは対照的な涼しい顔で、黒髪の少女が忠告した。限りなく脅迫に近いが、本人は忠告であると認識している。


「糸……なのかしら。こんなに細くて強靱な糸なんて聞いたことがないけれど、錬金術の産物?」

「聞いたことはないでしょうね。知った者は確実に殺していますから」


 その言葉を実証するかのように、黒髪の少女が左手を動かした。次の瞬間、シャルロットが祈りを捧げていた祭壇の十字架がずれた。

 真ん中でふたつになったそれは、まるでシャルロットの未来を暗示しているかのように、不吉な音を立てて地に落ちる。


「それより、私の忠告は聞こえなかったみたいですね」

「聞こえてい、……ったわよ。従わなかっただけ」

「そうですか。なら、殺しましょう」


 すっと少女の目が細くなる。シャルロットを戒める斬糸が、少女の殺意に連動して束縛を強める。このまま、ぎちぎちと圧死させるつもりのようだった。

 あまりの圧力に身を捩るが、脱出など出来るはずがない。にもかかわらず、彼女はなにものにも屈せぬ強い意志を瞳にみなぎらせていた。


「悪いけど、まだ死ぬわけにはいかないわ」


 対峙する二人の間に、銀光が疾る。二人を繋いでいた糸が半ばで切断され、光が波のように踊った。


「ごほっ、ごほっ。遅いじゃないの」


 束縛から解放されたシャルロットが膝をつき、苦しそうに息を吐きながらも嬉しそうに自らの妹を迎え入れる。


 しかし、アールはシャルロットを見ていなかった。

 投擲したナイフを追い掛けるような勢いで、黒髪の少女へと駆け寄っていく。それは、自らの失敗を挽回するためか、脳裏にちらつく過去の幻影を払拭するためか。


 一方、黒髪の少女もシャルロットなど眼中になかった。

 アールを迎えるかのように向き直り、微笑すら湛えて待ちわびたこの瞬間を享受しようとする。


 無防備に立ち尽くす少女に、アールは爪刃(レイザーシャープ)で斬りかかった。


 奇襲に近い、抜き打ちの一閃。

 首筋――頸動脈を狙った一撃はしかし、その寸前で束ねられた斬糸でしっかりと受け止められていた。


 そうするのが当たり前といった行動だったが、一歩間違えば糸は断ち切られ、そうでなくとも刃が滑って指を傷つける結果にもなりかねない。

 アールの瞳が驚愕に見開かれた。心臓が鷲づかみにされたかのように冷や汗が吹き出で、口の中が砂漠のように乾く。


 恐るべき手腕だが、アールに吐き気すら伴う酩酊感を引き起こさせたのはそこではなかった。


「ミュリエル……」

「三百七十二日ぶりですね、義兄さん」


 ミュリエルの黒い瞳に、アールの姿が映っていた。自分の瞳にも彼女が映っているに違いない。

 死んだはずの義妹の姿が。


 そう。死んだ。


〝六本腕〟を裏切り、粛正された。そう聞かされていた。


 しかし、今こうして義妹は、ミュリエルは生きている。


 この世に幽霊も不死人も存在するはずがない。ならば、伝えられた情報が間違っていたのだろう。何者かが、自らの利益のために歪めたのだ。


 アールが、よりにもよってこのアールがミュリエルを見間違えることなどあり得ないのだから。


「……二週間ほど前に会ったばかりだろう」

「嬉しい。嬉しい。嬉しい。やっぱり、憶えていてくれたんですね」


 忘れるはずがない。忘れられるはずがない。やはり、あの時ぶつかった女生徒は幻影でもなんでもなかったのだ。


 死んだはずの義妹が生きている。目の前にいる。


 ――敵として。


 アールは爪刃を更に押し込んで、糸を断ち切ろうとする。外れそうになっている肩が悲鳴を上げるが、それで手にする果実に比べたら何ほどのことはなかった。


 ミュリエルは、天才だ。


 アールも訓練を受けたが扱いの難しさに音を上げた斬糸を易々と使いこなし、特に殺戮に関しては、あのゲオルクですら一歩譲るかも知れない。

 正面切っての戦闘は彼女のスタイルではないが、それでも、訓練でアールは十回中一回勝ちを拾えればいい方だった。千載一遇のこの好機を棒に振るという選択肢はアールにはない。


「アール、兄さんってどういうこと!?」


 背中からシャルロットの声が聞こえてくるが、今は気にしていられない。


「それより、妹相手になんて事をしてるのよ」

「ふふ。義兄さんは相変わらずですね」


 事情を知らぬシャルロットが当然の疑問を呈する中、被害者であるはずの黒髪の少女――ミュリエルは幸福そうに微笑んだ。頬には、運動や燐光球によるものではない赤みが差している。


「素敵です」


 義兄に殺されかけているというのに、少女は明らかに興奮していた。

 妖しく淫靡な表情のまま、ミュリエルは受け止めた糸を交差させる。そのままアールの爪刃に斬糸を巻き付け、両手を引き絞った。


「ちっ」


 結果を見ることなく、アールは離れた。それに僅かに遅れて、爪刃がバターのように切断させる。


 拮抗は崩れた。

 シャルロットを背中にかばいながら、アールはいかにしてこの場を離脱するかを考え始めていた。再戦して勝てる保証はないが、今玉砕するのはこれ以上ないほど無意味だ。


「それは誤解ですよ、義兄さん」


 そんなアールの心を見透かしたようにミュリエルが笑って言った。


「私は、王女を殺すつもりはありません――今はまだ」


 ミュリエルもアールと同じ騎士派だったのか。ならば、交渉の余地はある。

 アールが口を開こうとしたその時、ミュリエルが嬉しそうに切なそうに楽しそうに寂しそうに呟いた。


「だって、今殺したら義兄さんが手に入らない」


 不覚にも、アールは昔のことを思い出してしまった。

 アールが暗殺者となる事を決め、ミュリエルに別れを告げたあの時のことを。


 結局はアール以上の天賦の才を見せて共に立ち並ぶことになったのだが、あの時の寂しげな表情は今も忘れることが出来ない。

 危険な。アールを凌駕する殺人技術を持つ目の前の少女と、あの時の義妹の姿が重なってしまった。


「ミュリエル……」


 忘我の一瞬。

 ミュリエルには、それだけあれば充分だった。


「それでは、ごきげんよう。義兄さん、またお会いしましょう」


 すっとスカートの裾をつまむ様な動作をしてから、優雅に一礼。それに見蕩れていたわけではないが、ミュリエルが踵を返して温室から出て行こうというのになんの手出しも出来ない。


 アールとよく似た漆黒の少女は、闇に溶けて消えた。

 それからしばらくして、ようやくシャルロットは深く息を吐き出す。アールも同様に、緊張を緩めた。


「私は泣けばいいのかしら、笑えばいいのかしら」


 背後からのそんな問いかけに、アールは応える言葉を持たない。ただ、それを受けてシャルロットの方を振り向き――右腕がだらりと伸びた。

 外れかけた練金肢が生身の部分を引っ張り、生爪を剥がされるのに数倍する激痛がアールを苛む。


「少し待ってくれ」


 他に敵がいないか警戒しろ――と答えなかっただけ進歩はある。

 左手で練金肢の肘を持ち、ぐっと腕をはめ込んだ。言うほど単純ではないが、他に表現のしようもない。


 更に、生身の部分に押し当てたまま左右に少し回し、なんとか元の位置に戻した。さすがに顔をしかめたが、うめき声ひとつ出さずになんとかやり遂げる。 


「大丈夫なの、それ……」


 さすがに手の出しようがなかったシャルロットが不安げに聞いてくるが、アールの返答は簡潔だった。


「問題ない」


 後でメンテナンスが必要だが、これは言うべきではないだろう。


「信じるけれど、私に出来ることがあればちゃんと言うのよ?」

「ああ……」


 あっさり見抜かれた気不味さを感じながら、アールは短く答える。そんな彼の様子に気づかず、シャルロットはため息混じりにこう言った。


「まったく、あなたに感謝すべきなのかしら。それとも、自分の体を大切にしなさいとか、実の妹相手になんて事をしてるのって怒るべきなのかしら」


 先ほどの問いかけと違い、これに対しては簡単に答えられる。


「ミュリエルは実の妹ではない。一緒に師匠に拾われただけだ」

「そう……なの」


 しかし、真相を聞いたシャルロットはなぜか俯いてしまった。仕方がないので、アールはさらに回答を続ける。


「それから、俺は俺のためにやっている。感謝する必要も、俺の体を労う意味もない。むしろ、遅れた俺を責めるべきだ。もしくは、暗殺者と相打ちにでもなることを期待すべきだな」

「アール――」


 まるで夜気が流れ込んだかのように冷たい声。名前を呼ばれた。ただそれだけなのに、ぞっと背筋を震わせてしまう。


 彼女が怒っているところは初めて見た。


 どうして良いか分からず、アールはその場に立ち尽くす。そんな彼に、シャルロットは

そのまま感情を叩きつけ――たりはしなかった。


 彼女は震えていた。

 恐怖か、悔しさか、悲しみか。

 あるいはそれらがない交ぜになった感情に耐えるため、彼女は肩を震わせたままなにも言わなかった。


「シャルロット……」


 アールが名前を呼んでからたっぷり百は数えてから、シャルロットは感情で高ぶった相貌を上げる。


「確かに、あなたは私が望んだとおり、ためらわずに殺すのでしょうね。それでも、それでも私はアール。あなたのことを死んだ方が都合が良いだなんて思わないわ。もう、赤の他人だなんて思えないわよ。私たちは共犯者。そうでしょう?」


 肩の震えは治まったが、声音は隠しきれない感情をストレートに表していた。予想外の声に、意外な言葉に、今度こそ本当に、アールは頭が真っ白になる。


 殺されそうになっているのに? 俺が殺すのは確実なのに? それなのになぜ、俺のことを心配する必要がある?


 分からない。


 だが、こんな不合理は前にもあった。そう、浴場で言葉を交わしたあの時に。感情に振り回された方が正解をもぎ取る場合もある。とても貴重な経験をした場所だ。


 だからシャルロットの言葉も、ひとつの正解なのだろう。

 正しいことが答えではない。それを理解した上でアールは口を開くが――


「ミュリエル以外の潜入者はすべて始末した。だが、いつまでもこんなところにいると、誰かに見咎められるかもしれない。移動すべきだろう」


 しかし、言葉として出たのはそんな事務的な言葉。


「ふっふふ、あははははは」


 王女の。あるいは主席生徒(ル・メイユール)をのものとは思えない下品な笑い声を上げながら、シャルロットは立ち上がった。


「まあ、良いわ。言いたいことは伝わったみたいね」

「それなら良いの……だが」


 自分でもよく分からなかったが、シャルロットが良いというならばこれ以上深入りする必要はあるまい。


「明日にでもミュリエルを呼び出して、真意を確かめる」

「ちゃんと伝わってるじゃない」


 さっきまで命を狙われていたとは思えない上機嫌さで、シャルロットは服に付いた泥を叩き落とす。


「服が汚れてしまったわ」

「そうだな」

「違うわ。そこは『レティシア様、着替えをお手伝いしましょうか』でしょ?」

「……一人でやれ」


 燐光球から発する光が弱くなっていく。陽が昇ったのだ。


 夜はようやく、朝にその座を譲り渡した。

 しかし、アールの長い一日は、まだ終わらない。

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