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暗殺者は王女を護る、弑する為に  作者: 藤崎
第四章 毒蛇と毒蛾
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3.闇に踊る(後)

本日投稿、3話目です。

 まるで、猛獣の檻に入り込んだかのよう。

 夜の寒さも霧で塞がれた視界も苦手としてはいなかったが、それほど単純な話でもない。


 エリーズ・ドゥリヴォーは、懸命に周囲の気配を探りながらも、じわじわと不吉な予感に心が侵蝕されていくのを認めないわけにはいなかった。両手に一本ずつの短剣を握る手にも、ついつい力が入る。


 この名は無論偽名だが、ならば本当の名前があるかというと、それも非常に疑わしい。少なくとも、この場ではエリーズ・ドゥリヴォーと呼ぶのが相応しいだろう。


 なにせ、アールは彼女のこの偽名しか知らないのだから。


 乳白色の霧の中、エリーズは息を潜めてじっと辺りを観察した。見える範囲には誰もない。しかし、気配を感じられる程度には近くに、仲間――この呼称が正確かはともかく――が存在していた。


 ある程度の距離を保ちながら、じりじりと移動して標的との遭遇を目指す。慎重だが、迂遠な作業。口と鼻をすっぽりと布で覆っているため熱も籠もる。それでも、これを外すなど論外。いくらセーラ・ヴィレール本人もこの霧に巻かれているとはいえ、ただそれだけで警戒を解くわけにはいかない。


 それにしても……と、状況は状況として苛立ちを感じないわけにはいかなかった。


 場を荒らされている不快感とでも言うべきか。せっかく秘密裏に王女の護衛者を片づけ、敵対派閥と暗闘し、〝太陽の婚姻〟を間近に爪を研いでいたというのに、突然現れた一人の闖入者にすべて台無しにされてしまった。


 許し難い。


 子供が、遊び場を他のグループに勝手に使われているときの感情と根は同じだ。


 いや、今は忘れよう。こんな思考を巡らすぐらいなら、いっそ、この霧から抜けて、待ち受けた方が良いのではないだろうか。幸いにして、各個撃破を受ける心配はもうない。いや、それではあの黒髪の暗殺者に……。


 そんな悩みを抱えるエリーズ・ドゥリヴォーの姿を、アールは真後ろから観察していた。さすがになにを考えているかまでは知る由もないが、焦れているのは手に取るように分かる。


 もうひとつ分かることがある。


 エリーズ・ドゥリヴォーはアガフィア寮の寮生で、アールが用意した焼き菓子を皆が口にして問題ないのを確認してから、怪しまれないように一口だけかじっていた。


 アマーリア女学院に潜入した暗殺者は、例外なくシャルロット――レティシアの情報を求めている。そして、収集の過程で主席生徒(ル・メイユール)のファンであると騙らざるをえない状況に陥ってしまう。


 怪しいと知りつつも焼き菓子を口にしたのは、自縄自縛の結果。もっと口にしていれば効果は劇的だったろうが、アールにとっては一口でも充分。


 下生えの草花にすら気を払って、アールはエリーズの背後に忍び寄った。殺気はない。当然だ、彼の狙いは彼女自身ではなくその覆面にあるのだから。


 先ほど首を掻ききったのとは別のナイフで、その結び目を切り裂く。

 はらりと布が落ちるのと、エリーズが振り向き様に左手の短剣を投げつけ、それに遅れてもう一本の短剣で斬りつけた。


 ――そう行動したのは、彼女の意識の中だけのこと。


 実際には、口を覆っていた布が外れると同時に煙を吸い込み、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちてしまった。


 それだけしか起こらない。


 ゲオルクに依頼した焼き菓子に混入した、ヴェルナの種。そして、この煙を発生させているシュロの枝。これらは、互いに無害なものである。摂取をしても何ら問題ない。それどころか、ヴェルナの種は焼き菓子の風味を増す。


 しかし、一方の成分がまだ残っている内に他方を取り入れると――結果は見ての通りだ。こんな効果は、錬金術師にして暗殺者という極めて希有な存在であるゲオルクと彼の子供たちしか知りようがない。知っていたとしても、この煙がシェロの枝からの物だと、どれだけの者が看破できるだろう。


 アールは、その知識を最大限に活用した。


 仲間が倒れたその瞬間、残る三人の潜入者たちの行動は別れた。一人は、アールを捕捉する絶好の機会と近づき、後の二人は体勢を整えるため離脱した。


 急造チームなど、この程度。各個撃破するよりも容易い。


 皮肉気に口を歪めたアールは、エリーズから短剣をもぎ取り、一羽向かってくる毒蛾に向けて時間差をつけて放った。

 一本は予想通り叩き落とされる――が、この状況でもう一本まで防ぐのは不可能。


「グゥッ」


 短い苦鳴。それではっきりと位置を確認したアールは、手首のナイフ・シースからありったけのナイフを取り出して投げつけていった。 


 見えてはいないが、練習の的当てより簡単だ。なにせ、この的はでかい。それに、下手に近づけば逆撃を受ける可能性もあった。油断は出来ない。


 霧の中から他人の音がしなくなるまで、そう時間はかからなかった。


 相手の死を確信してから、更に何本かナイフを投げ続け。加えてエリーズにもとどめを刺したアールは、離脱した二人を追うべく先ほど長剣の暗殺者を殺害した方向に霧を抜ける。


 その足下に、弩弓のボルトが突き刺さった。


 アールが霧から抜ける瞬間を狙い澄ました一射。相手の想定よりも、アールのスピードが増さったが故に攻撃がそれたに過ぎない。


 そんな状況にもかかわらず、アールは二人の行方を捜す必要がなくなった幸運に〝主〟の加護を信じても良い気分になっていた。自らの地上代理人を守るため、多少はやる気を見せているらしい。


 しかし、それも長くは続かない。

 彼女らにとって、狙撃など牽制以上の意味は持っていなかった。本命は、アールの左手から襲いかかってくる少女。


 一見して、手にはなにも持っていない。アールも、今のところ手持ちの武器はない。


 アールはさらに加速した。

 来た道を戻り、二人を分断しようとするが――引き離せない。射手は物陰に隠れながらも、ぴったりと追随していた。


 その運動能力や時折放たれる射撃の正確さもさることながら、この二人の連携を見て、アールは計画――引き離して各個撃破――の失敗を悟った。アールに、目論見違いを逆境などと楽しむ趣味はない。


 向こうに、先ほど首をかききった死体を目にしたところで、アールは両足に停止を命じた。急な制動にも関わらず併走していた少女はしっかりと対応し、ついに素手の二人が激突する。


 その時には、既に両者の手にはナイフが握られていた。一瞬の鍔迫り合いを終えると、二人は同時に後退する。アールには続けて弩弓の追撃が差し向けられるが、地面を転がってそれはなんとか回避した。


 弩弓に気を払いながらも、アールはそれだけでないやりにくさを感じていた。同じタイプの暗殺者。そして、相手には射撃武器の援護がある。常に射撃できるよう、樹上を移動し続けているようだった。


 未だ体勢の整わぬアールに、両手をフリーにした少女が再び突っかかってきた。同タイプとはいえ、細部の戦闘スタイルは異なる。


 アールは予備のナイフを横向きに持って待ち構えるが、少女は攻撃のその瞬間まで武器を持たない抜き打ちを得意とするようだ。それに、連戦となったアールの得物に毒はないが、あちらにはなにかがべっとりと付着していた。


 そんな現状確認をしていると、少女の耳を掠めてボルトが飛来する。この暗闇の中、わざわざそんなきわどいところを狙う必然性など、アールにはひとつしか思い浮かばなかった。


 これが彼女らのスタイルなのだ。あの煙の中から、率先して脱出した理由がこれか。コンビが残っており、自分たちの技量なら邪魔さえなければ勝てると踏んだのだろう。

 ボルトを間一髪のところではね除けると、それを追うかのようにナイフがアールの眉間へ向けて迫っていた。


「くっ」


 さすがに余裕を無くしたアールが、体を仰け反らせてその一撃をかわした。毒を受けるわけにはいかないため、かなり大げさな動作。


 それを見逃してくれるほど、甘い相手ではなかった。

 寸鉄帯びずに飛びかかった少女の右手からは、いつの間にか釘の様に鋭利な暗器が数本姿を見せている。


 闇の中、かろうじて影だけで判別できる武器。


 肉食獣が獲物に飛びかかるような優美な動作でアールを押し倒し、上から彼の両目へ暗器を突き立てる。


 顔の半ばを布で覆っているため細部までは観察できないが、スミレ色の瞳はぱっちりと開き、星のように瞬くウェーブのかかったブロンドの少女だった。

 殺し合いという状況と武器さえ除けば、うらやましがる男がいるかも知れない。


 状況は――最低だ。


 アールは咄嗟に右腕をかざし、そこから伸びた爪刃で目をかばった。月光のように冷え冷えとした金属音が響き渡り、暗器を弾き返す。

 密着状態なら、弩弓の援護はない。せめてとアールはこのまま格闘戦に持ち込もうとしたが、敵の判断も素早く、即座にアールから離れた。


「――ちっ」


 それは、千載一遇の機会を逃した少女と、防御のために切り札を見せてしまったアールのどちらが漏らした舌打ちか。


 アールは起き上がると同時に、適当な方向へ飛んだ。さっきまでいた場所に突き刺さるボルトを見つつ、自らの不利を認めないわけにはいかなかった。


「やりますわね」


 じりじりと、お互いの隙を窺いながら対峙するが、手応えを感じてか向こうには余裕が感じられる。


「聞いたことがありますわ、〝六本腕〟のゲオルクには錬金肢を与えられた秘蔵っ子がいると。まさか、私たちと同じ女だとは思いませんでしたが」


 アールの殺意に火が付いた。出し惜しみは無しだ。


 ちらりと左右を見て〝丸太〟の位置を確認すると、アールは背中を見せて駆けだした。もちろん、ただでそうさせてくれるほど甘くはない。

 アールの進路に置くかのように、弩弓から矢が放たれた。


「罠ですわ!」


 ここでアールに向かって攻撃をしていれば、あるいは決着が付いていたかも知れない。しかし、彼女は相棒への警告を選んだ。


 選んでしまった。


 アールも、相棒がミュリエルであれば同じ事をしたかも知れない。故にその判断ミスを誹るるようなことはしなかったが、つけ込まないほど紳士的(お人好し)でもない。


 水に飛び込むような格好で、〝丸太〟――さっきとどめを刺した死体の側へと滑り込んだ。その背をボルトが掠めていき、更なる追撃の矢は死体を盾にして防いだ。


 所詮は、薄い女の体。大型の弩弓であれば、それすら貫通してくるかも知れない。しかし、暗殺用に携行するようなハンドクロスボウに、そこまでの威力はなかった。


 射手から苛立ちの気配が伝わってくる。

 しかし、これ――死体を盾にすること――がアールの目的ではない。その意図を理解しているのは、皮肉にも暗器使いの少女の方だった。


「お逃げなさい、イーラ!」


 すべては遅きに失した。


 錬金術の粋を集めて作製された錬金肢が熱を帯び、アールの命によって水銀の血が沸騰する。首から胴に持ち変えると、立ち上がりながら槍のように投げつけた。


 標的は――言うまでもない。


 猛烈な速度とまではいかないが、人体が飛んでいくのだ。それを目にした時の衝撃は筆舌に尽くしがたい。避けることは諦め、装填していたボルトを放ってしまうのも、仕方のないことだ。


 鈍く、馬車にでもはねられたかのような、思わず目を瞑ってしまいたくなる音。


 加えて、負荷の大きな使い方をしたため肩が脱臼したかのような痛みがアールを襲うが、そのどちらにも顔をしかめることすらなかった。


 まだ終わったわけではない。


 さすがに、これで射手を戦闘不能にしたと考えるのは虫が良すぎる。それに、こんな手品は、二人の連携を阻害したかっただけに過ぎなかった。

 足下に落ちている黒い長剣を拾い、さすがに左腕で構えて突進する。残る一人は、アールの姿を見ても身構えようとはしなかった。


「待ちなさい」


 アールの攻撃に気付いた彼女は、防御でも反撃でもなく交渉を選びとる。


 この期に及んで、一体なにを考えているのか。


 当然、この程度でアールが止まるはずもない。右腕を錬金肢とした彼は、両手が利き腕と言える状態まで鍛え上げていた。片手を痛めたといって、交渉に応じる理由にはならない。

 そんなアールの突撃を前に、少女はやはり動きを見せなかった。


 さすがに訝しんだアールは狙いを急所――心臓――から、その上にずらす。


「ぐっ」


 この程度は覚悟の上か。切っ先が鎖骨を抉っても、少女は反撃しようとしなかった。

 ここでようやく、アールの態度が軟化する。


「話を聞いてやる」


 片膝をつく少女に漆黒の剣を突きつけながら、アールが言った。


「降参ですわ。私たちは、この仕事から手を引きます」

「貴様の頭には、蛆でも湧いているのか?」


 遠慮のなさ過ぎる、あまりと言えばあまりな返答に一瞬鼻白むが、激発せずに彼女はアールを説得にかかった。


「私は左の一腕に属する暗殺者ですわ」

「ほう……」


 一口に〝六本腕〟と言っても、暗殺組織の寄り合いのようなものだ。それぞれの〝腕〟は独立して依頼を受けているし、それがこのように重なることもある。


 その場合は、殺し合うだけだ。


 同じ組織に属するからと言って、特別な指令でも限りは協力することなどない。そもそも、それぞれの〝腕〟にまともな交流など無いのだから無理な話だ。

 しかし、降伏を受ける場合の検討材料にはなる――真実であれば。


「俺が〝右の二腕〟に属するという証拠でもあるのか?」

「確信ならば」


 この点で言い争っても益はなさそうだ。アールは攻撃する方向を変えてみる。


「騙りなら、〝六本腕〟の〝六本腕〟たる理由を心ゆくまで見せられることになるぞ?」

「どこまで疑い深いのかしら」


 やっていられないとばかりに首を振ろうとして痛みに顔をしかめた彼女は、服の中にしまっていたペンダントを取り出してアールに突きつける。それには、〝六本腕〟のシンボル――心臓を掴んだ赤い三対の腕――が彫り込まれていた。


 外部には決してみせぬ、身内だけの符牒だ。


「良いだろう」


 アールも同じペンダントを取り出し、ようやく頷いた。


「では――」

「後始末を終えたら、ここから出て行け」

「なんですって……?」

「その辺に転がっている死体と、ディオニュシウス寮で気を失っている二人。その始末をつけて、さっさと消えろ」


 アールの断固たる口調に交渉の余地がないことを思い知る。こうなっては、結論はひとつしかなかった。


「分かった。分かりましたわ」


 こうなると逆に、同じ組織に属しているのが仇になる。約束を違えるようなことがあれば、必ず追求されることになるだろう。ここで生き残ったことを後悔するほどの。


 すべてを了解した彼女は、まずはイーラと呼んでいた相棒を助け起こすために夜闇の森へと消えていった。


 俺も、シャルロットを回収しなくてはな。


 そう考えていた矢先、彼の耳に呼び子の音が飛び込んでくる。

 瞬間、疲労も練金肢の痛みもすべて消えた。この日、初めて本気になったアールは、温室へとまっしぐらに駆けだしていった。


 夜はまだ、続く。

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