1.闇に踊る(前)
戦闘シーンが続くので、本日は1時間おきに3話投稿します。
アールがこのアマーリア女学院に潜入してから、既に二週間の時が流れていた。
その間、彼は一度も戦闘を行っていない。代わりに、シャルロットやティアナの助けを借りて、女学院での生活をなんとか全うすべく努力を続けていた。
しかし、日々を無為に過ごしていたわけでもない。他の暗殺者たちを一掃すべく秘密裏に下準備を行っていた。
あとは、タイミング――女王の死がいつ公表されるかだ。
〝太陽の婚姻〟が挙行されるとなれば、一部の生徒を除いて帰省させられるのが常だった。それはつまり、潜入者たちを一掃したとしてもすぐには不審がられないという意味でもある。
潜入者を特定し、寮の部屋を突き止め、確実に始末するための種をまく。そんな努力の成果が出るのもそう遠い日ではないだろう。
「随分と上達されましたね。初日は、裾をばたばたさせていらっしゃったのに」
「鍛えられましたから」
まあ、今は自室で練習の成果をティアナ相手に披露しているわけだが。ただ部屋を歩き回っただけにも関わらず、ティアナにはなぜか好評だった。
「ですが、面白いものでもないでしょう?」
夕陽を頬に感じて、アールはゆっくりと歩みを止めた。上流階級特有の背筋を伸ばした狭い歩幅の歩法は、やはり窮屈だ。
それよりも、車椅子のティアナに歩くところを見せるというのは人としてどうなのかと心配になってしまう。所用でクレアが席を外しているだけに、その辺りの判断が難しかった。
「そんな事はありませんわ。セーラさんの成長具合は驚かされます。あのような動きが出来るのですもの、きっと最初から素養がおありだったのね」
あのような動きというのは、女生徒のブローチをキャッチした時のことを言っているのだろう。
「出来れば、忘れて頂きたいのですが」
「どうしてですか? わたくしには真似できない、華麗な動きでしたのに」
ティアナならずとも、あれを再現出来るのはエルミーヌぐらいのものだろう。しかし、この前のシャルロットと違って、彼女の言葉に自重も自虐もなかった。敵わぬまでも、諦めない。そんな気概を感じられる。
アールがそれを追求するよりも先に、ティアナが言葉を継いだ。
「ですけど、嬉しいわ。最近、セーラさんはレティシアさまとばかり行動していらして、わたくしのことはお見限りだったんですもの」
シャルロットがいない時はティアナがいつも側にいたのだが、食事も講義も、同席できる時は姉と一緒にいるようにしていた。こればかりは仕方がない。
アールはここに、友達を作りに来たわけではないのだから。
「もしかして、レティシアさまを独占しすぎでしょうか?」
「いやだわ。そういうつもりで言ったのではないのよ?」
シャルロットの側にいすぎているという自覚は、アールも抱いていた。任務だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、それで要らぬ疑惑を招いては意味がない。
そんな探りの言葉は、ティアナの笑顔に跳ね返されて目的を達することなく雲散霧消した。
「セーラさま。お届け物です」
そこにすっと、クレアがなにかの箱をいくつか携えて戻ってきた。所用を済ませたついでに、アールの荷物を運んできてくれたに違いない。
「ありがとうございます」
クレアからその箱を受けとると、アールは中身を確かめもせずに卓上へ無造作に置いた。それを興味津々といった感じで見つめるティアナと、そんな彼女の様子を見て難しそうな顔をしているクレア。
「焼き菓子です。頼んでいたものが届いたのですが、間に合って良かったです」
箱を開けながら、二人に伝える。
頼んだと言っても、街の商人にではない。〝六本腕〟の連絡員を通じてゲオルクに発注した特別製だ。見た目や味は、ごくありふれた(庶民がそうそう口に出来るものでもないが)焼き菓子だが、アールの作戦には欠かせない。
「おひとつ、いかがですか?」
クレアの視線が嫌というほど突き刺さったが、「待て」をされている子犬のような目をしたティアナには勝てなかった。
「それでは、お言葉に甘えて」
待ってましたとばかりに、ティアナが焼き菓子を一枚口に運ぶ。
「あら。香ばしくて美味しいですね」
どうやら、お気に召した様だった。
「そういえば、間に合ってというと……? ああ、そういえば今夜は」
「ええ。アガフィア寮の皆様にお招きを頂いているので、その時にでもと。私からではなく、レティシアさまからの差し入れということにすれば、皆さんに喜んで頂けるでしょうし。味はティアナさんの折り紙付きの様ですから」
「いじめないでください、セーラさん」
油断すると弾みそうになる声を抑え、いつも通りのトーンでアールは応える。それでも、いつもより長広舌になるのは止められなかった。
なにしろ、焼き菓子に添えられたメッセージカードに、彼だけが分かる符牒でこう書かれていたのだ。
『日蝕は間近』
女王の死が全土へ布告され、〝太陽の婚姻〟が挙行される前触れをゲオルクが掴んだという意味。
これで、最後のピースが揃った。
あとは、実行に移すだけだ。
久々に身に纏う、闇に溶けるような暗殺者としての衣装。その感触を全身で味わいながら、アールは闇を朋友として移動していた。
消灯時間など、とっくに過ぎ去った深夜。アールの反攻作戦はこうして幕を上げた。
個々の部屋に鍵はかけられない規則だが、さすがに寮の扉はそこまで不用心ではない。しかし、あのデレクに出来てアールに出来ぬ道理はない。
さしたる苦労もなく、ディオニュシウス寮の正面から堂々とアールは内部に侵入を果たした。調査を行って割り出した潜入者を排除するために。
シャルロットには、この行動に出ることを伝えていた。
「――それで、私はなにをすればいいの?」
「ここを離れて、裏庭の温室に移ってもらう。なにかあれば、この笛を鳴らせ」
「……分かったわ。あんまり、手荒な真似はしないようにね」
「大事にはしない」
「それから……」
「なんだ?」
「気をつけるのよ、アール」
こんな会話を交わした後、シャルロットを温室へ移動させた。薔薇に囲まれながら、アールの帰還を待っているに違いない。
彼女が勝手な行動をとらないかという心配はあったが、今はそれに勝る自由を満喫していた。
念のためコルセットこそ身につけてはいるが、ズボンは彼の行動を掣肘することない。手にした革袋の重みは、これを遠慮無く振るえる瞬間を連想させ、喜びすら感じる。
加えて、これから邪魔者を排除できるというのだから、〝主〟に感謝の祈りを捧げても良いくらいだ。相手は迷惑な思いをするに違いないが。
そんな感情を抱いていても、アールの動きに揺らぎはなかった。ディオニュシウス寮に侵入してから
、ほんの数分で目的地に到着する。二階の左手にある一室。そこに、花園に入り込んだ毒蛾の一羽が存在していた。
壁に背中を張り付けながら、左手で内開きの扉を開ける。それと同時に、室内に忍び込んだ。
明かりのない室内。
だが、部屋の構造はどの寮も変わりないし、ベッドの位置さえ分かれば充分だった。
音がしないように扉を閉めたアールは、そっとそちらへ忍び寄る。
「――ハッ」
しかし、敵も人形ではない。ベッドから身を起こすと同時に、枕元に忍ばせていたナイフを投げつけてきた。
それをアールは錬金肢で叩き落とし、そのまま速度を落とすことなく肉薄する。
さすがにこれは予想外だったのだろう。時間を稼ぐことも出来ず、彼女はアールの接近を許してしまった。
アールが最初に目を付けた金髪の娘は、柔和な令嬢の仮面をかなぐり捨て必死の形相でナイフを振るおうとするが――間に合わない。
充分にスピードに乗ったアールは、革袋を右手に持ち替え大きく振りかぶった。革袋には砂が詰められており、即製だがこれだけで充分な鈍器となる。
整備を終えた錬金肢も、十二分に性能を発揮した。振り下ろされた革袋が、彼女の後頭部から首筋にかけてまともにぶち当たる。
「げぁッ」
潰れたカエルのような声を上げて、ベッドに倒れ伏した。死んではいない……はずだ。運が悪ければその限りではないが、昏倒しているだけだろう。
アールは素早く駆け寄り、彼女の両手と口を縛ってリネンに転がした。その上から毛布を掛けてやれば、一晩ぐらいは気付かれることもないだろう。
鮮やかな奇襲が決まったにもかかわらず、アールの表情に笑みはない。他の潜入者たちは、アールのことを護衛者だと思っているのだ。まさかこんな反攻を受けるとは想定していなかったに違いない。
つまり、この結果は発火棒をこすったら火がつくぐらい当たり前のことだ。誇るべきものは何ひとつ無いし、これで終わりでもない。
背後でそっと扉が開かれる音を聞いたその瞬間、アールは既に振り返り新たな襲撃者を視界に捉えていた。
鉈を持った、寝間着姿の大柄な女。少女と形容するにはやや躊躇われる。
闇の中にぬーっと立つ怪物のような影を見ても、アールは動じなかった。むしろ、そうでなくては。
女はベッドには一瞥もくれず、アールへと鈍器のような刃物を振り下ろした。
覆い被さるように襲いかかってくるその足下へ、潜るかのように頭から滑り込む。鉈は木を張られた床だけを破壊し、アールは右腕で女の両足を払った。
水銀の血が沸騰し、瞬間的に錬金肢が軋みを上げる。
「くそっ」
踏ん張りきれなかった女は、悪態をついてしたたかに尻を打ち付ける。それだけで済んだのは意外な身軽さがもたらした成果だったが、今後の展開に寄与することは何ら無かった。
「寝ていろ」
転がったまま爪刃を抜いて、足を切りつける。あらかじめたっぷりと塗布していたセントール毒が女の体内に回り、痙攣を起こして身動きできなくなった。
失血死しないよう簡単に止血をしつつ、アールは周囲に意識を放つ。だが、これ以上誰も近づいてくる気配はなかった。
アールが割り出した、ディオニュシウス寮の潜入者は全部で五人。まさかまだ気付いていないほど間抜けな連中ではないだろうから、様子見か仲間同士で連絡を取り合っているかというところだろう。もしかしたら、シャルロットを探しているのかも知れなかった。
ならば、ここにもう用は無い。仕込みを終えたアールは、二人を部屋に放置して脱出した。
本来なら息の根を止めておきたいところだが、今は騒ぎを起こすことも、殺してから後始末をすることも出来ない。
だが、夜はこれからだ。
大股で階段を飛び下りても、誰に見とがめられることはない。そんな自由を満喫しつつ、アールの頭はこれからの作戦を頭で反芻していた。
だから、こちらを見ている気配に気付かない。
寮から出て行くアールの背中を見ていた影は、それを見届けると物陰から姿を現した。
繊手に付いた血を舐め上げてから長く重たそうな黒髪をかき上げ、心の底から嬉しそうに愉しそうに独りごちる。
「余計なお世話、だったかもしれませんね……」
闇の中に浮き上がる朱唇。
それは確かに、微笑を象っていた。




