人助けは馬鹿のすること
「助けてください!おねげぇします!」
そんな声が聞こえてきたのは、城門まであと数百メートルといったころ。老人が必死な声で助けを求めている。
こういうとき、人はどうすればいいだろうか。
答。無視するに限る。
二世代に渡る人生経験(ただし年数に直すとわりかし短い)から、すぐさまにそう判断を下した少女は、その声を無視してさっさと都に足を運ぶことにした。
「邪魔だ、どけ、じじい!」
しかし、その後響いた男の怒鳴り声のせいで、足を止めてしまう。
あれである。祭りのときに喧嘩している人がいたら、おもわず足を止めてしまう、そんな事象だった。
見てみると、男の足元に老人がすがりついている。
男は少女と同じ商人であるようだ。そこそこの大きさの荷馬車には、袋が詰まれている。たぶん、あれも古小麦だろう。
うらやましいことだ。
運搬手段が自分で担ぐことしかなかったせいで、古小麦を買い集めるのをそれ以上断念せざるをえなかった少女はそう思った。
そんな男にすがりつく老人は、老人であることを差し引いても痩せ衰えていた。手のひらには老人になってもなお消えてないたこができている。きっと農村の老人なのだろう。
「おねげぇします。小麦をわけてください!村のものたちが飢えて、困っているんです。子供には病気になった子もいて、このまま何も食べれなければ死ぬものも出てきてしまいます!」
老人は必死に男に頼み込む。
「ただでとはいいません。村の金をかき集めて持ってきました!」
そう言って老人が差し出したのは2210ルピーほどのお金だった。
「ふざけんな!そんなはした金じゃ一粒も売れるかよ!」
男の言うとおりだった。今も高沸し続ける小麦は、金にも等しい価値があるといっていい。
農民たちの生活というのは、村に訪れた商人に作物を売って金を稼ぐという生活だが、その実態は物々交換に等しい。
商人に作物を売り、必要なものを買い入れたら手もとに残る金はごくわずかだ。さらに村に病気なんかが流行れば、薬のせいでその溜めたお金もすぐに無くなる。
そういうことを考えると2210ルピーは、現在の彼らが必死にかき集めたお金だろう。しかし、今小麦を手に入れようとするには、不十分すぎるお金だった。
「馬鹿なじじいだなぁ。あんな金で今の小麦が買えるわけないだろ」
「可哀想だが、ほっとくしかねぇな」
同じく見ていた周りのものたちも同意見だったようだ。
無情だが、男が売らないのも商売人としては仕方のない判断だった。
「そんな、いつもあんたのところに小麦を安く売ってるじゃないか。しかも去年は、需要が祭りであったからって、強引に備蓄まで買い取っていって…。こんな時ぐらい助けてくだせぇ」
しかし、それが村を訪れる商人と、農村との関係となると違ってくる。このふたつは共生関係である。
商人は農村で作物を買い取り儲けさせてもらうかわり、困ったときは村を助けるのが商人としての仁義である。老人の言葉から察するに、その男は老人の村をいつも訪れていた商人だったのだろう。
だからこそ、老人も足にすがりつき頼み込んでいたのだろう。
しかし、男の返事は冷酷だった。
「はっ、おかげで今回はかなり儲けそうだぜ。来年も買い取りに来てやるよ。村がそのときまでに残ってたらな!」
縋り付く腕を蹴って除けると、馬車を動かしいってしまった。
「うぅ、うう…」
残され地面に顔を伏せ、すすり泣く老人。
事情を知り、老人にも同情の視線は残されたが、だからといって助けようとするものは誰もいない。
いくら可哀想でも、自分には関係のないことなのだ。儲けのチャンスをふいにしてまで、他の商人のしりぬぐいまでしてやるほど甘い考えの人間はいない。
それにあんな非情な男と付き合いを続けたのも、村人たちの判断だ。今回のことは自己責任だともいえる。
少女もそう考え、この場を立ち去ろうとした。
「うっ、うう」
しかし、十歩ほど足を進め、そこから一歩も動けなくなる。
(な、何を考えてるのよ…あたし…)
嫌な予感がした。変な汗が額からでる。
「すまない…すまない…みんな…」
(人助けなんて、馬鹿のすることよ!)
必死に自分の心に言い聞かせる。
次の瞬間、一歩も動かなかった足は動き出した。
老人のほうへと。
ツカツカツカと、素早く老人のもとに歩み寄った少女はその場で停止し、ドンっと背中の重い荷物をその場に降ろした。
顔を伏せていた老人が、驚き顔をあげる。
「ほらっ」
少女は物凄く不機嫌そうな顔で、老人にそれだけを言った。
老人はわけのわからない表情で、包みを見て目をしばたたかせる。
少女はいらいらとした表情でさらに言った。
「小麦よ!」
老人はその言葉に、まだわけがわからないといった感じで、目をまたたかせる。しかし次の瞬間理解したのか、体を震わせながらお礼を言った。
「あ…あ…、ありがとうございます!まさか、まさかこんな恵んでいただけるとは!」
その顔に少女はさらに不機嫌になる。
「誰が恵んでやるなんていったの?お代はちゃんといただくからね!」
そう言って、老人がまだ握り締めていたお金をパシッと取ると。
「小麦代、締めて2140ルピー!もらったからね!」
そういって、お釣りを老人のてのひらに投げてよこした。
それを見ていたまわりのものは、あきれた声を出す。
「おいおい、馬鹿かよ。あんなはした金であれだけの小麦を売っちまうなんて」
「あんなんじゃ、儲けどころか元手すら回収できたか怪しいぜ。大丈夫かよ」
一転噂の的となってしまった少女は、老人がお礼をいうのも聞かずに、その場を立ち去った。そして人通りが少なくなったところで、立ち止まり頭を抱え込む。
「ばかばかばか!あたしのばかー!」
結論から言うと、大赤字だった。下働きで溜めた資金のほとんどが、今回の件で吹っ飛んでしまった。商人として、あるまじきミスである。大失態である。
一通り自分を罵った少女は、肩を落として立ち上がった。
「また、靴磨きとかからやり直しね」
少女はとりあえず、このまま都に入ることにした。何かやるにしても、都の方が労賃は高い傾向にあるし、何かチャンスが転がってるかもしれない。
今回は失敗したが、いつかはチャンスを掴む気満々である。そのためには、また少しづつお金を貯めなければいけない。