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白 桃   作者: 藍月 綾音
冬馬 Ⅰ
9/79

桃が泣いている。

ベンチに座って小さく丸くなって声を出さずに、肩を震わせていた。

時折シャクリあげるように、大きく体を揺らす。

ジロジロと桃を見る通行人を気にも止めていなかった。


桃を見つけたのはただの偶然だったんだ。

終業ベルと共に鳴った携帯のメールを見た途端に、桃は血相を変えて飛び出していった。

何がよっぽど急ぎの用件だったのだろう。

垣内さんが意味ありげな視線で桃を見送った後に急いで出て行ったから会社の関係かも知れない。

昼休みから桃は上機嫌で、ニコニコしていたから、何か良いことがあったに違いないと俺は思っていた。


俺は母から頼まれた買い物をするために、会社の近くにある筈だと母に教わった商業施設に来ていた。

田舎に住んでいるくせに、こういう情報ばかり仕入れてきて、アレが食べたい、コレを送ってくれだの五月蝿い母なのだ。

先にご飯を済まそうと、レストラン街に足を踏み入れて、桃を見つけてしまった。


さっきまで、元気いっぱいだったのにこの短い間に一体何があったんだ?


あまりにも辛そうに泣いていたから、そっと近づいて隣に座った。

桃は気にもならないのか、タオルを顔にあてたまま、嗚咽を漏らしている。

昔、俺が落ち込んだ時に、桃がしてくれたように、桃の背中をそっと擦った。

しばらくそうやって黙って背中を撫でていた。多分今、桃は話しかけてなど欲しくはないだろうから。


「とうっ………まっ……」


桃が途切れとぎれに俺の名を呼んだ。その弱々しい声音に何故か胸が締め付けられた。けれど、俺を見てなどいないのに俺だと分かってくれた事に隠しきれない喜びを感じる。


「うん。よく分かったね。桃どうしたの?大丈夫」


出来るだけ、穏やかに桃の負担にならないような声音を選んで話した。

七年間会わないうちに、桃は綺麗になっていた。高校の時も可愛かったけれど、今は大人の落ち着きと時折みせる色香が俺をドキリとさせる。

けれども、昨日の酔って俺の膝の上で寝息をたてていた桃は高校の時の幼さを残していた。

高校の時に俺は桃を傷つけた。きっと物凄く無理をして笑っていてくれたんだ。


俺はあの頃のことをずっと後悔していた。


いつか、もし桃に会うことがあったならもう一度、最初からやり直したいとずっと思っていた。


今も桃は俺に心配をかけまいと大きく頷いて大丈夫だと伝えてくれている。

こんなにも、泣いて平気なはずなどないのに。

昔から桃は自分より他人を優先することが多い。俺はそれに甘えていたんだ。

俺は華奢なその肩を掴んで、桃を抱き締めたい衝動にかられた。


今朝、桃が痴漢に会った後桃を引き寄せた時に、スカーフと首筋の隙間から赤い痕がいくつも花のように散らされているのが目に入った。

昨日の夜にはなかったそれは、今朝までの間に、誰かにつけられたものだろう。

満員電車にかこつけて、桃の華奢な体を思わず抱きしめていた。

守るって大義名分が目の前にあったけれど、アレはただの嫉妬にかられた俺の欲望だ。

七年も離れていたんだ。もう会わないと思っていたし、自分から連絡なんて出来るはずもなかった。

今、目の前にいる桃は奇跡のような確率で再会できたに過ぎない。

もう、結婚していたっておかしくはない年齢なんだしと自分のを納得させようにもしこりが残る。


昨日の夜、桃を送っていったのはまこさんだ。桃は違うと言っていたけれど、まこさんと付き合っているのかもしれない。まこさんは、俺の事さっさと帰したがってたからな。無理やりついて行く手もあったけれど、余計な事をして、桃を怒らせたくなかった。

もしかしたら、同僚の早瀬とか言う奴かもしれないし。あいつ、やけに桃にベタベタ触るしよく耳打ちをしている。今日の昼だって休憩室から一緒に出てきていた。


って、だから俺、桃の彼氏じゃないっての。


泣いている桃の横で俺は、頭をかかえた。

本当に今更だ。とっくに終わったことなのに、どうしても桃に目がいくし、桃の事を考えてしまう。

本当は首筋にある痕をかきむしりたいぐらいだ。

自分でも心の揺れ幅が大きくて制御できない。

今だって、必死で抑えないと抱きしめてしまいそうだった。


桃に声をかけて抱き締めようかと思ったその時、一人の男が真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくるのが目に入った。

まこさんのバンドのヴォーカルだった。確か拓海と呼ばれていたと思う。名字が確か相楽といっていた。


桃はコイツと一緒にいたのか?

桃の前に立つとじっと桃を見つめる。


桃を見つめる視線はあくまでも冷たい、それでも俺は桃の首筋の痕はこの相楽がつけたものだろうと確信する。俺の事など歯牙にもかけないように無視だ。その態度と、桃を泣かせたのがコイツかと思うと無性に腹がたった。

奴に気づいたのか、桃がゆっくりと顔をあげた。

泣いて化粧が落ちかけていて、決して綺麗などと言えない筈なのに目の前の男を嬉しそうに愛しそうに見上げる桃は綺麗だった。俺が一度も見たことのない女の顔だった。何故か桃の名を叫びそうになって拳を握ってやりすごす。


相楽は、わざわざ俺を一瞥してから桃に声をかける。


「桃。帰ろう」


手を差しのべ、そう言った相楽に俺は言い様のない怒りを覚えた。

桃をこんなにも泣かせておいて何事もなかったように言うさまが許せない。

しかも昨日はピーと皆と同じように呼んでいたのに、今日は桃と呼び捨てにしている。

あろうことか、桃は子供みたいに頷いてその手を取ろうとした。

何があったかは知らないが、到底俺には見過ごす事が出来なかった。

立ち上がりかけた、桃の肩を掴んでもう一度座らせた。


「ちょっと待てよ。お前が桃を泣かせたのか?」


一応、確かめたほうがいいだろうと思いそい言うと、相楽は鼻で笑った。


「だとしても、あんたには関係ないだろ」


やっと俺の顔を見た相楽の目には何も感情が浮かんではいない。


「関係あるよ。桃は大切な友達だ、こんなに泣いているのを見れば放っておけないよ」


関係ないとは言わせない、そう思い桃の肩に置いたままだった手のひらに力をいれた。


「大切な友達ね。何年も音信不通だったお友達だろ。昨日まで桃からあんたの名前を聞いたこともないよ?その程度の仲ってことだ」


バッサリと相楽に俺と桃の関係性を両断されてしまい、俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。

確かに、俺達は七年間話をしてもいなければ、会うこともなかった。

だけど、あの高校の時の三年間桃は俺にとってかけがえのない友達だったし、今でも桃以上に俺の近くに寄り添った人間はいなかった。



「その分だと、俺が桃と一緒に暮らしてるのも知らないんだろう?俺達の問題だから口を挟まないでくれ。桃のお友達さん」


淡々と、少し悪意を込めて相楽はいう。言外に牽制されていることに俺は気づいた。

桃にちょっかいを出すなという事か。


こいつは、感情を見せていないだけか。よく見れば俺に対する苛立ちとも怒りともとれる鋭い光が瞳の中に揺らめいている。

あぁ、この男は桃を好きなのだと思った。けれど、こんな風に一人で泣かせるのか。

今の俺なら、こんな泣かせ方は絶対にしないのに。

ふいに湧き出した感情に、俺自身が驚き思考が一瞬停止してしまった。桃がか細く相楽を止めているのをぼんやりと聞く。


その隙に、相楽は桃を立たせてしまっていた。


「桃。帰ろう」


そう言って、桃の細い肩を抱く。帰ろうという単語に胸が痛んだ。

桃は何も言わない俺を心配したのか後ろを振り返りながら、まるで心配するなと言わんばかりに少し微笑んで手を振った。その後に、相楽と二言三言なにか言葉を交わすと桃が相楽の腰に腕をまわしピタリと寄り添って歩いていく。昔の桃なら、きっと俺の傍から離れなかっただろうなと、自分勝手な思いを抱き、自嘲した。


桃が見えなくなるまで俺は目が離せなかった。これは、当然のことなんだ。桃につらい思いをさせたのは、他でもないこの俺だった。七年前に先に手を放したのは俺だった。


それが今、後悔と胸にの中に言いようのない黒い塊が俺を苛む。


桃が大切だったと気づくのが遅すぎた。高校生に戻れるならいっその事、俺自身を殴ってやりたいくらいだ。桃は本当にスッと俺の生活に入ってきて、いる事が当たり前だったし傍にいないという事が考えられなくなるほどに、俺の生活の中の一部になってしまっていた。


そんなことがある訳がないと知った時には、もう手遅れだったんだ。


新しい職場で、桃を見つけた時俺は一目で桃だと分かった。

高校の時は興味なさそうだったのに、綺麗に化粧をしてきっちりと髪をまとめていた。

大人になったのだと、記憶の中の桃との違いに少し驚いた。

だけど、やっぱり桃は桃で少し話をすれば根っこの部分は変わっていない。

高校の時に何度も話しかけようとして逃げられた苦い記憶が嘘みたいに返事をしてくれる。

単純に嬉しかった。

俺は桃に謝らなくてはならない事があって、ずっと小骨が喉に引っかかるように頭の隅に残っていた。


忘れた事はなかったし、忘れられなかった。

隣にいなくなって初めて桃がいないという事が自分にとってどんな事だったかを思い知った。

自分勝手で我侭なこの思いを、高校生の俺はどうしたらいいのか分からなかったのだ。


少し自分でもヤバイかもと思うほど、時間がたつほど桃を思い出した。

何度か彼女と呼べる人がいたけれど、情けないことにうまくはいかなかった。


彼女達が悪いわけじゃない。

俺の気持ちの問題だった。

再会して、たったの二日。

なのに、俺の中で新しい気持ちが芽吹きはじめている。

隠されていた想いなのか、それとも今の桃に対しての想いなのか。


けれども、桃には相手がいる。


その夜、寄り添う二人が頭から離れなくて俺は眠ることが出来なかった。


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