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白 桃   作者: 藍月 綾音
桃 25歳 Ⅱ
8/79

私たちはその商業施設の中にあるスペイン料理のお店に入ることにした。

スペイン人がオーナーのそのお店はちょっとだけお高い。だけど前に来たときに感動するほど美味しかったのだ。照明が程よく落ちていて、少しずつ席が離れている、個室ではないけれど、そこそこのプライバシーが保たれていた。厚みのある橙色の硝子で出来た照明が好きだった。ところどころにステンドグラスもはめ込んであって照明に彩をあたえている。家具はアールヌーボーで揃えてあって高級感が漂う。けれど、カジュアルスタイルでも入れることがこのお店の特徴だった。


私達は、窓際の夜景が綺麗に見える席に案内された。

注文は拓海に任せて、私は窓の外を眺める。

高いところは嫌いだけど、夜景を見るのは好きだった。

ほら、下がくっきり見えないから高さがあっても平気なんだよ。

これが昼間だと気持ちが悪くなるくらいには苦手なんだけど。

存分に煌く夜景を堪能した私は目の前に座る拓海に視線を移してその佇まいに小さく感嘆のため息をついた。


拓海はこういう場所が似合う。おそらくスーツを着せて、髪型を整えれば上流階級の人間と混じっても違和感がないだろうと思う。きっと育ちがいい筈だと、私は思っていた。身に染み付いた上品さはなかなか消えるものではない。時折見せる仕草は育ちの良さを表していた。


ただ、私と会う前に拓海がどんな生活をしていて、ドコに住んでいたのかは知らなかった。

拓海は話したくないと言っていたし、私も別に聞かなくてもいいと思っていた。


「ねぇ、今度旅行に行こうよ。温泉に行きたい」


拓海は注文を終えていて、私に向き合っていた。


「温泉かぁ、いいねぇ。桃の浴衣姿もみたいな。貸切風呂のあるところがいいな。せっかく温泉に行っても桃と別々に風呂に入るんじゃつまらないし」


「そうだね。二人で貸切も素敵だね。じゃぁさ、夏休みに行こうよ」


拓海とどこかに旅行に行ったことはなかった。私もそこそこ貯蓄が出来たし、いいかもしれない。本当は海外もいいんだけれど、近場の温泉でゆっくり骨休めものほうが私に向いている。


たわいもない話をしていると、ワインと前菜が運ばれてきた。

綺麗に盛り付けされた、生ハムやサラダに舌鼓を打つ。

こんなにゆっくりとした時間が拓海と持てることが幸せだった。


でも、それはすぐに打ち砕かれる。いつもの事といえばいつもの事だったけれど。


私は何が起こったのかよく分からずに、目を瞬かせる。突然頭の上から水が降ってきたからだ。そう、室内にも関わらず。すぐに状況は理解できた。パエリアが運ばれてきて、美味しく頂いているときに近づいてきた誰かが、おもむろにテーブルの上にある水の入ったコップつかみ私の頭の上でひっくり返したのだ。


あまりに突然のことで、私は何も出来ずコップをつかんだ相手を呆然と見上げた。

年は二十代前半くらいか、大学生だと思われた。服装がいかにもキャンパスにいそうな感じだからってだけだけど。長い髪をゆるく巻いていて、チュニックに身を包んでいる。その両目は鋭く私を睨んでいた。


また、ベタなドラマのような行動に可笑しさが込み上げてきた。拓海の周りの女の子は、こういう娘が多い。


きっと私もその中の一人なんだろうけど。


「桃!!」


拓海が慌てて立ち上がるのが目の端に移った。


「今晩わ。いいご挨拶ね。どうして私が水をかけられたのか理解に苦しむんだけど?」


何も言わずに睨みつけられるだけだったので私が彼女に話しかけた。

それでも、彼女は黙って唇をかみ締め震わせている。

最近拓海が帰ってこなかったのはこの娘の部屋にいたのかもしれないと私は思った。

どう見ても、彼女の瞳の中に嫉妬の感情が浮かんでいる。


「…………どぉして。拓海!!昨日帰ってこなかったのは、この人のところに行っていたの?なんで帰ってこないって、メールもくれないのよ!!浮気なんて酷いじゃない!しかもこんな拓海より年が上の人と!!」


彼女は怒鳴った。店の人がこの異様な空気におろおろとしている所が目の端にうつる。ここで彼女と一緒に感情を高ぶらせて罵りあってもしょうがないと冷静な自分が判断する。だってお店に迷惑をかけるわけにはいかなじゃないの。


拓海が私の鞄からタオルをだして私を拭こうとしたので、その手を振り払いタオルだけを掴んだ。


「桃、大丈夫か?ごめん。」


本当はなにがごめんなのよと怒鳴りたかった。だけど、今までの事や抑えているものがそうはさせてくれない。私に出来るのはタオルを握りしめることだけだ。


「付き合いきれない。拓海、その娘のトコにいくなら鍵を返して。荷物は表に出しておくから。私を選ぶなら、その娘とキチンとけりをつけて」


おそらく、冷静に言えている筈だ。大丈夫、覚悟はいつでも出来ている。拓海と付き合うということはそういう事だ。いつでも周りの影に脅かされる。いつか、私でない誰かと出て行くだろうと思っていた。


「桃!!そんなこと言うなよ。俺にとって桃が特別だって知ってるだろう!」


拓海のその台詞はきっと女の子達みんなに言っている。


「拓海!私が特別って言ったじゃない」


ほらね。


「住むところには困らないみたいだから好きにするといいよ。拓海、私は拓海が好きよ。だけど何も知らないわけじゃないの」


そうして、女の子に向き合った。


「私と拓海が一緒に暮らしてもう三年よ。どちらが浮気なのかよく考えてね。拓海が貴女がいいと言うならそれでもいい。私はもう疲れた。拓海の浮気癖はなおらないわよ」


直そうと努力をした事もないけどね。


「鍵はポストにいれておいて。じゃぁね」


私は、鞄から財布を出すとお金をテーブルにおいて店を出ようとした。

だいたい、こんなに注目されての修羅場なんてごめんこうむる。

立ち去ろうとすると拓海が私の腕を掴んだ。


「桃と別れるのは嫌だ。すぐに行くから店の外で待ってて。一緒に帰ろう。それでキチンと話をしよう」


真剣な目で拓海がそう言った。

あぁ、これでまた私はいつも通りか。

拓海に別れ話をしたのは、今が初めてだ。今までどんなに浮気をしようと問い詰めた事もなければ、知っているという事を言ったこともなかった。


見ないふり、聞かないふり。


私はちっぽけなプライドと拓海を失いたくないあまりにソレを続けてきただけだ。

だけど、浮気相手に私が横取りをしたかのように言われることには我慢がならない。

別に結婚をしているわけではないけれど、浮気をするならもう少しうまく立ち回ってほしい。

せめて私に分からないようにして欲しかった。


私と別れる気はないと言い切った拓海がどういうつもりなのか今回はきちんと話し合わないといけないと心の中で決意を固めながら二人を置いて店の外にでた。どうにかしないと、涙が溢れてきそうで上を向いて唇をかみ締める。


水をかけられた事は屈辱的だけど、拓海が私を選んだ事だけはほっとしたし少し優越感もある。


だけど、これからもまた見え隠れする影との生活になるだけだという気もする。

濡れた髪の毛をタオルで拭いながら、一筋流れた涙をタオルで隠した。

いつでも、もう嫌だという思いと拓海と離れたくない思いとの狭間で私の心は揺れ動いている。

数え上げればキリのないくらい非道な男なのに、私と二人でいれば、最高の男になるんだ。

それがどんなに酷い仕打ちなのか考えもしないんだろう。

嫌いになれれば、この苦しみからすぐにでも抜け出せるのに。

一人の夜はいつもその思いと闘っていた。

いつの間にかに、涙はとめどなく溢れてきて私はタオルで顔を覆った。

こんな格好で泣いていたら、好奇の目で見られらる。そんな事は分かっていたけれど止めることが出来ない。私は拓海の事で泣くことが嫌だった。だから今まで泣いた事がない。泣いたら負けのような気がしていたから。


拓海はあの娘との話が長引いているのかなかなか出てこない。店の前で泣かれては迷惑だろうと私は角にあるベンチまで移動した。


一人で座っているとだんだんと嗚咽がこみあげてきて、誰かに見られることなどどうでもよくなってきてしまった。タオルの顔をうずめていれば顔を見られることもない。

嗚咽を堪えながら、私は初めて止まらない涙を知った。

タオルに顔をうずめていたから、隣に誰かが座っても気にしなかった。

優しく誰かが背中を擦ってくれている。大きなその手を、私は知っていた。

嗚咽が止まらないけれど、くぐもった声で問いかけた。


「とうっ………まっ……」


「うん。よく分かったね。桃どうしたの?大丈夫」


優しく声をかけられて、嗚咽が大きくなりそうになった。

どうして、冬馬がここにいるのかは分からない。でも、隣に座り何も言わずに背中を擦ってくれることに心が温かくなった。


私は大丈夫と頷く事しか出来なかった。


どれくらいそうしていたのかは分からない。冬馬の手が止まり、私が顔を上げると拓海が立っていた。


「桃、帰ろう」


冬馬を一瞥して拓海がそう言った。

私は何も考えられずに、ただ頷いて拓海の差し出した手に掴まった。


「ちょっと待てよ。お前が桃を泣かせたのか?」


冬馬に肩を押されて、私はもう一度ベンチに座り込む。

珍しく冬馬の声に怒りが込められていることに気づいて私は驚いた。


「だとしても、あんたには関係ないだろ」


「関係あるよ。桃は大切な友達だ、こんなに泣いているのを見れば放っておけないよ」


これは、早く嗚咽と止めないといけないかもしれない。そう思うけれど、涙と嗚咽は止まってはくれない。


「大切な友達ね。何年も音信不通だったお友達だろ。昨日まで桃からあんたの名前を聞いたこともないよ?その程度の仲ってことだ」


拓海の声にも棘が含まれている。私は拓海の袖をつかんで止めて欲しくて首を横にふった。


「その分だと、俺が桃と一緒に暮らしてるのも知らないんだろう?俺達の問題だから口を挟まないでくれ。桃のお友達さん」


「たくっ………みっ………やめって……」


冬馬はただ心配をしてくれているだけなのに、あまり挑発的な事を言わないで欲しかったから、私が嗚咽混じりにそういうと、拓海は私の脇に手を挿し入れて私を立たせた。


「桃。行こう」


私の肩を抱くと、出口のほうに誘導する、私はタオルを口元にあてて冬馬を振り返る。

悲しそうな顔をして、こちらを見送っていった。

まだうまく話せないので、冬馬に大丈夫と安心させる為に少し笑って手を振る。


「泣かせてごめん。桃、ほかの男の傍で泣くなよ。俺のトコで泣いてよ。ちゃんと桃の話をきくから」


そう拓海はいって私の腰に回した腕に力を込める。


「家に帰ったらキチンと話そう?桃につらい思いをさせてたならごめん。ちゃんと桃の気持ちを話して?」


私はうつむきながら、頷いた。

今まで拓海に自分の気持ちを話した事はない。そして、泣いたこともなかった。

拓海が私を選んだ。そして、今優しく肩を抱いてくれている。

私は甘えるように、拓海の肩に頭をこすりつけて拓海の腰に自分の腕を回した。

いつでもこうやってくっついていられたら、不安になることも、悲しくなることもないのに。


そう、強く思った。


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