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「ちょっと、冬馬。私自分で歩けるよ?下ろしてよ」
「五月蝿い」
その一言で私は黙らされてしまった。
・・・・・・・・・納得がいかない。
なんだか、冬馬が別人みたいだ。
高校のときはもっとヘタレだったのに。
昨日からずっと、冬馬に助けられてばっかりでめちゃくちゃ頼りにできるんだけど。
抱えあげられて、間近に見える冬馬の整った横顔が恥ずかしくて正視できなくて。
熱くて痛い膝も忘れてしまいそうになる。
お風呂場に連れてかれた私は、服の上からシャワーで水をかけられた。
「うわっちょっ!冬馬っ!冷たいし、服が濡れちゃったじゃんかっ」
「馬鹿っ!火傷を甘く見るな。服なんか着替えればいいんだから、とり合えず冷やせ」
ピシャリと言われて、また黙る事になってしまう。
まいった。
冬馬の顔がまともに見れない。
昨日のアレとかソレとか。
今日の頼もしさとか。
思わずそっぽを向いて、腕で口元を隠した。
なんだ。コレ。
めちゃくちゃ恥ずかしい。
相手は冬馬なのに。
しばらく、無言で水をかけられているとふいに冬馬が私の頭を撫でた。
「アパートに帰ること、できないんじゃないか?」
それは多分図星で。
部屋に帰れば、拓海のことを思い出してまた今みたいに恐くなるのかもしれない。
私は答えられずに、そっと殴られた頬を撫でた。
それでも、あの惨状をあのままにしておくわけにもいかないし。
引越しもしなきゃいけないし。
私を撫でていた冬馬の手が、頬に当てた私の手に重なる。
ゆっくりと冬馬を見上げると、真剣な眼差しで私を見ていた。
「今は無理に自分を納得させたり、閉じ込めたりしないほうがいい。恐いなら恐いでいいし、笑いたくなければ笑わなくていい。だから無理はしないで。俺がそばにいるから」
………だって、無理をしなければ泣いてしまう。考えないようにしなければあっという間にドン底だよ?
何故、私がこんなめに遇うのかとか、拓海はどうしてるのかとか。
恐かったし、拓海のことなんて考えたくないし会いたくないと思っているのに、拓海はの最後の叫びが耳に残っている。
自分で気持ちや考える事のコントロールが出来なくて。
情けなくて涙が出てきそうになる。
冬馬と再会してから泣いてばかりだよ。
「いいんだよ。桃はがんばってる。アパートの掃除は業者に頼めばいいだろ。無理に帰らなくても大丈夫だから」
気を抜くと昨日の事を思い出してしまうから、なるべく違うことを考えていたいのに。
だって怖かった。痛かったし、拓海が拓海じゃなかった。いつも、どんなに浮気をしても私には優しかったのに。強張った私が分かったのか、冬馬が重ねた手に力を入れる。
大丈夫と笑って言いたいのに、出来ない自分がとても弱くなってしまったと感じられて歯痒い。
やっぱり、こんなのいつもの私じゃないもの。
泣きそうになりながらも冬馬を見上げれば、軽くキスされて?
キス?
………‥なんかさ、昨日から調子に乗ってない?
冬馬の行動が段々大胆になってきてると思うのは、気のせいじゃないと思うけど。
やっぱり昨日のお願いとかが原因なんだよなぁ。
……………キスマークのつけ直しってどこぞのティーンズコミックじゃあるまいし。
馬鹿じゃないの、私。
だけど、気持ち的に楽になったのは事実なんだよね。
これは拓海がつけた痕じゃないと思えるだけで違う。
だいたい冬馬に触れられるのは嫌じゃないあたり、自分もどうなのよ。
何事もなかったかのように、膝に水をかけ続ける冬馬はやぱっり高校の時とは違う。
大人になったんだ、冬馬も私も。
体つき一つとっても、腕が筋ばっていたり、頬がシャープになっていたり。背中か大きくなったのは気のせいかもしれないけれど頼れるのは間違いない。
何よりも、触れられる所から冬馬の眼差しから心配されていて、大事にされていると伝わってくる。
「桃、ヒリヒリしないか?」
「ん。大丈夫」
クスリと冬馬が笑う。なんだかいたたまれなくなって、上目遣いで見上げれば少しだけ頬がゆるんでいる。
「やっと俺の事、意識してる?」
やっとって、なにさ。
冬馬は、シャワーを止めると私の頭を軽く撫でた。
なんだか子供扱いされているようで気にくわない。なのに私の手はいつの間にか、冬馬のシャツを掴んでいた。
意識してるかと聞かれれば、意識していると答えなければならないと思う。
なんだか、気恥ずかしいし冬馬の顔を見ると心臓が高鳴る。
これで、眼鏡なんかかけられたら命の保証がないかも。
ドキドキする自分の心臓に一抹の不安を覚えた。
「そんな顔をするなよ」
ちょっと掠れた声が妙にセクシーで、つい冬馬のシャツを握る手に力が入ってしまう。
そんな顔ってどんな顔だろ。
あっ、また。
冬馬の顔が近づいてきて、今度は私も目を閉じた。
頭の隅で、着替えなきゃと思いながら冬馬のキスにほっとする。
なんだか必要だと言ってもらっているようで、大切な想いを受け取っているようで。
心の底から安心できる、自分の居場所を見つけた気がした。
何故か、冬馬の隣はいつもホッと出来て安心できる。
色々とあの頃とは状況が違うけれど、冬馬とならば素の自分でいられる。
安心できる居場所。
それが一番欲しかったから、このまま冬馬と一緒にいることも悪くない、じゃなくていいのかもしれない。
冬馬が好き。
それは今でも変わらないことで。
その好きは拓海に対する、熱く燃えるような激しい想いではないけれど、もっと心地よい好きだと思った。
心の奥がほんわかと暖かくなって、もっと触れたくなって握っていたシャツを離してそっと背中に手を回した。
ピクンと冬馬の体が揺れたと思ったら、触れるだけのキスから深いキスに変わっていく。
しまった。
ひょっとしなくても、冬馬とのキスが気持ちよくて落ちたのか私っ!!
大事にされている事が嬉しくて、冬馬の温もりが必要で。
キスの合間に漏れる、私を呼ぶ声に心臓が早鐘を打っている。
ガタンと洗面所から大きな音がして、ハッと我にかえった。
そうだった、秋也がいるんだった。
パッと体を離した冬馬が名残惜しそうに私を見ると、軽くキスと落としてからお風呂場の扉を開けた。
なにがって、冬馬のひとつ一つの仕草にドキドキと胸が高鳴る。
こんなの、高校生の時に冬馬が好きだと自覚した時以来だ。
ビックリだよ自分。
まだ乙女な部分が残ってたんじゃん。
こんな甘酸っぱい気持ち、もう経験することなんてないと思ってたのに。
「いつから覗きが趣味になったんだ?」
低い冬馬の声がバスルーム響いた。
うん、やっぱり冬馬は、秋也に冷たいよね。気のせいじゃないよこれ。
「覗きじゃねぇよ。遅いから心配したんだろ。ま、お邪魔みたいだったけどよ。付き合ってないって言ってなかったっけ?」
口の端だけ上げて笑う秋也の耳が真っ赤だ。あれ?思ったより純情君なの?
たかがキスくらいであんなに赤くなって。
しかも扉のガラス越しで見えてた訳じゃないだろうに。
「だから、知らないくせに女嫌いなんだって。全部虚勢だからさ。知ったふりしとかないとあっという間に肉食女子に襲われて食べられちゃうから」
私の考えを見透かすように、冬馬か秋也を鼻で笑った。
「余計な事言うなよ!!」
今度こそ本当に顔中を真っ赤に染めて、秋也が叫んだ。
「覗きしといてなにが余計な事だよ。桃に見栄はってなにが優しくするよだよ」
「・・・・・・・・・・・・・っっっ!!」
あっ。コレはへこんでる。
あぁっ!!涙目になってきた!!
ぐっとつまって、冬馬を見据える秋也はさっきよりも全然幼く見えて可愛い。
刺々しいさっきの雰囲気が嘘みたいだ。
「おまえ、桃に手を出そうとしたら承知しないよ?」
「誰がするかっ!桃に手を出す程不自由してねぇよ」
真っ赤になりつつも、苦虫を噛み潰したような表情で言葉を漏らす。
スッと冬馬の瞳が細められた。
「お前、さっさと帰れば?桃に手を出す程って聞き捨てならないし?お忙しい芸能人なんだろ。桃は知らなかったみたいだけどな」
うっと秋也が喉をならす。なんか、秋也の頭とお尻に犬の尻尾と耳が見えてきた。
うなだれてるよ。
萎れてるよ。
可哀相だよ。
「冬馬、可哀相だよ。あんまりいじめちゃ駄目だよ。お兄さんでしょ?」
冬馬は私の顔を見下ろすと大きく息を吐き出した。
「二十歳過ぎて、いじめるなとか、お兄さんとかないだろ。桃が馬鹿にされてんだぞ?」
「別に、秋也になに言われたっていいもの。それこそ関係ないし」
ふにゃりと冬馬が相好を崩した。
「そうだよな。秋也にどう思われたって桃には関係ないよな?」
・・・・・・・・・冬馬、めちゃくちゃ嬉しそうだけど、それはなんで?
それに比例するように、秋也の表情がさらに曇っていく。
「うん、それはそうなんだけど・・・・・・・・・冬馬、秋也が物凄いへこみようなんだけど?」
背負ってる。なんか背負ってるよ、暗いの。てか、なんで私の言葉でさらに落ち込むのよ。
さらに嬉しそうに蕩けるような笑顔を私にむける冬馬はなにが嬉しいんだろう。
「秋也はもうほっといていいよ。足が平気そうなら桃は着替えてきたほうがいいぞ。そのままだと風邪を引くから」
イヤイヤ、ほっといたら駄目でしょ?気の毒になるほどへこんでるもの。
私は冬馬が差し出したバスタオルを受け取ると腰に巻きつけた。
「秋也?ちょっと大丈夫?」
声をかけると、真っ赤な顔のまま泣きそうな顔で私を見る。
「馬鹿にすんな。大丈夫もなにもそんな心配されるいわれがない」
・・・・・・・・そんな強気発言、泣きそうな顔で言われても。
ふいっと横をむいて私の顔を見ない秋也はなんとも言えず可愛かった。
「みんなどうしたの?こんなトコで。戻ったらいないから探しちゃったよ・・・て、秋也また余計な事したんだろ」
そこへまた、春くんが顔をだした。
「なんで俺が余計な事しなきゃならないんだよ」
「だって、秋也顔が真っ赤だし、泣きそうだし。大方冬馬に泣かされたんでしょ」
春くんはあきれたように溜息をつくと、改めて私を見た。
「桃、本当にごめんね。変なこと言われたんでしょ?秋也はマジで空気読めないし。しょっちゅう冬馬を怒らせてるのに学習しないんだよねぇ」
アレ?春くんも秋也に冷たいかも。
ぜんぜん内容が優しくないし。
ここの兄弟の力関係はめずらしいかも。
冬馬→春臣→秋也
てな感じかな。
だいたい、冬馬を怒らせるって結構難しい気がするんですけど。
首を傾げると、春くんは冬馬そっくりな微笑を浮かべるとそっと私の背中を入り口に押しやった。
「いいから。着替えておいでよ。ズボンがずぶ濡れって火傷でもしたの?」
「え?あっ、あぁ少しね。じゃぁ、着替えてくる」
ズボンが足に張り付いて気持ちが悪いしね。秋也の様子が気にはなるけど。
後ろ髪引かれつつも、私は着替えに行こうと二階に上がろうとした。
階段を上がろうとした時に、小さく春くんの声が聞こえる。
私の名前が聞こえた気がして、足を止めた。あそこは声が響くから、普通に話していても声が大きく聞こえるんだ。
「桃のこと見ればすぐに、状況が分かるでしょ?頭悪いって言っても程があるよ。どう考えたって暴行された跡だよ?冬馬の顔見てみなよ」
春くんの声がさっきよりも冷たい。
…………しかし、やっぱり見れば分かるのか。いや、分かるよね。顔すごい腫れてるし、拓海のつけた跡は首筋にも、かなりある。しかも、乱暴だったから内出血してあざのようにも見えた。
ぼそぼそと秋也の小さい声が聞こえてるけど、なにを言っているかわからない。けれど、春くんの大きなため息が聞こえた。
「だから、あんな事するの男に決まってるでしょうが。今は、桃に優しく接する時なの。よく僕達の前で普通にしてると思うよ?あんな状態だったら、男が近寄る事すら嫌だって事だってあるんだから」
・・・・・驚いた。春くんこんな短い間によく見てるし、色々と考えくれてるんだ。
あの、小学生だった春くんも大人になってるんだ。
春くんの気遣いが嬉しくて、これ以上立ち聞きするのもよくない気がして、私は今度こそ二階にあがって着替えをした。
私は恵まれている。こうやって、気遣ってくれる人がいて、冬馬もいてくれる。
なんだか、酷い目にあったけれどこんな時だからこそ、人の想いの暖かさに救われる気がした。
・・・・うん、やっぱりあんまり甘えちゃいけない。
冬馬のいう通り、部屋の掃除は明日業者に電話して今日は部屋を探そう。
着替えながらそう決めて、下におりる。
冬馬たちは、仲良くリビングでコーヒーを飲んでいた。
秋也も復活したみたい。また、ふてぶてしい表情に戻って機嫌が悪そうにしている。私と目が会うとふいと目をそらした。
「秋也」
春くんがにっこり笑いながら、秋也の名前を呼ぶとビクッと秋也の肩がっ揺れて私を見る。上目使いでぼそりと何かを言った。
「ごめん秋也なにを言っているのか聞こえないよ」
声が小さ過ぎるんだよ。
「っ悪かったって言ったんだよ。てか、なんだよその手はっ」
あっしまった。可愛かったから思わず頭なでちゃったよ。
「いや、秋也があんまりにも可愛いから」
「だからっ!!俺、抱かれたい男ランキング二位なんだってばっ!可愛いとか言われた事ねぇしっ!!」
いや、でも。
思わず冬馬をみる。
「可愛いよね?お持ち帰りだよね?」
「可愛いけどお持ち帰りは駄目。一応男だからね、それ」
わざと眉をしかめて、そう言うと秋也を撫でていた私の手を握ると自分の方へ引き寄せる。
「ん?」
「とりあえず座れよ。それで、どうするか決めた?」
私は冬馬の隣に座って部屋探しをするから不動産屋に行きたいと伝える。
「それならここのマンションに住めば?確か空いてる部屋まだあるし」
春くんがさらっという。
・・・・・っとに、ここの兄弟はっ!!
「こんな高そうなマンション家賃が払えないもの。無理だよ」
ここ、絶対めちゃくちゃ高いから。オートロックだし、駅まで徒歩五分だし、隣が大型スーパーだし。
私一人ならワンルームのアパートかマンションんで十分だ。
「桃相手に、相場で貸すなんてしないよ。家賃なんか貰わなくてもいいくらいなんだから。桃の言い値で貸すよ?」
「そんなに甘えることできないもの。大丈夫だよ、ちゃんと身の丈にあったところ探すから」
「じゃ、僕が桃の家賃だしてあげるよ。これでもめちゃくちゃ稼いでるから、ここの家賃なんてたいした事ないし」
おいっ二十一歳っ!!いくら売れてるからってそれは違うからね。
って、ちょっと待った。春くん今なんて言った?僕が出すよの前。
家賃言い値でいいとか言わなかった?
まさかとは思うけど。
「このマンションって、夏樹さんのだったりするの?」
おそるおそるそう聞くと、春くんはキョトンと目を丸くする。
「あれ?知らなかったの?冬馬のサラリーマンの給料で住める訳ないじゃん」
言われてみれば確かに。うちの給料じゃこの立地でこのレベルのマンションは無理かも。
「だから、遠慮することないんだよ?」
イヤ遠慮とかじゃないし。
やっぱり坊っちゃんだったか。
「兎に角、不動産屋に行くのっ!!」
おばぁちゃんの格言。
ただより怖い物はないっ!!
「わかった。じゃ、春臣にメイクしてもらって少し傷を隠せよ。そのままじゃ桃が嫌だろ?こいつ上手いから安心して」
冬馬はスイッと私の髪に指を通す。
「それじゃ、春くんお願いしていいかな?」
「ん。じゃぁ、ちゃっちゃとメイクして、出掛けようか。今日一日僕達も一緒にいさせてね。ほら、久しぶりに会ったんだからいいでしょ?」
え?男三人引き連れて部屋探し?
「不動産屋回るのに、男の人三人もいらないよ?冬馬と二人で十分だから」
部屋探すのにそんな威圧感漂わせてどうするのよ。
「僕達役にたつよ?この顔だけで結構色々お得なことがついてくるからさ」
やけに明るい顔でそう言い切り、春くんは私のメイクを始めてしまった。
いや、芸能人引き連れてたら部屋を探すどころの話じゃなくなるんじゃ…………。
秋也はわかんないけど、春くんが有名なのは確実だしね。
そんな私の思いとは裏腹に、どうやら本気で春くんと秋也は不動産屋へ一緒に行くつもりのようだった。
読んで頂きありがとうございます。




