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私の通っている高校は、高台にあって景色はいいけれど朝の坂道が難点だった。
永遠と続くように思える、坂道を登っての登校で足が随分と鍛えられる。
そのおかげなのかは知らないが、陸上部はとても強かった。
入学してから、まだ間もない頃、私は遅刻をしそうになって走って坂を登っていた。
寝坊をしたのだ。昨日の夜、中学時代の友達と夜遅くまでメールのやりとりをしてしまったのが原因だ。
こういう時は、本当に困る。
坂がきつくて思うようにスピードがでないから。
それでも私は汗を流しながら坂を走って登りきった。
息を切らせながら教室に入れば、先生はまだ来ていない。
よしっとガッツポーズをとりながら自分の席に倒れるように座り込んだ。
「おはよう、桜田さん。走って来たのか?」
隣に座る男が話しかけてきた。
名前は確か、風間だったけかな。
「おはよう。って、あぁ!!今日が発売日かっ!!買い忘れた!!」
挨拶をしようと隣をみると、風間の手には週刊の少年漫画がある。私が毎週欠かさず読んでいるものだ。
いつもは、学校に来る前にコンビに寄って買ってくるんだけど、今日は寄ってこれなかったのだ。
というより、忘れてた。
悔しくって頭を抱えた私に、風間くんが手に持っている漫画を差し出す。
「読む?」
もちろん私は飛びついた。
「いいの?ありがとう!!読む!!」
先生が来るまで後数分だった。
急いで、鞄をしまうと私は毎週連載を楽しみにしている漫画のページを開いた。
それを見た風間くんが、ぶはっと吹き出した。
とりあえず、漫画を読むほうが先なので風間くんは放っておく。
さっと流し読みをして、風間くんに返した。
「ありがとう。嬉しかった。てか、何がおかしいの?」
私が笑われている事ぐらいは解った。
「だって、よっぽど楽しみしてたのかとおもったら、一番に読むのが、ギャグ漫画ってありえないし。その反応だったら普通これとか、これの続きものだろう?」
風間くんが指差したのは、アニメにもなって社会現象まで起こしている冒険ものの漫画とストーリーに定評のある、こちらも大人にまで人気の料理漫画だった。
「いや、それも好きだけど、こっちの方がシュールで好きなんだもん」
「しかも、それ読んだらすぐ返すし」
「先生来ちゃうから。とりあえず、それが読めたからいいの。後は自分で買って読む」
私がむくれると、風間君は笑いすぎて涙を流しながら漫画を押し返した。
「いいよ、それはあげる。俺はもう読んだから後捨てるだけだし」
「いいの?ありがとう。じゃぁ、お金払うよ?」
そう言って財布を取り出そうとしたら、風間くんがいいよと笑った。
笑うと幼くなって可愛いとどうでもいい事を思った。
「いいよ、いらない。どうしもって言うなら、来週は桜田が買って読んだら俺に頂戴」
そこで、私はピカッと閃いた。
「それ!!」
私の勢いに驚いて、風間くんは怪訝な表情で私を見た。
「それ!いいじゃん!!お金がもったいないから、どうせ買うなら一週づつ交代で買って一緒に読もうよ」
お金のない私にとっては、月に五百円の節約は大きい。それで思わず提案してしまった。
「あ?あぁ、そうだな。別に読めればいいからそうするか。桜田さんも毎週買ってるの?」
私は笑顔で頷いた。
これで、今月から五百円ちょっとの節約だ。それが嬉しかった。
そこで先生が教室に入ってくる。私は風間くんによろしくと親指を立てて見せると、笑いながら、親指を立てて返してくれた。
私にとって初めて友達になれるかもしれない男の子だった。
私は男の子が苦手だった。
小学生の時のからかわれて、苦手になってしまった。
意識をしすぎてうまく話すことができない。
だけど、風間くんは違った。趣味があって、話しても話しても話題がつきない。仲良くなるのに時間はさほどかからず、すぐに名前で呼び合うくらいに仲良くなった。
高校に入学したてで、クラスの同じ中学からの友達いなくて、私はまだ友達をつくれないでいたから、自然と冬馬と一緒にいる時間が長くなり、グループをつくってしまう女の子達の中にはいりそびれてしまった。
そもそも私は、女子同士休み時間に仲良くトイレという事が苦手だった。トイレなんて一人で行きたい時にいけばいいと思っていたから。誘われても行きたくない時は断っていた。
それがコミュニケーションの一環だなんて知らなかったんだ。
だから私は気づかなかった。周りにどういう風に見えていたかなんて。
冬馬と仲良くなる事が、女子の反感を買うという事にも気づけないでいた。
だからかもしれない。ずっと冬馬と一緒にいたのだ。冬馬は男友達がいたけれど私と一緒にいてくれた。なにをするにも一緒で色々な話をして、笑いあった。
不思議と男と女という感情は浮かんで来なかった。
もうすぐゴールデンウィークが始まるという、そんな時に私は同じクラスの加賀さんという女の子に呼び出された。
放課後トイレで待ってると言われよく解らないままに女子トイレに行くと、加賀さんを中心に同じクラスの女の子達が数人待ち構えたいた。
「桜田さん。どういうつもり?」
切り出された第一声に私は首を傾げざるを得なかった。
「どういうつもり?ってなにが?」
本当にわからなかったのだ。
「風間くんと付き合ってるのかってことよ」
それでも意味が解らない。
「付き合ってるって?えっと、恋愛とかそういう事?」
「あたりまえじゃない。他に何があるのよ!!」
いきり立つ加賀さんは一歩前に出た。
迫力に押されて、これ以上近づいてこないようにと願いを込めて両手を突き出した。そして、一歩後退する。
「付き合ってなんかないよ?だたの友達だし。なんで?」
「目障りなのよ。風間くんの周りをうろちょろとっ!貴方のおかげで風間君に話しかけられなくて困っている娘もいるのよ」
それは、初耳だった。だいたい、私がいたって別に話しかければいいじゃないか。
別に冬馬が威嚇して、近づけていないわけじゃないんだし。
それをそのまま伝えると、加賀さんが怒りで真っ赤に顔を染めた。
「貴方が邪魔なのに変わりはないでしょう!!恋路を邪魔するものは馬に蹴られて死んでしまえって諺知らないの!」
………知ってるけど、私に当てはまるのそれ?
加賀さんの後ろで頷く女の子達を見て、冬馬がモテることを初めて知った。
そうか、モテたのか。言われてみれば整った顔をしてるかもしれない。二重だし、肌綺麗だし、鼻高いし。笑うと可愛いしな。性格もいいし、なにより優しい。これはポイント高いかもだ。
呼び出された理由もきっと冬馬に近づくなって事だろう。
でもさ、それっておかしいよね。
なんで、私と冬馬が仲がよくって、それを他人にとやかく言われなくてはいけないんだ?
ここで私が、彼女達の言い分を実行する義理はどこにもないように思えた。
だからあっさり断わってしまった。だって無理だから。今は一番冬馬といることが楽しいんだから止める気はさらさらなかった。別に女の子の友達がいなくて物凄く困るわけではないし、相手に仲良くする気もないのだからと自分を納得させた。
ゴールデンウィーク明けには、女の子の友達はできなくなっていた。少し寂しいけれど、深く考えずにまぁいいかと諦めた。
別に無視をされているわけではなかったのでそのままの状態が続くだけのことだった。
「桃、帰りに家に寄っていけよ。母さんが桃に会いたいって」
そう言われても深く考えずに頷いた。
冬馬からきく冬馬のママは、明るくて、可愛らしい人っていうイメージがある。
一度会って見たかった。
丁度冬馬に借りた本を返さなくてならなかったので、その日私は初めて風間家にお邪魔したのだ。
「ふぁ~。冬馬ってばお坊ちゃんだったんだ」
団地住まいの私と違い、冬馬の家は庭付きの一軒家だ。どう見ても輸入住宅で、庭もこれぞガーデニングといいたくなるほど、見事だった。まるで、小さな頃夢見た家がそのまま目の前に現れたみたいで、私はほけっと家を見上げてしまった。
「どうした?やっぱり家変か?母さんが少女趣味なんだよ」
私は大きく首を振った。
「違う!素敵!!いいなぁ、冬馬こんな素敵な家にすんでるなんて」
「そうか?俺はもっとシンプルな家に住みたい。母さんごちゃごちゃ飾りたてるのが好きなんだよ」
そう言って、門を開けて中に入っていく。
門だって細かい細工が施されている黒のアイアンだ。
私は馬鹿みたいにキョロキョロと冬馬の家を見まわした。
「いらっしゃぁ~い。きゃぁ~貴方が桃ちゃんね。うわぁ~可愛い可愛い可愛いっっ!!」
玄関から出てきたのは、ふりふりの白いエプロンをつけたどう見ても二十代前半の女の人だった。
とてとてという擬音がぴったりな歩き方で、私の前に立つとがしっと抱きしめられた。
ふんわりとバニラの香りがする。
まさか、まさかだよね。
お姉さんだよね。お母さんとかないよね。
私がパニックに落ちるくらいに彼女は若かった。
「悪い。それ、俺の母親。ちょっと変わってるけど変なことはしないから。…たぶん」
多分ってなんだ!それに、お母様?このちっこい小動物のような可愛いお姉さんが?
「冬馬くんひどいっ!お母さんに向かってそれって言わないでっ!!」
しっかり私に抱きつきながら、冬馬のお母さんは冬馬をにらんだ。
「うそっ!!お姉さんじゃなくて?若いっ!すごいっ。えぇぇ~。お母さん是非っ若さの秘訣を教えてください!!」
「きゃぁぁぁ~!!嬉しい!桃ちゃん可愛いっ!!ささっ、家に上がって、お茶にしましょうよ。」
感激したように悲鳴を上げ、極上の笑顔をみせてくれると冬馬のお母さんは私の手を引いて家の中に案内してくれた。
冬馬の家は、一言でいうとアメリカンな感じだった。
とにかく部屋の一つひとつが大きい。そして、家具も大きい。
百パーセント輸入家具だ。
まるでハリウッド映画のセットに紛れこんだような錯覚を起こす。
「うわぁ」
感嘆の溜息をこぼすと、冬馬は私をソファに座らせて自分も向いのソファに腰をおろした。
ソファもフカフカ。駄目だ、家と生活レベルが月とすっぽんだ。
「桃はさっきから、ふぁかうわぁばっかりだ」
くすくすと目を細めなながら私を見るから、軽く睨み返した。
「だって、家と全然違うんだもん。こんな素敵な家に住みたかったなぁ」
そう言って、溜息をもらすとお茶を運んできた冬馬のお母さんがあっけらかんといった。
「あら、そんなの簡単よぉ。冬馬くんのお嫁さんになればいいんだもの」
お母さん、心臓の悪いこと言わないで下さい。
「ちちち違います。えっと、私達、ただの友達ですから」
おもわずどもってしまった。
冬馬のお母さんは、可愛く口を尖らせた。
「えぇ~。いいじゃなぁい。私桃ちゃんをお嫁さんに欲しいもん」
いや、そんな可愛らしく言われても。てか、年が気になる。いくつなんだ。
「母さんもうやめろよ。桃が困ってるだろ。お茶置いて向こう行ってろよ」
見かねた冬馬が助け舟を出してくれるが、お母さんのほうが強かった。
「そんな恐い顔しても駄目なんだから。今日は、桃ちゃんと私が仲良くなるために呼んでもらったんだから、冬馬くんがのけ者なのよ。あぁ、冬馬くんは自分のお部屋に行っていてもいいわよ?」
良く見ると、確かにお茶のセットは三人分だ。
「私のことは、冬馬ママでもいいけれどできれば、まゆちゃんって呼んでね」
小首を傾げて、お茶を差し出すまゆちゃんにノックアウトです。
なにこれ、めちゃ可愛い。
かなり年上の筈のまゆちゃんは悩殺ものの可愛さだった。
「桃。顔がゆるんでる」
冷たい視線とともに冬馬に指摘されてしまった。
「えっ?」
にやけ顔のまま冬馬を見てしまった。
そう、私はかなりだらしのない顔をしているに違いない。
女の子女の子している可愛い人が大好きなのだ。
べつにレズじゃないんだけど、お願いなんかされたらなんでも聞いてしまうのではないかと、自問自答して、恐い想像をしてしまいノォッと頭を振るくらいには好きだ。
冬馬は私のそんなトコを正しく知っていた。恐らくまゆちゃんが私のストライクゾーンど真ん中な事に気付いたに違いない。複雑そうな、呆れかえった顔をしている。
「あのねぇ、家は男の子ばっかりだからつまらないのよ。桃ちゃんみたいな女の子が欲しかったのにとうとう、三人男の子ばっかり。だから、桃ちゃんいつでも家に遊びにきてね」
大きな瞳を潤ませながら、見上げられたら、一発KO。遊びにきますともと二つ返事をしていた。
冬馬は男三人兄弟の長男だった。
中学二年生の秋也くんに、小学六年生の春臣くんが弟にいる。
びっくりするほど皆お母さんに似ていてイケメン三兄弟だ。
性格はどうも違うみたいだけどね。
冬馬の家に遊びに行く回数が増えるうちに、どちらかというとまゆちゃんに会いにいく事が増え、冬馬がいなくても行くようになり、携番もメルアドもまゆちゃんと交換するようになった。
「桃は母さんと仲が良すぎだろ。いいんだよ。あんな専業主婦で暇もてあましている人の相手なんかしなくても」
冬馬はそう言うけれど、私は年の離れたお姉さんが出来たみたいで嬉しかった。
まゆちゃんはお菓子づくりが得意で私にもお菓子の作り方を教えてくれる。
いつもバニラの甘い匂いをさせていた。
家族ではない誰かにこんなに可愛がられるのは初めてだったからすごく新鮮でとても嬉しかった。
秋也くんも春臣くんもなぜか懐いてくれて、時にはゲームをしたり話相手になってくれたりと、これまた弟妹のいない私にはとっても楽しかった。
風間家の人達は皆とてもあたたくて、私にとってとても居心地が良かった。
その日は、学校が終わった後にバイトが入っていた。高校生になったとたんお小遣い制度をなくされてしまったのだ。携帯代も自分負担となり、私は近所のカフェでバイトを始めていた。
ギャルソンの黒い長いエプロンに白いシャツ、黒いズボンの制服が格好よくて応募したんだ。
「桃?今日はバイト?」
冬馬にそう聞かれ、頷くと冬馬は少し間をおいた後に言いにくそうに口を開いた。
「終わった後に家に来れるか?母さんが夕飯を一緒に食べたいって駄々こねてるんだ」
駄々をこねるって、お母さんに使う単語じゃないよね。
「いいの?家は今日も誰もいないから嬉しいんだけど、本当に迷惑じゃないの?」
だって、バイトが終わるのは九時だ。普通だったらお宅にお邪魔する時間じゃない。いくら私でも、それぐらいの常識は持ち合わせている。
冬馬はふわりと笑った。
「今更だろ。それに、桃がバイトを始めてから家に来る日が少なくなって母さんが淋しがってるんだよ」
…………それは、嬉しいけれど、頻繁に彼女でもない私が行って冬馬は迷惑じゃないんだろうか。
今になって私は不安になっていた。
あんまり可愛がってくれるので、調子に乗っていたんじゃないかと思い始めていた。
それをそのまま伝えると、冬馬は呆れたように私をこづいた。
「それこそ、今更だ。桃がうっとうしかったら、とっくに友達やめてるし。俺こそ、母さんが我侭ばかり言うから、桃が困ってるんじゃないかって心配だよ」
それこそ、そんな心配はいらなかった。私は冬馬と約束をしてバイトに向かった。
私にとって、冬馬と一緒にいることが自然で、あたりまえのように思っていた。
冬馬と私はいつまでも友達として一緒にいられると勘違いをしてしまっていた。
私にとって、男であるとか女であるとかそんな事は二の次だった。まだ、自分が誰かとつきあうとか、誰かにとってそういう対象になるとか、そういう事が想像もできなかった。
たぶん奥手とはまた違って、精神年齢が低いんだと思う。
女の子達の浮き足だった、誰が好きとか、誰それと付き合っているとか本当に興味がなかった。
興味が無いことと、高校で女友達が少ないことが私にとってマイナスだったのではないかと思い知るのは高校二年の冬だ。
それまで私は、この暖かく心地よい冬馬の隣で過ごしていた。