2
走ってきたのか、ゼィゼィと大きく息をしていて、胸が大きく波打っている。
何故、どうして?との疑問より前にその人は後ろを振り返り、大きな声で叫んだ。
「瑞樹さんっ!!桃いたよ!!」
ドクン、ドクンと大きく心臓が脈うち始めた。
今、なんていった?
誰にむかって叫んだの?
馬鹿な事言わないで。
声に出したいけれど、震えて声がでない。
「桃?おい、大丈夫か?相楽と喧嘩したぐらいで家飛び出すなよ。瑞樹さんが桃を探して俺の家まできたんだぞ?てか、こんなトコでなにしてんだよ」
回らない頭が、冬馬の台詞を何度も反芻する。
私を抱きしめたままで、冬馬は後ろにいる人を探している。
思わず、冬馬にしがみついた。
先ほどとは違う。
暖かい感情に涙が出てきそうになるけれど、まだ後ろを探す冬馬を見上げて震える声を出した。
「冬馬」
小さく震えながら言うと、冬馬は私の顔を覗きこんだ。
「ん?どうした?すぐに瑞樹さんも来るから」
優しく私の背中を叩いて安心させようとしてくれている事が伝わって、優しい声音にさらに涙が出そうになる。だけどその言葉に、私は首をふった。
冬馬は意味がわからないらしく不思議そうに私を見る。
だから、私は冬馬に言いそびれていた事を伝えたんだ。
今でも抵抗があって、なかなか声に出せない。
けれども、冬馬には言わなくてはならない。
だって、瑞樹は兄貴の名前だ。
いつの間にか知り合いになってたんだよ。
「それはないよ」
声が震えるけれど、ちゃんと冬馬に伝わるように。
「それは無いって何が?」
「兄貴はもう二年以上前に亡くなってるの。だから冬馬の家にいけるはずがないし、ここに居る筈がないよ」
そう、冬の寒いあの日。兄貴と両親は三人で出掛けた先で事故にあって亡くなっている。
私に家族と呼べる人はもういなかった。
「は?え?だって、今まで一緒にいたよ?え?えぇぇぇ!!」
さらに後ろを振り返り、歩道橋の下まで覗きこむ。
その様子に、冬馬が言っていることは本当なのだと思った。
信じないって思っていたのに。
そんな事あるはずがないって思ってたのに。
「だって、おじさんとおばさんだって」
その言葉にさらに私は息を飲んだ。
「お父さん?お母さんも?」
途端に涙が溢れ、言葉がそれ以上つづかない。
冬馬にしがみついて、外だという事も忘れて泣きじゃくった。
私が会いたかった。
あんな別れ方をして、後悔ばっかりだったんだ。
一度でも実家に帰れば良かったとずっとそう思っていた。
化けて出てくるなら、冬馬じゃなくて私のトコに来てくれればいいのに。
そんな私を見て、冬馬は呆然と呟いた。
「嘘だろ?まさかおじさんとおばさんも?え?あれ、幽霊?」
自分が混乱しつつも私に背中を優しく撫でてくれる、冬馬の優しさが嬉しかった。
泣きじゃくる私を冬馬は自分の家に連れてきてくれて、私はあっという間にお風呂場に放りこまれた。
泣きながらでいいから風呂につかれといわれ、靴も履かず、傘もささずに外に出るなんてと呆れられた。
そう、気づけば靴も履いていなかったんだ。
お風呂に放り込まれ、止まらない涙をそのままにシャワーを浴びてバスタブにつかればさらに涙が溢れてくる。
一人じゃなかった。
お父さんもお母さんも兄貴も傍で見守ってくれてたんだ。
嘘みたいだけど、冬馬が嘘をついているようには見えない。
そもそも死んだなんて言ってなかったし。
もし、家族の事を聞かれたら言えばいいと思っていたから。
死んだ人間にまで心配をかけて私は何をしてるんだろう。
お湯をすくっても手のひらから流れ落ちてゆく。
まるで拓海みたいだ。
手に入ったと思えばすり抜けていく。
けれどもう、手に入らなくてもいい。心の奥が痛いけれど、あの悪寒を思うと私の心は拓海から離れていく。
思えばこの二年。我慢の連続だった気がする。
別れたくなくて、嫌われたくなくて、言いたいことも言わず、泣きもせず。
全く本当にロクでもない男なんだから。
暖かい湯気に家族の話を聞いてホッとしてしまったのか、はたまた冬馬の家が安心できてしまったのか。
徹夜で拓海の帰りを待っていた私はそのまま眠ってしまったんだ。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
トクン、トクン、トクン。
命の鼓動が聞こえる。
それはいつになく、私を穏やかな気持ちに導いていく。
もっと聞いていたい。
身を摺り寄せるように音の聞こえるところに耳を寄せると暖かくて、大きい腕に抱き寄せられる。
あぁ、気持ちがいい。
大きな手が頭を撫でていて、あまりの幸福感にうっとりとする。
夢の中でもこんなに幸せな気分になったのはいつ以来だろうか。
そのぬくもりを逃したくなくて、さらに擦り寄って抱きしめるように腕をまわす。
まるで子供に戻ったみたいだ。
・・・・・・・・・アレ?
パチリと目が開いた。
目の前には広い胸板が。
腰には腕が。
頭の下にも腕が。
足には足が絡まって。
いや、それよりも私が抱き着いてる?
ガバッと飛び起きれば、うっすらと冬馬が、そう、私をだきしめていたのは冬馬だったんだけど、目を開けた。
「・・・・・・・・・ん?桃?」
ぼんやりと焦点の合わない目で私を見つめる。
にっこりと優しく微笑んでもう一度目を閉じてしまう。
そして、私は自分の格好を認識したとたんに羞恥で顔が熱くなってしまった。
だって。
いや、だって。
なんでか知らないけど。
男物のTシャツ一枚しかきてないんだよ。
下着もつけてないよ?
いくらなんでもこの格好で冬馬に抱きつくってないでしょ?!
馬鹿じゃないの自分っ!!
なにやってるのよ私。
頭を抱えて、瞬時に自分の格好を思い出して冬馬の足元にあったタオルケットを体に巻きつける。
目も前には穏かな顔をして寝息をたてている冬馬。
その寝顔をみていると、驚くほど気持ちが静かになっていく。
ベットの上で座りながら、拓海の顔を思い出していた。
薄々、気づいていたんだ。
あんなに、私と別れたくないって言っていたのに。
ここ、二、三日私に触れないしキスもしなかった。
今までウザイぐらいに、触れてきてキスが無い日もなかった。
なんとなくオカシイとは思ってたけど。
今まで、どんなに浮気をしていても私の前ではそんな事微塵も感じさせなかったのに。
今となっては、私の気持ちのほうが正しかったんだ。
浮気の虫がそう治まるはずもなくしかも本気ときた。
涙よりも笑いがでてくる。
私の事、本気で好きだって言ったのはホンの数週間前なのに。
舌の根も乾かずにってのはまさにこの事だ。
よりにもよって、ゆいちゃんに庇護欲をかりたてるなんて。
女の嘘には、敏感なはずなのに。すっかり騙されて。
ゆいちゃんなんて、私よりよっぽど強い女だっつーの。
やっぱり、私は女としてどこかオカシイのかもしれない。
好きになった人が今まで二人。
その二人が二人ともゆいちゃんの事を好きになるなんて。
私にどこか欠陥があるんだ。
自分でも自覚があるけれど、全然女らしくないし。口も悪いしスタイルだって顔だっていいわけじゃない。
・・・・・・・・・それでも、拓海の前では可愛くしていたつもりだったのに。
膝を折り曲げて、顔をうずめる。
だけど、先程までの強烈な孤独感に襲われることはなかった。
兄貴や、お父さんお母さんが傍にいるってことが分かったから。
一人は嫌だ。寂しくて、辛くて悲しい。
家族がいない、その事実だけで心の繋がりが切れてしまって。
孤独感と不安感に悩まされていたんだ。
ふと、あぁと納得してしまった。
今、拓海に心が騒がない。
ゆいちゃんに負けた事は本当に悔しいけれど。
ひょっとしなくても、やっぱり私は一人になりたくないだけで・・・・・・。
拓海に依存していただけで。
ついでに意地になっていただけで。
本当は拓海の事、めちゃくちゃ好きだった訳じゃないのかも知れない。
長く暮らしていても、どうしてか家族にはなれなかった。
どうしったって、女と男で。
それが駄目な訳じゃないんだけど。
私が欲しかったのは家族で。
心安らげる家庭が欲しかった。
もう、私に実家はないから。
心を許せる人と暮らして、笑いあって過ごしたかった。
拓海とそれができたかというと、残念ながら出来なかったりしたんだけど。
私はいつでも拓海の前では自分を作っていたから。
ふわりと優しい手が背中を撫でるのを感じた。
のろりと顔を横に向ける。
優しい瞳に包みこまれるような感覚に襲われる。
「なんて顔してるんだよ。相楽と何があったの?話せるなら聞かせて?」
ベットに横たわりながら、私の顔を見上げる冬馬に私は口をとがらせた。
「なんで、冬馬と私が一緒に寝てるのよ」
くすくすと笑いながら、冬馬は私の髪を一房からめとって指で弄び始めた。
「桃がお風呂で寝るから。ここまで運んで、Tシャツ着せたら桃が抱きついてきて離してくれなかったんだけど?」
なんかっ、なんかっ!
冬馬が、冬馬じゃないみたいで腹が立つ!
なに、その余裕な表情!ついでにその色気っ!!
やっぱり、裸を見られたのかと思うと恥ずかしくて耳に熱が集まる。
「で?相楽となにがあったんだよ」
髪を離して、ついと頬を撫でられる。
自分の顔が歪むのがわかった。
「別れた」
ガバッと冬馬が起き上がった。
「なんでそうなるんだよっ!」
「拓海がゆいちゃんと寝たから。・・・・・・というよりゆいちゃんに本気になったみたい」
冬馬はポカンと口を開け、驚きで言葉が出てこないようだった。
「え?だって、この前そんな感じじゃなかったよな?それにゆいって・・・・・・・・・」
一瞬の間をあけて、バツの悪そうに冬馬は小さく呟いた。
「あのゆい?」
なんでか、腹が立って冬馬の足を軽く蹴飛ばしてから答えた。
「あのゆいちゃんだよ」
ぐるりと仰向けになって天井を見上げると、冬馬は大きく溜息をついた。
表情は腕で隠されていて見えない。
しばらく、無言が続いた。
冬馬もなにか思い出す事があるんだろう、時々大きな溜息をついて、最後にポツリとこぼした。
「今更だけど、ごめん。辛かったよな?」
もう一度、軽く蹴飛ばして私は笑った。
「冬馬は悪くないよ。私達は付き合ってなかったし。済んだ事だから。今回の事とは関係ない」
腕をずらして私を見上げる冬馬の目が縋るような子犬みたいで私は思わず手を伸ばして頭を撫でていた。
「たださ、二回もゆいちゃんに負けたかと思うと本当に自信がなくなるよ。私、やっぱり女らしくないのがだめなのかなぁ」
溜息を小さくつけば、撫でていた手を冬馬に掴まれた。
「なに?」
「負けてないよ。俺、ずっと桃が好きだ。あの時は、十代で体と心のバランスがね。って言い訳じゃ格好わるすぎるけどさ」
自嘲するように鼻で笑うと、体を起こす。
「でも、私の事振ったじゃん。負けたと一緒だよ」
「そこは、マジで勘弁してよ。だけど、桃が離れてからすぐに俺、ゆいと別れたよ。ゆいより桃と一緒にいたかったから。俺馬鹿だからそんな簡単な自分の気持ちが分からなかった。高校の時からずっと俺の心にいるのは桃一人だ」
冬馬は私を後ろから抱きしめるように座りなおした。
私は膝に顔をうずめる。
そんなの詭弁だ、という思いとほんの少し嬉しい気持ちと複雑な心うちに自分で呆れてしまう。
「なによそれ、ひょっとして口説いてる?私、さっき拓海と別れたばっかりでそれ所じゃないんだけど」
そんな事いいながら、冬馬とくっついているのは嫌ではないと思うあたり、私どんだけ軽いんだよ。
冬馬のがっしりとした腕が私を包み込んで、手を握られる。
「そうだよ、弱ってる桃につけこんでるの。俺へタレだから、こういうトコずるいよ?」
自己申告しちゃうのかよ。
思わず小さく吹き出した。
「だいたい、桃が悪い。俺桃が好きだって言っただろ?そんな格好で魅力ないとか言われたら証明したくなるんだよ」
え?と思った時には、耳たぶを咬まれて首筋にキスと落とされる。
「んっ、冬馬、嫌だ」
ぎゅぅぅと握る手に力が入った。
「だから、付け込んでるんだって。瑞樹さんにも桃の事頼まれたし?桃、俺にしときなよ」
・・・・・・・・・しときなよって。
耳にキスを落とされて身をすくませる。ゾワリと甘い痺れが体を駆け抜けていく。
だから、そんな気分じゃないって言ってるじゃないかっ!
文句を言おうと思って振り返れば、真剣な熱の揺らめく冬馬と目が合ってしまった。
読んで頂きありがとうございます。




