2
あっという間に就業時間が過ぎ、終業のベルがなる頃には私は緊張やら、神経やらで、へとへとに疲れていた。何故か、他部署の女の子達が入れ替わり立ち代り色んな用事を見つけては冬馬を見に来るからだ。
私を見に来るわけじゃないけど、なんとなく見世物のパンダになった気分だ。
「あ~あ、疲れた。さてと、後は明日でいいや。風間さんも疲れたでしょ?帰ろう」
そう言って、隣の冬馬を見ると何か言いたそうな顔をしている。
「なぁに、どうしたの?」
「その、風間さんって気持ち悪いから止めようよ。桃に呼ばれると寒気がする」
確かにね、私も変な感じはするけど。
「だって会社じゃん。変な誤解されたくないし」
「なんで?早瀬さんて桃の彼氏?」
早瀬が?冗談でもやめてくれ。
「なんでそうなるのよ。止めてくれない。早瀬はただの同期だから。そうじゃなくて、あんまり勘繰られたりしたくないだけ。風間さんモテるから」
そういうと、冬馬はふっと顔をほころばせた。
「いいから、昔みたいに冬馬って呼べよ。そうだ、久しぶりに一緒にご飯食べに行こう」
あんまり綺麗に笑うから思わず頷きそうになってしまう。
いけない、いけない。
「悪いけど、今日は予定があるからまた今度ね。一人が寂しいなら、美鈴か早瀬を誘いなよ。じゃね」
私は、引き止めたそうな冬馬を無視して、帰り支度を終わらせると、さっさと更衣室へとむかった。
無理無理無理、絶対無理。
もう少し時間が欲しかった。
冬馬との間には、七年たっても考えると胸の奥がきゅぅと音をたてる感情がある。
ずっと後悔して、色々と思うことはあるけれど、こんなに急に再会しては心の準備が追いつかない。
聞きたいことも聞けないことも。自分が何を謝って、何をどうしたいのか。
急に整理がつく問題ではなく、自分でもどうしたらいいのかわからない。
まずいのは、七年前の事を未だ引きずっている私だと、自覚するまでに時間はかからなかった。
会社から直接、家の近所にあるライブハウスに来ていた。
今日のこのライブに遅刻すると後が怖い。時間がないから仕事に行った格好のままだ。
学生が多いこの場所ではちょっと目立つけれどしょうがない。
今日は、『S』というバンドがメインで私のご贔屓なのだ。
ドラムのまこさんはもともと私の地元でバンドをやっていて、私はそのファンだったんだ。
解散した後、上京したと聞いていたけれど、まさかの再会。
高校生の時に、顔を覚えられていて、上京してきてからは同郷のよしみで飲み友達になってしまった。
まこさんは話がとにかく面白い。一緒に飲みを繰り返す内に色々なバンド仲間を紹介してくれて、上京したてで友達も少なかった私は随分と救われたんだ。
時間がぎりぎりだったので、ライブハウスは満杯の人だ。
ここの所、凄く人気が出てきたんだよね。なんかメジャーの話も来ていると言っていた。
音楽で食べていくのが彼等の夢だから、とっても喜ばしい事だけど、今みたいに馬鹿を一緒にできなくなると思うと少し寂しい。
暗くなった場内の壁際によりかかりながらそんなことを思案していた。
ここより前はぎゅうぎゅうで、あの中に入っていくには気力がなかった。
最近若い子におされ気味なんだよな。
ギュイーンと大きくギターの音がしたかと思うと、舞台の上にメンバーが揃い演奏を始める。
女の子達の歓声と、嬌声に包まれながら軽快なリズムが刻まれていく。
私は足でリズムをとりながら、舞台に目を奪われていた。
だから、隣に誰が立ったかなんて気づかなかったんだ。
私はこの空気が好きだった。音楽を通して、皆が一つになるような一体感。それに身を任せる事が好きなのだ。
もちろん『S』の曲はもっと好きだ。ドラムとヴォーカルで作詞作曲しているんだけど、兎に角何度聞いても飽きないメロディラインだし、何よりも音楽に幅がある。おもちゃ箱をひっくり返したみたいにいろんな曲を作ってくれるから飽きないんだ。
突然肩をつかまれ、驚いて横を見る。すぐ傍に笑顔の冬馬の顔があった。
近すぎて驚く。というよりも、なんでここに冬馬がいるんだ?
「桃!!なんだ用事ってこれだったのかっ!!」
演奏で声が消されてしまって耳元でも大きな声を出さないと聞こえない。
「冬馬こそ、なんでここにいるのよっ!!」
私も怒鳴り返した。
「前通ったら、まこさんの名前とポスターが見えたからまさかと思って」
そうか、今夜のポスターに顔が出てかも。
「ビンゴ!!あのまこさんだよ。よくあんなに小さい顔分かったね!!」
冬馬がかがんでくれているので、顔が近いのが物凄く気になるけど、恥ずかしがる年でもない。
結局、冬馬はライブが終わるまで私の隣で一緒に聞いてしまった。
演奏が終わると出待ちをする子たちが我先にとライブハウスを出て行く。私たちは、なんとなくその流れを見送っていた。
「驚いた。桃はまだまこさんの追っかけしてたんだ」
高校生の時、追っかけをしていて、ライブハウスにも冬馬と一緒によく行っていたんだ。
本当に懐かしい。
「追っかけというより、こっちに来てからは飲み友達かな」
「お前、押しの執念で友達にまでなったのか」
呆れたように言われて、少しカチンときた。
「押してないもん。まこさんが顔覚えていてくれたんだもん」
しまった、口調が変になった。
思わず口を押さえる。もんとか言っちゃったよ、ありえないし。
冬馬は小さく笑うと、私の肩を抱いて外へと歩きだす。
……………待って。さりげなく肩抱くなっ!
促されるままに、外へ出てしまったけれどこういうのは困る。
「お腹すいた。桃この辺詳しい?おいしいとこ教えてよ」
なにげに一緒にご飯食べることになってる?
いや、いやないから。せっかく逃げてきたのに。
「この道を真っ直ぐいった右側にアーグってイタリアンがあるから。そこの生ハムピザがめちゃおいしい。以上。じゃね」
捲くし立てて、冬馬の腕から抜け出すと手を振った。
「待てよ。せっかく会ったんだから、ご飯ぐらい付き合えよ。用は済んだんだろ?」
私が逃げている事を多分冬馬は気づいている。返事をするだけましだと思っているんだろうけど、これ以上は本当にどう話をしたら分からなかった。
だからといって、今日から会社で嫌というほど顔を合わせるのが決定してしまっているのだ。
このギクシャクした雰囲気を何とかしないと仕事に支障がでる。
それは、分かっているのだけれどど、うしたもんだか。
性懲りもなく、時間が欲しいんだよなぁと考えていると、メールの着信音がなった。
実は引きとめられ、冬馬に手を掴まれている。冬馬を見るとメールを見ても大丈夫そうだったので空いている右手でメールを確認すると、店の名前だけが打ってあった。
しょうがないか。いくらでも言い逃れはできるけれど、今日の冬馬の目は逃げる事を許してくれない時の目だ。
「これから、打ち上げに誘われた。しょうがないから冬馬も行く?まこさん紹介するよ」
携帯を閉じながら言うと、冬馬は満足そうに頷いた。
いろんな意味であんまり連れて行きたくはないけど、しかたがない。
近所の居酒屋の名前を伝えると知っているみたいだ。
「俺のマンションがこの近くなんだ。って言っても引っ越してきたばかりだけどな」
そう言って歩き出すけど、手を放してくれない。
「ちょっと、手を放してよ」
「嫌だ。桃は逃げるような気がする。昔はよく手を繋いで歩いただろ、昔に戻ってみたいでいいじゃないか」
「よくない。てか、逃げないし。放してよ」
この男は、相変わらず女の扱いを知らない。普通に肩をだくとか、手を繋ぐとか、たいして意識もしてないくせにするんだ。
指定された居酒屋はライブハウスから歩いて五分程で着く。
冬馬が離してくれないので、仕方なしに手を繋いで歩いた。
高校生の頃はこうしてよく歩いたっけ。この男はこれでその気がないから始末に悪かったんだ。
普通、男女の友達で手なんか繋がないのに、平気でするんだから。
「なぁ」
しばらく無言だった冬馬が話しかけてきた。
「なに?」
「あらためて友達になろうぜ。一度高校時代のことはリセットしてさ。もう、七年もたったし、いいだろ?さっきも言ったけど俺、桃が好きだし」
あらためて友達。思いがけない言葉だった。心の奥がふんわりと暖かくなる。
「………私が、かなり酷いこと言ったし、した気がすんだけどいいの?」
おそるおそる聞くと、冬馬はあのとろけるような優しい笑みを浮かべながら頷いてくれた。
「桃は悪くないよ。謝るなら俺だろ。ま、今日はよそう。せっかく会えたんだから」
「…………わかった」
口からつるっと出てしまいそうだ。
ねぇ、あの人はどうしてるのって。
なんとなく、なんとなくだけど、私はあの人が今どうしているか解る気がする。
冬馬の雰囲気から、冬馬の傍にいる事は無いだろう。
でも、聞けなかった。
聞けば答えてくれるだろうけど、私の心がモヤモヤして、聞けない。
私は、冬馬をあの人の話をする事がいまだに嫌なのだと唐突に理解した。
その後、結局あまり話さないまま居酒屋に到着してしまった。
暖簾をくぐると、熱気とともにから揚げのいい匂いが鼻をくすぐった。
「いらっしゃい。おっ、ピーちゃん今日は彼氏連れか?兄ちゃん男前じゃねぇか」
すぐに私を見つけ、大将が大きな声で笑った。
「彼氏じゃないよ。いつものメンバーが後からくるから。奥いい?」
そういいながら、奥にある座敷にどんどん進む。
「おぉ!いいぞぉ、ピーちゃん今日もから揚げいくか?」
打ち上げにはいつもここを使うので、すっかり常連になってしまっている。
ここの大将のから揚げは絶品なのだ。味がよく染みていて、柔らかい上に肉汁が滴りおちてくる。
何度か家で研究したけれど、大将のようにカラッとおいしいく揚げられない。
最近ではすっかりここでしかから揚げを食べなくなってしまっていた。
奥の座敷に上がりこむと、バイトの山崎くんがおしぼりとお通しをさっと持ってきてくれる。
迅速に対応するのが、ここの売りだった。
「こんばんわ。ピーちゃん今日はいいカツオが入ってるよ」
「じゃぁ、今日も適当におすすめでよろしく。すぐにまこさんたちも来るから」
「了解。そっちのお兄さんは?なに飲む?」
山崎くんはメモ片手に、聴くと大将の怒鳴り声が響いてきた。
「こらっ、山崎。ピーちゃんとこは全員揃ってからだ。さっさとこっちに戻って来い!」
「うへぇ。じゃ、また後でね」
変な奇声を発して、山崎さんは大将のところへ戻っていった。
ここは、大将の趣味でやっているようなお店で、から揚げと新鮮な魚が売りだ。お鮨も握ってくれる。なのにリーズナブルでお財布に優しいのだ。
「さっきからピーちゃんって、桃のこと?」
「まこさん達がそう呼ぶから定着しちゃったんだよ」
桃だから、最初はピーチだ可愛いとか言っていたくせに、途中から面倒臭くなってピーになってしまったのだ。全国の桃ちゃんに失礼なあだ名だと思うんだけど。
「ピーちゃんね。可愛いじゃん」
「冬馬にかかればなんでも可愛いになるんでしょ。そうだ、好き嫌いは?変わってない?」
「ん。変わらない。桃は?」
「変わったらすごいよね。好き嫌い撲滅キャンペーンやったんだけど変わらなかったよ」
キャンペーン止めたら、嫌いなものがもっと嫌いになった。変に直そうとか思っちゃいけないよね。
そういうと、冬馬は大笑いをした。
「桃って昔から、変なキャンペーン繰り返してるよね。てか、キャンペーンの意味が違うし」
涙を流して笑っている。失礼だぞこの野郎。
一度くらい、はたいてやろうかと思ったのだけど、入り口が騒がしくなって、大将の大きな声が響いたのでやめてしまった。
まこさん達が着いたのだろう。
「ちぃ~す。おっ、ピー今日は男連れか?……あれ?どっかで会ったことあったけ?」
まこさんが座敷の前に立ち、冬馬を凝視する。
「ほら、昔私と一緒にライブに通ってたでしょ?今日、偶然ライブハウスで会ったから連れてきた。まこさんのファンなんだよ」
冬馬の隣に移動しながらいう。
ライブの後の打ち上げは、とにかくメンバーとメンバーお気に入りの女の子達を連れてくるから大人数になる。今も、まこさんがなかなか入らずに立ち止まってしまったので後ろが詰まっていた。
「あぁ!!いたいた。ピーの元彼だ!!」
ポンと手を打ち納得したように首を縦に振る。
「残念。付き合ってません。友達です。風間 冬馬っていうのよろしくしてあげて」
まこさんは、納得したからか座敷にあがり、皆も中に入ってきた。数を数えると、総勢20人。すごい人数だ。追っかけのこは、知っている顔もあれば、知らない顔もいる。
「最初はビールで乾杯でいいよね、大将!ビール中生ジョッキで22人分お願いしまぁす」
大声で頼んでおくと、了解と歯切れよく山崎が返事をした。
まこさんは、私よりも二つ年上の27歳だ。バンドマンにありがちな茶髪ではなく純粋な黒髪なのだ。和が好きなんだって。和服を着ているところもよく見かける。和服の男性は目立つから、すぐに見つけらて便利なんだ。体は兎に角細い。の一言につきる。ぜったいアバラがたくさんみえている筈だ。鋭い一重の目はいつも落ち着いた光をたたえていて、まこさんの傍にいると何故か落ち着くんだ。この雰囲気と体つきは、ドラムを叩いているとは思えない。だけど、まこさんのドラムのパワーは圧倒的な凄さだ。
私は昔からそのパワーに憧れていて、友達になった今も変わらない。
皆が自由に座って自己紹介をすると、その後は、お決まりのコースでとにかくよく飲んで食べた。皆ライブの後はテンションが上がっているから大騒ぎだった。