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白 桃   作者: 藍月 綾音
桃 25歳 Ⅳ
18/79

4

月曜日の朝、拓海は本当に車で私を送ってくれた。あの、朝が苦手な拓海が会社の近くまで車で送ってくれるなんて。

私にしたら天と地がひっくりかえるぐらいに驚きだ。

金曜の夜から拓海が別人になってしまったみたいで気持ち悪いと言ったら怒られそうだけど。

冬馬にはメールで謝っておいたけれど正直、顔を合わせづらい。


私は天高くそびえる会社のビルを見上げて大きく息を吸った。

ファイトだ私。

パシンと両頬を叩いて気合をいれると一歩前に踏み出す。


けれど、後ろかが言いようのないプレッシャーを感じて立ち止まってしまった。


うわぁ、見られてる。絶対に誰かに見られてる。

そおっと後ろを振り返れば、満面の笑顔を見せる美鈴が立っていた。


「おはようございますぅ。さくちゃん先輩」


今日の美鈴は、白のカットソーにピンクのジャケット、それに黒のミ二フレアをあわせて、女の子らしい服装だ。カットソーの胸の空き具合がすっごい気になるけどね。綺麗な谷間が見えている。オヤジじゃないけど、眼福です。


語尾にハートマークをつけて、美鈴は私の腕に自分の腕をからめた。


「今日はぁ、風間さんと一緒じゃないんですねぇ。あっ!!そうだった、さくちゃん先輩の彼氏っ!!超絶イケメンですよねっ!!お金がなくても彼ならアリですぅぅぅぅ!!」


ぎょっとして、美鈴を見るとほんのりと頬をピンクに染めている。


「美鈴ちゃん?金曜の夜に追いかけてきたの?」


なるべく穏やかに言うけれど、心の動揺が表に出ていませんように。


「人聞きが悪いですぅ。たまたま会社のロビーでさくちゃん先輩が超絶イケメン君と腕を組んでたのを見ただけですぅ」


……………追っかけてきたんだな。


「顔だけはね、文句のつけようがないんだけどね」


見られてしまったんじゃしょうがない。ほら、拓海が会社の中まで入ってくるからこうなるんだ。あの馬鹿っ。


「えぇ~。優しそうでしたよぉ。さくちゃん先輩ととおっても仲良さそうでしたし。今度紹介してくださいねぇ」


………あの後大変だったけどね。水かけられたし。って、美鈴に話す気はないけれど。

本当にこのまま拓海の浮気が直ればいいけれど。

あれだけ、女の子をとっかえひっかえしていた人が、私一人で満足できる筈がない。

女の子に誘われれば、二つ返事で誘いに乗ってしまう男だもの。そういう時に私の事が頭に過ぎるとは思いづらい。美鈴の頭をポンと叩くと、曖昧に言葉を濁して私は更衣室に向った。

まだ、ゆいちゃんの事が頭の中で引っかかっている。

美鈴がそういう娘じゃない事は知っているけれど、拓海が安心できないし。

あまり拓海を紹介はしたくなかった。

もちろん美鈴は、拓海の事なんか好みじゃ無い筈なんだけど。


そんな事を考えてしまう自分を自嘲して、着替えを済ませ、自分の席に座ろうとすると後ろから急に腕を捕まれ、そのまま休憩室のほうへ連れて行かれる。言葉を発する間もなく、相手の迫力にも押されて私は休憩室までおとなしくついて行ってしまった。

始業時間まであと少しあるから、ほんの少しなら話す時間がある。

私は、多分怒っているであろう目の前の人物を見つめた。


休憩室に入ると、無言でコーヒーを二人分入れ始めて今私に見えるのは後ろ姿だけだ。

一言も発しない事が怒っている証拠だろう。

ずいっとコーヒーを私に押し付けると冬馬は下を向いてしまった。


「あのっ」


私が話そうとすると、手を差し出して止める。私も下をむいて黙った。


「昨日、あぁは言ってたけど本当は桃、怒ってるんだろ?」


………え?冬馬が怒ってるんじゃなくて?


「怒ってないよ?私こそごめんね。拓海が車で送り迎えしてくれるって言うから、メールで済ませちゃって」


私の言葉を聞くなり、冬馬は顔を上げ私の肩を掴んだ。


「昨日、キスしちゃったから怒って一緒に行くのを止めたんじゃないのか?」


「え?怒ってないって言ったじゃん。アレは私も悪かったし、気にしないでよ」


抱きしめていいかと聞かれて、いいと言ってしまった時点でアウトだ。

拓海が誰かを抱きしめていたら、日常茶飯事とはいえ、やっぱりつらい。

昨日の辛そうな拓海の顔が浮かんだ。やっぱり、私が悪いんだ。


「昨日も言ったけど、私は拓海が好きだよ。冬馬の事は考えられない」


「それでいいって言っただろ。俺が勝手に桃が好きなんだ。桃が怒って俺を避けなければそれでいいんだ」


ぐっと掴まれた肩に力が入った。少し痛くて顔をしかめるとそれに気づいたのかすぐに力を抜いてくれたからほっとする。


「それじゃ、答えは昨日と一緒だよ。私、冬馬の事なら大概許せちゃうから怒ることなんてしないよ。だから、そんな顔しないで」


何かをこらえるような、縋るような子供ような表情は私の胸を抉る。

冬馬に会うたびに、心が悲鳴を上げている気がする。

開けてはいけない箱を無理やりこじ開けらて、心が嫌だ、駄目だと悲鳴をあげている。

拓海がいい。拓海と一緒にいたい。拓海の隣がいい。

心の底からそう思っているのに、冬馬を見ると心が軋むように痛い。

冬馬を忘れられない小さな欠片のような気持ちが少しづつ大きくなっていってしまうような。

冬馬の事は考えられないといったそばから、冬馬に辛そうな顔をさせている自分が嘘だと叫ぶ。


昨日のキスは、確かに私の中になにかを残してしまったんだ。


ただ、それを表に出すほど私は子供ではなかったし、拓海のそばにいると決めていた。

冬馬の頬を撫でて、慰めたくなってしまいそうな自分を堪えて、私は微笑んだ。


「本当に怒ってない。冬馬が怒ってるかなって思ってたくらいだから。今日は早瀬について挨拶まわりに行くんでしょ?シャキッとしなさいな」


明るく言うと、まだなにか言いたそうな冬馬は私をみつめる。

冬馬に見つめられると、ドキドキするんだけど。私ダメダメ路線突っ走ってる気がする。

ドキドキしちゃ駄目なんだって。そう思いながらも頬が赤くなりそうでこの場から立ち去りたかった。


「もう、始業時間だよ。行こう」


もうそろそろ、席に着かないと朝の朝礼が始まってしまうし、美鈴に変な疑いをもたれてしまう。

良くも悪くも冬馬は注目の的なんだから私と二人で休憩室にこもっているなんていい話のネタだ。勘弁して欲しい。

冬馬も自分の顔を両手で覆って二三度、両頬を叩く。

気合と気分の切替かたは私と同じだ。

変わらない仕草に、懐かしい気分になりながら、コーヒーを美鈴の分まで淹れて私達は自分の部署へと戻った。


昼休みの少し後、内線を受け取った美鈴が珍しく困惑した様子で私を伺い見る。

私はパソコンに入力していた手を止めて美鈴の顔を見ながら電話を代わろうかとジェスチャーするとほっとした様子で頷いた美鈴は受話器を保留にしておいた。

私は、すぐにその電話を取った。


「お電話代わりました。桜田です」


『受付の川瀬です。あの、風間さんにお客様なのですが』


「風間なら外回りに出掛けてますけれど。急いでいらっしゃるんですか?」


美鈴が困っていたので、何かトラブルがらみなのかな?


『いえ、急ぎといえば急ぎなんですけれど。それが、あの』


言いづらそうな川瀬さんに、優しく問いかけた。


「なにかトラブルでも?風間が戻るのは三時頃になると思うけれど」


『あの、風間さんのお母様と仰る方がいらしてまして、それが、そのお若くいらして…』


「今すぐ私が受付に行きます。申し訳ありませんが、お待ちになるようにお伝えください」


まゆちゃんだっ。仕事場に来るってなにしてるのよ。冬馬は転職したばかりなのに。


「美鈴、私少し席をはずすから。風間さんのお母様がいらしてるみたいだから挨拶してくるわね」


「でも、すっごく若いって言ってましたよぉ?」


「うん、昔からどう見ても二十代だった。だから間違いないと思うよ」


そう言ってから、私はロビーに下りると受付からまゆちゃんの声が聞こえてきた。


「だから、何度言ったらあわせてくれるの?本当に風間 冬馬の母です。今、とっても困ってるの。お願いだから冬馬に連絡を取ってよ」


そうか、冬馬と連絡取りたいから同じ部署の人間じゃ駄目って事か。これは多分まゆちゃんまた財布落としたんだな。田舎にいるはずなのに、上京してきたのか。

私は咳払いをして注意をこちらに向けようとした。

受付の川瀬さんともう一人確か戸田さんだったかな。二人ともとても困った顔をしている。

久しぶりに聞いたまゆちゃんの声も姿も変わらず、フリルのたくさんついたピンクの服に身をつつむまゆちゃんはどう見ても私より年下に見えた。

これは、冬馬の母親って言ったって信じられないよね。そもそも急な家族の面会はあまり歓迎されないし。もう一度大きな咳払いをして、まゆちゃんに声をかけた。


「こんにちはお久しぶりです。同じ部署の桜田っってまゆちゃんっこんなトコで駄目だって」


私を見たまゆちゃんは、大きく口を開けて驚いた後にすぐ私に飛びついてきた。


「桃ちゃんっ!!桃ちゃんだっ!」


勢いに押されて少し後ずさってしまったけれどまゆちゃんをキチンと抱きとめた。


「ははっ。久しぶりちょっと別の部屋に行こうか」


ぐりぐりと頭を押し付けれて、ちょっと苦しい。


「桃ちゃん会いたかったんだからっ。冬馬君が駄目っていうから我慢してたのよ。冬馬君たら桃ちゃんとよりを戻したならすぐに教えてくれればいいのにっずるいわっ!!」


「まゆちゃん、本当に落ち着いてよ。とにかく場所を変えようよ、ね」


より戻すのなにも元から付き合ってないから。


まゆちゃんの肩を抱いて、受付嬢に愛想笑いを浮かべてからとりあえず来客用の応接室に空きがあることを確認してからエレベーターに乗ったのだった。



読んで頂きありがとうございます。

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