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カチャカチャとコーヒーをかき回すスプーンの音が響いた。
冬馬はコーヒーを見つめている。
私は、少し震える手でもう一口コーヒーを啜った。
「俺、桃と友達ならずっと一緒にいられると思ってた。ヘタレ過ぎて桃に好きだって言えなかったんだ」
………………今、好きって言った?!言ったよね?ちょっと待っていや、待たなくていい。あれ?私今更動揺してる?
物凄い速さで私の頭の中が回転しているにもかかわらず、冬馬は淡々と言葉を続ける。
「だから、俺ちゃんと桃の事好きだった。好きだったから一緒にいたんだ。ただ、あの時丁度惑わされちゃってたっていうか、男の本能というか」
あぁ、駄目男センサーが反応してきたぞ。だいたい何を言われるか分かってしまった。
なにをもって駄目男とするかは微妙だけど、これは、ストライクゾーン的なヤバイ感じ?
「俺、桃が好きだったのに、ゆいとそういう関係になっちゃって。なし崩しに付き合うことになって、俺自身混乱してた所に桃に告白されて、友達なら桃ともずっと一緒にいられるって思っちゃったんだよな」
そう言って、一気にコーヒーを飲み干す。
あっと思ったときには、冬馬は苦しそうに咽ている。
そりゃそうだ、まだ熱いはずで飲み干すには少々勇気がいる。
私は冷蔵庫から、ミネラルウォーターを持ってくると蓋をあけて冬馬に渡して背中を擦る。
昔から変なところで世話が焼けるのは変わっていないらしいと心の中で呟く。
水を飲んで少し落ち着いたのか、咳が収まってくる。瞳に涙が溜まっているのを見つけて、そばにあったティッシュでそっと拭おうとすると、その手を冬馬に掴まれた。
「俺、ずっと後悔してた。もっと早く桃に謝りたかった。だけど桃の気持ち考えないで傷つけたのは俺だから、連絡できなかった」
握られた手に力が入って、冬馬の大きい手から、熱が伝わってくる。
やけに自分の鼓動が大きく聞こえて戸惑った。
冬馬が相手だと、本当に調子が狂うんだよ。
冬馬を嫌いになれなかった自分が恨めしい。きっと無理やり冬馬の事を振り切ろうとしたからこんな感情が残っているんだ。
「俺、ゆいとはすぐに別れたんだ。俺にとって付き合う事になったゆいよりも、桃が隣にいてくれなくなった事のほうが辛かったから」
冬馬の顔が歪む。その悲しそうな顔に胸が締め付けられるように痛んだ。
「ごめんなさい。あの時は本当にどうしていいか分からなくて、ああするしかなくて、傷付けてごめんなさい」
やっぱり、無視するなんていけなかった。別に友達みたいに一緒にいなくても、挨拶や普通に話すくらいはするんだった。冬馬の傷ついたような顔を見ていたのに。私は、自分の感情を整理する事に一生懸命で、冬馬の感情を思いやれなかった。
好きな人にあんな顔をさせた事が、ずっと忘れられない後悔のもとだったんだ。
「その事はもういいんだ。俺が悪かったんだから。桃がせっかく告白してくれたのに。最初に桃を裏切ったのは俺だから。桃に呆れられて当然だった」
「呆れたんじゃないよ。冬馬が好きで好き過ぎて、隣にいるのが辛くなちゃっただけ。冬馬を嫌いになれなくて困ってたの」
こんな事をいうのは、いくら昔の事とはいえ、恥ずかしいのだけど。
こんなに傷ついた顔をした冬馬の顔を今更みせられたら思わず口にでてしまった。
心から本当の意味で好きになった初めての人だったから。
少し冬馬の目元が緩んだ。それを見てほっとする。冬馬にはいつでも笑っていて欲しいと思う。笑顔が似合うし、昔は随分とそれに救われたから。
「じゃぁ、もう俺の事避けるなよ。よそよそしいのも嫌だ。この間も言ったけどもう一度友達になって。この何年かでつくづく感じたよ。桃ぐらい俺の事分かってくれようとした人間はいなかった」
いや、普通好きな人のことは分かりたいと思うから。きっと冬馬の勘違いだ。
「なにそれ、私だって別に冬馬の事をわかってるわけじゃなかったよ?むしろ分からないことだらけだったし」
「いや、なんかさ、何人かお付き合いしたんだけど長続きしなかったんだよ。しっくりこないんだよな。桃が隣にいたときはそんな事思わなかったからさ」
やけに明るく言うけれど、私達付き合ってなかったんだから彼女と立場が違うよ?私。
「やめてよ、自分の恋愛がうまくいかない事を私のせいにしないでよ。私が彼女じゃなかったからでしょ」
「うん、そうかもね。だからまた桃の友達っていうか親友って呼ばれるくらいになりたい。桃が一番気が楽なんだよ」
「ばっかじゃないの。気が楽って、どうせ女らしくないですよ。なによその顔」
さっきまで苦しそうに歪められていた冬馬の顔は、今とても嬉しそうに緩んでいる。
強く掴まれていた手も、力が抜けた。
「桃のそういう言い方が聞きたかったんだよ。桃は昔から口が悪かったのに、会社じゃすましてるから気味悪くて」
「五月蝿いっ!!せっかく直したんだから、余計な事思い出させるなっ!」
「なんで?相楽のため?」
ぐっと私は詰まった。なんでいきなり確信をついてくるんだこの男はっ!!
「そうよ。拓海のまわりには可愛いくて女の子らしい子ばかりなんだもん。私みたいなのとどうして付き合ってくれてるのか解らない。昨日の女の子もめちゃくちゃ可愛かったし」
「やっぱり昨日相楽と喧嘩してたのかよ。それも女がらみ?」
冬馬の口調が優しくて、思わず私は口が滑った。
「うん。拓海の浮気相手と鉢合わせちゃって。ま、今のところどっちが本命でどっちが浮気相手なのか怪しいとは思うんだけど、一応昨日は私が本命だったみたい」
「だったみたいって?」
少し冬馬の声が強張ったことに私は気づかなかったから、そのまま続けてしまった。
「私の知ってる限りだけど、今拓海が寝泊りしてるのって私を合わせて五人いるの。昨日の子は知らなかったから六人目だったのかな?一応表面上は、もう浮気しないって言ってたけれど、本当は私が浮気相手かもね」
そう、私は昨日の拓海の言葉を半分程度しか聞いていなかった。
拓海の愛してるって台詞は何度聞いたかわからない。
別れ話をしたのは昨日が初めてだったけれど、アレで他の女の子達と切れるとは思っていなかった。
大体、気軽に愛してるなんて言う男は信用しちゃいけない。大抵嘘というか、愛の意味を分かっていない、というのが私の持論だ。
それが分かっていて何故、一緒にいるかといえば、私が拓海を好きだと言うことと、後は小さなプライドが今更他の女の子に拓海を取られることを是としないからだ。
本当に顔と口はいいんだけどなぁ。
「二人でいる時はいいんだけどね。なんだかんだ続いてるのは私だけだし」
あれ?そういえば冬馬が無言だ。
喋り過ぎたかと思い冬馬を見ると無表情で私を見ていた。
雰囲気で解る、これは怒っているに違いない。でもなんで?
「…………とっ冬馬?どうしたの?」
「すっげぇ、気にくわない。なんだよそれ。桃はなんでそんなヤツと一緒にいるんだよっ!」
「……えっと、好きだから?」
「何で疑問系?具体的にどこがいいんだよ。浮気どころか何人もと付き合っていて?」
ギロリと刺すように睨まれて、曖昧に笑うことしか出来なかった。冗談にしてはいけない雰囲気は分かるけれど、ここは笑うしかない。
「二人でいる時は優しいよ。それに顔だっていいし。アレでまめなんだよ。家にいるときはご飯作ってくれるんだから」
あれ?冬馬の目をみて言えてないかも私。
「桃っ!!」
げっ。冬馬の雷が落ちた。
頭の上から怒鳴られるのは、本当に久しぶりで体がビクッと震えた。
冬馬の怒鳴られたのは、過去に一回本当に私が悪い事をした時以来だ。
「もっと自分を大事にしろよ。俺が言えた義理じゃないのは解ってるけれど、桃を一番大切にしてくれる奴にしておけよ」
…………確かに、そのほうが私は幸せのはずだ。冬馬が心配をして言ってくれていることもわかる。
「だけど、好きなんだもん」
私は小さい子どものような事しか言えない。
『好きだから』
他に理由なんかないんだ。
拓海の前だと、女の子らしくなれて、甘える事ができる。実際かなり自分を作っている自覚もある。
だって、女らしさなんて欠片もない私が拓海に可愛いと言ってもらえて、好きだと囁いてくれる。
それを手放したくないと思う私はおかしいのだろうか。
例え嘘かもしれなくても、甘い言葉を囁いてくれて、私を必要だといってくれる。
拓海に触れられる度に幸せになる。それではいけないんだろうか。
「本当は、桃が幸せならそれでいいんだ。だけど、今の桃の顔はちっとも幸せそうじゃない。鏡、見てみろよ」
カチンときた。
分かってる。
冬馬の言う事が本当だからだ。
だけど、私はいつまでも自分の作った幸せを信じていたいんだ。
「いいの。拓海がいれば幸せなんだもん」
唇をかみ締めて下を向いた。
こんな顔見られたくないと思ったから。
しばらく、冬馬は私を見ていたと思う。少ししてから、大きな溜息を吐いて私の頭を撫でた。
「分かった。だけど、何か辛い事があったらなんでも言えよ。力になるから」
おそるおそる、冬馬を見上げるともう怒ってなくて私はほっとした。
なんだろう、いくら強がっていても男の人の力や怒鳴り声は少し恐い。
冬馬の普段はあまり怒らないし、大きな声を上げないから、さっきのは恐かった。
そういう時は本気だと知っているからだ。
「心配してくれてありがとう」
カチンときて少し逆切れしそうになった自分をちょっと反省。
冬馬が心配していってくれているのは分かるから。
自分でも拓海はどうかと思う時がある。いいところもいっぱいあるけれど、やっぱり女癖が悪いのはいただけない。ちらりと冬馬を見ると目じりを下げて笑っている。
「そういうトコあんまり変わらないのな。なんか反省中だろ今」
「なんでそう思うのよ」
当たってるけど。
「桃自分の態度や、言葉でしまったと思ったときはいつも微妙な顔して、俺の事伺い見るよ?例えるなら、おびえたリス見たいかな」
「リスって私そんなに可愛くないもん」
「なに言ってるんだよ。桃は可愛いよ。久しぶりにあったら、凄く綺麗になってたし」
でたっ!!天然タラシっ!
あの拓海でさえ、私の事を人とくらべる時に人並みというのにっ!!
昔から素で冬馬は私をほめるんだよね。いや、他の女の子もだけど。
あんまりさらっというものだからその気になりそうになるんだよ。
あぁ、恐ろしい。
「お前、信用してないだろ。桃は可愛いよ。もっと自信持っていいと俺は思う」
「私モテた事ないよ?付き合った事があるの拓海だけだし」
やぁめぇてぇぇぇぇ。褒めないでっ。ムズムズするからっ!!
拓海に言われると、リップサービスだと思えるんだけど、冬馬の場合本気で言ってそうで恐い。
そんな事ないからと、全力で否定したくなるんだよ。
この差は一体なんなのだろうか。
突然冬馬の顔付きが変わった。私の顔をジッと見つめているんだけど、なんだかいつもと雰囲気が違うし、私の顔が火照ってしまうほど、なにかの熱が視線に込められている。
「桃、さっきの話をちゃんと聞いていた?」
先ほどまでと違い、甘さが含まれる冬馬の声に、ゴクリと唾を飲み込んだ。口の中がカラカラになってきた。これは緊張だ。
部屋の中に、一種独特の空気が流れ始めていた。
「さっきのって?」
思わずソファの上で後ずさるとすぐに肘掛に当たってしまった。
冬馬の大きな手が伸びてきて、私の頬をするりと撫でて顎を持ち上げる。視線は私を捕らえたままで私は金縛りにあったように動けなくなってしまった。
こんな顔をした冬馬は知らない。
大きくなった心音がまるで鐘の音ように鳴り響いている。
これは、駄目だと頭の隅で考えているのに。
冬馬の目が細められ、唇が吊り上る。囁くように紡がれた言葉は……………。
読んで下さりありがとうございます。




