距離感バグってる聖女が「これが普通」と言い張ってるけど、断じて普通ではない
よろしくお願いします。
三日ほど前に召喚された聖女ユイの、異性に対する距離感が近すぎる。
聖女の教育係や護衛騎士たちからそんな苦情を受けて、俺は王宮内の一室、聖女に割り当てられた部屋へと向かった。
「どうして護衛の騎士さんたちがいなくなっちゃったの? 昨日まではいっぱいいたでしょ?」
「何度も申し上げておりますように、聖女様が異性との距離感をきちんと学ばれますまで、異性は遠ざけた方がよろしいという判断にございます。ご理解下され」
「あたしの生まれ故郷では、これぐらいの距離感が普通なの! こんなことでいちいち文句を言うなんて、心が狭いのねっ」
部屋の扉を開けると、件の聖女、ユイが騒いでいた。肩までの長さの黒髪に、それなりに整った顔立ちの、小柄な娘だ。
黒い瞳は元々猫みたいに吊り上がっているのに、さらにまなじりをキュッと上げている。不機嫌さを隠そうともしないのは、室内に若い男がいないからだろうか。
困った顔をして傍らに佇んでいるのは、ユイの教育係を請け負ってくれた老神官だ。部屋の隅には、世話係兼護衛として今日から聖女付きになった侍女たちが、気配を消して佇んでいる。
俺はため息をつきながら扉を閉め、言い争っている二人に近づく。
「その距離感が普通だって? そんなことはないだろう」
「誰……あっ、どなたですかぁ?」
ユイは俺の方を振り返って、鋭く問いかけようとしたが、すぐさま猫なで声を出してにこりと微笑んだ。
老神官に対するときとはあからさまに態度が違う。背筋がぞわぞわするからやめてくれ。
「お前……俺の顔が分からないのか?」
「すみません、この国のこと、まだあんまり知らなくてぇ。初めましてですよねっ? あたし、ユイって言います! よろしくお願いしますぅ」
ユイはこてんと首を倒して、あざとい仕草で俺に近づき、突然ぎゅっと手を握った。おいおいまじかよ、本当に勘弁してくれ。
「せ、聖女殿! この方は王配殿下です! 不敬ですぞ!」
教育係が慌てている。部屋に入ってほんの数十秒でこの調子だもんな。俺は教育係のじいさんが心労で倒れないか心配だよ。
俺はぎゅっと眉を顰めて、空いている方の手でユイの指を引っぺがした。ユイと同じ色合いを持つ人間なんてこの国では珍しいのに、ユイは俺の黒髪と黒い目を見て何も思わないのだろうか。
「ええと……王配殿下、ってことは、よくわかんないけど王族の方ってこと?」
ユイの教養のなさに、教育係が呆れかえって額に手を当てている。王配は王の配偶者、すなわち女王陛下の夫ってことなんだが……まあ、確かに日本で暮らしてたら王配なんて言葉、あまり馴染みがないよな。
「だったら、ちょうどいいかも! 王配殿下、聞いて下さい! あたしの故郷では、手を繋ぐのも、あーんするのも、普通なんです。でも、みんなわかってくれなくて、困ってるんですぅ!」
「はあ?」
俺は思いっきり顔をしかめた。ユイは動じない。しかもまた手を握ってくる。厚かましいにも程がある。
「ユイ。パートナーのいる異性に対して、手や身体をベタベタ触ったり、食べ物を直接口に差し出したり、あからさまに胸を押しつけたり。それのどこが普通なんだ」
「だって、あたしの国ではそれが当たり前で……っ」
俺は、はぁぁぁ、と大袈裟にため息をつく。ユイに握られていない方の手を額に当てる。図らずも教育係の老神官とお揃いになってしまった。
「お前さぁ、あれから一体どんな教育受けてきたんだよ」
「あれから? どういう意味ですかぁ?」
「ユイ。本当に俺の顔がわからないわけ?」
「え……?」
そこで初めて、ユイは窺うようにじっと俺の顔を見た。けれど、それでも中々ピンとこないらしい。
……まあ、そりゃあそうか。俺の見た目、自分でもびっくりするぐらい変わってるし。
自分で言うのもなんだけど、今の俺はイケメンだからな。野暮ったい眼鏡もかけてないし、少し長めの黒髪はサラサラで艶もあるし、切れ長の瞳で鼻筋も顎もシュッとしているし。いわゆる塩顔イケメンというやつだ。
「えっと、お会いしたことありましたっけ……? もしかして、日本人?」
「あーあ、これでも思い出せないかあ。シュウ兄ちゃん、悲しいよ」
「え? シュウにい……はぁぁ!? お兄ちゃん!?」
俺が正体を明かすと、ユイは握ったままだった俺の手を思いっきり振り払った。気持ちはわかるがちょっと乱暴だぞ、妹よ。
「よく見たら確かにお兄ちゃんの面影……でも、だって、お兄ちゃんは五年前に突然行方不明に……それに、あの時のお兄ちゃんはキモデブ――」
「悪かったな元キモデブ眼鏡で! 今はご覧の通りすっかり痩せて細マッチョだよ!」
こちらの世界は、食文化がまるっきり違う。日本でお馴染みだった俺の大好物もない。ニンニクもアブラもマシマシ以前の問題、というかナニソレ状態である。
それに、剣術やら弓術やら乗馬やらダンスやら、最低限の貴族の嗜みだとか言って、毎日毎日強制的にやらされた。引きこもって機械ばかりいじってるわけにはいかなくなったのだし、痩せて当然である。
「それより俺は、お前がそんなクソビッ――ごほん、残念頭になっちまったのが悲しくて仕方ないよ。五年前は汚れも知らない、可愛い天使だったのになあ……」
「今も可愛いですー。ていうか、どうしてお兄ちゃんがここにいるわけ? もしかして行方不明になってからずっとこっちにいたの? 聖女や聖人はここ五十年ぐらい召喚されなかったって聞いてたけど」
「五年前からずっとこっちにいたのは合ってる。それに、俺はユイと違って、聖人でもない。召喚されたわけじゃなくて、流れ人ってやつなんだ」
ユイは、魔術師たちが何年も掛けて準備した魔法陣を経由してこの世界に呼ばれた、いわゆる聖女だ。
理屈はわからないが、異世界から召喚された人間は、聖なる力を強く身に宿すらしい。ユイたち聖女や聖人は、その力をもって、世界に満ちる瘴気……穢れのようなものを払い、人間の住む場所を守る結界を強化する役目を負う。
前回の聖人召喚は、ユイの言ったとおり五十年ほど前。そろそろ結界の強度が下がり始める頃ということで、新たに召喚の儀を行ったのである。
「流れ人?」
「ああ。この世界の人に意思を持って呼び出されたんじゃない。お前みたいに時空の歪みに引っ張られて誘導されたんじゃなく、落っこちて流れ着いたんだ。役目を終えれば元の世界に帰れる聖人たちと違って、流れ人は、二度と元の場所には戻れない」
「ってことは……お兄ちゃんは」
「そ。俺はこっちの世界で生きていくしかないのさ」
聖女や聖人は、聖なる力をコントロールする術を学んで結界の儀を行ったら、元の世界に帰るかこの世界に残るかを選ぶことができる。
しかし、流れ人はそうはいかない。帰還する聖人と一緒に魔法陣の上に乗っかっても、帰れるのはきちんと手続きを踏んで召喚された聖人だけで、流れ人はこちらの世界に取り残されてしまう。
「なるほどねぇ。でも、どうして王族になったの? お兄ちゃんには何の力もないんでしょ?」
「聖なる力はなくても、流れ人は異世界の知識を持ってるから、大抵、大貴族の養子に入れられるんだよ。で、俺も『何かできないのか』って聞かれたから、コイルとボルタ電池を作って簡単なモーターを再現してみせたら、あれよあれよという間に女王陛下に気に入られて、いつの間にか囲い込まれて結婚することになってたわけ」
「ええっ、お兄ちゃん、女王陛下の旦那さんなの!?」
ユイは大袈裟に驚く。教育係が「さっき言ったじゃないか」って顔で見ているが、王配の意味を知らなかったのだろうから仕方がない。俺に免じて許してやってくれ。
俺も、女王陛下に求婚されたときは心底驚いた。だって、当時の俺は太ってて自己肯定感も底辺だったし、そもそも女王陛下には決められた相手がいたんじゃないかって思ったから。
だが、国内の貴族の力関係がものすごく微妙だったらしく、当時女王陛下は俺の三歳下、十六歳だったにもかかわらず、婚約者はいまだに本決定していなかったらしい。
そして、そこに来て流れ人の俺が現れた、と。俺は、王国にとっても利になる異世界の知識を持っていたため、力関係的にうまくバランスの取れる貴族家に養子に入れられて、気づいたら婚約が決まっていたというわけだ。
ああ……蛇足だが、女王陛下と俺の結婚は、一見政略的な意味合いが強いように思えるだろうが、実はばっちり相思相愛だ。
先日、初めての子供が生まれたところだったりする。妻にそっくりな女児で、母娘ともども本当に可愛くて可愛くて仕方がない。
「え、なんかにやけてる。キモ」
「おい失礼だぞコラ」
妻と娘のことを考えていたら、ユイに引かれてしまったらしい。俺は表情を引き締める。
「で、本題に戻るけど。正直、今のお前の態度はいただけない。こっちは日本よりずっと貞操観念が強いんだ。お前がいくら聖女だといっても、このままじゃあ女性にはもちろん、まともな男性陣にも嫌われるぞ」
聖女はその性質上、本来なら民に尊敬され、憧れられる存在だ。
けれど、このまま婚約者や恋人のいる男をたぶらかし続けたら、悪評の方が聖女に対する憧れを上回るのも時間の問題である。
ユイは、すごく嫌そうに顔をしかめた。
「それにそもそも、日本にだってお前みたいな、はしたない行動をする奴はいなかっただろ。いたとしても、まともな人間じゃない。そんな泥棒猫みたいな真似して、一体どうしようと思ったんだ?」
ユイは眉尻を下げて、長いため息をついた。言葉を選んでいるように、あちらこちらを見やりながら、瞬きを繰り返している。
「……あたし……ちやほやされたかったの。モテたかったの!」
しばらく待って、ようやく出てきたのが、そんな言葉だった。
俺は「はぁ?」と聞き返そうとしたが、ぐっと唇を噛んでこらえた。ユイの顔が林檎みたいに真っ赤になっていることに気がついたからだ。
「あたしね、大学に入ってすぐの頃に……モテる子に、彼氏を取られちゃったの。でも、あたしはまだその人のことが好きで、諦められなかった。だから、服装とか仕草とか、その子の真似して、頑張ってダイエットもして……元彼とその子はすぐに別れたみたいだけど、結局、あたしはどれだけ頑張っても、もう振り向いてもらえなかった。元彼は、別れた後もずっとその子のことを見てたの」
だから今度こそ、その子みたいに、愛される女の子になりたかったの――ユイは蚊の鳴くような声で、そう言った。
「……ユイはさ。その女と同じ所に落ちてもいいと思ってるわけ?」
「え……?」
俺がそう聞くと、ユイは、意外そうに目を見開いた。
ユイは、もしかしたら気づいていないのかもしれない。自分が、その女と同じことをしているってことに。自分が、その女を妬みうらやむあまりに自暴自棄になっているってことに。
「その女に、長く続く本命の彼氏はいたことある?」
「えっと……、私の知る限りでは、ないかな」
「ほら。それが答えだよ。お前はそれでいいわけ?」
ユイは、黙り込んでうつむいた。
知らない世界で、嫌になったら去ることもできる場所で。
ユイは心の傷をなぞって、自分の心に傷を負わせた奴の行動をなぞって、今でも好きなその男の気持ちを知ろうとでもしたのかもしれない。
まあ、俺から言わせてもらうと、一番悪いのはそんな駄目女に引っかかった男の方じゃないのかって思うけど。今のユイには、そんな言葉は届かないだろう。
「……よくない、かも」
ユイは、たっぷり考えてそう答えた。俺は、大きく頷く。
そうだよ。それでいいんだ。
他人からパートナーを奪ったって、誰かの傷痕や痛みの上に成り立つ愛情は、長く続かない。だって、土台にあるべき信頼も絆もないんだから。
「なら、これからちゃんと改めろ。無理せず、普段通りのお前でいいんだよ。てか、飾らない普段通りのお前がいいって言う奴の方が信用できるし、その方がお前にとってもいいはずだ」
無理に背伸びをしたって、絶対にいつか綻びが生まれる。
愛を得たいと思うのなら、心と心がちゃんと繋がっているべきだ。少なくとも俺はそう思う。
そのままユイが黙って考え込み始めたのを見て、俺はそっと部屋を退出した。
教育係の老神官が目を潤ませて俺に向かって祈りのポーズを取っているのが視界の端に見えてしまって、ちょっとだけ頬が引き攣ってしまった。まあ、これで心労が少しでも減ればいいんだけど。
*
それからひと月ほど経って、王宮で聖女のお披露目会が開かれた。
これまでは限られた人間としか接触を許されていなかったユイだが、この国の基礎知識やら最低限のマナーやらを学び終え、そろそろ人前に出ても良いと教育係から太鼓判が押されたのである。
ユイは物凄く緊張していたが、ぎこちなくとも笑顔を絶やすことなく、聖女として立派にお披露目を済ませた。
緊張するユイを見ていたら、何故だか俺まで緊張してしまって、妻に笑われるなんていう一幕もあったが。
それでもユイは王国民に広く好意的に受け入れられ、嬉しそうに、恥ずかしそうに頬を染めていたのが印象的だった。
ユイとじっくり話したあの日以降、異性との距離感についての苦情が寄せられることはなくなった。教育係の老神官からはもちろん、護衛騎士からも、専属侍女からもである。
現在のユイは、持ち前の素直さと明るさを発揮して、言われたことをきちんと自分の頭で考え、咀嚼し、前向きに学びと練習を進めているようだ。
ちなみに、俺がユイの実兄だということは、あの日部屋にいた人間たちと、妻以外には伏せてある。口裏を合わせたわけではないのだが、どうやらユイにも恥ずかしさがあるらしく、俺と血縁だということは誰にも話していないようだ。
最初にユイと関わった人たちは、ユイが行動を改めてからもしばらく警戒していたようだが、今はもうこちらのユイが自然体なのだと気がついたらしい。過度な警戒はなくなっている。
勤めを終えたあと、ユイが帰郷を選ぶのか、残留を選ぶのか、それはまだ誰にも予想がついていなかった。俺にもさっぱり読めない。
ただ、若い騎士の中に、最近特にユイと仲良くしている青年がいる。もちろん、恋人も婚約者もいない青年だ。
ユイの心の傷はまだ完全には癒えていないのだろうが、騎士の青年のことは、どうも満更でもなさそうな予感がする。
俺としては、さっさと元彼よりもユイの中で大きな存在になって傷を消し去ってくれないかな、と思っているのだが、こればかりは本人たち次第だ。
ただ、実の妹が醸し出す恋愛未満の甘酸っぱい空気を近くで吸っていると、なんだかいたたまれないというか非常に居心地が悪いので、あまり聖女の宮には顔を出さないようにしている。
まあ、でも、ユイがおかしな行動を取っていたときに、近くにいた流れ人が俺で、心底よかったと思う。
年は離れているが俺以外にも日本から来た流れ人はいるわけだし、年上の流れ人は俺より頭の固い人が多い。ジェネレーションギャップとか地域性とかだけでは片付けられない問題だったと思うし、そのままユイが各方面から敵意を持たれ、悪評にまみれていたら、今みたいに快適な異世界生活は送れていなかっただろう。
流れ人に出会わなかったとしても、過去の聖人や聖女のことを覚えている長命種もいるかもしれないし、記録を紐解けばユイの行動の異常性に気づかれていた可能性もある。
そこまで頭が回らなかったのかもしれないし、心の傷が思った以上に深くて短絡的な行動に走らせていたのかもしれないが、少しは考えてから行動してほしかったものだ。行動には責任が伴うのだから。
それにしても……もしユイがこちらの世界に残ることになったら、俺の黒歴史とか……いや、考えるまい。
とりあえず今は、あれだ。電磁誘導の研究を進めて、いずれは伝送技術を開発したい。今は銅線の被覆技術が不十分だが、そちらの研究も同時進行で進めてもらえば、より性能の良い電線や電磁石が作れる。
瘴気に満ち、魔力の存在する世界において、電気工学がどのぐらい有用なのかはわからないが、この王国のため……いや、違うな。愛する妻と娘のために、より良い未来を模索したいものだ。
一人で部屋に籠もって自作パソコンやらコンテスト用のロボットを組み立てていた時とは違って、今の俺は色々なものを背負っている。やれるところまでやってみようじゃないか。
それが、愛する妻――女王陛下と結婚した俺の、取るべき行動と責任なのだから。
以前研究室の先輩に一度だけラーメン◯郎に連れてってもらったけど、ハマる気持ちがわかりました。背徳。
ユイ 20歳
シュウ 24歳(流れ着いた時は19歳)
距離感バグってるのに「これが普通だ」と言い張る召喚聖女のお話を時々拝読しますが、もし他にも転移転生者がいたらすぐに嘘だってバレるよなあ……と思って書いたお話でした。
お読み下さりありがとうございました♪




