第二話 秩序の番人
内閣諜報局・地下一階。情報管理センター。
「お疲れ様。報告を聞かせてちょうだい」
午前十一時を回った頃。大会議室の中央に鎮座するコの字型の長机に、一人の女が腰を掛けていた。
豪奢な桃色の髪を靡かせ、片手にはコーヒー。上座に座る彼女に対し、周囲の魔術官たちは居住まいを正している。
「警官隊が到着した時には既に男の気配はなく、魔術残滓だけが付近に残されていました」
「現場には爆炎魔術を使用した形跡を確認」
男女の魔術官が手元のタブレットを読み上げ、桃色の髪の女――白麗鏡華へ報告する。
「やっぱり、居たのね」
「はい。刀のような武器を所持しており、一瞬で容疑者の腕を切断しています。……間違いありません。綾峰閑です」
その名が出た瞬間、会議室の空気がざわつき、あるいは重く沈黙した。
「その後、使い魔のフクロウを飛ばし追跡を試みましたが、振り切られました。申し訳ありません」
「いいわ。どうせまた、魔術犯が出るところには彼も現れる」
白麗はコーヒーを一口啜り、興味なさげに視線を外した。
「引き続き監視は続けて。一応は、最重要監視対象者なんだから」
会議が終わり、白麗は自席で溜まっていたメールに目を通していた。
画面を埋め尽くす件名に、深い溜息が漏れる。こめかみを押さえたその時だ。
「幸せが逃げていくぞ、白麗」
右耳に調子のいい男の声が届いた。
「なによー! 邪魔しに来たの? 灘」
白麗は顔を上げず、悪態をつく。
「そんな怖い顔をしないでくれ。可愛い顔が台無しだ」
「うるさいわね。アンタが来なきゃこんな顔もしなかったわよ」
「俺が来る前からそういう顔だったが?」
白麗はわざと聞こえるように舌打ちをし、椅子の背もたれに体を預けて彼を見上げた。
「それで? 『Level 4』たる魔術官様が、わざわざ何の用?」
日本国内に四万人いるとされる魔術官。
その頂点に君臨し、隔絶した実力を持つと認定された戦力――それがlevel。
中でも目の前の男、灘清十郎は、その最高位であるLevel 4に位置する人物でもある。
「ちょっとな。お前の様子見がてら、新人の顔見せ周りだ」
灘が背後を顎でしゃくる。そこには、緊張でガチガチに固まった青年の姿があった。
「あら。若いわね」
白麗に見つめられ、青年は背筋を弾かれたように伸ばした。
「は……初めました! あっ間違えた! 初めまして! 先日から国家指定魔術官になりました、福閒涼太です! ――二十五歳です! 独身です!」
「いらない情報まで言わなくていい」
灘の軽い手刀が福閒の頭に落ちる。
「ふっふ。自己紹介ありがとう。諜報局局長の白麗鏡華よ。よろしく頼むわ」
「はっ、はい! 光栄です! 女性初の局長就任、それも四年連続歴任とは……伝説の方にお会いできて!」
「大袈裟ね。ここも人手不足は拭えないし、任期は一年なんだけど……上の連中も、毎度首をすげ替えるのが面倒なだけじゃないかしら?」
自嘲気味に笑う白麗に、灘は呆れたように肩を竦めた。
「可愛い後輩を適当な嘘で騙さないでやってくれ」
「あら? 嘘じゃないのに」
「まぁ、全てが嘘ではないが……」
二人のやり取りを交互に見ていた福閒が、素朴な疑問を口にした。
「どういうことですか? 人手不足って……」
「魔術による犯罪。昨年度の被害者数はどれくらいだと思う?」
白麗は空になった紙コップを弄びながら、試すような視線を福閒に向けた。
「えーっと確か……二万人、でしたっけ?」
「惜しいわ。それは負傷者の数。死者はその倍、四万人よ」
「それほど増えているとは……」
「問題は数だけじゃない」
絶句する福閒に、灘が横から口を挟んだ。
「要は、魔術官の数に対して、魔術犯罪の件数と『規模』が釣り合わなくなってきてるんだ」
魔術による攻撃は、従来の兵器とは異質だ。 一人の人間が放つ一撃がビルを倒壊させ、周囲一帯を汚染する。日本の犯罪発生率と被害規模は跳ね上がり、安全な国というイメージはないだろう。
「元々増加傾向ではあったけど、決定打はあの事件ね」
「――『魔人災害』、ですか」
「東京の東半分が消し飛び、死者は三百万人に及んだ。……あの戦いで、何人の魔術官が死んだと思ってる」
灘の声色が一段低くなる。十年前、魔術テロリストが引き起こした未曾有の災厄。東京都心を触媒とし、数多の市民を生贄にして『魔人』を受肉させた事件だ。
当時二十四歳だった灘は最前線で戦い、十八歳だった白麗も後方支援で地獄を見た。
「魔術官だけじゃない。俺たちはあの時、日本の『支柱』すら失った」
日本には『支柱』と呼ばれる十人の魔術師が存在した。
八百万の神の魔術を継承し、単独で戦況を覆す最強の十人。だが彼らですら魔人災害には総動員され、結果、四人の支柱が相打ちとなり命を落とした。
「四本の柱を失い、日本の国力はガタ落ちだ。……今の時代、空母や戦闘機なんてコスパが悪すぎて役には立たんからな」
「核ミサイル相当の技を使える魔術官は世界にはゴロゴロいるからね。嫌な世の中よ」
「だからこそ、彼にはさっさとウチに保護されて欲しいんだが……」
「彼?」
福閒が首を傾げると、白麗が手元のキーボードを叩いた。モニターに一枚の写真が表示される。
気だるげな表情で、どこか遠くを見ている男――綾峰閑だ。
「相変わらずの逃げ足だな。流石と言うべきか。国家指定魔術官のライセンスも持たずに魔術行使とは。そろそろ本腰を入れるべきだろう?」
灘の言葉には、苛立ちと同時にある種の執着が滲む。
「まぁ、彼に至っては魔術犯を捕らえている側だから。そこまで違法性は問えないわ」
「そうは言っても、奴はあの亡くなった『支柱』の一番弟子だぞ? 失われた術式を受け継いでいる可能性が高い。その保護は国家としての急務だろ。外国にでも持って行かれたら笑い種だ」
室内の空気が少し重くなる。最強の魔術師の元で学び、力を持ちながら、野良として生きる男。組織人である二人には、それが歯がゆいのだ。
「俺が捕まえてやりますよ!」
重苦しい空気を読まず、福閒が勢いよく手を挙げた。
「……口を開いたかと思えば。まだポニーのお前がか?」
「ポニーじゃありません! これでも国家試験は合格してますよ! 余裕です!」
「相手はLevel 4相当の化け物だぞ?」
「ぐっ……! で、でも、魔術を扱えるなら国家指定魔術官になるべきです! その力を国民に還元するのが義務じゃないですか!」
福閒の正論が響く。若さゆえの、一点の曇りもない正義感。白麗はモニターの中の綾峰を見つめたまま、静かに呟いた。
「そういうのが嫌で、彼はこっち側に来ないのかもしれないわね」
Enterキーを叩く乾いた音だけが、部屋に響いた。




