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32 好戦 M

 浮力を解放させた上之煌希が宙に浮かぶ。そして、ゆっくりと両手を広げ、天空を仰いだ。

 不可解な光景に目を細める。なにをするつもりか知らないが、スマートグラスに射撃の命令を下せば、ドローンたちは麻酔弾を掃射する。遊覧飛行もこれで見納めだ。観念しろ、上之煌希。真妃は勝ち誇った。

 しかし、次の瞬間、背筋に恐ろしいほどの悪寒が走った。得体の知れない強烈な違和感すら覚える。

 突如として、空が鳴き声をあげた。またもぞっとし、上空を見上げる。こすりつける金属音のようでもあり、生物の悲鳴のようでもある。なんとも不気味で不快な轟音が、空の彼方まで鳴り響く。自然現象としては考えられないその異様さに、精神までもが拒絶反応を起こす。

 世界の終焉を告げるかのような音。アポカリプティックサウンドか。解明はされていないが、研究報告として聴いたことがある。

 再び驚愕の思いを突きつけられ、目を見張る。その轟音が導く先に、空の異変を真妃は見つけた。とっさにサングラスタイプのスマートグラスを外し、肉眼で確かめる。

 ぎらつく太陽の周りを、神秘的に輝く虹色の光の輪が囲んでいた。薄雲の中にある氷の結晶に太陽光が屈折してできる、ハロと呼ばれる現象だった。以前に見かけたのはもっとぼんやりとしたものであったが、今回の輪は異常なほどくっきりとしていて、その中心から天界の神々が降臨してくるような錯覚を垣間見せる。ハロの影響により、太陽自体が純白の聖なるオーラを放つ。耳障りな音響を遠ざけるほどの光景に、思わず息を呑んだ。

 目を奪われるのはこれだけではない。太陽のさらに上の天頂を中心とした、ハロよりも巨大で広大無辺な光の輪が出現していた。これほどの完全な輪の幻日環など、かつて観測されたことがあるだろうか。輪の最下部が太陽と重なり、ハロの輪の両端とも重なり合う。太陽の両脇に生じた光の十字は強烈な輝きを放ち、まるで三つの太陽が一直線上に並んでいるかのような幻想的な光景をつくりだす。

 さらに目を疑うばかりになるのは、環天頂アーク、環水平アークまでもが発生していることだった。太陽の上方に逆さ虹と呼ばれる光の帯が弧を描き、下方には細長い虹が横一直線に広がっている。その形状は、空に描かれた美しい絵画の一筆のように、とても柔らかで優雅だった。

「なぜこんなときに……」と真妃は茫然とつぶやいた。どれも大気中の氷の結晶に太陽光が反射および屈折したものであるが、それぞれが稀有な気象現象だ。一堂に会するなど、もはや奇跡としか言いようがない。

 ふと、別のなにかに意識が吸い寄せられる。四方をぐるりと見回し、空全体へと視野を広げる。さらなる変化が、真妃に感嘆の声を漏らさせた。

 薄い巻雲のみならず、積雲、積乱雲までもが美しいグラデーションに彩られていた。彩雲か、と一驚の言葉が出る。白一色だったすべての雲たちに、赤青緑金などの多様な色が混ざり合い、深く豊かな虹の色彩が施されている。

 彩雲は、雲中の水滴に太陽光が回折することで発生する現象だ。それゆえ、太陽から遠く離れた雲には、光が届かないため彩雲は現れない。

 だが、今回は例外だ。南の空から東へ、そして西へと彩雲が広がり、最も太陽から遠い北の空までその華麗な色が及んでいた。

 こんなことはありえない。真妃の思考がそう叫ぶ。雲の種類問わず、全方向に彩雲が広がるなど、科学的に考えても説明がつかない。

 雲の色彩が次第に濃くなり、水彩画のように深みを増していく。神々しいアートの世界を目の当たりにし、驚愕と感動が交錯、混乱の域まで達する。現実と幻想の境が曖昧になり始めた。

 彩雲が空を埋め尽くし、神秘的な色彩で揺れ動くなか、漠然としていた視線の先に、やがて焦点が合う。頭部を鈍器で強打されたような衝撃を受け、ようやくそれを認識する。かっと目が見開かれる。ついに決定的な驚異を目撃した。

 真妃の見つめる北の高高度、彩雲が浮かぶ遥か上空。最初はぼんやりとした青緑色の光だったが、徐々にその色合いが強くなり、さらに形を変え始めた。太陽光が強烈な日中でありながら、光は鮮明に見え、波のように動いていた。

 極地などの高緯度地域でしか観測されないはずの、緑色に輝く光のカーテンが、真妃の居る日本上空に現れたのだ。極光とも呼ばれる大気の発光現象、オーロラである。

 オーロラは時間とともに鮮やかさを増していった。赤や青、紫の帯も加わり、それぞれの色が絶妙に絡み合う。北の空から東へ西へと増殖し、やがて四方すべての上空で、美々しく絢爛たる光の舞いが繰り広げられていた。

 なにが起きているのか、真妃の理解を超え、度肝を抜かれる。複雑な渦を描くオーロラは絶え間なく姿を変え、時には龍のように、時には蝶のように、時には舞い踊る妖精のように、仰ぐ側を幻想へと誘い込む。

 もはや恐怖しか抱けず、驚異が脅威と化す。オーロラがこの場所で、しかも日中に出現することは、自然界の法則を逸脱した現象だった。

 なにもかもがおかしい。上空を見上げ、迷宮入りの思いで立ち尽くす。

 突然、空全体に鳴動が広がった。今度はなんだ、と叫び声をあげる。廃工場にも瞬間的な揺れがあり、よろけながらも真妃は体勢を立て直し、頭上の現象に視点を固定した。

 アポカリプティックサウンドが消え去り、取って代わる轟音が鳴り響く。どちらかというと雷鳴に近い。

 空の様子が一変した。命を吹き込まれたがごとくに、すべての彩雲が一斉に動き出した。あれほど鮮やかだった色彩を急速に失い、鈍い灰色へと豹変していく。それらは意思を持っているかに見えた。互いに引き寄せられるかのように、組織的に集結しつつあった。

 非現実的な現象に対し、ふつふつと苛立ちが募る。そのとき、はっと気づいた。ひょっとしてこれは、と推測すると合点がいく。疑う余地もなかった。そうか。煌希の仕業か。

 絡み合い、溶け合う雲の姿は、空の海でうねる大波のようだった。左右水平に伸びる巨大化を進めながら、全長は数キロメートルにもおよぶ。垂直方向に回転を続け、それは真妃の視界を横断するロール状の帯になった。

 辺り一帯が影に没する。横一列に広がる巨大回転雲、モーニンググローリーが太陽を遮っていた。

 寒気が精神の淵まで降下し、不安定になる。これほどのものはオーストラリアでしか発生しない。釘付けになった目を無理にでも逸らす。直視は危険だった。空自体が回転しているかのような錯覚を生みだし、平衡感覚が奪われる。

 そんなことより彼はどこだ。戦いの最中である現実に戻り、真妃は煌希を探した。一瞬でも目を離してしまった自分を恥じる。焦燥感に煽られ、必死になって周囲を見回す。

 いない。煌希の姿はどこにも見当たらなかった。

 すでに逃亡してしまったのか。いや、このイリュージョンを仕掛けている限り、真妃との決着を付けようと近辺に潜んでいるはずだ。

 外していたスマートグラスを再び装着し、ドローン軍に指示を出す。仮想画面には使役する五機の情報が映り、主の意のままに動くよう調整される。消えた煌希を探し出せ、と強い思念で圧力をかける。

 ドローンたちが命令に従い、上空へ舞い上がり、様々な方向へ捜索を開始する。真妃は血眼になって受信されるそれぞれのカメラ映像を追いかけたが、それは無理な相談だとすぐに気づいた。上空からの圧倒的な意思を感じたからだ。

 捜索を打ち切り、絶望の仰視を行う。大蛇がとぐろを巻く過程に酷似している。廃工場の直上の空、つまりは真妃の遥か頭上を中心に、モーニンググローリーの帯が、螺旋状に渦を巻いていた。

 空が黒く沈み、ひとつの恐るべき姿へと変貌していく。アポカリプティックサウンドはこれを予兆していたのだ。悲鳴すらあげられず、全身に鳥肌が立つ。畏怖の念を抱かずにはいられない。太陽を完全に遮り、視界を覆い尽くす。まさに超弩級だった。

 真妃は察した。これが一連の最終形態なのだと。

 その巨体は、まるでひとつの生命体のようにうごめき、内部に雷光を蓄え、強大な回転力を有する。

 悪意と破壊の力を孕む巨大積乱雲、スーパーセル。雷鳴を轟かせるたび、腹部を明滅させ、闇を照らす。地獄の門は開かれた。空は怒り狂い、地は怯え震える。終末はいま到来したのだ。

 あまりの禍々しさに全神経が凍りつき、真妃は腰を抜かした。アスファルトの床にへたり込む。

 私はいったいなにを相手にしているのだ。これが、アンノウンの力なのか。

 凄絶なエネルギーの光を内部に走らせ、渦巻く黒雲はさらに力強く、すべての存在を吸い込まんばかりにいっそう速く回転する。

 やっぱり恐怖に呑まれたか、と城本が笑った。お前には無理だ、と父親が冷笑を浮かべる。さよなら、と母が蔑み背を向けた。蝕まれ、萎縮していく脳裏に、そんな光景が突如として蘇る。

 沸点が低くてよかったと、そのとき初めて思った。ありがとう、クソ野郎ども。

 瞬時に怒りが込みあげる。「ふざけるな! まだ負けてない!」

 かすかに残る自尊心を奮い立たせ、虚勢を張ってみせる。真妃は立ち上がった。スマートグラス越しに、スーパーセルの渦を睨み返す。

 五機のドローンが早急に舞い戻る。真妃の背後で陣形を整え、上空の黒雲へと銃口を向ける。

「麻酔弾を実弾に戻せ」いっさいの迷いなく、指示を出す。

 実弾を再装填するドローン軍を見下ろし、体内を明滅させ、黒雲は踊り狂う。

「スーパーセルに接近し、内部中心を目掛け、掃射しろ!」毅然として、命令を下す。

 完全武装のドローン軍は動き出した。目標へ向かい、一斉に飛び立つ。

 超弩級のスケールのあまり、遠近感が麻痺していた。雲底がどのくらいの高度なのか判然としない。時間にして十数秒といったところか。上昇していったドローン軍の銃口が火を噴いた。連続する掃射音がわずかに遅延して耳に届く。

 空が不吉な色に染まる。地響きを伴うほどの雷鳴が轟き、爆音が掻き消された。無数の光跡を描く弾丸が、次々とスーパーセルの中心へ撃ち込まれ、その内部で雷光と交錯する狂気の光景が広がる。

 続く一斉掃射に目を凝らす。ドローンたちの武力による閃光は、ただの小さな流れる点でしかなかった。打ち上げ花火のように、闇空を照らす光にも満たない。内部に吸い込まれ、はかなく消えていくだけ。あまりにも非力だった。

 すべてを超越する存在感で空を支配する黒雲。彼に与える影響は皆無といえた。傷つかない。揺るがない。当然のことだ。弾丸を喰らえば喰らうほど、巨大化しているようにも思える。

 大自然の驚異を前に、痛感する。人間の無力さを思い知らされる。だが立ち上がるしかない。魂が燃え尽きるほどの叫び声で駄目押しをかける。「相手がなんだろうと構わん! 撃て! 撃ち尽くせ!」

 ドローン軍もその思いに呼応したのだろう。スマートグラスに投影された仮想画面が、掃射の激しい閃光で埋め尽くされ、真っ白になる。

 しかし、支配者への暴挙がいつまでも許されるはずはない。天が裂けるほどの暴怒に満ちた雷鳴が降り注ぎ、真妃の耳をつんざく。大渦の回転力がさらなる凶悪さを増した。周囲の暴風が激化の一途をたどる。

 制裁、もしくは天罰と呼ぶべきか。そのとき真妃の目は、突如として訪れた運命の瞬間に、釘付けになった。

 スーパーセルの雲底から、一本の糸状の渦が形成された。細く長く垂れ下がる。渦の勢いが増していくほどに、上方が太く、下方が細い円錐状へと変化していく。雲底からゆっくりと、そして急速に降りてくる姿は、まさに天罰の具現化としか言いようがない。誕生したのは死の化身、竜巻だった。槍の穂先のような渦の先端が、高度を下げ、標的のもとへと迫り来る。

 高度な機動性を持つはずの軍用ドローンたちであっても、大自然が振るう猛威の前では無力だった。それでも抗い、虚しく実弾を撒き散らしながら、一機、また一機と、次々に吸い寄せられ、巻き上げられる。脱出は不可能だった。邪悪に回転する、風の牢獄に囚われていく。

 真妃のスマートグラスから、引き裂かれるような電子音が聞こえてくる。それは断末魔の悲鳴に等しく、いたたまれない。

 高く、高く吸い上げられ、ついにはスーパーセルの内部に到達し、暗黒の空間に投げ出される。彼らのカメラが目の当たりにしたのは、何十本、何百本もの稲妻が交錯し入り乱れる、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 スーパーセルが、外側から内部へとエネルギーを集結させ、全身を震わせる。威力を底上げするための溜めの間か。瞬間的な、嵐の前の静けさがあった。放電の尾が無数に弧を描き、稲妻の咆哮があがる。逃げ場など存在しない。上下左右へと何千もの電光が走り、一気に放出された。落雷の集中砲火を受ける軍用ドローン。機体は焼け焦げ、溶け落ちる。小さな爆発がそこかしこで発生し、いくつもの瞬きを残す。黒雲はすべてを飲み込み、何事もなかったかのように強大な渦の回転を継続させていた。

 次々と消失するドローンたちの映像が、真妃のスマートグラスに映し出される。最後の一機の映像が途切れ、通信エラーの文字が五つ揃う。戦力の喪失、全滅を意味していた。

 スーパーセルの雲底が徐々に高度を下げていた。次に起こりうる展開は予想がついていた。最後のターゲットに近づきつつある。真妃に魔の手が迫っていた。

 屋上の中央で彼を迎え撃つ。武器は失ったが、もう悪あがきはしないと決めた。歯を食いしばり、拳を握り、戦闘態勢で上空を仰ぐ。残る気力のすべてを込めて、ありったけの冷徹な眼光を黒雲に向けてみせる。

 雲底の中心である大渦から、下降気流の風が屋上へと吹きつけていた。真妃の髪を荒々しくなびかせ、衣服を剥ぎ取る勢いで激しくばたつかせる。

 大渦がゆっくりと口を開き、おぞましき牙を剥き出しにした。真妃にはそう見えた。降り注ぐ気流が、次第に致死的な突風へと変化を遂げていく。

 決着のカウントダウンを行う。5、4、3、と脳内で数字を下降させる。真妃は拳を振り上げた。

 スーパーセルから審判の一撃が放たれた。猛烈に吹き下ろす風速と風量の、とてつもない衝撃波が頭上から襲いかかる。

 ひれ伏すように倒され、怒濤の風圧がコンクリートを叩きつける。一瞬、真妃の全身が宙に浮いた。四方八方へ爆風が拡散される。割れた床が砂塵と化す。押し潰され、流されるように、遠方へと吹き飛ばされる。

 屋上のフェンスに激突する寸前、刹那に思った。これが、ダウンバーストというやつか。

 敗北の痛みを受け入れず、あえて平静を装う。現実に戻ろうと試みるも、穏やかに意識が遠のいていく。まぶたが勝手に落ちた。

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