22 好転
九月の初旬、午前十一時。太陽がぎらつく晴天、残暑はまだ厳しい。リュックサックを背負った半袖Tシャツ姿の煌希は、例のごとく北東への道を歩いていた。
牢獄から出た囚人の気持ちがわかるような気がする。日光を満足に浴びるのは一ヶ月半ぶりだった。気分が向上するのと同時に、盛夏である八月すべてを自宅に引き籠もって満喫してしまったことに幻滅する。
煌希は五分ほど進んだところで足を止めた。あの女はどこで監視をしているのだろうか。例の廃工場に潜んでいる可能性もある。これ以上近づくのは危険かもしれない。
リュックサックから目出し帽を取り出す。怪しまれないよう、すかさず折り畳み、ポケットタオルのように見せ掛ける。そして、通行人の切れ間を狙った。
すでにマスコミで報道された以上、注目を浴びるのは避けられない。むしろ、素顔さえ隠せれば、一般人からの目撃は厭わなかった。必要なのは目出し帽を被るタイミングであり、離陸場所はどこでも構わないのだ。
通行人が途切れると、煌希は即座に目出し帽を被り、上空へ向かって飛び上がった。身体が大気を切り裂き、耳に轟音が鳴り響く。眼下の街並みの小さくなるさまが、段違いだ。一ヶ月半前の上昇速度とは比較にならない、予想を超えた高速度に感動さえ覚えるほどであった。
訓練の成果を存分に味わう前に、あっという間に上空二千メートルのわた雲を通過してしまった。煌希は物足りない気分を抑え、やむなく上昇を停止した。雲海の上は風が強く、かなり涼しい。リュックサックからマウンテンパーカーを取り出し、すぐさま着込んだ。
離陸時の人の切れ間に神経を集中していたため、上昇時間を計っていなかったが、体感的には倍以上の速度に達していた。長き苦行で手に入れた、劇的な成果と見事な成功体験。失いかけていた最大重量へのモチベーションが再燃していくのを、ふつふつと胸の奥に感じる。
煌希は天を仰ぎ、大きく伸びをした。渇望していた青の空間だ。久しい高高度の空気を存分に吸い込む。ゲーム世界の薬草のように、酷使した肉体が回復していくようだった。
腕時計Qショックの機能で方位を探る。方角を確認し、行き先に身体を向けた。
雲海は、滑走路という名の煌希専用グラウンドだ。
腰を落とす。前屈みに腕を伸ばして、陸上競技のクラウチングスタートの体勢をとる。用意。腰を上げる。ドン。全力前進だ。
信じられない速さだった。眼下の雲が前から後ろへと、滝のように激しく流れていく。身体が地平線へ急降下していると錯覚してしまうほどの衝撃があった。偶然にも追い風であったが、それを差し引いても想像を超えた速度だった。
直線コースではなくなるが、あえて雲の上を選んで進んだ。このさいたま市全域を一度に監視するのは不可能だ。推測としては、地上の部分は対象外。空に動く物体のみを対象にしているのではないだろうか。そう考えると、さっきの上昇で発見されたとしても、雲に身を隠せば、地上からはその姿を見失う可能性がある。行き先さえ察知されなければ、遭遇は回避できるのだ。
目的地上空に到着した。腕時計のストップウォッチのタイムを換算すると、時速六十二キロメートルだった。煌希は歓喜の雄叫びをあげながら、自分に拍手を送った。
最大重量百キロに打ち勝った暁には、驚異的な速度に達するに違いない。明日からの強化訓練へのやる気が満ち溢れていた。




