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19 降臨

 煌希は、着陸地である廃工場上空で静止していた。

 着陸はいつも冷や汗が出るほど緊張する。離陸とは正反対の環境だった。例えるなら、離陸は空へ逃げることであり、むしろ安全だ。着陸は地という敵陣に攻め込むことであり、そこには危険しか存在しない。

 先ほどの高揚の熱気が一気に抜け、爪先から冷気が脳天を駆けのぼった。またしても無謀を確信する。

 そうだ。着陸地が無人だと誰が決めたのだ。

 ここに立ち、目出し帽の魔力に洗脳されていたのでは、と後悔が募る。目撃のリスクが少ないと断定した離陸時とは状況が違っている可能性がある。

 住民が寝静まる夜間とは真逆の日中。老人がぶらりと立ち寄る、実は主婦の溜まり場になっている、なんてことも、あり得なくもない。

 では、どうするのか。

 思いつく最善策はひとつしかなかった。急降下で廃工場裏に降り立ち、即座に目出し帽とマウンテンパーカーをリュックサックに詰め込む。そして、なにくわぬ顔でその場を早急に立ち去る。

 上昇と違い、速度無制限の急降下であれば、目撃されたとしても人の目はごまかせる。人間の脳は、見間違いや気のせいと解釈する性質があるからだ。猛スピードはその認知の盲点を突ける。と、苦し紛れの言い訳を自分自身に言い聞かせた。

 意を決する。煌希は頭から下降し、急降下に身を転じた。猛烈な風圧が押し寄せる。マウンテンパーカーが引きちぎれんばかりに暴れまくる。地球の重力が強制的に加わることで、その速度は上昇とは桁違いのものになるのだ。

 大気を切り裂く轟音が耳に鳴り響く。視界に映る景色が急激に拡大し、向こうから差し迫ってくるような錯覚にとらわれる。

 頬筋が引きつった。これは怖すぎる。下手をしたら失禁してしまうかもしれない。

 体感時間、わずか十数秒。そろそろデッドラインか。急降下といってもそのまま着地するわけではない。激突死を避けるため、直前で減速をする必要がある。

 デッドラインを切ったと思われる高度で、煌希はすぐさま身体を上下反転し、頭を上方に戻した。全身の浮力を強上昇に切り替え、降下を急停止させる。空中にブレーキ痕を描くがごとく、豪快な減速が展開された。

 が、田畑を周囲に構える廃工場の屋上の景観が急拡大、ついには工場裏の地面が急接近する。速度が思うように相殺されない。これはやばい。

 急降下が落下と化す。悲鳴を漏らしながら、煌希は最後の強上昇を加えた。

 大怪我は意外と痛みを感じないものらしい。なにやら衝撃だけは感じていた。ドンと激突音を放ち、複雑骨折をしているであろう両脚を確認するべく、恐る恐る両目を開く。

 決まった。決まっていた。手足をぴんと伸ばし、体操競技の床のフィニッシュポーズを決めていた。華麗なる着地。どこからどう見ても十点満点なのではなかろうか。

 よしっとガッツポーズをとる。さすが僕だ。なにをやらしても上手くできてしまう。満面の笑みに頬筋が緩む。って、こんなことをしている場合じゃなかった。無傷の着陸成功は喜ばしいことだが、すぐさま退散しなければ。

 周囲を見回す。杞憂した反面、おおかたの予想通り、廃工場に人がいるはずもなかった。自然と安堵の吐息が漏れる。

 リュックサックを肩から外し、顔の目出し帽に手をかける。

 そのときだった。なにかが土を踏む音がした。煌希は慌てて目出し帽から手を離し、リュックサックを背負った。心拍が爆速する。戦慄が全身を硬直させた。

 耳を澄ます。音はしないが、異様な気配を感じる。なにかが、そこにいる。

 一瞬の迷いが生じる。空へ逃げるべきか、それとも、装備を外して澄まし顔で立ち去るべきか。

 ふたつの選択肢が脳裏を駆け巡ったその瞬間、工場外壁の角から白い物体が飛び出しててきた。

 煌希は仰天し、無意識に宙に浮きあがった。

 シャーと唸るその物体。それは、白猫だった。猫のほうも煌希の姿に仰天し、体毛を逆立て鬼の形相で威嚇している。

「なんだ……猫か……。驚かせんなよ」煌希は宙にへたり込んだ。これが腰を抜かすという状態なのだろう。もう少しで本当に失禁するところだった。

 自分の姿を鼻で笑ったそのとき、外壁の角からもう一匹の猫が現れた。それも、特大の白猫が……。

「対象を確認」そこには黒いゴーグルを装着した、紺色のスーツ姿の女が立っていた。黒髪でストレートのセミロング、線の細いしなやかな肢体。その声質からしても若い女だった。ゴーグルのレンズは漆黒で、その素顔はわからないが、頬と首からのぞく肌の色は異常なほどに白かった。

 煌希は反射的に宙で立ちあがった。驚愕と恐怖で頭がパニックになる。

 女は真っ白な右の人差し指をゴーグルの横側に添えると、なにやらボタンのようなものを押した。ゴーグル型のなにかの装置か。黒いレンズの中心で小さな青い光が点滅を開始する。

 女の白い肌のなかで、ひときわ映える赤い唇が動く。「身長165センチ。体型は細身。性別は男」

 ここは逃げるしかない。そう思うものの、身体が硬直して動けない。煌希の全身がぶるぶると(おのの)きだした。

「どんな仕掛けで浮遊しているのか謎だったけれど、ジェットパックの類いではないようね。我が組織が初めて接触する浮遊型個体。これは驚きだわ」女は微笑を浮かべ、今度は左の指で装置の反対側のボタンを押した。レンズの中心で赤い光が点滅する。「マスクで顔を隠しても無駄。簡単にスキャンできる」

 ゴーグルの赤い光が、煌希の視線と重なる。

 女が短く笑った。「あら、碧眼なのね。ふふ、非常に興味深いわ」

 声を聞かれてはまずい、と瞬時に思うも、時すでに遅し。煌希は思わず叫んでしまった。「お前は何者なんだ!」

「それはこっちの台詞。と、言いたいところだけど、まあいいわ。私は、とある研究組織の一員。この世のすべてが研究対象。それが飛び抜けたものならなおさらよ」

 ゴーグルの赤い点滅が、煌希の全身を這い回っている。

「研究対象って、僕のことなのか。どうして……。僕は普通の人間なんだぞ」

「普通の人間、か………。あなた自身は本当にそう思っているの?」

 煌希はしばし沈黙した。普通でないのは、誰の目にも明らかだ。「なんの権利があってそんなことを……」

「権利? 人類を代表して私が言うわ」女は語気を強め、断言した。「人間もどきのアンノウンに、権利はない」

 煌希は宙を後退りした。この女は、危険だ。

 女がゆっくりと右腕を伸ばし、煌希を指差した。「人類の脅威であるのか否か。その存在にメスが入るのは避けられないわ。といっても、今日の任務は対象の存在確認だけ。データは充分取れた」

 女は素顔をのぞかせないだけに、異様な不気味さがあった。

「それに……いまあなたに襲われたら勝てないもの。私はか弱い女なのよ」女の薔薇のような唇が、冷笑を浮かばせる。「準備が整い次第、また会いにくるわ。次の任務は、あなたの捕獲よ」


 その言葉が、煌希の脳裏に延々と反響する。

 

 次の任務は、あなたの捕獲よ。

 あなたの捕獲よ。

 捕獲よ。

 捕獲。


 ――『捕獲』


 煌希の視界がぐらぐらと揺れ、暗転した。思考の回路がショートを起こす。


 そうか、これは夢だったんだ。そう、はじめから悪い夢。こんなことが現実に起こるわけない。

 ほっとため息をつき、胸を撫で下ろす。

 本当に、夢で良かった。

 

 明日という希望の階段にヒビが入り、そして崩れ落ちた。




 びゅう、と風の音がした。かなり強い。風に身体を押され、回転しながら流されていくのがわかる。

 煌希は耳をふさぎ、身体を丸めた。断続的にやってくる睡魔に抗う術もなく、二度寝、三度寝と惰眠を重ねる。


 気がつくと、夜の上空をひとりふわふわと漂っていた。

 ぐう、と腹が鳴った。腹を抱えて、また丸くなる。ぼんやりと鈍く巡りだす思考が、唯一の答えを導きだした。その言葉はただひとつ。すぎ家の牛丼が食べたい。

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