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18 効果

 全身の細胞が痙攣を起こしている。浮力を生みだす核が刺激され、真っ赤に膨れあがる。過負荷を受けたことによる、その絶叫にも似たざわめきが聴覚に伝わってくるようだった。

 紛れもなく、肉体が反応している。その先には強化に至った自分が待っている。煌希のなかで疑念は確信へと変わっていた。

 重量二十キロのバーベルを使った強化訓練を始めてから一週間が過ぎた。例の動画の一件以来、飛行はしていない。外出は地上歩行での買い出しのときだけだった。

 対策には時間を要した。事は慎重に運ばねばならない。

 そして今日、アマドンから待望の荷物が届いた。段ボール箱を開け、手に取り掲げる。

 強盗御用達の目出し帽。両目と口の三箇所の部分に穴があいている、ニット製の黒いフルフェイスマスクだ。これを被れば完全に素顔を隠せる。紫外線対策としても効果抜群と思われ、始めから使用しておくべきだったと後悔するほどのものだった。

 煌希はさっそく目出し帽を被った。伸縮性のあるニットであり、顔に密着しフィットする。洋室にふわりと移動し、姿見にその姿を映した。

 はい、完全に強盗です。かっこいいとは思ってなかったが、想像以上に酷いありさまだった。警官に見られでもしたら、即逮捕だ。煌希は別の意味で危険を感じた。

 それから、日課である浮力強化訓練を始めた。昇降運動の速度も上がり、なによりも天井まで上昇が可能になったのである。

 タオルで汗を拭き、再び姿見の前に立つ。もともと貧弱な体つきだった自分の腹筋が割れている。胸、上腕にも明らかに筋肉がつき始めていた。

 両肩を広げ、胸を迫り上げてボディビルダーのポーズをとる。「細マッチョ!」

 テンションが上がる。煌希は勢いついでに、先ほどの目出し帽を持ち出して被った。そして再び、ボディビルダーのポーズをとる。

 ミラーには、ただの変態が映っていた。

 正午になり昼食を終えると、煌希は外出用の着替えを始めた。リュックサックにマウンテンパーカー、マグボトル、タオル、最後に目出し帽を詰める。左手首には高機能新型腕時計Qショックを巻いた。

 明日からの強化訓練は、バーベル重量を四十キロに格上げすることを決定した。今日はその重量二十キロ卒業記念とし、現時点での飛行速度を測定する計画である。

 午後一時になった。梅雨であるのを微塵も感じさせないほど、空は晴れ渡っている。まるで自分を祝福しているようだった。心身ともに絶好調。煌希は、颯爽と歩きだした。

 一週間の強化訓練は飛行以外にも影響を与えた。いままでのおぼつかなかった地上歩行。ロボットのような歩き方であり、通り過ぎる人々は振り返り、奇異な目で煌希を見つめていた。

 それが一週間のときを経て払拭された。見よ、この滑らかな歩き方を。見た目にはほとんど違和感はない。浮力の微細な操作が上達したのだ。それに伴い、浮上欲求にも耐性がつき始め、連続歩行時間は以前の十五分間から三十分間に引き上げられた。充分な成果といえる。これは煌希にとって、常人に近づく希望の光でもあった。

 いつも通り、商店街の反対である北東へ向かう。過去四回の日中飛行は、人目を避ける安全対策として、一時間ほど進んだ先の田園地帯から離陸をしていた。

 しかし、今回は違う。自宅アパートから一キロメートルの場所だ。煌希は歩みを止めると、スマホをいじるふりをして、通行人が過ぎるのを待った。

 一瞬の人の切れ間を狙い、素早く鉄製のスライド式門扉を開け、中に侵入する。敷地の奥には、二階建ての建物があった。初めての夜間飛行で離着陸をおこなった廃工場だ。

 煌希は足早に敷地を抜け、工場の裏手へ回り込んだ。工場裏のフェンス先には、小規模ながら畑が広がっており、周囲の民家から少し離れている。

 ふわりと地を離れ、宙に浮きあがる。日中であっても、ここなら人目につかないはずだ。リュックサックからマウンテンパーカーと目出し帽を取り出して身に着ける。

 最悪、再び目撃されたとしても、目出し帽で完全に素顔を隠している。強化訓練によってもたらされた自信も、今回の決定に後押しをした。そう、自宅アパートから一キロメートル離れていれば充分だったのだ。

とはいえ、いつまでものんびりとしている時間はない。絶対は絶対にない。一刻も早く離陸すべきである。

 宙で軽く柔軟体操をする。どのような結果が出るか、非常に期待が高まる。深呼吸をし、遥か上空を仰ぐ。

 目指すは高度二千メートル。浮力を一気に高め、煌希は全力で上空へ飛び上がった。

 全身が風を切る。いままでよりも速い。格段に速度が上がっている。眼下の街並みが、以前の倍以上の速度で小さくなっていく。気分は爽快だった。

 ひたすら上昇に意識を集中する。積雲がぐんぐん近づいてくる。やがて、腕時計Qショックの高度表示が二千を示した。煌希は上昇を停止すると同時に、腕時計のストップウォッチを止めた。眼下には、雄大な波打つ雲海が広がっている。今日の上空の風は比較的弱めで、飛行速度計測には絶好の条件だった。

 到達タイムは八分四十秒。前回は、およそ二十分だった。驚異の記録更新だ。速度換算すると、時速十四キロメートル。数字として見ればいまいちだが、強化第一弾としては満足な成果だろう。

 煌希はマウンテンパーカーのポケットチャックを開けて、スマホを取り出した。電波は圏外になっている。上空は電波が届かないという事実を認知するも、今回の目的は通話でもネットでもなかった。

 地図アプリを起動する。GPS機能で現在地が丸印で示された。本当の現在位置が、丸印の直上二千メートル先であることに、スマホ自身は気づいているのだろうか。

 現在地から西へ直線九キロメートル。目指すは隣町、大宮駅上空。高度二千メートルで、この区間にかかる飛行時間を計測し、時速を割り出すのである。体感的には、上昇より前進飛行の方が速度は上と予想している。

 煌希は身体を水平にすると、腕時計の方位機能で目的地への正確な方向を定めた。重量二十キロのバーベル強化訓練の成果をとくと見せてもらおう。

 ストップウォッチのスタートを合図に、煌希は西の方角へ勢いよく滑り出した。

 雲海の滑走路を走る。両手を広げ、風の匂いを全身で感じた。彼方の地平線から新しい景色が次々に流れ込んでくる。飽きることのないその光景に、ただ見惚れる。

 しばらくすると、どこからか笑い声が聞こえてきた。耳を澄ませ、その発声位置を特定する。さらに笑いが大きくなった。自分の笑い声だった。

 不思議な気分が内面に溢れている。あれほど憎んでいたこの肉体を、いまはすっかり受け入れてしまっている。むしろ、子供のように楽しんでさえいる。たのしくて(たの)しくて仕方がない。

 もちろん、謎は多く残されている。というより、ひとつも答えに辿り着いていない。得体の知れない自分の正体を世間から隠し、人目を避ける生活は、これからも延々と続くのだろう。

 空は自分の独壇場だ。誰にも入り込めない聖域である。それはただの現実逃避だ、と皆は罵るかもしれない。でも、空の存在が臆病だった自分の心に強い変化をもたらしたのは、紛れもない事実だった。

 やがて、大宮駅上空に到達した。タイムは二十八分だった。換算すると、時速十九キロメートルになる。上昇と同様、数字的に見ると低速かもしれないが、第一段階の強化は大成功といえた。上昇と前進の速度差は、スタート位置の高度の問題なのかもしれない。気圧からみても、大地よりも上空の方が有利なのだろう。

 あまりの心地良い疲労と満足感からか、眠気が催してきた。煌希は身体を仰向けにすると、大宮駅上空で昼寝休憩に入った。テントが設営できれば、ここに住みたいぐらいだった。

 上空にいながらにして、上空の夢を見る。空腹の目覚ましが鳴り、目を覚ますと、十六時が過ぎていた。二時間近く寝ていたことになる。いずれにしても、ちょうどいい帰宅時間といえた。

 帰路も快適だった。飛べば飛ぶほど速くなっているのが体感としてわかる。時速百キロメートルも夢ではないのかもしれない。期待と興奮で、明日からの強化訓練が待ちきれなかった。

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