第6話 やっちゃった!? 推しの監禁、完了です♡
──優雅な午後だった。
薄紅のバラが咲き誇る庭園の一角。金糸を織り込んだテーブルクロス、上品に並べられた銀食器。
音楽隊が奏でる旋律が、緩やかな風に乗って空へと溶けていく。
その中心に、ロカルド・ターラント公爵と、子爵家の令嬢・エミリア・ヴァーゼルが並んで座していた。
エミリアは理知的な美しさを備えた女性だった。無駄な感情の起伏を見せることなく、言葉の節々に知性と矜持を感じさせる。
貴族の娘として、申し分のない淑女──まさに、政略結婚の相手にふさわしい。
「ターラント公爵。お時間を割いていただき、光栄ですわ」
「こちらこそ。お招きにあずかり、感謝いたします。ヴァーゼル令嬢」
形式的な挨拶を交わしながらも、ロカルドの意識は別のところにあった。
──視線。
芝生の向こう、木陰の柱の影。
そこに、金の髪を風に揺らしながら、こちらを見つめている女の姿がある。
(……また、見ているのか)
その視線は、まるで肌に貼りつくかのようだった。
温度を持たぬのに、焼けつくような熱。微笑みを浮かべるでもなく、ただ、じっと──
ロカルドは意識的に呼吸を整える。
そして、わざと芝生を一歩進み、エミリアの前に膝をついた。
「ヴァーゼル令嬢」
「……はい?」
エミリアが目を見張る。周囲の貴族たちも一斉にざわめいた。
ロカルドはその白い手を取り、貴族の作法に則り、手の甲にそっと口づける。
「──指輪が完成しだい、正式に婚約の申し込みをいたします」
そして、一拍置き、彼は低く、抑えた声で続けた。
「……この身の貞操と名誉を、あなたに誓うことを含めて、であります」
それは、この場にいた誰もが理解できる、“貞節”の誓いだった。
ロカルドは静かに立ち上がり、礼を取る。
「どうか──ご一考いただければ、幸いです」
それを見届けたヒューナレラの胸には、何かが突き刺さった。
けれどロカルドは、一切の感情をその瞳に浮かべることなく、ただ完璧な公爵の顔で席を後にする。
──そして、帰路。
馬車には乗らず、屋敷の裏道をゆっくりと歩いていた彼の身体に、ふと異変が生じた。
「……っ……?」
胸が妙にざわつく。足元がふらついた。
視界が、ぐらりと揺れる。
何か、喉元まで上ってきた言葉があったはずなのに、それすら形にならない。
鼓動が、遠ざかっていく。
「……な、ぜ……っ」
最後に見たのは、空の蒼。
まるで深紅の瞳を照らすためだけに設えられた、晴れすぎた午後の空だった。
ロカルド・ターラントの意識は、そこでぷつりと断ち切られた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ビースト侯爵家が山奥にひっそり構える、知る人ぞ知る隠れ家――
その一室には、この時代では決して見かけぬ“異質”が詰まっていた。
冷房魔道具(※通称:エアコン)、氷庫付き食料保存箱(※冷蔵庫)、背中まで揉み上げる魔動椅子(※マッサージチェア)、筋肉の神に捧ぐ謎の運動器具たち、さらにはジャグジー付きのバスタブに、自動でお湯の出るシャワー。美容院のような洗髪用の椅子に、ふっかふかの大判タオル。極めつけは、ロカルド・ターラント専用に仕立てた衣服一式が、サイズも完璧にそろっている。
この“異文明の集大成”とも言える部屋の、ど真ん中。
ふかふかのベッドの上で、あの完璧貴族・ロカルド公爵がぐっすりと眠っていた。
「ど、どうしよう……!! やっちゃった……やっちゃったぁぁぁぁ!!」
額に汗を浮かべ、部屋の中を右往左往するのは、ビースト侯爵令嬢・ヒューナレラ。
崩れた巻き髪と、うろたえる様子が、どう見ても“犯行直後”のそれである。
そんな彼女の横で、筋肉と褐色がまぶしい白髪の男――闇の情報屋であり、裏社会に通じた暗殺ギルド所属のラカンが、呆れたようにため息をつく。
「……知るか。俺まで捕まったらどうすんだ。お前ひとりで尻拭いしろ。俺はもう逃げる」
「ま、待ってぇぇぇ!! 置いて行かないでラカン!! お願い、今だけ!今だけでいいからっ!!」
ヒューナは彼のマントの裾を掴んで引き留める。ラカンは舌打ちしつつ、懐から何かを取り出した。
「……だったらこれでも使って監視しておけ。便利だぞ」
差し出されたのは、黒い金属製の腕輪だった。
「なにこれ?」
「奴隷用の魔道具、《隷属の腕輪》だ」
そう言うと、ラカンは寝ているロカルドの左腕に容赦なく腕輪をはめる。カチッと音がして、魔法陣が浮かび上がった。
「……って、ちょっと!? なに勝手につけてんの!?」
「ここに血を垂らせ。使うには契約者の血が要る」
「えっ、嫌っ……! 痛いのヤだ!!」
言い終えるより早く、ラカンは鋭利な針でヒューナの指をチクリ。
「ひっ……!! この人でなし!!!」
ぽたりと落ちた血が腕輪に染み込むと、光が弾けるように駆け巡った。
「な、何したの……!?」
「さっきも言っただろ。命令すれば、絶対に逆らえない。たとえば……そうだな。『この部屋から出てはいけない』って命令してみろ」
「……こ、この部屋から……出てはいけませんっ!」
――ピコンッ。
軽やかな音とともに、腕輪の魔石が光を放った。
「って、ちょっとぉぉぉ!? 本当に反応したじゃないのぉぉ!!」
「はい、成功っと。じゃ、俺はこれにて脱出させてもらう」
ラカンは開けておいた窓から、ひらりと軽やかに飛び降りる。
「ちょっ、こら! 待ちなさいよラカンーッ!!」
「いいからロカルドを脱水症状にさせるなよ!」
ぴしゃん、と窓が閉まり、部屋には再びヒューナと、眠り続けるロカルドだけが残された。
「……えっ、私……ほんとに……やっちゃった……のね……?」
ふるふると震える手で額を押さえ、ヒューナレラは震え声で呟く。
――推しを、ガチで監禁した。
その現実が、ようやく心に落ちてきた瞬間だった。