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第11話 あなたの暮らし、今日も快適に

 ──翌朝。


 ロカルド・ターラントは、ふかふかのベッドに身を沈めたまま、呆然と天井を見上げていた。


 (……眠ってしまった)


 羽毛のように軽い掛け布団。吸い込まれるような弾力の枕。室温は一分の狂いもなく快適で、肌寒くもなく、蒸し暑くもない。

 そして、そこに身を預けていたロカルド自身が、完全に熟睡していた。


 (なんなんだ、この心地よさは……。布団も枕も、すべてが完璧に整っている。温度と湿度、すべてが最適……。ベッドから出たくなくなる……)


 いつぶりだろうか、こんなにも深く眠ったのは。

 彼はターラント公爵家の嫡男。常に命を狙われ、寝室であろうとも完全な安心など得られない。

 刺突防御のために重く分厚い寝具を用い、寝返りをうつたびに浅く目覚めるのが常だった。


 (……敵意が、ないのだ。この空間には。いや──代わりに、異様な執着が満ちている)


 そのとき、ベッドの縁から、ぬっ……と桃色の瞳が現れた。


「お目覚めですか? ロカルド様♡」


 「……チッ……」


 朝から重低音の溜息をついたロカルドは、ゆっくりと起き上がる。


 「ロカルド様、朝食の前に軽い運動をなさいますよね? こちらに、お着替えをご用意しておりますわ♡」


 美しくたたまれた服が手渡される。


 (……抵抗したところで、命令されてまた昨夜の歯磨きのような屈辱が待っているだけだ)


 ロカルドは無言で服を受け取った。


「では、朝食の準備をしておりますので、お着替えが終わりましたらお声かけくださいませ♡」


 エプロン姿のヒューナレラは、得意げに足音を立てながらキッチンへと戻っていく。


 (……そして、この徹底された配慮。忌々しいほどに完璧だ)


 ロカルドは、服を手に取り着替えを始めた。


 肌に吸い付くような軽い生地、ゆとりある裁断。

 あきらかに運動性を重視して仕立てられた服は、彼が普段着ている貴族用の礼装よりもはるかに快適だった。


 (……動きやすい。……だが、これも私のために、というのか?)


「……おい、終わったぞ」


 その声に、ヒューナレラは食器を洗っていた手を止めた。

 丁寧に手を洗い、清潔な布で拭き取ると、彼女は軽やかに、パタパタとロカルドの元へ駆け寄ってきた。


「まぁ♡ お似合いですわね、ロカルド様!」


 ──推し監禁2日目の朝が、幕を開けた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


部屋の奥に隣接する扉を、ヒューナレラが優雅に押し開いた。


「ロカルド様、こちらですわ♡」


 ロカルドがその後を歩むと、目の前に広がったのは──異様な空間だった。


金属製の台に、奇妙な形をしたレバーとベルトが巻き付けられた装置。壁には丸い車輪がついた機械、そして鉄棒のようなものまで並び、まるでどこかの軍の訓練施設のようでもあり……異文明の実験場のようでもあった。


「こちらの機械はですね、このように使いますの」


 ヒューナレラはスカートの裾を優雅に押さえながら、器用に台の上へと乗った。


「このベルトに足を乗せて、ボタンを押すと……」


 カチッという音とともに、台がぐぅん……と動き出す。ベルトが回転し、彼女の足を前へ前へと進ませる仕組みだった。


「スピード調整はこちらのボタン、そして停止はこちらですわ♡ 止まるときは、ゆっくりと減速しますのでご安心くださいね」


 実演を終えると、彼女は軽やかに台を降りて、ロカルドの方へ向き直った。


「ぜひ、お試しくださいませ」


(なん……だと?)


 ロカルドは一歩、また一歩と台に近づく。無言で足を乗せ、ボタンを押すと──

 ぐぅん、と足元が勝手に動き出し、思わずバランスを取り直す。


「うっ……」


 予想以上に滑らかな動きだった。だが、それ以上に──


(これは、もはや兵士の鍛錬器具などではない。技術の怪物だ……)


 驚かないと決めていたはずなのに。

 ロカルドの理性は、またしても試されていた。


「他にも、こちらの器具は腕の筋肉を強化するものでして──あっ、説明書はすべての機械に付属しておりますわ。写真つきでございますので、ご自由にお読みください♡」


 その後も一通りの説明が続き、しばらくして。


 ──ロカルドは、軽やかに走っていた。


(床が勝手に動くだと……? どうなっている。この技術は……)


 すでに彼の身体は、器具の動きに順応しつつあった。

 さすがはターラント家の現公爵。身体能力も、順応力も高い。


(ビースト侯爵家。王族の寵愛を受ける謎多き家門。かつて一度だけ訪問したが……こんなからくりは、存在しなかった)


 思考が加速する。汗がにじむ額に、冷たい空調の風が心地よく流れる。


(あやつが逸脱しているのか? だとすれば、私はその異常性にばかり目を奪われ──この莫大な技術と利益を、手放そうとしている?)


 だが──


(……いや。冷静になれ。私を“監禁”している時点で、これは公爵拉致監禁罪。加えて、隷属の腕輪の使用。すべて違法。完全な犯罪者だ。……だが……)


 もし、これが“遊戯”として処理されれば?

 ロカルドが「冗談だった」と一言述べれば──この異常空間も、すべてが無罪放免となる。


(……だめだ。惑わされるな、私はターラント家の……)


 一方その頃。


 ヒューナレラ・ビーストは、キッチンで卵を割っていた。


(ロカルド様って……意外と中身は少年のようなお方なのよね)


 くるりと鍋を揺らして、綺麗な黄金色の卵焼きが形を整えていく。


(昨日の様子からして、チョコレートケーキは大好き。ジュースも炭酸が初体験だった割には2口目を自ら飲まれてたし……子供が好きそうな味、意外と好きなのかしら。でも、それだと栄養が偏ってしまうわね……)


 彼女はふとため息をついた。


(ああ……栄養士の資格も、前世でとっておくべきだったわね)


 ──そう。彼女には、確かな“前世”の記憶があった。


 日本の某大手家電・生活用品メーカーに勤めていた。

 開発戦略室のプロジェクトマネージャーとして、最新機器の設計図や製品化工程を熟知していた。


 そんな彼女が転生して手にしたチート能力──それは「一度見たものをすべて記憶できる」こと。


 つまり、彼女の頭の中には、現代文明の知識・構造・設計図・使用法がすべて収められている。


 とはいえ──


(……前世では、ほとんど外食かコンビニだったし。家でまともに料理した記憶なんて、皆無。でも……ロカルド様のために甘いものだけは、ずっと作ってきたんだもの。なんとか──なる、はず)


 そう自分に言い聞かせながら、鍋の中でことこと煮えるスープを木べらでかき混ぜていると──


「おい、終わったぞ」


 低く響いたその声に、ヒューナレラは振り返る。


 運動を終えたばかりのロカルドが、ゆるく汗を滲ませたシャツの裾で、額をぬぐいながら部屋へ戻ってきた。


 そのとき──


 ちらり、とシャツの隙間から覗いた肌。


 しなやかで、無駄なく引き締まった、軍人のような肉体。


(ッ……っぶぅっ!!!?)


 鼻血寸前。


 寸止めで堪えたヒューナレラは、慌てて振り返り、鍋に顔を突っ込まんばかりの勢いで湯気を浴びた。


(ちょ……ちょちょちょちょっと今のは無理っ……反則すぎるっ……! 汗っ!腹筋っ!色気っ!殺しにきてるでしょ!?)


 震える声をどうにか整えながら、笑顔を浮かべる。


「お疲れ様でございます♡ 軽くシャワーを浴びられますか?」


「ああ。そうさせてもらう」


 ロカルドは短く返し、無言のまま脱衣所へ向かっていく。その背中が、まるで彫刻のように整っていて──


 パタン、と浴室の扉が閉まる音を確認した瞬間、ヒューナレラは駆け出した。


 準備しておいた清潔な下着、柔らかな肌触りのカッターシャツ、そしてぴしっと折り目を揃えた黒のズボン──それらを丁寧にたたみ、脱衣所の指定位置へぴったりとセットする。


(ふ、夫婦生活してるみたい……っ!!)


 思わず両頬を挟み込んで、ぶんぶんと首を振る。


(ちがうちがうちがう!これはただの監禁生活!!あくまで私は異常なストーカーで、推しの暮らしを快適にするための異常者っ!!でも……!)


 浴室の奥から聞こえるシャワーの音に、心臓がバクバクと跳ねる。


(……これが夢なら、ずっと醒めなければいいのに)


 そう思いながらも、ヒューナレラはふと小さく、微笑んだ。


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