宵闇の桜
起きたと思ったら、寝かせられ、見事に夢見の悪いまま数時間寝続けた。
ああ、また、地獄が始まるのか。夢の中のあの人の思考が嫌という程自分に馴染んでいるのが分かる。僕に似たあの人の。境遇か、それとも顔か思考か、それとも全てか。あの日のどこかに、自分と通ずるものを認識してしまった。
雪都に連れてこられるまで、自分が誰で、今まで何をして、どこでどうやって過ごしていたのかすら分からなかった。まぁ今でも名前くらいしか分からないんだけど。
起き上がってみると、呼吸音ひとつ聞こえないが、雪都が寝ていた。肩が微妙に上下しているから生きてはいるのだろう。
(足の鎖を外して、どうにか外に出られないだろうか。)そんな思考がばれたのか何なのか、静かにカーテンに手を伸ばす時、雪都がもぞもぞと動き出し、起きてきた。
びっくりして、伸ばした手をそのままに雪都の方を見た。
眠い目を擦る雪都が、俺の延ばした手に気付き、その手を己へ引っ張るまでに、大した時間はいらなかった。
「どうしたの、さくら。キスでもしたくなっちゃった?」
なんとなく、何をしようとしていたか見透かされている気がするが、何も言わないということは、まぁ現時点では許されたということかな。なんて、単純に雪都の機嫌がいいだけかもだけど。
「___________もし本当にキスしたら、何をしてくれるの?」
手を目の前の彼の頬へ置き、親指で唇をなぞる。雪都の機嫌の良さにあやかって、悪戯を仕掛けるぐらいには、空っぽの自分に度胸が残っていた事に、他人事のように驚きながらも、目線だけは外さない。
いつもより大きく見開かれた綺麗な灰色の中に、薄らと自分が反射して見えた。
薄い銀色の虹彩を見て、「綺麗だね」なんて呟いたら、バランスよく筋肉のついた腕に引かれそのまま僕の鼻と雪都の唇がぶつかった。普通に痛い。
「痛っ…なにす、」
「っふ…いや別に、なんか凄い見てくるなーって思って、」
鼻を抑える僕を見ながら、謝る素振りすらない雪都は、周りに花を散らせていそうな雰囲気をだしながら笑っていた。
ちゅ
わざとらしくリップ音をたてて雪都の唇にキスをする。
瞳が零れ落ちそうな程に目を見開いていて、それを見ながら僕は、なんか今日は雪都の知らない表情がいっぱい見れそうだなとか考えていた。
その時僕がどんな顔をしてたかなんて鏡がないからわかんないけど、少なくとも僕のその時の表情が、雪都の何かのスイッチを入れるきっかけになってしまったことは確かだ。
「やっとやる気になってくれた?」
何か含みのありそうな、一度 ある と言えば、彼のしたいこと全てをさせられてしまいそうな、それこそ詐欺なんじゃないかと思うほど。凄く綺麗な笑顔で、こちらを見てくる。
「なってない」
怖くなったか、と言われればそれはそうなのだが。それよりも、これ以上雪都の思い通りにはなったりしないぞという意思が思ったより強く出たように思う。
「ふーん」
俺の考えが透けているのかいないのか、面白くない といった表情でベッドの外へ降りた。
「ま、その気になったら言って。いつでも、喜んで相手するよ。じゃ、ご飯持ってくるから」
「あ、うん」
こちらの反応を気にもせず、仕切りを閉め、ドアの外側へ出て行った。
揺れる仕切りの奥に見える壁は、記憶にある色よりも、なんだか褪せているような、そんな気がした。




