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都の推理 2

 今まで『犯人』とだけ言っていた人物に、はっきりとした固有名詞が与えられるというのは、なかなかに衝撃の大きいものだったらしい。しーんと気味の悪い沈黙が降り立った。


「藤原くんが、犯人……」


 そう呟き、ユキはじっと視線を落としてテーブルを見つめていた。

 そして意外なことに、マチもショックを受けていた。しかし、ユキほどではない。わたしに話しかける気力は残っていた。


「藤原くんが犯人か……。かなり意外だなぁ。あたし、一年のとき同じクラスだったけど、とってもいい人だったのに……」


 そうなんだ、としか言えない。


 わたしは冷や水を浴びせられたような気分になっていた。頭の中が急激に冷えていくのが分かる。いくら推測の域を出ないとはいえ、わたしは藤原正則という人物に『犯人』という捺印を押してしまったのだ。マチは予想外だったとはいえ、少なくともユキは犯人の顔見知りであることは知っていたのに。これでは、ふたりに藤原くんに対する変な先入観を与えてしまう。そんなこと、話す前にも、話している最中にも予想できたはずだ。推理がヒートアップしてしまい、そこまで頭が回らなくなっていたのだ。


 この話はやっぱりここで終りにしようか、なんてことも思ったとき、ユキが顔を上げた。


「ミヤ、続けて。まだ推理は残っているんでしょう?」


 表情が、元のポーカーフェイスに戻っている。


「うん、一応……。でも、マチは大丈夫なの?」

「うん、おっけー」


 右手の親指と人さし指でマルを作りながら、頷いてきた。

 本当にいいのかな………。もし、藤原くんが犯人ではなかったことを考えると……。わたしは、かなり無責任な話をしていることになる。

 そんな思いをマチに見透かされた。


「ミヤ、藤原くんにめいわくがかかるって思ってるでしょ?」

「……うん」

「やっぱり。分かるんだよー、これだけ長いあいだ一緒にいると」

「ユキも?」

「もちろん。藤原くんが犯人だという確かな確信もないままこんな話をするのは無責任だ、とか思ってるんじゃない?」


 図星をつかれ、苦笑する。ここまで分かるものなのか。


「でもね、ミヤ。あたし、こんなところで話を切られたらかえって逆効果だと思う。ますます、藤原くんを変な目で見るようになるわ」

「あたしも。なんか、藤原くんの前では挙動不審になりそー」


 ふたりの言葉に頷く。

 もっともだ。こんな気持ちの悪い終り方をしたら、お互いにとってよくない。まだ若干の不安が残るけど、もう、最後まで言ってしまおう。


「分かった。最後まで話すね。

 まず、次に出てくる謎は、どうして藤原くんは『なんちゃって盗難事件』を起こしたのか。彼は一体どんなメリットを欲したのか。これは、この事件が起きることによって生じた出来事を考えれば片がつく。マチ、なにが起こった?」


 えーと、と言って額に人さし指を当てながら、マチが言った。


「あー……、あたしとユキが帰るのがとっても遅れた」

「そうだね。それが一番大きい。ふたりはその日、なにか急ぎの用事とかはあった?」


 首を横に振る。


「そっか。まあ、もしかしたらふたりをどうしても早く帰らせたくなかった理由があるのかもしれないけど、わたしは別の考えを持ってる。

 この事件で、ふたりの帰宅時間が遅れる以外にもうひとつ、ある出来事が生じている。わたしは、それが『本命』だと思う」


 教室で鞄を探したが見つからなかったふたりは、地学講義室に向かった。そして……。


「この事件が起こったために、外村先生はある作業を中断せざるを得なくなった。ふたりが来るまで地学準備室の自分の机の上でやっていた作業。それを中断し、地学講義室をあとにしたのよ。藤原くんは、その状況を作りたかった。どうしても、その作業を中断してほしかった」


 見ると、ユキは大体察しがついたのだろう。少しだけ眉をひそめた。


「その作業とは……、調査書の作成」


 三年生になり、受験が近づくと、どうしてもそれが必要になってくる。


 調査書。それは、推薦入試に必要な大事な資料だ。その生徒の普段の生活態度や美点を担任が書き上げ、推薦書や志願理由書などとともに大学に発送する。しかしこの書類のやっかいなところは、生徒に見せてはいけないというところだ。担任はそれを書き上げても生徒には見せず、受け取った他の必要な資料とともに、郵便局に持っていく。受験の重圧がのしかかっているこの時期、自分の調査書の内容が気にならない生徒が果たしてどの程度いるか……。


「推薦受験は人気校なら倍率は一般受験より数段高い。もし、自分の学力より上の大学を狙っている人なら。もし、推薦受験に賭けている人なら……。行動力が伴うかどうかは別として、見たいと思うのはみんな一緒じゃないかな」


 だから、藤原くんはユキの鞄を隠した。彼は『行動力が伴っている』人だったのだ。


「それに、覚えてる? 園芸部の部室がどこか」


 ふたりがかぶりをふる。


「地学室よ。地学準備室のすぐ隣」


 ユキや外村先生がどういった行動をとるのかを見張る、ベストポジション。

 園芸部員のOBである彼なら、園芸部の花壇にいたっておかしくない。そして、部室にいてもおかしくない。よう、お前ら、部活頑張ってるか? 久しぶりに見に来たぞ!


「と言っても、藤原くんが本当に推薦を出したのかは分からないんだけど……」


 それが目下のところの問題だ。

 しかしそれは、ユキがあっさり解決した。


「出してるわ、明応大に。校内推薦も通ってる。先生が昨日のホームルームで言ってたの。学校から一人しか選ばれないのに、二十人近く希望者がいたって。その中から通るなんてすごいなって。

 それから、うちのクラスで校内推薦に通ったのは、藤原くんだけってことも」


 なるほど。クラスで校内推薦に通ったのが彼一人なら、その翌日、担任は他の誰でもない、自分の調査書を作成することは目に見えてる。だから彼は、この計画を思いついたのだろう。


 しかし、その倍率で校内推薦に通るとは、確かに相当すごい。それほど藤原くんは真面目な生徒だということか。そして多分、その真面目さ故にプレッシャーを人一倍感じてしまったのだろう。


 それに、校内推薦会議に出願するときは、担任に校内推薦用の志願理由書を提出しなければならない。同じ大学を希望する人との差別化をはかるために、会議中に担任がそれを他の先生に見せ、うちのクラスのこいつは、こんな理由で出願しているのです、と押すことができるのだ。成績や実績が同じぐらいの生徒がぶつかった場合、それの出来で最終的な決断を下されることがあるというから、果たす役割は決して小さなものではない。真面目な藤原くんのことだ。提出する前に何度も担任に見せ、推敲を重ねたのだろう。だから、自分の字が覚えられているんじゃないかと懸念した。


 と、最初はくだらないと思っていた推理に次々と状況証拠がでてきて、わたし自身もしかしたら本当に当たってるのかも、なんて思い始めてきたとき、ずっと黙っていたマチが、うーんと唸り、突然口を開いた。


「でも、まって、ミヤ。うまく外村先生を地学準備室からだせたとしても、調査書を盗み見るなんてことができるの? 大事なものなのに、目につくところにおいておくかなあ?」

「うん。普通の先生なら、机にしまって、もしかしたら鍵までかけるかもね。でも、外村先生は、抜けてるところがあるんでしょう? 臨時でこの学校の教師になって日も浅い。しかも、盗難事件があったと聞いただけで大騒ぎ。先生のクラスの生徒なら、調査書をしまうことを忘れる可能性があることは予想できたんじゃないかな。


 それに、先生はこの学校の出身。マチ、考えてみて。治安がいいものだから、わたしたちも机の上に財布とかケータイとか、貴重品を置きっぱなしにすることだってザラでしょ? 先生も、この感覚をまだ持っているのかもしれない」

「うーん……、そっかぁ……。あ、でも、まって! 地学準備室に、ほかにも先生がいた場合は?そんなんじゃ、調査書を見るどころか、入ってきた時点で怪しまれちゃうよ」

「なに言ってるのよ、マチ?」


 ユキが驚いたように言った。確かに、この質問は予想していなかった。考えるまでもなく、答えは出るのだから。


「なにって、……あ、そっか!」


 この学校の現在の地学教師はふたり。外村先生と、もうひとりは……。


「秋吉先生は、放課後に地学室準備室にいるなんてことは、滅多にないのよ。あたしたちが一番よく知っているでしょう?」


 わたしたち女子ソフトボール部の顧問、秋吉総一郎先生は、職員会議でもない限り、部活の始まる四時ごろには必ずグラウンドに出てきて、終わるまでずっといる。本当に熱心な顧問なのだ。

 わたしたちはもちろん、地学準備室の隣であり、グラウンドもはっきりと見渡せる地学室で三年間の放課後の大部分を過ごした藤原君も、当然知っていただろう。放課後の地学準備室には、外村先生が一人でいる確立が極めて高いということに。


「でも……ミヤ、あたし、気になることがあるわ。ロッカーの上に置いてあった、あの鞄。あれは誰のものなの? 藤原くんの鞄は、あたしのとは似ていないんでしょう?」


 ああ、それか。説明するのを忘れていた。


「その前に、ちょっと考えてみて。メモには、『自分の物と似ていたからユキの鞄を持っていってしまった』とあった。つまり、教室にはユキの鞄と似たものが置かれていないと辻褄が合わなくなる。じゃあどうすればいいか? 藤原くんの鞄では代用できない。それなら答えはひとつ。

 ロッカーの上に置かれていたのは、ユキの鞄だった」

「……はあ?」

「……ええ?」


 予想通りのユキとマチの反応。まあ、そうなるのが普通か。話を聞く限り、相当探し回ったはずの鞄が、堂々とロッカーの上に置かれていたと言うのだから。


「どういうことよ、ミヤ?」

「あたしも、知りたい」

「ん、オッケー。まず、ユキのスクールバッグね。さっき言ったように、ありふれたものだから、同じものを持つ人はみんなキーホルダーとかで目印をつける。それを藤原くんは逆手にとった。ユキのキーホルダーを、別のものに付け替えたの」


 置かれていた場所も、キーホルダーも違う。これではふたりが別の誰かのものと思っても不思議じゃない。わたしだって、その場にいたらそう思う。それから、さらに安全性を求めるとしたら。


「あと、藤原くんはもっとなにか、鞄にユキのものとは違うように見える工夫をしたのかも。たとえば、近くで黒板消しを叩いててチョークの粉をつけて薄汚れた感じにするとかね」


 この方法でも確実でないと感じたら、鞄の中身を取り替えてしまえばいい。そんな言葉が出かかったけれど、慌てて飲み込んだ。

 さっきふたりに藤原くんに対する先入観を抱かせたかもしれないことを後悔したばかりなのに、こんなことを言ったら先入観どころか嫌悪感を抱かせることになる。女子の鞄を無断で開けて、中身を取り替えるなんて。藤原くんが本当にそんなことをしたかどうかなんて確かめるすべはないのだから、言わないほうがお互いのためだ。


 ここまで説明を聞いたユキが、ゆっくりと口を開く。


「じゃあ、つまり、あたしとマチが鞄探しに費やした、あの長い長い時間は……」

「壮大な、灯台下暗し……?」


 そしてマチが後を引き取る。

 壮大と言うほどでもないと思うんだけど……。


「まあ、一応はそういうことね」


 はあ、とふたりそろって大きなため息。ご愁傷様である。


「なんか、あたし、それ聞いて一気に疲れたわ。あ、すいません、お冷のおかわりください」


 白く清楚な制服に身を包んだウエイトレスさんが来て、それぞれのコップにお冷のおかわりをいれてくれた。それを飲んで喉を潤し、まとめに入る。


「当日の藤原くんの行動はこう。

 放課後、机に置いてあったユキの鞄のキーホルダーを付け替えてロッカーの上に置き、園芸部の花壇を観察するふりをして、ユキが戻ってくるのを待つ。で、ユキとマチが教室中を探し回り、諦めて先生に報告に行くのを確かめてから、急いで教室に戻り、メモを置いてユキの鞄の位置とキーホルダーを元に戻す。メモは多分あらかじめ書いておいたんだと思う。そのあとは地学室に向かう。多分、戻ってきたときはまだユキたちが先生に説明中だっただろうから、気づかれないように地学室に入って待機。先生が教室に向かうのを見計らって地学準備室に入り、調査書を盗み見るってとこね」


 言葉にすると、結構短いものだ。もっとも、当事者たちは相当長く感じただろうけど。 

 と、ここで、ユキが怪訝そうな顔をした。


「でも、こうしてまとめられると、藤原くんの計画、結構危なっかしくないかしら? ボランティア委員会の集まりがあることは前もって知っていたんだとしても、あたしたちが先生のところに行くとも限らないし、先生が調査書をそのままにしておくとも限らない。もちろん、そうする可能性だって低くはないんだろうけど、確実とはいえないんじゃない?」


 なるほど。もっともだ。


「ああ、それはね、 多分……」


 ふたりの顔色をうかがう。言うべきか言わざるべきか。………まあ、これを言ったら確実にふたりが怒るというわけでもないだろう、多分。わたしは逆に共感してしまったぐらいだし。言ってしまおう。


「えーっと……。まず訊きたいんだけど、ユキだったら、自分の調査書を見たいと思う?」


 しばらく考えて出した答えは。


「見たいような、見たくないような……」

「マチは?」

「あたしも同じだなー。気になるんだけど、いざ見るとなるとかなり怖いとおもう」

「そうだね。わたしもそう」


 調査書に書いてある内容が、思っていた以上にいい場合もあれば、名門大学の推薦を通るには心もとないと思えるような場合もあるだろう。ただ確実に言えることは、見てしまったらそれを記憶から消すことはできないということ。もしもあまり芳しくないものだった場合、推薦が終わるまでずっとそのことが懸案事項として頭に残りつづけるのは明白だ。世の中には知らないほうがいいこともある。調査書を生徒に見せてはいけないのは、そういった理由もあるのだろう。


 だから、気にはなるけどいざ見るとなると怖い。多分それは、ほとんどの人が思うことじゃないだろうか。当然、藤原くんも。


「藤原くんも、同じことを思ったんだと思う。見たいんだけど、見たくない。でもそこで、ふと、先生に誰もいない地学準備室に調査書を置いたままにさせる計画が頭をよぎったとしたら? この計画なら、すべてうまくいけばただのなんちゃって盗難事件が起こったかのように見えるだけで、自分は調査書を盗み見れる。うまくいく確立と失敗する確立は半々というところだけど、駄目ならそれでいいの。どうしても見たいわけじゃないんだから、諦めもつくでしょう。もしかしたら、駄目でもともと、成功すればラッキーくらいの感覚だったのかもね」


 もし運悪くユキのキーホルダーを外しているところを見られたとしても、奇しくもさきほどマチが言ったとおり、ユキのことが好きなのでつい魔が差してしまったとかなんとか言い訳できるだろう。この計画は、途中で怪しまれたとしてもそれっぽい理由付けがいくらでもできる。花壇にいる理由しかり、地学室にいる理由しかり。


「それに、先生を地学準備室から追い出すだけなら、他にいくらでも方法はある。教室のガラスを割っておいて、ユキたちに発見させるとかね。これなら確実に先生を呼びに行くでしょ。でもそれだと、自分がやったとばれたらただごとじゃなくなる。どうにかごまかして、うっかり割ったってことにできても、修理費は自分持ち。それに比べてこの方法なら、成功率は低いかもしれないけど、その分リスクも少ない。つまり彼にとって、危ない橋を渡ってまで見たいものじゃなかったのよ、調査書は。この計画がたまたまうまくいっただけ」


 マチがふーんと頷いた。


「でも、あたしでもそう思うかも。サンダルけっとばして、おもてなら明日は晴れ、うらなら雨、みたいなかんじで。うまくいけば見る、うまくいかなかったらあきらめる、みたいに」

「うん……、まあ」


 その例えが適切なのかはさておき。


「とりあえず、藤原くんは魔がさしただけなのよ、受験のプレッシャーで。その中でも特に、調査書の内容が気がかりだった。どんなことが書いてあるのか、不安でたまらなくなったとき、この計画を思いついた。成功率は半々程度だけど、リスクも少ないし、なにより、見たいと思う反面、見たくないという気持ちもある。だから彼はユキの鞄を隠し、あとは流れに身を任せたの」


 こうして言葉にすると、あらためて共感できる人だ、藤原くん。この推理が当たっていればだけど……。

「そっか。……ねー、ミヤ」

「うん?」


 どうした、マチ?


「あたし、ミヤの推理はそんなに検討違いじゃないとおもう。こうして聞く限りでは、おっきい穴はなかったし」

「それはどうも、ありがとう」


 ぶっきらぼうに返事しながらも、顔がなんだかにんまりしてしまったのが分かる。

 まあ、なんというか……。ありえないだろうと思っていたし、途中で話したことを後悔しかけたりもしたけど、こうして自分の推理を認められると嬉しいものだ。なので、調子に乗って、


「ユキは?」


 なんて訊いてみたりする。


「あたしも、よくできてると思う。いくつか推測もあったけど、そんなに無理のあるものではなかったし」

「そっか、よかった。ありがと」


 そしてまたしてもにんまり。ああ、なんか、この感じ久しぶり。

 とか思って、証拠もないのに探偵気分に浸っているわたし。


「それで、ミヤ、どうする?」


 唐突なユキの言葉の意味が分からず、首を傾げる。


「どういう意味? なにをどうするの?」

「この推理が正しいかどうか、確かめてはみないの、っていうことよ。藤原くんに直接訊いてみない?」

「ええ!?」


 度肝を抜かれた。


 そりゃあ、ふたりに認められたことで、わたしも自分の推理に多少の自信がついたのは確かだ。そして、本当にこの推理は的を射たものだったのか気になる気持ちはある。だけど、わざわざ藤原くんに話してまで確かめたいとは思わない。もしもこの推理が見当はずれのものだった場合、彼は冤罪をきせられたことになるのだから。聞く限りでは好青年らしい彼でも、少しも気を悪くしないということはないだろう。それに、この話はそれほど真面目な話として始めたわけでもないのだ。


 わたしは少し肩をすくめ、顔の前で手をふった。


「いいよ、やらなくて。もし違ってたら、ユキが藤原くんに変な印象をもたれちゃう」

「そう? べつにそんな、大きな溝ができるわけでもないと思うんだけど」


 ユキの声が、注意して聞かないと分からないけど、いつもよりほんのわずかに上ずったものになっている。まずい、と思った。彼女がこうなるのは、決まって大きく感情の波が動かされたときだ。この推理が正解かどうか、気になって仕方がないようだ。


「いや、そうは言ってもさあ……」


 煮え切らない返事をする。どうする、わたし?


 普段は落ち着いているというか、感情の起伏が小さいユキだから、たまに大きな波が来たらうまく舵取りができない。いや、高校の三年間で、波が来たら決まって正規のルートから大きくそれてまったく想定外の島についていた状態から、波に流され道を見失いながらも必死に起動を修正し、遠回りをしながらもなんとか目的地まで辿り着くことができるようになったのだが、それも周りの助けがあってこそ。感情を抑えるのに難があるのは認めざるを得ない。感情のコントロールも、ボールのコントロールと同じようにならないものかと何度思ったことか。まあ、そうして自分の感情に素直なユキを、気持ちよく思うと同時にうらやましく感じていたのも事実なのだけど……。


 とにかくこのままいけば、ユキは藤原くんを問いただしかねない。彼に直接訊いてみないかとわたしに提案してきたのも、この推理をしたのがわたしだから一応許可をとっておこうと思ったのだろう。ここでわたしが断固ノーと主張すれば引き下がるかもしれないが、それでも週が明けて教室で藤原くんに会えば、また好奇心が抑えられなくなるかもしれない。それではまずいのだ。


 ちらりとマチを見ると、がっちり目があった。どうする、と目で言っているマチに、わたしは小さく頷いてみせた。どうにかして止めよう、という意思表示だ。


「でもユキ、考えてみてよ。推理が外れていたら、藤原くんは濡れ衣を着せられたことになる。ユキはよくても、藤原くんは傷つくかもしれない」

「そーだよ。藤原くん、なんか傷つきやすそーだし」


 わたしの牽制と、マチの援護射撃。これは結構効くだろう。ユキは確かに感情を抑えるのが得意ではないが、人を傷つけてまで貫こうとはしない。しかし、わたしの狙いとは裏腹に、ユキは少しむっとしたような声で言った。


「ふたりとも、馬鹿にしないで。あたしだってそのぐらい考えてるわ」

「じゃー、どーするの?」

「少し探りを入れるつもり」

「さぐりをいれる?」


 マチが首を傾げる。


「そう。たとえば……。藤原くんに、木曜の放課後なにしてたって訊いてみるとか。もしミヤの推理が正しかったら、普通ではいられないと思うのよね。なにかしら慌てた様子を見せると思う」


 なるほど。もし普通に答えたらシロというわけか。まあ、これではいささかストレートすぎるから、実際はもう少し遠まわしな質問をするのだろうけど。


「それならいい?」

「あたしはそれでいいとおもう」


 ミヤは? と、ユキが視線を向けててくる。わたしは少し考え、気持ち声を低めにして答えた。


「いいけど、条件がひとつ。たとえシロかクロか微妙でも、藤原くんへの質問は一回きりにして、こっちが探りをいれていることを悟られないようにすること。これが守れるんならいいよ」


 遠まわしな質問でも、何度も訊いたらこちらが藤原くんを怪しんでいることが伝わってしまう。それでは直接訊ねるのと変わらない。

 ユキが大きく頷いた。


「わかった。誓って、一回しか質問しない」


 わたしたちを説得するため、その場しのぎのうそを言っているわけではないということは、表情から見てとれた。試合中にピンチを迎えるたび、彼女は決まってこういう顔をして、絶対に打たせないと言ってみせていた。


「オッケー。信じる」


 ユキは笑って、


「いつもありがとう。ごめんね、わがまま言って」

「いいよ、慣れてるから」


 わたしの言葉に、マチもうんうん頷く。まあ、これがユキの個性というものだ。


「じゃー、結果をあたしとミヤにも教えてね」

「もちろん。月曜日の放課後に来るわ」


 月曜か……。バイト、入ってたかなあ……。

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