都の推理 1
「……まさかねぇ」
しばらく考えてみて辿りついた結論が、あまりにも『なんちゃって盗難事件』から遠くに行き過ぎたので、笑ってそれをはねのける。この推理だと、犯人にはかなりたくさんの条件がついていなければならない。ユキに訊けばその条件に合う人が三年一組にいるか分かるだろうけど、その必要はない。そんな都合のいい人などいるものか。やっぱりマチの言うとおり、ただのうっかりさんの仕業だ。
「どーしたの、ミヤ。突然変なこと言っちゃって」
見ると、ふたりが怪訝そうな表情をしている。さっきまで黙っていたのに、突然笑みを浮かべながら意味不明なことを言って、どうしたんだろうこの人は、というところか。
「あー、ごめん。さっきの『なんちゃって盗難事件』について考えてたら、なんか、とんでもないことになっちゃって。これはないだろうと思ってさ」
「とんでもないことって、どんな?」
「あたしも知りたいわ」
あれ? 意外なことに、ふたりとも食いついてきた。どうしよう……。
…………まあ、笑われるのがオチだと思うけど、一応話してみよう。このふたりになら恥ずかしくもないし。
「オッケー。話すね。
まず、なんで犯人は、……一応、犯人って言っておくね。なんで犯人は置いてある場所もキーホルダーも違うのにユキの鞄と自分の鞄を取り違えたか。破滅的なうっかりさんじゃないとすれば、答えはひとつ。故意にユキの鞄を持ち去った」
「でも、何も盗まれたものはなかったわよ」
「そう、それがあるのよね。故意に持ち去ったのになにも盗みはしなかった。つまり、鞄を持ち去ることそのものに意味があったの」
「持ち去ることの意味?」
ユキが不思議そうに首をかしげる。
「そう、それは……」
「はいはい、ミヤ、ストップ!あたし分かった!」
突然、マチが手を上げた。
「まじ? どうぞ」
とりあえず訊いておく。
「犯人さんはユキにメロメロで、すこしの間でもユキの持ち物を独占しておきたかったから!」
「却下。そんな変態ならなにか盗むぐらいするでしょ。故意に持ち去ったと思った具体的な理由の根拠は、このメモ」
ふたりに見えるよう、ルーズリーフを広げる。見れば見るほど、おかしな筆跡だ。
「字が汚いっていうか、なんかおかしいでしょ?
『い』とか『て』とか、同じ字でもこっちの『い』は丸っこいのにこっちの『い』は鋭いとか、全然書き方が違う。これって、意図して筆跡を変えようとしているからだと思う。じゃあ、なんで筆跡を変えたかったのか?これは簡単。筆跡で書いたのが自分だと特定されたくなかったから。
で、聞きたいんだけど。ユキさ、クラスメイトの中で、字を見ただけでこれは誰々が書いた字だ! って分かる人いる?」
「いないわ。そんなにクラスの人の筆跡を注意深く見たことないし。でも、べつにあたしにすぐ特定されるのを恐れたんじゃないかもしれないじゃない」
「と、言うと?」
「一回このメモで字を見て、それ以降の日にあたしがその人の字をなにかの拍子に見る。で、あのメモに書いてあったのと同じ字だ! ってなるのを避けたかったのかもしれない」
「なるほどね。でも、ユキ、考えてみて。今の時期に、クラスメイトの字を見る機会って、相当限られてくるよ。
去年までなら、黒板にこの問題の答えを書いてくださーい、なんてことがあったかもしれないけど、今はもうセンターまで百日を切った。そんな悠長な授業はしないでしょう。ほとんどが、過去問のプリントをやって自己採点して、最後に先生の解説を聞いて終り。自分以外の生徒の字なんて見ない。
友達同士なら、授業以外にも手紙のやりとりとかで見るだろうけど、さっきユキが言ったとおり、この犯人はユキと仲がいい人ではない。控えめに言っても、手紙を交換するような関係じゃない」
まあ、そもそもユキは友達と手紙のやりとりをするようなタイプではないけれども。言いたいことは直接言うのが彼女だ。
ユキは納得したようだが、マチはまだ疑問が残るようで、不満そうな顔を浮かべた。
「でもさー、犯人さんはそんなにふかく考えなかったのかもしれないよ。ただ、ユキにばれたくないってだけで、へんな字にしたのかも」
「それならなおさらよ。こんなメモを書いてるところを誰かに見られたらそれでアウトだから、さっさと書き上げたいって思うでしょ。実際、ユキがまだ学校に残っていて、教室に戻ってくる可能性だって大いにある。なら、時間をかけてこんな変に気を使った字なんて書いてないで、もっと乱暴な、走り書きになるはず」
メモを書いているところを見られるリスクと、ユキに普段の自分の筆跡をメモの筆跡と結びつけられるかもしれないリスク。どちらがより大きいかは一目瞭然だろう。
しかし、普通に字を書いたとして、それを見て瞬時に犯人が書いた字だと認識できる人がいるとすれば、話は別だ。
「そこで、ちょっと問題ね。たとえ仲がよくなくても、犯人の字をよく知っている人は誰だ?」
「……担任ね」
「……担任の先生だ!」
息の合うことで。
「うん、正解。二学期に入ってから、自己推薦文の練習とか担任に提出するから、筆跡を見られる機会がかなり多くなってきた。字が相当クセのある人なら、もしかしたら覚えられているかもしれない。犯人は、それを恐れたのよ」
今の担任が二学期からの臨時教師だとしても、その可能性は十分ありえるだろう。それに、わたしの推理が正しいのなら、他にももうひとつ、犯人が担任に筆跡を覚えられていると考える理由がある。
まあ、それは後にするとして、今重要なことは……。
「ここで問題になるのは、どうして犯人は担任に自分の筆跡を見せたくなかったのか? 言い換えれば、どうして犯人が自分だと特定されるのを恐れたのか? 別に、悪いことをしたわけじゃないのに」
自分の鞄とユキの鞄を間違えました。大ボケではあるにせよ、せいぜい笑われるのがオチだ。説教を食らうことも、生徒指導にあうこともない。ばれないなら越したことはないだろうが、かといってわざわざ手間をかけて変な筆跡を残すほどでもない。それなら、つまり……。
「それは、犯人にとって後ろめたいこと、つまり、このメモの中に嘘があるから。メモを書いた人物が特定された瞬間に嘘だと分かる、匿名であるが故に有効な嘘があるからなのよ」
「それって……」
ユキが、信じられない、と表情で語っていた。
このメモに書いてある情報はふたつ。『鞄がユキのものと似ていた』ということと、『自分のものと間違えてしまった』ということ。
犯人が特定できればすぐに真偽を確認できるものはひとつだ。
「そう。『私の鞄と似ていたため』。これが嘘。
この筆跡はAものだ! え、でも、あいつの鞄、全然あたしのと似てないじゃん! なんてことになってしまうのよ、嘘がばれたら。だから犯人は筆跡をごまかした。嘘を守りぬくために。
そしてここで、どうして似てもいない、おまけに置いてある場所も全然違う鞄を持ち去ったのかという疑問がでてくる。そこで、さっきも言ったように……」
すう、と息を吸い、
「犯人は、故意にユキの鞄を持ち去った、という結論に辿りつくわけ」
長い長い説明を終える。
「ここまでで、なにか疑問はある?」
「いや、特にないわ……。驚きはしたけど」
「あたしも……」
よかった、と自分が安堵するのが分かる。
遠くへ行き過ぎて自分でも信じられないと思いはしたものの、やっぱり推理が認められると嬉しいものだ。
でも、ここからが正念場だ。いよいよもって、推測が多くなってくる。これまででも多かったけど。
わたしは話を続ける。
「そして、このことから、犯人はこのメモは担任に見られる可能性が極めて高いということを知っていたことが分かる。奇妙なことにね」
「それのどこがおかしいの?」
マチのストレートな疑問。ユキも、不思議そうな顔をしている。
「いい? 犯人は、ふたりが教室を出てから地学講義室にいる外村先生を呼んでくる間に、ユキの鞄を持って急いで教室に戻ってきた。その後、無人の教室で一人メモを書いてユキの鞄を置き、ロッカーの自分の鞄を手にそそくさと帰った。この間のどこに、ユキが今現在担任に相談に行っているっていう情報の入る余地があるの? ユキが鞄をなくして大慌てなのは予測できるとしても、担任を呼びに行ったことまではちょっとね……。仮に予測できたとしても、確実じゃない。その曖昧な可能性に賭けて時間をかけてメモを書くのは、さっきも言ったように、心理的に考えづらい」
ユキがまだ担任にはなにも話しておらず、そこら辺で必死に鞄を探している可能性だってあるし、担任には明日相談しようと思ってもう帰ってしまった可能性だってある。教室にユキがいない、きっと担任に相談に行ったんだ! じゃあ筆跡をごまかさなきゃ! とはならないだろう。
つまり、犯人は……、と続きを話そうとしたとき、
「じゃあ、どういうことなの? どうして犯人は知っていたの!?」
ユキが大きく身を乗り出して訊いてきた。
か、顔が近い!
「ユキ、近づきすぎだよ。ミヤがこまってるよ」
「あ、ほんとね。ごめん、ミヤ」
マチに上着を引っ張られ、元の座り方に戻る。
ほんとねって、あんた…。まあなんにせよ、助かった。
「ありがと、マチ。ユキはちょっと落ち着け」
言って、少し動悸の速くなった胸をなでおろす。えーっと、それでは、気を取り直して……。
「なぜ、犯人は担任もメモを見ることを予測していたのか。ここまで来ると、これは簡単ね。犯人は、ふたりが担任のところへ向かうのを見ていた。いや、それだけじゃない。担任に相談に行こうっていう、ふたりの会話まで聞いていたからよ」
「それって……」
ユキもマチも、唖然としている。それはそうだろう。つまり、こういうことなのだから。
「そう。犯人は、ふたりの近くにいたのよ。鞄がなくなって慌てるユキと、一緒に探すマチをずっと見ていた」
「ちょっとまってよ、ミヤ」
マチが少し声を荒げ、テーブルに手をついた。
「じゃあさ、どこに犯人さんは隠れていたの? 掃除用具入れも、黒板の後ろも見たけど、誰もいなかったし、なんにもなかったよ」
そんなところまで探していたのか。それはそれですごいけど、残念なことに、あまり重要ではない。
「もっともな疑問ね、マチ。でも、教室内じゃなくてもいいのよ。ふたりの様子がある程度確認できて、会話が聞こえる場所ならいいの。ユキの教室の近くには、ベストポジションがあるじゃない」
我ながら、テンションが上がってきたのを感じる。
「そう、花壇があるのよ、教室のすぐ外に。窓をほんの少し開けておけば、ふたりの会話は聞き取れる。
そして、その花壇は確か、園芸部のものだったはず。ねえ、ユキ……」
この質問。この質問にイエスの返事が返ってこなければ、わたしの推理はかなり信憑性が落ちる。
「三年一組に、元園芸部はいる?」
話をする前は、そんなマイナーな部の人が都合よくいるわけがないと思っていた。でも、今は……。イエスを期待している自分がいるのは、ごまかしようがない事実だ。
ユキが、微かに表情を崩して、ゆっくりと口を開いた。
「ええ、いるわ。藤原正則くん。……彼ひとりだけよ」
「そう。それじゃあ……」
強張った表情のユキと、ぽかんと口を開けているマチ。そのふたりに向かって、言う。
「その人が犯人よ」