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事件の経緯

 わたしはアイスクリームの評論家でも通でもないけど、抹茶をはじめとする和風テイストのフレーバーを考えた人たちには素直に賞賛の言葉を送りたい。その人たちが和風フレーバーを考え出さなかったら『坂上屋』のメニューに『和風アイスクリーム三昧』が載ることはなく、そしてそれならば当然、今わたしが感じている幸福感も、銀色の小さなスプーンに乗って今まさにわたしの口へ運ばれようとしている乳白色の天使も存在しえなかっただろう。


「いっただきまあぁす!」


 言葉は豪快でも、動きはあくまでも優雅に、それを口に運ぶ。ぱくり。

 口の中にゆっくりゆっくりひろがっていく、上品な香り。しつこすぎず、かといってひかえめすぎない、アリストテレスの中庸を体現したかのような豆乳の味。これぞまさに、数ある豆乳アイスクリームの中でも、頂点に君臨するに足るおいしさ。目尻には今にも、涙があふれそうである。


「やばい、やっぱり最高だ」


 思わずそんな言葉がもれてしまったわたしを、誰が責められようか。


「めずらしいわね、ミヤが食べ物にそんなに感動するなんて」


 斜め向かいでベイクドチーズケーキをつつきながら言ったのは、どこかが抜けたポーカーフェイス、ユキこと近澤幸乃(ちかざわゆきの)


「ついに、ミヤも出会ったんだね。今までの自分のスイーツ感を大きく覆す、神のスイーツ、神ィーツに」


 向かいの席でホットケーキにナイフを入れながら、意味不明のことを言っているのは、見た目も中身も小学生、マチこと羽原真知(はばらまち)


 都心から程よく離れた住宅街のマンションに住む、わたしたち幼馴染三人組。昔からの仲良しで、小中高とずっと一緒にソフトボールを続けてきた。気がつけばもう高校三年生の十月。部活も引退し、わたし、ミヤこと桜井都(さくらいみやこ)は早々にAO入試で大学に合格。残るふたりも必死の勉強の甲斐あって、今回の中間テストでぎりぎりスポーツ推薦をだせるだけの内申を獲得した。わたしたちの通う私立月野宮(つきのみや)学園は、スポーツ推薦といえどあまりにも低い内申では推薦してくれないのだ。


 華の金曜日の放課後、わたしたちは駅の近くにある和洋菓子の店、『坂上屋』で、ふたりの打ち上げも兼ねて三時のおやつとしゃれ込んでいた。


「ユキも一回食べてみてよ。そしたらこの気持ち、分かるからさ。あ、なんなら、一口もらう?」

「いいの? じゃ、遠慮なく」


 ユキにアイスののった器とスプーンを渡す。豆乳、黒ゴマ、抹茶の3種類のうち、どれにするか少し悩んだ挙句、薄水色の器の右端に盛られた抹茶アイスに控えめにスプーンを差し込み、口に運んだ。


「あ、ほんとだ、おいしい。普通のとなにかがちがうわね」

「でしょでしょ! でもその『なにか』がなんなのかよく分からないところがいいんだよね、底知れない感じがして。マチもちょっと食べる?」

「いや、いい」


 あれ? 絶対飛びついてくると思ったのに。


「ミヤ、あたしが思うに、スイーツっていうのは、ひとくちたべただけで本質が分かるほど単純なものじゃないんだよ。出された量を残さずたべて初めて、それがもつ特徴や、職人の込めた想いを理解できる。そういうものなんだ。だから、『ちょっとだけ』たべるなんて、スイーツに対する冒涜もいいところだと思うんだ」


 ははあ、なるほど、つまりこいつは……。


「くれるなら、『ちょっと』じゃなくて全部よこせと?」

「ミヤがそこまで言うならよろこんで!」

「やらんわ!」 


 ばしん。わたしより遥か下方にあるマチの頭をはたく。


「いたい……」


 頭を抑えふさぎこむが、同情する気は一切起きない。


「まったく、そんなに食べたいなら自分で頼みなさいよね」

「いや、でも、それさー……」


 マチが横目でテーブルの端にあるメニューを見る。


「高いのよね」


 マチを見て、うんうんと頷きながら、ユキが後の言葉を引き取った。

 なるほど、そういうことか。


 『和風アイスクリーム三昧』の値段は八百四十円。たしかに、このお店の中では高い部類に入る。けど……。


「ま、わたしは昨日給料貰ったばっかりだから、これぐらいどうってことないけどね」

「うわー、むかつく! じゃあもうひとつ、あたしの分のアイスも頼んだっていいじゃん!」

「それとこれとは全然違うの! 自分で食べる分にはいいけど、あんたにおごるには大きすぎる」

「くそう……。これだから、バイトしてるやつは」


 悪いか、バイトしてて。

 マチにつきあっていたらせっかくの極上アイスが溶けてしまう。もう無視して、和の輝きをゆっくり楽しもう。

 そう思い、黒ゴマアイスに手をつける。やっぱり、これも絶品だった。


   *



 めいめいに甘味を味わい終え、それまで話していた一昨日の推薦会議の話題も一段落したころ。ユキが、そういえば、と言って話を切り出した。


「昨日ちょっとした事件があったのよ」


 主語は無かったけど、明らかにこっちを見ていることから、わたしに向けて言っていることが分かった。


「あー、あったねぇ、なんちゃって盗難事件」


 マチも乗っかってきた。どうやら、こいつも知っているらしい。

 昨日起きた事件で、わたしは知らないのにユキとマチは知っている。わたしとマチは同じクラスなのに、わたしだけ知らないということは……。


「昨日の放課後に起こったの?」

「あれ、話したっけ?」


 ユキがきょとんとする。


「いや、昨日、バイトがあってわたしだけ先に帰ったから、二人は知っててわたしは知らないのかなって」

「ああ、なるほど。ちょっとびっくりした」

「で、何があったの? なんちゃって盗難事件って?」

「ああ、うん、あのね。 昨日、ミヤが帰った後、あたしとマチはボランティア委員の仕事で、学校周辺のごみ拾い作業があったの」


 それはまあ、大層な事を。ボランティア委員って、なにをしてるのか分からないというイメージだったけど、そんな仕事があったとは。


「まあ、思ったほどしんどくなくて、三十分ぐらいで終わったんだけどね。で、その後、教室に置いてある鞄を取りに戻ったら……、」


 ここでユキは言葉を切り、目に力を込めた。ただでさえ目力の強い彼女がやると、一層迫力が出る。そして一息ついて、言った。


「なかったの、鞄が」


 わざわざ倒置法まで使って。


「実はずっと手に持ってたのに気づきませんでした、とかじゃなくて、本当になかったんだよね?」

「そんな間抜けじゃないわ。机の上においていたはずなのに、消えてなくなってたの。そりゃもう、大慌てよ」

「うん、あたしが来たとき、ユキ、ものすごい顔してた」


 マチがこくこく頷きながら言う。顔がタコみたいになっているけど、それは『ものすごい顔』のまねだろうか。だとしたら本当にものすごい。


「そこまですごくないわよ」


 ユキが一蹴する。まあ確かに、鞄がなくなったのを見てタコみたいな顔にはならないだろうしね。


「マチとあたしで、教室中を隅から隅まで探し回ったんだけど、見つからなかったわ…」

「これはやばいと思ったよねー。まさかの盗難事件勃発!?って。創立以来、初めてのことだもん」


 月野宮学園は、結構な進学校ということもあり、治安がいい。物騒な事件事故はほとんど起きたことがない。せいぜい、野球部かソフト部がボールを飛ばしすぎて何度か窓ガラスを割ったぐらいだ。


「盗難か嫌がらせかは分からなかったけど、とりあえず、マチと相談して担任のところに行こうってことになったの。今の時期は忙しいだろうから、あんまり迷惑はかけたくなかったんだけど…」

「そういえば、ユキの担任って……」


 ユキたち三年一組の担任、地学教師の河合先生は、産休を取ったはずだ。


「うん、変わったわ。臨時の外村先生。ちょっと抜けてるけど、いい人よ。で、マチと一緒に急いで地学準備室まで行ったわ」

「うんざりするぐらい、遠かったよねー」


 マチがため息まじりに言った。

 一年生から三年生まで、すべての学年の教室があるA棟の一階左端に、三年一組の教室はある。校門から一番近いし、すぐ外にはきれいな花壇があるしで、かなりいい場所にあるといえる。しかし同時に、理科系教室や視聴覚室のあるC棟四階に位置する地学準備室からは一番遠くにある。そこが担任のホームとは、なかなか大変だろう。


 ユキが続ける。


「地学準備室で、先生にあたしの鞄がなくなりましたって話をしたら、もう大慌てで。僕がここに通ってたときはそんなの起こらなかったのにって。落ち着くのに、結構時間かかったわね。

 そのあといろいろと話した結果、一応教室に戻って先生も一緒にもう一回探そうってなったの。無駄だと思ったんだけど、ねえ……」


 言って、マチと目を合わせる。ふたりして、ため息をつき、


「普通にあったのよ、あたしの鞄。机の上に」

「………はあ?」


 なんじゃそりゃ。


「ミヤがそう言うのも分かるよー。実際、あたしもユキも、はあっ!? って思ったもんね」

「うん。まあ、外村先生は、もっとそう思ったでしょうけど。

 でも、よく見たら、机にメモが置いてあったの」


 これよ、と言って、鞄から何かとりだす。

 なんてことのない、A4の白いルーズリーフ。その中心に、なんだか安定しない筆跡で、短いセンテンス。


『本当にごめんなさい。私の鞄と似ていたため、間違えて持っていってしまいました。』


 なるほど、つまり……、


「だから、『なんちゃって盗難事件』ってわけか」

「うん。言われてみれば、マチと教室の中を探し回ったとき、似たような鞄がロッカーの上に置いてあったのよね」

「へえ。で、このうっかりさんは誰なわけ?」


 当然知っているだろうと思って訊いてみたが、ユキはかぶりをふった。


「分からないわ。何も盗まれてなかったんだし、特に調べようとも思わなかった。あたしに直接渡さなかったってことは、そんなに仲がいい人じゃないんだろうし」

「まじ? 常識のなってないやつ」


 メモだけで謝罪を済ませたのは、急いでいたからとか、ユキがもう帰ってしまったと思ったからとかの理由はあったかもしれないけど、たとえ仲がよくなくとも翌日にはなにか一言あってしかるべきだろうに。


「でも、一応気にはなるよね。自分のかばんと間違えるなんて、どんな天然さんなんだろー」


 マチがストローで氷を弄びながら言う。確かにそうだ。


 ユキの鞄は、ごく普通の黒いスクールバッグ。同じものを使っている人は大勢いるので、三年一組にもいたっておかしくはない。しかし、ユキの、というか、ありふれえた鞄を使っている人ならほとんど誰でも、目印となるものをつけている。ユキの場合は、インターハイ県予選での激励の意味をこめて後輩たちが作ってくれた、ソフトボールをかたどったキーホルダー。………………。


 フェルトの生地に綿を入れた簡単なものだけど、現三年生女子ソフトボール部以外の人間は、決して持ちえない。そして、ユキのクラスに彼女以外の女子ソフト部はいない。

 黒いバッグにぶらさがる白いキーホルダーは、結構な存在感を醸し出している。なのに自分の物と間違えるなんて、どんな天然の為せる技だ?


「ね、ユキのクラスにさ、ユキと同じ鞄使ってる人ってどれぐらいいる?」

「うーん。あたし以外にも何人かいるっていうのは覚えてるんだけど、具体的な人数も人も分からないわ」

「分からないって、あんた。そんなことがあった翌日って、普通、誰が犯人なんだろうって同じ鞄の人探したりしないの? てか、探さないにしても、嫌でも目に付かない?」

「いや、特にそんなことは」


 はあ、とため息をつく。さすがはユキ。自分が興味のあることにしか反応しない。


「あはは、それはちょっとミヤがおかしいよー」


 と、思っていたら、マチにまで笑われた。うるさい、と言って額をはたく。こいつにおかしいと言われる筋合いはない。

 …………わたし、普通だよね?


「でも、とりあえず、何人かはいるのよね。その中に、似たようなキーホルダーつけてる人は?」

「いない……と思う、たぶん」

「ふうん。ますます、変な話ね」


 そう呟くわたしに、マチが不思議そうな顔をして見せた。


「なんで? その人、とっても慌ててて、キーホルダーなんて目に付かなかったかもしれないじゃん」

「それにしたって、よ。その人は、ロッカーの上に鞄を置いてたんでしょ?なのにわざわざそのことを忘れて、机の上に置いてあったユキの鞄を手に取るものなの? それに、キーホルダーって、大げさに言えば無数にある同じ鞄の中から自分のものを見極めるたったひとつの手段なのよ。そのキーホルダーを確認して初めて自分の鞄だって認識するのに、それをないがしろにする?」


 わたしの応答に、マチとユキは腕を組み、うーんと唸る。そして、出した結論は、


「まあ、世間には、想像を絶する天然さんがいるんだよ」


 だった。隣でユキもうんうん頷いている。


「そう言われると、そうなのかもしれないけど……」


 わたしはいまいち煮え切らない。

 確かに、世の中にはわたしなどでは及びもつかない境地にいるうっかり八兵衛もいるのだろう。

 しかし、どうも、それだけではないような………。


 なにより、あのメモ。あれに書かれた筆跡が気になる。あれは明らかに筆跡をごまかすために書かれたものだ。


「ねえ、ユキ。本当に、盗まれたものはないんだよね?」


 念を押してみる。


「全然、なんにもないわ。それは絶対よ。財布の中のカード類も、全部チェックした」

「そう……」

 そこまで言うからには、本当になにもなくなっていないのだろう。


 あごに手をあて考えるわたしをよそに、マチとユキはもう別の話題で盛り上がっている。まあいいさ。一人考える。 


 メモに残された筆跡。

 鞄の取り違い。

 キーホルダーを無視。

 一言の謝罪もなし。

 ……………………。

 …………。

 ……。

初投稿です!読んでいただければ幸せです。

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