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のんちゃんとたっくん 四

「ほら、あれじゃよ」

 長老さんの声に思考が途切れた。

「あれって、あのカバのぬいぐるみが真鍋くんなんですか?」

 随分くたびれた様子のカバのぬいぐるみは、まるで日向ぼっこをするようにのんびりと浮いている。


「真鍋くん、カバになりたかったのか」

 望は目をパチクリさせた。ライオンはどこに行った? これがギャップ萌えってやつ?

「あれはぬいぐるみですよ」

 長老さんと一緒に来ていたルナが言う。

「巧の小さい頃のお気に入りのぬいぐるみじゃ」

「小さい頃はあれがないと眠れなかったらいいですよ」


「へええええ。そうなの」

 何ともかわいい幼少時代ではないか。個人情報筒抜けだけど。

 好奇心にかられた望は、カバのぬいぐるみをそっと捕まえると、顔を覗き込んでみた。顔は真鍋くんには似ていない。当たり前か。


「もしもし、真鍋くん」

 カバは口から気の抜けた声を出した。「ふぅ」とも「ふぇ」とも言えない音だ。

「もしもし、真鍋くん、真鍋巧くん、おやつの時間ですよ」

 望はもう一度声をかけた。


「たっくん、おやつ食べる」

 カバのぬいぐるみが喋った!!!

 吹き出したいのをこらえて、望は続けた。

「たっくんは何のおやつが食べたいかな?」

「たっくん、シュワシュワパチパチする綿あめ食べたい」

「かわいいー!」

「たっくん、わたあめ好き。のんちゃん、一緒に食べようって……え? ええ? わっ! なんだこれ、ちょっとやめろよ!」

 急に我に返ったらしいカバのぬいぐるみは、てろんとまぬけな音を出して消えてしまった。

「消えちゃった……」

 望は腕に残るぬいぐるみの柔らかさを残念に思いながら呟いた。


 ◆◇◆◇


 翌日、望は会議室のテーブルに座って作業をしていた。目の前に山積みになっているのは、印刷用紙とプラスチックのネームプレート。このプレートに、ひたすら名前が印刷された紙を挟み込んでいくのだ。会議で使うらしい。しかも、今日の午前中。うっかり伝達ミスとやらで、総務総出で会議の準備に当たっている。


 伝達ミスをしたのは営業なんだけどね。朝イチで泣きついてきやがって。

 怒りに火を吹きそうになりながら、望は一心不乱に手を動かした。


 既に手は自動モードになっており、思考は半分夢の世界に飛んでいる。

 会議室のドアが開いた音がするが、顔を上げることもしない。用があるなら声をかけてくるだろう。


「ごほん、あー、おい、及川」

 すぐそばから声がしたので、望はびっくりして顔を上げた。そこには立っていたのは、腕組みをした仏頂面の真鍋だった。

「ああ、たっくん。じゃなくて真鍋さん、お疲れ様です。営業の方は会議の準備、落ち着かれましたか?」

 営業スマイルを作って声をかける。もちろん百パーセント嫌味だ。

 望が『たっくん』と言った瞬間、真鍋の頬が盛大に引きつった。それを見て、望はいささか溜飲を下げた。


「その、ウチがご迷惑をおかけしまして……」

 真鍋はボソボソと話しかける。

「お構いなく」

 冷たく言い放つと、望は忙しいオーラを放ったまま作業を再開した。


「あー、その、昨日のことだけど、」

「昨日のこと?」

 望は何のことだかわからないわと首をかしげた。

「昨日の、夜の、つっ、月のことだけど」

「うん、今度綿あめ作ろうって話が長老さんたちとまとまったよ」

 望は満面の笑みを浮かべた。

「なっ」

 真鍋は動揺したように一歩後ろに下がる。


「たっくんが好きなものだから、すーごく大きなやつを作ろうって話になってね。なんだったら、たっくんを割り箸がわりにして、たっくんの周りに綿あめを巻いたらいいんじゃないかって話が出てね」


「なんでっ!」


「ほら、私も月餅のお返しがまだできてなかったから。真鍋くんの好きなものは分からないけど、たっくんが綿あめ好きなんだったらちょうどいいかなって」

「違う! 俺は別に、綿あめなんて! 違うからっ!」

 真鍋が地団駄を踏みそうな勢いで言い返してきた。


 面白い。会社で、真鍋くんのこんな子どもっぽい姿を見れるなんて、なんて面白いのだろう。

 別にやつ当たりなんてしてませんよ。このネームプレートをすべてあと一時間で仕上げろとか、真鍋くんとは廊下ですれ違ってもスルーされるとか、時々なぜか真鍋くんラブの女子たちに睨まれるとか、別に全く何にも気にしてなんていませんから。ええ。


 望は横目で動揺する真鍋を見つつ、黙々と作業を続けた。


 しばらくして、頭上からため息が降りてきた。そのまま帰るのかと思ったら、真鍋は望の隣の席を引いて、座った。


「……手伝う」

 低い声はかろうじて聞こえるくらいの大きさだ。

「プレゼン準備は?」

「そんなん昨日のうちに済ませてある。準備が忙しかったから夜寝るときに脳がバグって、だからあんな……」

「口止め料?」

「違うっつってんだろうが!」

「たっくんはおこりんぼうですねえ」

 すっかり機嫌が良くなった望はころころと笑った。


「それよりお前、サリーは家に持って帰ったほうがいいぞ」

「なんで?」

「この前お前の元彼が、サリーの耳をつまんで持ち上げてたぞ」

「え、なんで!?」

 望はネームプレートを机に放り投げると、真鍋に詰め寄った。

「知らん。俺がデスクに寄ったら元の位置に戻してたけど。人のもの勝手に触らないだろ、普通」


 ああ、恐れていたことが。やっぱりサリーは可愛いからみんなの目を引くんだわ。


「わかった。今日持って帰る。じゃなくて連れて帰る。サリーったら、何も言ってくれないんだから」

「そうしたほうがいい。それからあいつにはあんまり近づくなよ」

「あいつって?」

 サリーを家のどこに迎えようか考えていた望は、思考が疎かになった。


 机の上がいいかな? それともベッドサイドがいいかな? 直射日光が当たるところだと日焼けしちゃうかもしれないし。ああ、でも家だったら自由に動けるのかな。ていうか、サリーは昼間には動けるのだろうか?


「お前の元カレだよ。あいつ時々、お前のことじっと見てんぞ」 

「えー、それはナイナイ。彼女さんとラブラブでしょう」

 私のことなんて覚えてもないんじゃないだろうか。

 望はおざなりに答えた。


「あんまりうまくいってないみたいだぞ」

「そんな噂まで流れてくるの。会社って怖い」

 望は腕をさすった。会社ネットワーク、恐ろしすぎでしょ。


「とにかく気をつけろ」

「はいはい。たっくんも気をつけてね。今年入社した女の子数人にこの前、根掘り葉掘りたっくんのこと聞かれたよ」

「お前、次にそれ言ったら、口塞ぐからな」

「あら。私のことも、のんちゃんて呼んでもいいのよ?」

 望はにっこり笑って真鍋を見た。


 お前! と真鍋が望をにらんでくる。望はにんまりとしてしまう。

 こっちの真鍋の方がやっぱり落ち着く。


「お前は望で充分だ」

 真鍋はブスッとした顔でそっぽを向いた。


 望は笑顔のまま固まった。


『望』と呼ばれた瞬間、胸がちょっと飛び跳ねたのはナイショだ。


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