のんちゃんとたっくん 一
「さて、寝るとしますかね」
望はうーんと背伸びをすると、電気を消した。日中が蒸し暑かった日々はようやく過ぎ、眠るのにはちょうどいい季節がやってきた。朝晩はひんやりとするくらいだ。少し前まで聞こえていた鈴虫の音色はいつの間にか聞こえなくなっている。
望は窓を閉めようと窓際に立った。
カーテンを開けると空には星がちらほら見えている。夏のモワッとした空気が澄んできたため、星がよりくっきりと見えるようになった。
この時間だと下弦の月はまだ見えない。どんどん欠けていく月を少し寂しく思いながら、それでも望は夜空を見上げるたびに、十五夜の夜に起きた奇跡を思い出す。
月までのトリップ。
出会った数々のうさぎたち。
月のお散歩に、川下りに、山登りに、餅つきに。
不思議の国から帰ってきたアリスはこんな気持ちだったのかな。
心がほんわりと温かくなる。
そして、なんだかんだ言いながら結局最後まで付き合ってくれた同僚。
望はその時のことを思い出してくすりと笑った。
まさか真鍋が、あんなにやんちゃな男の子だったなんて。
今でも会社でキビキビ働いている真鍋を見かけると、そのギャップに吹き出しそうになる。
みなさーん! あなたたちがかっこいいってキャーキャー言ってるこの人、月では子うさぎとガチで追いかけっこしてたんですよー!
……と言いたい衝動に駆られるけど、もちろんそんなことはしない。総務の社員は地味で目立たないことが鉄則なのだ。いや、別に目立ってもパリピでも良いんだろうけど。望にはとうてい無理だ。
夜風が当たって体が冷えてきた。望は窓を閉めると、ベッドに潜り込んだ。ベッドの中で少しモゾモゾして、望は満足げに息を吐いた。
眠りに落ちた望は、かくんと体の力が抜ける感覚がした。目まぐるしい速さで、目の前にきらきらが通り過ぎていく。
懐かしい匂いがする。風がふわりと突き抜けていき、ススキの揺れる音がした。
ゆっくり目を開けると、望は月の楽園へと降り立っていた。
「サリー、今日も迎えに来てくれてありがとうね」
望の肩にちょこんと乗っているのは、望のうさぎさん。
「のんちゃん、サリー、のんちゃんむかえにいった」
サリーは得意げに耳をピンと立てた。望がサリーの耳を優しく撫でると、サリーは気持ちよさそうに耳を震わせた。
十五夜の夜に月と縁ができたことで、望の魂は自力で月に来ることができるようになったらしい。だけど途中で迷うと宇宙を延々と彷徨うことになると聞いて、こうしてサリーに迎えに来てもらうことにしたのだ。
サリーの本体は、まだ望の会社のデスクに座っている。夜になるとサリーは魂だけすり抜けて望のところに来て、そこから二人で月へ旅立つ。これが最近の日課だ。
「今日は何をして遊ぼうか?」
「お花ばたけ、いく」
「へえ。お花畑なんてあるんだ。よし、行ってみよう」
ぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねるサリーに先導され、望は小高い丘の上の花畑に着いた。
「わあ、きれい!」
辺り一面に広がるのは、白い可憐な花たちだ。爪先ほどの小さな花がぎゅっと固まって咲いているその様子は、まるでブーケがたくさん敷き詰められている絨毯のようだ。
風に揺られて、ほんのり甘い草木の香りが望の鼻腔をくすぐった。
「お花いっぱい、お花いっぱい」
サリーは花の中を嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねた。
すごいメルヘンな光景だな。これで麦わら帽子でもかぶって、白いノースリーブのワンピースなんて着たら、避暑地に来たお嬢様みたいじゃない?
そう思った瞬間、望の頭の上には麦わら帽子が現れ、洋服も白色のノースリーブのワンピースに変わっている。
「夢チート、素敵すぎ」
望はお嬢様風に胸の前で手を組んだ。いつの間にか腕には木で編んだカゴがぶら下がっている。
「のんちゃん、お花つむ」
「お花摘んじゃっていいの?」
「のんちゃん、花たば作る。おおまじょさまの柱、おそなえする」
「なるほどね。よし、きれいな花束を作ってお供えしよっか」




