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月餅と中秋節 四

 さりげなく真鍋に誘導されて、望は自販機の前に戻った。あれよという間に自販機の前に立たされた。後ろでは真鍋が腕を組みながら、真剣な様子で飲み物を選んでいる。


「俺は朝は無糖派なんだけど、今朝はミルク系のやつが飲みたい気分なんだよな。あんまり甘くないおすすめある?」

「それだったら、このカフェオレが甘すぎなくてちょうどいいと思う。私奢るよ」


 望がカバンから財布を取り出そうとすると、真鍋は既に右手で硬貨を投入していた。


「おすすめって、これ?」

 真鍋は右手を自販機に付けると、左手で望の頭のすぐ横にあるカフェオレのボタンを押した。


 望はびしりと固まった。

 これちょっと、壁ドンみたいな体勢になってるんですけど。

 ふわりの真鍋のコロンの香りがする。思わずその匂いを吸い込みそうになって、望は慌てて息を止めた。

 だって、匂い嗅ぐとかちょっとやばい人みたいじゃない!?

 自分の中で言い訳をする。


 ガタンとカフェオレが落ちてくる音がする。

「及川も同じやつ飲む?」

 真鍋は望の左耳に唇を寄せると、内緒話のように囁いた。髪の毛がさらりと揺れる気配がする。朝だからか、少し掠れた真鍋の声に耳の産毛が立った。

「う、うん、そうだね……うんお願いします」

 望は目を右往左往させながらなんとか返事をする。上擦った声が出て、それを誤魔化すように小さく咳払いをする。


 視線はビシバシと感じているのだけど、怖くて左側を見ることができない。


 二本目のカフェオレが落ちてきて、真鍋ばそれを取り出そうと頭を下げた。すかさず望は素早く右側に飛び跳ねた。が、すぐに後悔した。

 今の、ちょっと自意識過剰っぽかったかもしれない。でもだっていきなり距離を詰めてくるとか。くそう、これか、女を落とすテクは。

 まんまと引っかかった自分に悔しくなって、頭を壁にぶち付けたい気持ちになる。


「ほらよ」

 真鍋はそんな望を気にしていないのか、それとも気づかないのか、平然とカフェオレを渡してくる。

 望もムキになって、ポーカーフェイスでカフェオレをありがたく受け取る。指が触れても気になったりなんてしないったら。


「ありがとう。今度何か奢るよ。チケットの手配を手伝ったぐらいで、なんかごめんね」

「違う違う、あれはあれだ、その……月に連れて連れて行ってくれただろう。その礼」


「え?」

 真鍋くんはてっきり怒っているものだと思っていた。無理やり連れて行っちゃったし、月でも途中までプリプリ怒っていたし、あれから月にも来ないし。


 望の疑問が顔に出ていたのか、真鍋は苦笑した。

「最初は変なことに巻き込まれてめんどくせえなって思ったけど、でも、月に行けて本当に良かったと思っている。自分の中の欠けていたものが見つかった気がするんだ。月が俺たちの故郷だなんて」

 そう言って笑った真鍋の顔は本当に嬉しそうで、望もつい嬉しくなって笑顔になった。

「うん、お友だちもいっぱいできたしね」

「まあそうだな」

 二人で笑い合う。人の声が近づいてきて、「あ、じゃあ私はこれで」と望はもう一度真鍋にありがとうと言うと、オフィスに戻った。


 望のオフィスはまだ静かだ。周りに人がいないことを確認すると、望はサリーに話しかけた。

「サリー、おはよう」

 サリーはほんのわずかだけ耳を動かした。いつも通りの朝。でも何かがちょっと違う気がする。

 あれ? 昨日はサリーの目の前に月餅を置いたはずなのに、サリーが月餅の上に乗っている。


「サリー、もしかして月餅好き? 昨日の夜、月で月餅嬉しいって言ってたもんね」

 サリーは、ほんのわずかに首を縦に振った。

「サリー、もしかして食べ物を食べられるの? 月餅食べる?」

 サリーは一瞬目を光らせて、それから耳を少しだけ下げた。

「どうしたの? この月餅、すごい美味しかったよ。中がね、カスタードクリームなの。サリーもきっと気に入ると思うな」

「げっぺい、食べたらなくなっちゃう」

 サリーは望が耳を澄ませないと聞こえないくらいの声でつぶやいた。


「大丈夫、おうちにまだ二つ残ってるから。明日持ってくるよ」


 サリーの耳がピンと上がった。望は月餅のプラスチック包装を外すと、サリーに差し出した。


「食べられるかな? ちょっと大きい? 半分にする?」

 望は月餅を半分にすると、サリーに差し出した。中からトロリとカスタードクリームが流れてくる。

 ほうと、思わず望はため息をついた。昨日の幸せな時間を思い出して、唾液が出てきた。

「はい、サリー。あーん」

 そう言ってサリーの口元に持っていくと、一瞬にして月餅が消えた。


「サリー、本当に食べられるの!?」

 望はびっくりして思わず大きい声を出してしまった。急いで周りを確認する。


 セーフ、多分セーフ。望のデスクは窓際だし、書類がぎっしりと詰まっいてるキャビネットがあるから、うまい具合に視界を遮断してくれているはず。


 望はサリーを見た。サリーは相変わらずのペーパークラフトで、お腹が膨れている様子もない。……というか、どうやって消えたんだろう?

「サリー、美味しかった?」

 サリーはぴょんと小さく、飛び跳ねた。

「もう半分もどうぞ」

「はんぶんこする」

「うん?」

「サリーとのんちゃん、半分こする。サリーはんぶん食べたから、こっちのはんぶんは、のんちゃんのね」

「サリー、なんていい子なのかしら」

 心打たれた望は残りの半分を、味わいながら口に入れた。相変わらずの美味しさだ。サリーと半分こして、美味しさが増した気がする。

「おいしいしいね」

「本当に美味しいね。また明日持ってくるからね。また半分こしよう。サリー、食べ物を食べるんだったら、これからも何か持ってくるよ。何か食べたいものはある?」

「サリー、甘いのが好き。げっぺい、おいしかった」

「わかりました。では、のんちゃんおすすめの厳選スイーツを献上いたします。一緒に食べようね」

 サリーは耳をピンと立てた。


「ふふ。一緒に食べられるのね。これからもいっぱい美味しいお菓子をストックしておかないとね」

「のんちゃん、こんど、ほっかいどうのおみやげのチョコレート食べる?」

「そうそう。あれ美味しかったよね。食べようね」

 同僚が北海道に行ったときに、美味しいチョコレート買ってきてくれたのだ。お取り寄せしようか現在検討中だったが、たった今決定事項になった。


 人が入ってきたので、望たちはそこで会話を中断した。この日はずっとサリーがうっとりした顔をしていた気がする。


「サリー、なんかデカくなってないか?」

 そう真鍋に突っ込まれることになるのは、もうしばらく先のこと。

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