31. サリー
「のんちゃん、うさぎ、おもちあげてきた。うさぎ、うれしいって。うさぎも、うれしい」
うさぎさんが帰ってきた。ナイスタイミングだ。望の肩にちょこんと乗ったうさぎさんを望は撫でた。
今までの話題はこのままうやむやにしたほうが懸命だ。真鍋くんのことは気がかりではあれど、本人も特になんらかの返事を期待しているわけではないのだろう。淡々とお餅をちぎる作業を再開している。
「ね、うさぎさんの名前さ、何か他の名前にした方がいいかな? これだけたくさんうさぎがいると、うさぎさんのことだか、他のうさぎのことだか、よくわからなくなってくるよね」
オフィスでこの子を『うさぎさん』と呼び始めた頃は、まさかこんなにたくさんのうさぎに出会うとは思ってもみなかった。
「うさぎはうさぎ」
うさぎさんは言い切った。うさぎさんにしては珍しい、ちょっと意地を張るような声のトーンだ。
「そうなんだけどさ、」
「この子は、のんちゃんが付けてくれた名前を気に入っているようですよ」
今までの話題には口をはさまずに黙々と作業をしていたルナが言う。
「そっか。それは嬉しいな。でも、ここにはうさぎがいっぱいいるから。やっぱり何か特別な名前をつけてあげたいなって思うんだけど、どう?」
望はうさぎさんを両手で掬い上げて目線を合わせた。
うさぎさんは目を輝かせて、ぴょんぴょんぴょんと望の周りを嬉しそうに跳び回った。
「うさぎ、とくべつ!」
「うーん、何がいいかな? うさぎでしょう。うっちゃん? さあちゃん? それとも、ギーちゃん? うさぎの名前ってあんまり思いつかないな」
望は腕を組んで考え込む。
「お前、ネーミングセンスないだろう」
真鍋は先ほどの様子から一転して、元の調子に戻って突っ込む。
望はちょっとホッとしながら、それに乗ることにした。
「そんなことないし。うさぎさんの愛らしさを残したまま、かわいい名前をつけてあげたいの。だから、うーん、サリーはどう?」
「『うさぎ』の『さ』だけ残ったな」
「そう。やっぱり、『さ』は外せないよね。ね、うさぎさん、どうかな? サリーって呼んでもいい?」
「サリー! サリー!」
うさぎさん改めサリーは、そう叫びながら遠くへ跳んでいってしまった。
「あれ。あんまり良くなかったかな?」
望は不安そうにサリーの去っていった方を見た。サリーはぴょんぴょんぴょんと飛び跳ねながら、うさぎたちの所を行ったり来たりしている。そして望の元に帰ってきた。後ろには、ぞろぞろとうさぎたちを連れてきている。
「名前がついたんだってな」
「サリーってかわいい名前ね」
「よかったな、サリー」
うさぎたちが次々とサリーを祝福する。
「みんなに自慢しに来たようじゃな」
サリーに連れられてきた長老さんは、鼻をヒクヒクさせながら愛おしそうにサリーを見ている。
「よかった、気に入ってくれた? サリー」
「サリー、のんちゃんといっしょ。サリー、のんちゃんといっしょに、あそぶ」
「そうだね、ずっと一緒よ」
サリーは、望の肩にぴょんと乗ると、望のほっぺたにちゅっと顔を近づけた。
硬い厚紙の感触がしただけのはずなのに、なぜか望にはとても温かく感じた。
「さあ、あと一踏ん張り、作ってしまいましょうね」
ルナがみんなを励ます。
残すところは月見団子だけだ。お餅をピンポン玉大に丸めて、くっつかないように薄く片栗粉をまぶしていく。一粒一粒丁寧に朱色の三宝に並べていくのは、お手伝いを買って出た子うさぎたちだ。
一段目には、横に三個と縦に三個をはじめに並べ、残りを埋めていく。全部で九個だ。二段目には四個、三段目には二個を盛る。
子うさぎたちは、「三段目の二個は、正面から見て縦に二個並べるのよ」というお母さんうさぎのアドバイスを真剣な顔で聞いている。
やや横に傾きつつも、ピラミッド型に並べられた月見団子は完成した。
「俺が持っていく」
「私が持ってくわ」
「僕も持ちたい!」
子うさぎたちがいい合いを始めた。三宝を方々から引っ張り合っている。
「やめなさい! 落としちゃったらどうするの。みんなで仲良く持って」
お母さんうさぎのお叱りに子うさぎたちはお行儀良く返事をして、みんなでそろそろと慎重に運び始める。
他のうさぎたちもそれに続く。どこに持っていくのだろう? と望もついて行った。サリーは望の頭の上に乗っている。真鍋と長老さんも歩き始めた。
ゆっくりと三宝が下されたのは、餅つきをした山の中央だった。
ルナが「もう少し右ですね。十度ほどこちら側に傾けて……ちょっと行き過ぎです。はい、そこで」と指示を出している。ルナは三宝を見て、それから振り返って山の遥か向こうに視線を移し、鼻を上げてくんと息を吸った。そしてもう一度三宝に視線を合わせると、満足げに頷いた。
「はい。結構です。それでは長老さま、よろしくお願いいたします」
「皆の者、餅つきご苦労じゃった。大魔女様に、祈祷」
長老さんは、ルナが方角を確認していた山の遥か向こうに顔を向けて目を閉じた。他のうさぎたちも同じ方向に顔を向けて目を閉じる。
あれだけ賑やかだった空間がしんと静まりかえる。時々、しゅわしゅわと蒸気が湧き出る音だけがする。
どうすればいいかわからなかった望は、同じく目を閉じて手を合わせた。隣で真鍋も手を合わせている。
うさぎたちは、何を祈り、何を願っているのだろう。
望にはわからない。ただ、ここに来れたことの感謝と、これからも、このうさぎたちの楽園が長く続きますように、と祈った。
一筋の風が望の背後から前へと吹き抜けていった。
山の向こうへ去っていった風は、うさぎたちの祈りを届けて行くかのようだった。
「さあ、じゃぁいただくとするかな、と言いたいところじゃが、みんなもう食べ始めてるのう」
長老さんの声でうさぎたちは目を開けた。
若者は率先してお餅の味付けをしていたところまで戻ると、お餅を中央まで運んできた。
「サリーがくれたからもう食べちゃったぜ!」
ほっぺにあんこを付けたうさぎが、うししと笑った。
「まだまだたくさんありますから、みんなでいただきましょう。さ、のんちゃんもたくさん召し上がってください」
ルナに促されて望は長老さんの隣に座った。真鍋も望の隣で胡座を組んだ。
次から次へと色とりどりのお餅が運ばれてくる。あっという間に目の前は花畑のようになった。お餅の形と大きさがバラバラなのはご愛嬌だ。
お餅を囲むように、うさぎたちは輪になって座る。
長老さんは目の前のうぐいす豆のお餅を器用に前足で掴んで口に入れた。もぐもぐと咀嚼しながら「おいしいのう」と目を細めた。それを合図に、他のうさぎたちもお餅を食べ始めた。
望も「いただきます」と手を合わせて、お餅を摘む。みんな手掴みで食べているから、望もそれに従った。ところどころに泉の水が入った桶が用意されているので、それを使わせてもらう。
ちょうどよく熱が冷めたお餅は、食べやすくてすいすい口に入る。
きなこ、あんこは安定の美味しさだ。醤油餅はこのままでもおいしいけど、海苔を巻いて食べるとさらに香ばしさが増す。大根おろしもさっぱりとしていて、食が進む。
チーズがお餅の熱で溶けて、餅と一緒にとろりと蕩ける。このままでもおいしいし、醤油を少しつけてもさらにおいしい。
甘いの、しょっぱいの。無限ループで食べられる気がする。
サリーも食べようと声をかけたが、いつの間にかサリーは望の頭の上から、真鍋の頭の上に移動して、すやすやと寝息を立てている。
寝る子は育つからね、と望はサリーのことを起こさないことにした。真鍋は頭を下げないように、ぎこちない手つきでお餅を食べている。望は真鍋の手の届かないところにあるずんだ餅を取って、真鍋に手渡した。「ありがとう」の声に笑顔を返すと、望もずんだ餅を食べた。
いい塩梅の出来である。
欲を言えば、熱い緑茶が欲しいところか。
「長老さま、のんちゃん、そちらの方、緑茶をお持ちしました。熱いのでお気をつけください」
ルナが湯飲み茶碗に入った緑茶を望たちの前に置いた。
「え、ごめん、ルナ! 私、やるよ」
望は慌てて腰を浮かせた。ルナはそれを前足で制した。
「いいんですよ。のんちゃんはゲストですから、座ってお召し上がりください。そちらの方も、お気遣いは無用ですよ」
真鍋も腰を上げようとしていたらしい。またもや『そちらの方』と呼ばれた真鍋は、何かを言いかけて、それを飲み込むように黙ってうなずいて座り直した。
意外だなぁと望は思った。真鍋くんはちやほやされ慣れてるから、こういう時はふんぞり返っていそうなのに。
独り言はついうっかり口を出てしまったらしい。真鍋は肩をすくめた。
「営業っていうのは腰が軽くないとやっていけないんだよ。取引先と接待する時は、酌をして、料理を取り分けて、タクシー呼んで、ヨイショしてナンボなんだ。俺だって気くらい遣う」
へえー、そうなんだ。真鍋くんって骨の髄まで仕事人間だな。
「そんなことより……その、俺の名前がな……」
話しているうちに、ルナはまた忙しそうに望たちの前にお餅を盛り始めた。皿を空にしてはならぬ、というルナの意気込みに、望の意識はそちらに向かう。
「ルナ、一緒に食べよう? ルナ全然食べてないでしょ」
望はルナを抱きかかえると、膝の上に下ろした。あんこ餅を手でつかんでルナに「はい、あーん」をする。ルナは恥ずかしそうにあんこ餅をかじった。
「おいしい?」
「……はい。おいしいです、とっても」
「じゃあいっぱい食べようね。次どれ食べる?」
望はルナがもうお腹いっぱいですと言うまで、「あーん」を繰り返した。