30. 餅つき5
せっせと作業をしていると、お母さんうさぎの一匹が 「うふふふふ」といきなり笑い始めた。お母さんうさぎたちの話の続くなんだろう、と望は気にも留めなかったが、何やら視線を感じる。望はうん? と首を捻ったが、まあよそ者だしな、それは気にもなるよね、と目線を落としたまま餅をちぎる。
「なんか夫婦って感じでいいわね」
「本当よねえ」
餅をバットに乗せるために顔を上げて、さりげなくお母さんうさぎたちを見てみると、何やら口元をヒクヒクさせながら目配せし合っている。
「ねえ」
「ほんとね」
「うふふふふ」の笑い声はまだ続く。
「えーと、旦那さんたちは餅つきの方に参加されてたんでしたっけ?」
望は楽しそうに笑っているお母さんうさぎたちに聞いてみた。話に入って欲しそうな雰囲気を感じたからだ。旦那さんの自慢話をしたいのかもしれない。そう思って、望は餅つきが行われていた中央付近を振り返って見た。
餅つきで精魂尽きたうさぎたちは、各々思い思いの場所に寝転がっている。
ところどころに出てくる蒸気が、サウナみたいな感じで気持ち良さそうだ。
『あ〜』という声が聞こえそうな様子で目を細めてだらんとしているうさぎもいれば、餅つきの興奮が冷めやまずに走り回っているうさぎもいる。
旦那さんたちは餅つきをして、奥さんたちは味付けをする。こういうことを毎年やってるんだろうなぁ。たしかに夫婦っぽい。
「旦那さんたち餅つき頑張ってましたもんね。お上手でしたね」
「違うわよぅ。うちの旦那なんてどうでもいいのよ。あなたたちのことを言ってるの」
えっと望みが思ったのも一瞬のこと。
「俺たちは夫婦じゃない」
バッサリと切るように真鍋が言った。にもかかわらず、お母さんうさぎたちはめげない。
「いいのよ、そんなに照れなくても」
「あら奥さん、このぎこちない感じが初々しいんじゃない」
「そうよね。私たちにもそういう時代があったわよね」
「秘密のサインとか決めてね。こっそり合図し合ったり」
「あら。あなたたちの『アイシテル』のサインはバレバレだったわよ」
「いやだー。もう。恥ずかしいわ」
お母さんうさぎたちは、何としても恋バナをしたいようだ。
望は前に会社の先輩に質問攻めにされた時のことを思い出した。
先輩曰く、『私くらいの歳になるとね、周りの人は、ほとんどが結婚してるか、離婚してるか、不倫してるかで、ピュアな恋愛話ってほとんど聞く機会がないのよ。付き合ったり、別れたり、片思いしたり、そういう話が聞きたいの』だそうだ。
望は頭をひねって、何とか満足していただける話題を提供したのだが。
どうしたものかと考えていると、話はお母さんうさぎたちの結婚当初の話題に移っている。
話が逸れてくれたことにホッとして、望は作業に集中することにした。
「……お前、結婚願望とかあるのか?」
ポツリと真鍋が聞いた。聞こえていなかったらそれでいいというニュアンスの、質問とも独り言とも取れるような声だ。
「結婚願望? うーん、どうだろう。いつかはできたらいいかなとは思うけど、今は特にないかなっていうか……」
……何せ振られたばっかりだし。恋愛への自信などすっかり消え失せている。そもそも自信など元からあったのだろうか? 『付き合おう』と言われたから付き合って、『別れよう』と言われたから別れた。ただそれだけ。
そもそも恋人なんて必要? 女性が一人で生きていけない時代でもないし、このまま仕事を頑張ってお一人様でもいいかもしれない。そしてゆくゆくはマンションを買って、定年退職後は趣味に生きる。そんな人生もいいかもしれない。夢は広がる。
……という壮大な計画は、自分の胸に留めておく。なんか言われたらやだし。
人に何かを聞かれたくない時は、こっちが質問するに限る。
望は真鍋に話を振った。
「真鍋くんこそ、結婚願望はあるの?」
「俺は結婚するつもりはない」
間髪入れずに返事が返ってきた。
想像通りの返事が返ってきた望は、特に驚くこともなく、「そうなんだ」と流した。
真鍋は作業をしたまま望に視線を動かした。
「……なんだよ?」
「別に。何も言ってないじゃん」
沈黙が降りる。
望としては特に気まずいとも思っていないのだが。
真鍋は根負けしたようにため息をついた。
「元カノとはそれでもめたんだ。俺は最初から結婚願望は無いって言っておいたのに、結婚してくれるかと思ったのに、とか言い出して」
「ふーん」
望は気のない返事をした。
「先に言っておかないのはフェアじゃないだろう? だから言ったんだ」
真鍋は自分の意見の不正当性を主張するように強く言った。
「…………」
お餅を強く握りしめてしまった望は、慌てて形を整えた。胃のあたりがムカムカする。せっかく美味しいお餅を食べたのに。
「なんだよ。何かあるなら言えよ」
黙った望にしびれを切らした真鍋が、餅を思いっきりちぎってバットに置いた。
「いや、別に。私は元カノじゃないからその子の気持ちなんてわからないけど。付き合ったら結婚も考えてくれるかなと思ったんじゃないの?」
「だから!」
真鍋が話し始めるのを遮るように望は重ねて言った。
「『自分たちに将来は無い』って先に宣言されて、それでもいいよって言う子なんているのかな?」
真鍋はうっと詰まった。俺は別にそんなつもりじゃ、と口の中でつぶやいている。
「結婚のカードをちらつかせて付き合う男よりマシじゃないか。お前の元彼、そういう奴だったんじゃないのか?」
はっ! と望は真鍋の顔を見た。
「言ってた! そういえば、めっちゃ言ってた! なんでわかったの? もしかして周りの人にも言ってたの?」
望は真鍋にイライラしていたこともすっかり忘れて、真鍋に聞いた。
「俺とあいつは別に交流があったわけじゃないから分からねえけど。あいつ、そういうこと言いそうじゃん」
すでに元彼とはいえ、付き合っていた人のことをろくに知りもしない真鍋に悪口を言われて、望はカチンとした。
「なにそれ。知らないなら適当なこと言わないでよ」
「結婚をちらつかせる男は、だいたいどこでもやってるんだよ。そんなのに引っかかるなよ」
上から目線の物言いに、さらにカチンとする。
「『結婚はしない、責任は取らない』宣言をする男と、結婚をちらつかせながらすぐに浮気する男、どっちもどんぐりの背比べのレベルで最低だと思うけど」
望は冷めた声で言い捨てた。ついついドスが効いた低い声が出る。握っていたお餅はぐしゃっと潰れた。
「俺は別に責任を取らないって言ってるわけじゃ」
「でも結果的にそういうことでしょう? 無責任だね」
やっぱりこの人嫌い。ちょっとはいい人かなって思ったけど、住んでいる世界が違う。きっとわかり合えることなんて一生ないんだろう。
望は怒りを吐き出すように大きなため息をついた。真鍋が隣でびくっと肩を震わせた。
「まあ、いいんじゃない。好きに生きれば。真鍋くんならよりどりみどりじゃない」
どうせ望には関係のないことだ。
「俺は! 俺は、結婚なんかより欲しいものがあるんだよ。それを手に入れるまで結婚はしない」
思いのほか、真剣な声で答えが返ってきた。
てっきり『まあ、俺レベルになれば選びたい放題だな』とか返ってくると思ってたのに。
「へえ。そう。手に入れられるといいね」
そっけなく返事をする。
何が欲しいのか知らないけど、真鍋くんはできる人だから、何でも手に入れられる気がする。それが手に入ってから嫁探しですか。余裕があって大変うらやましいことで。
ほとんど八つ当たりに近いけど、世の中には『選ぶ』側の人間と、『選ばれる』側の人間がいるのだという事実を突きつけられた気分だ。『選ばれなかった』側の望にはそれが痛い。
「……それがわかんねえんだよ。ずっと探してる。いつかわかるんじゃないかと思ってるんだけど、何を探しているのか、何が欲しいのか、わからないんだ」
それは初めて聞いた真鍋の弱々しい声だった。
心を打つような声は、それが本音なんだなと思わせる何かがある。
何かを探しているけど、それがなんだかわからない。どういうことなんだろう?
望はそれ以上聞くことを躊躇した。詳しい事情に突っ込めるほど、深い仲というわけではない。そして心に刺さった棘の存在を思い出してしまった望は、そんなに簡単に怒りが解けるものでもない。
真鍋は両手をきつく握りしめて、真っ直ぐに前を向いている。まるで、よく見れば目の前に望みの物が現れると信じているような。焦燥にも似た恋焦がれた目には何が映っているのだろう。
思いがけず真鍋の心の底に触れてしまった望は、何か声をかけてあげたいと思った。
「えっと、」
手を宙に彷徨わせながら、会話の糸口を探すように望は周りを見渡した。
すると、お母さんうさぎ達とがっつり目があった。もれなく全員がこっちを見ている。
望は固まった。
……今の話、聞かれてた?
「あら、私たちの事は気にしなくていいわよ。新婚の内はね、いっぱい話し合って、いっぱい喧嘩もして、そうやって仲を深めていくのよ」
望の心の声が届いたのか、ピーターくんのお母さんは気にするな、と前足をちょんちょんと振った。もう片方の前足はほっぺたに当てている。
そうよ、そうよ、と周りのお母さんうさぎたちも同意する。
「いや、あの、私たちは、」
「はい。そうすることにします」
望の否定を遮って、真鍋は言った。
ちょっと、と望は真鍋を睨んだ。真鍋は肩をすくめた。
「こういうおばさんたちはどうせ言っても聞かないんだから、適当に流しておけばいいんだよ」
さすが営業。マダムたちの扱い方もよくわかっているようだ。