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3. 月、ついた

「ちょっとちょっと、うさぎさん!このままだと正面衝突しちゃうよ」

「うさぎ、跳んだ。しょうとつしない」

 うさぎさんはスピードを落とさず、そのまま月の表面に(望の)頭から突っ込んでいった。

 無重力の状態から、急激に引力に引っ張られて――というか落ちて――いった望は、両手のひらにちょこんと座っているうさぎさんを握り潰さないように、腕を思いっきりお腹のほうに引き寄せて耐えた。不本意ながら望のお腹には真鍋の腕が回っているので、真鍋の手の甲が望の肘にぐりぐりと当たって地味に痛い。


 髪の毛が後ろに勢いよく流れて、バシバシと何かに当たる音がする。

 おそらく真鍋の顔に当たっているのだろう。後ろで低く唸る声が聞こえる。


 地面が近くなってくるにつれて、さらにぐいっと体が引き込まれていく感覚がした。 

 高いとこから飛び降りると、頭の方が重いから頭から落ちるって本当だったんだ、と望は妙に冷静に納得した。


 やばい、死ぬ。


 望は、衝撃に備えて目をギュッとつぶった。

 襲ってきたのは、激痛……ではなく、フワッと何かが体を突き抜けたような感覚だった。地球の薄い雲を突き破っていった時と同じような感じだ。


 ……あれ?


 グルン!


 恐る恐る目を開けようとした望だが、急に体が半回転した。下にあった頭が突然上を向いて、望は思わず声を上げた。

「わあっ!」

 それから数秒も経たないうちに、うさきさんと望、真鍋は地面に着地した。身長が高いため、真鍋の足にはそれなりの衝撃がかかったらしい。ドンという音がして、それからふわりと望の足は地面についた。


「月、ついた」


 うさぎさんが宣言する。

 望は恐る恐る目を開けた。


「え、ちょっと……」

 なにこれ?と言おうとした望の体は、その言葉を口に出す前に後ろから引っ張られて尻餅をついた。

 腰が抜けたらしい真鍋が地面に崩れ落ちたのだ。真鍋は顔面蒼白、体は小刻みにプルプルと震えている。

「……大丈夫?」

 かわいそうになった望は声をかけた。

「だっだっだっ……」

 望は首を傾けた。

 大丈夫ってことかな?

 とりあえずお腹が苦しいから手をどけろ、と望は真鍋の手を引き離そうとするが、ピクリとも動かない。キツく握られた手は白くなっていて、その握力は全て望の腹を圧迫してくる。お腹が潰れるからどけろや!と望は真鍋の手をバシバシと叩いた。


「月、ついた」

 うさぎさんがもう一度宣言した。望からの反応がなかったことが寂しかったらしい。


「あ、うん、そうだね。うさぎさんは有言実行タイプだね」

 褒められたうさぎさんの顔は、心なしか誇らしげな表情を浮かべているように見える。

「でも……一体どういうこと?」

 目の前に広がっていたのは、見渡す限り広がる緑の森だった。

 樹齢何百年も経っていそうな大木たちは、すくすくと緑の葉っぱを繁らせている。風に吹かれて枝がしなり、葉がサラサラと揺れる。遠くから聞こえてくるのは鳥の鳴き声。耳をすませば、川のせせらぎも聞こえてくる。

 濃厚な緑の香り。腐葉土と、植物と、甘い花の香りが混ざり合って望の体を包む。


 暖かい日差しが降り注ぐ昼間。

 マイナスイオンたっぷりの癒しの空間。

 ポカポカして、ついついお昼寝したくなっちゃう陽気……じゃなくって。

「こっ、ここここどこだ!つつつつ月、じゃない!」

 望が心の中で思っていたことを真鍋は叫んだ。本人としてはまともに話しているつもりだろうが、声はひっくり返っているし、発音も怪しい。

「月、ついた」

 うさぎさんは、望の手のひらからぴょんと飛び降りた。あっと思った時には、足元のすずらんが生い茂る中をうれしそうにぴょんぴょんと飛び跳ねている。


「ふぉっふぉっふぉっ。よく来たな。お前たち。無事に着いて、何よりじゃ」

「わっ!誰?!」

 びっくりして声がした方を見ると、望の足元には白いうさぎがちょこんと座っていた。こちらは望のペーパークラフトのうさぎさんと違って本物のうさぎだ。

 ふわふわそうな毛はきれいに整っており、望が抱き上げればすっぽりと腕の中に収まってしまうサイズだ。

「無事に着いて何より」

 愛らしい外見とは異なり、声はしゃがれている。

 よかった、よかったと言っているうさぎの口は当然ながら動いていない。でも、声は確かにこの白うさぎからするのだ。鼻をヒクヒクさせて、真っ赤な瞳で望たちを見上げている。


「ちょうろう。うさぎ、ついた」

 うさぎさんは白うさぎのところに跳ねていくと、その頭に思いっきり体当たりした。

「ちょっとうさぎさん!」

 白うさぎはそれを難なく受け止めて、うさぎさんに頬擦りする。うさぎさんはそのまま白うさぎの背中によじ登ってぺたりとくっついた。

「よく来たのう」

「……はぁ」

 望は口を開けたまま白うさぎをポカンと眺めた。


 うさぎというのは、犬のように表情豊かな動物ではない。どちらかというと猫に近い。基本は無表情だ。でもなぜかその白うさぎは、孫を見て目を細めるような顔をしている。

「白うさぎが喋ってる!」

 遅ればせながら望はびっくりした。

「いやいやお前。それ今更だろう。この紙ぺらのうさぎだって喋ってるじゃねえか」

 やっと普通の声が出るようになったらしい真鍋が、やれやれといった風に言った。


 いや、そんな冷静そうなフリしても今更だから。あなた、まだ腰は抜けたままだし、片腕は私のお腹に張り付いたままだし、なんなら声も震えてるし。


「うさぎさんはうさぎさんだもん。こんな賢い子が喋れないはずがないでしょ。ね」

 望はうさぎさんに向かって笑いかけた。

「お前の基準は本当にわかんねえな」

 真鍋は頭をポリポリと掻いた。毒気が抜かれたのか、ようやく真鍋は腕を外した。


「この子がここまで喋れるようになったのは、お前さんのおかげじゃ。ありがとうな」

 白うさぎは嬉しそうに体を震わせた。

「え!私ですか!?いえ、そんなとんでもない。私は何もしていないです」

「いやいや。お前さんが声をかけてくれたから、この子はこんなに喋れるようになったんじゃ。まったく珍しいことじゃよ。普通のうさぎは喋れるようになるまで数年かかるからの。中には数十年かかる子もいるし、言葉を持たないまま生を終えて月に還ってくるうさぎもたくさんいる。この子が地球に渡ってからまだ一年も経っていないだろう」

「そうですね。うさぎさんが私のところに来てくれて……半年過ぎた位ですかね」

 懐かしい。年始にかじかむ指先を温めながら、うさぎさんを折ったのだ。

「ありがとう。この子を大切にしてくれて」

「そんな、私の方がいっぱいいろいろもらってます」

 会社で嫌なことがあっても、うさぎさんと心の中でお話しするから乗り越えられるし、月曜日にほんっと会社行きたくないって思っても、うさぎさんが待っていてくれると思うと、しょうがない行くかという気になる。


 うさぎさんは望の心の支えなのだ。


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