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十五夜の夜、うさぎは月に還る  作者: 上条ソフィ
十五夜の夜、うさぎは月に還る
24/38

24. もくもく山

 ぜーはーしながら望たちは山の頂上に到達した。


「これはすげえな」

 真鍋が息を飲んだ。

 望も膝に手をつけて息を整えると、頭を上げた。


 山のてっぺんは、中心がくぼんでいた。

 縁はぐるりと一周高くなっていて、その幅は車が二台ギリギリすれ違えるほどだろうか。その縁の部分に望たちは立って、中心の窪みを見下ろしている。

 もくもくの煙はこの山の頂上全体から出ているようだ。中心の窪みからも、そこに向けてなだらかな下り坂になっている地面からも、ところどころ白い煙が出ている。


「ほんとだ。すごいね。富士山の頂上みたい」

「昔はこれより高い山だったみたいなんですけど、山が噴火して、てっぺんが沈没したそうです」


 よく見ると、もくもく山の左端はもう一つの山と合体している。こちらの山はこじんまりとして、もくもく山の三分の一ほどの大きさだろうか。同じように中央が窪んでいて、中には水が溜まっている。

 望たちの立っている縁の一部は、この小さい方の山の縁も囲むように一周している。


「あっちの小さい山は?」

「あちらは『鎮魂と再生の泉の山』と言いまして、頂上からはお清めの水が湧き出ている、大変神聖な山です。大魔女様が、われわれうさぎたちのために創ってくださったものです」

 ルナは声を少し震わせながら、そっと目を伏せた。


 望は太陽光を反射してきらめく水面に気を取られていて気づかなかったが、真鍋はルナの様子をじっと見ていた。


「さあ、下に降りる前にお清めをしていきましょう。ほんとうなら、あそこまで跳んでいく予定だったんですよ。もう。せっかく温泉できれいになったのに、また汚れちゃったじゃないですか」

 何かを振り払うようにルナは大きめな声でそう言うと、ぷりぷりとお尻を揺らしながら先に行ってしまった。


 申し訳ないと思いつつ、望と真鍋は後に続いた。


 ◆◇◆◇


 どこまでも透き通った水は、なんの翳りも濁りもなく、水底を映し出す。

 水底は近そうでもあり、遠そうでもあり。

 吸い込まれそうなほどの青に、望はわずかな恐怖を感じた。それなのに、目が離せない。


「おい、大丈夫か?」

 真鍋の声に望は我に返った。いつの間にかしゃがみ込んで前のめりになっていたようだ。慌てて姿勢を正した。


「あ、うん。なんか、あまりにも透明で。あれみたい。ほら、東京タワーとかさ、高い建物の展望台から下を見ると、ちょっとくらっとするじゃない。落ちちゃいそうで。あんな感じがする」

「おいおい、落ちんなよ。多分すげー深いぞ、この水溜まり」


「水溜まりではありません。大魔女様が御力を結集してお創りになられた『鎮魂と再生の泉』です。さあ、手と顔を清めてください」


「いや、そんな神聖なところに触るのは……」

 波一つ立たない水面は、すべてのものを飲み込むような無の圧倒感がある。望にその静寂を破る資格があるとは、とても思えなかった。


「大丈夫ですよ。うさぎたちは――」


「ひゃっほーい! 俺一番!」

「ぐえっ!」


 ざぶん!


 どこからともなく現れたうさぎが、勢いよく泉に飛び込んだ。しゃがんで水面を眺めていた望の顔に、思いっきり水がかかった。びっくりするほどの冷たさに思わず目をつぶって、瞬きを繰り返す。

 ちなみに、「ぐえっ!」という呻き声は、頭上を踏み台にされた真鍋のものだ。


「ずるい! お兄ちゃん! わたしも!」


 続けてうさぎたちが真鍋の頭を踏み台にして、次々と泉に飛び込んでいく。


「これ! あなたたち! ここは神聖な場所だから礼儀をわきまえなさいと何度言えば!」

「わー! ルナが怒った! 逃げろっ!」


 うさぎたちは泉から、もくもく山へ跳んでいった。


「お兄ちゃん、まって! わたしも!」

 手のひらサイズの子うさぎは、泉から登ってこれないようだ。

「まったくもう。あなたにはまだ早いですよ。お母さんはどうしました?」

「おかあさんには先に行ってるって言った!」

 まったく、と言いながらルナは泉に入ると、子うさぎのお尻を鼻で押して外に出してあげた。


「ルナ、ありがとう!」

 子うさぎはぴょんと跳んでいった。


「ルナ、また濡れちゃったよ」

「大丈夫です。いずれにしてもお清めはするつもりでしたから。さ、のんちゃんも」


 ルナに促されるまま、望は指先を水に差し入れた。さきほどまでうさぎたちが騒いであんなに揺れていた水面は、そんなことなどなかったかのように静まりかえっている。


 望の指先から波紋が広がる。

 お清めの水は、ピリッとするほど冷たかった。

 手首まで両手をつけると、手がじんじんとしてくる。


「何をやってるんですか、あなたは。そんなところに突っ立ってないで早くお清めをしてください」

 ルナが後ろで呆れた声を出した。


 どうしたのかと望が振り向くと、真鍋が仁王立ちで拳を握り、直立不動でいるのが見えた。ピクリともしないのは、さすが……なのか。


「俺のここでの役割は、うさぎの踏み台になることだってことはよーくわかった。さあ、どーんと来い!」

 真鍋はくわっと目を見開いた。


 真鍋が本気なのか冗談なのか判断がつかなかった望は、困ったようにルナを見た。


「ふざけてないでさっさとお清めをしてください。三秒以内に始めないと、泉の底に突き落としますよ」

 ルナは冷たい声で言った。真鍋はそそくさとお清めを始めた。


 手を洗い、顔を洗うと、気持ちがシャキッとした。

 ハンカチはあいにく持ち合わせていないので、手をぶらぶらさせて乾かす。


「ね、何か甘い匂いがしない?」

 ふわりと漂ってきた香りに、望は鼻をくんと鳴らした。


 砂糖のような甘さではなく、何か懐かしいような甘い匂い。


「何だろうな?」

 真鍋も感じたようだ。

 匂いがした方を向く。もくもく山の方だ。


 二人はもくもく山の方の縁へ移動した。目を凝らしてよく見ると、中心の窪みには白い何かが敷き詰められているようだ。

 そして、ふんわりと漂ってくる匂い。


「近くに行ってみましょうか?」

 ルナはいたずらっ子のように笑って望たちを促した。


「先に下へ行ってますね」とルナはぴょんと跳んで行った。



 不思議。うさぎに表情はないと思っていたけれど、こんなにルナの表情の見分けがつくようになっている。

 望は嬉しくなって、足取り軽く下に降りようとして――一歩目でずるっと滑った。


 真鍋が無言で手を差し出す。ありがたく掴まらせてもらって、望は腰が引けながらも下に降りて行った。



 下に降りるにつれ、気温と湿度が徐々に高くなっていく。

 甘い匂いも濃くなっていく。

 顔にしっとりとした水の粒が張り付いた。温かいそれは、望に何かを思い起こさせた。


 この懐かしい感じは、あれだ、お赤飯とか、肉まんを蒸してる、せいろ!


「もくもくの正体は水蒸気だったんだね。マグマじゃなくてよかったね」

「いや、まあ活火山なことに変わりはないけどな」

 そう言いつつ、真鍋は引き下がる気はないらしい。

 ここはうさぎの楽園だから、うさぎに危ないことはないと確信したのだろう。窪みにはたくさんのうさぎが集まっている。


 でこぼこかと思われた窪みの底は、意外にもツルツルしていた。

「これ、ちょっと食べてみてください」

 一足先に下まで跳んでいたルナが、木の匙を持ってきた。そこに乗っているのは、白い粒々だった。

「食べるの?」

「はい。よければ」

 望はルナから匙を受け取って、半分ほど白いものを指先で掬いとった。熱いくらいの熱を感じるそれを口元に持って行って、あっと声を出した。


 まさかと思っていたけど、これ。


「お米?」

「正確にはもち米です」

「もち米か。どうりでいい匂いがすると思った」

 真鍋も興味津々で望の手元の匙を覗き込む。

 ふっくらと蒸し上がったもち米は、つやつやと光り輝いている。

「食べていいの?」

「はいどうぞ」

 口に入れる前に一応、望は真鍋の方を見た。真鍋は渋い顔はしているが、止める気はないようだ。


 パクッと口に入れると、炊き立てのお米の甘い味が口の中に広がった。


「美味しいね、これ」

「そうでしょう。そうでしょう。これは地球産の最高級もち米ですからね」

 ルナはうんうんと頷いた。


「地球から持ってきたのか? どうやって?」

 匙の残りの半分の米を食べながら、真鍋が聞く。


「正確には、地球にある神社からですね。日本全国、月の女神を祀っている神社はたくさんあります。まあ、正確にはここにおわすのは大魔女様ですが。それはさておき、毎年各地の神社で十五夜に合わせてもち米の奉納が行われるのですよ。奉納されたもち米は、この地――我々は『もくもく山』とか『餅つき山』と呼んでいますが――に納められるのです。そして毎年一回、十五夜の夜に、ここでみんなで餅つきをするんです」


「餅つき。そうか。餅はもち米から作るんだもんね」


 今さらながら、望は感心した。

 餅といえば、スーパーで切り売りされているお餅を食べることがほとんどだからなあ。お餅はつくもの、というのは頭ではわかっていても、じゃあちょっとやってみようか、とはなかなかならないからな。


 この白い粒々がお餅になると思うと、望はわくわくしてきた。

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