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十五夜の夜、うさぎは月に還る  作者: 上条ソフィ
十五夜の夜、うさぎは月に還る
22/38

22. 突き上げ式乾燥機

 ルナは上機嫌にお尻をぷりぷりさせながら進んでいく。

 うさぎさんは嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねている。

 大人二人は濡れた靴をキュッキュッと鳴らしながら歩く。さながら、小さい子供が喜んで履く、音の鳴る『くっく』のようだ。


 森の中をてくてく歩いて五分ほど。ぽかぽかの日差しは相変わらず暖かい。にもかかわらず、望はふるっと震えた。急に風の流れが変わったのだ。


 ――ゴォォォォ!


 大きな音が前方から聞こえてくる。明らかに、『こっちはヤバいですよー!』という音なのに、ルナは構わずにごう音が響く方へと進んでいく。うさぎさんは風圧によろめいてから、ぴょんとルナの背中に張り付いた。


 望の髪の毛が四方八方に舞い上がる。会社ではセミロングの髪の毛は後ろで一つにまとめていたのだが、ヘアゴムはすっかりどこかへ飛んでいってしまった。


 近づくにつれて、大きな音は風の音だということが分かった。

 急に森が開けて、明るい日差しが入り込んできた。


「さあ、つきましたよ。ここが私達の乾燥機です」

 ルナはそう告げると、ぴょんと大きく前進して後ろを振り返った。望たちが急に歩を止めたことが不思議だったのだろう、首を傾げて望たちを見上げている。


 望と真鍋は口をぽかんと開けて、『乾燥機』を眺めた。

 風が舞って顔面に直撃し、目がシバシバする。望は瞬きを繰り返しながら、目の前のソレを理解しようとしたのだが。


 二人の目の前には草木が生えていない場所が広がっている。その先、ちょうどルナが立っているギリギリのところには、ぽっかりと大きな穴が開いている。穴の大きさは二十、いや三十メートルほどだろうか。底は真っ暗でよく見えない。それでも深い地下まで続いているんだなということが肌で感じられる。

 覗き込む勇気は望にはない。そのまま落っこちそうで。……落ちたら終わりが待っている気しかしない。


 緑が茂る森の中に突如として現れた穴は、異質で、不吉だ。


「えっと、これが、乾燥機……?」

 望は髪の毛を押さえながらルナに問いかけた。

 コミュニケーションの基本は会話だ。諦めてはいけない。質問をすることで、相互理解ができる……はず。

 ルナは当然とばかりにうなずいた。

「温泉で遊んだうさぎたちや、水浴びをしたうさぎたちは、ここで体を乾かしていくんですよ」


 穴の端のギリギリまで近寄っているルナが落っこちてしまわないかと、望はひやひやした。背中に張り付いているうさぎさんの耳が風に煽られて激しく揺れている。


 真鍋と望はルナより二メートルほど後ろに立っている。それでも強力な風を感じるくらいだ。

 風は穴の底から突き上げているらしい。強い風は、望の髪の毛を激しく、上に舞い上がらせている。今ならメデューサごっこができるに違いない。


「……えっとね、ルナ。乾燥機っていうのは、だいたいがこう、四角い箱でね。洗濯機に一緒に付いてることが多いんだけど。中で風がクルクル回って、洗濯物を乾かすんだよ?」

 望は手をクルクルと動かしながら説明する。

「のんちゃん、クルクル回ったらうさぎが目を回してしまいますよ、ははっ」

 ルナは冗談だと思ったらしい。おかしそうに笑った。


 望はチラリと真鍋を見た。真鍋は両手で頭を抱えている。

「ちなみに、一応聞いてやるが、この乾燥機はどうやって使うんだ? まさかここに頭を突っ込むんじゃないよな?」

「いやですね。頭だけ突っ込んだら首がもげますよ。もちろん、ここに飛び込むんです」


 ……やっぱり。うすうすそんな気がしてたんだよね。


 望は無駄かもと思いつつ、説得を試みることにした。

「あのね、ルナ。重力っていうものが地球にはあってね。月にもあると思うんだけど。穴に飛び込んだら落ちちゃうんだよ。この穴、トラックもまるまる飲み込めそうな大きさでしょ? 掴まるところがないと危ないよ」

 望はわかってもらえないだろうなと思いながら言ってみた。と同時に、望は両手を前に出しながらじりじりと前進する。


 ルナの背中のうさぎさんが今にも飛んでいっちゃいそうだから、とりあえずもう少しこっちに来てほしい。

 ルナを抱き抱えたらダッシュで後ろに下がろうと思いながら、目測で距離を頭に入れる。


「大丈夫です。ここは常に穴底から強い風が吹き上げていますから。落ちる心配は全くないです」

 ルナが自信満々に言い切った。それから空を見上げる。


「空にふわっと舞い上がりますから、そのままぴょんと跳んでいけばいいんです。風は色々な方角へ流れているので、自分が行きたい方向の風に乗れば、遠くまで一跳びできます。移動するのが面倒なうさぎたちは、ここまでわざわざ来てから出発する子もいるんですよ。若干不便な場所にはあるんですけどね。それでも普通に跳んでいくより距離は稼げますから。うーん、何でしょう? 地球で言うところの、飛行機みたいなものですかね」


「いや、それは全然違う。てか乾燥機でもない」

 真鍋が真顔で突っ込んだ。

「そうですね。地球の乾燥機とは若干異なるようですが。違いにこだわるようでしたら、『突き上げ式乾燥機』ということでどうでしょう?」

「そんな乾燥機があるかっ!」

 真鍋の叫びにもルナは反応しない。どうやらこれが真鍋のデフォルトだと思うことにしたようだ。


「それで私たちが行きたいのは、あっちのお山の方ですから、あっちに向かって吹いている風に乗るんです」

 ルナは淡々と話を続ける。


「風って身一つで乗れるもんなのか……?」

 真鍋はさすがに自信がなくなったのだろう、狼狽えた様子で望に聞いてきた。


 わかる。自分の常識と違くても、堂々と言い切られると、こっちがおかしいのかなって思っちゃうよね。真鍋くん、そういうの影響受けなさそうって思ってたけど、真鍋くんも人の子だったらしい。


 望は初めて真鍋にシンパシーを感じた。

 望は励ますように、力強く頷いた。

 真鍋はうっと怯んだ。

 思ったのと違う反応が返ってきた望は首を傾げた。


「ルナ、あっちのやまってあのおやま?」

 うさぎさんがルナに聞いた。

「そうですよ。あそこのもくもくしているお山があるでしょう。あそこに行くんです。できますか?」

「うさぎ、できる!」

 そう言うと、うさぎさんはためらうことなく、穴の中へぴょんとジャンプした。

「うさぎさん!」

 望は垂直に切り崩されている穴ギリギリまで近づいて手を伸ばした。

 うさぎさんは風に煽られ、ぐるぐると回転しながら飛んでいってしまった。


「のんちゃーん、うさぎ、さきにいってるよー!」


 間に合わなかった!


 望は上に手を伸ばすが、それを止めるように後ろからお腹を思い切り抱きしめられた。

「危ないだろうが!」

 後ろから真鍋の焦った声がする。

「でもうさぎさんが!」

「大丈夫なんだろう、なあ、ルナ?」

 真鍋は呆れた声を出してルナに言った。

「もちろん大丈夫ですよ。あの子はとても優秀なうさぎです。ぴょんと一跳びすれば、お山に着いています。のんちゃん、もしかして高いの、怖いですか?」

 ルナが不安げな顔で望に聞いた。

「うん、ちょっとね。人間はあんまり跳び降りたり、跳び上がったりしないからね」

「そうですよね。私としたことがすっかり失念しておりました。人間は跳べてもせいぜい一メートルほどですからね。でも大丈夫です。のんちゃん、私を抱っこしてくれれば、私がうまくジャンプしますよ。のんちゃんは大船に乗ったつもりでいてください」


 ルナがそう言うなら大丈夫かと、望はルナを抱き上げた。

 ルナの背中の毛はすっかり乾いている。乾燥機の名称は伊達ではないらしい。ふわふわの毛は触り心地がいい。


 どうしよう、かわいい。私、うさぎ飼おうかな?


「じゃあ行きますよ。せーの!」

「待て待て待てい! 俺も連れて行け」

 真鍋が待ったをかける。

「でもあなた、確か運動神経がいいって自慢してませんでしたっけ?」

 ルナがからかうように言った。

「確かに俺の運動神経はいい。だがしかし! これは運動神経云々でどうにかなる問題じゃない!」

 真鍋はビシッと穴を指す。

「うーん、どうしましょう。のんちゃん、女子はあんまり親しくない男性に触られるのは嫌ですよね?」

 ルナが心底困ったという顔をして望を見上げた。でもヒゲがヒクヒクと動いている。笑うのを我慢しているのだろう。


 ルナ、本当に真鍋のことが好きなんだなぁ。


 望は微笑ましく思ったので、ルナに乗ることにした。

「そうだね。私たちは普段、親しくない人と体の接触はしないからね」

 うんぬぬぬぬ、と真鍋は拳を握りしめている。

 真鍋は、はあとため息をつくと、やれやれと頭を振った。そして両手を広げると、爽やかに笑った。

「及川、こっち来いよ。抱きしめてやる」

 キラースマイル全開。ちょっとわがままを言って困っている恋人をなだめるような、甘やかすような笑顔だ。


 これは多分、女子がやられたらクラッとくるやつだ。私だって普段やられてたらクラッとするかもしれない。でも、でもねえ……


「どうした? 及川。来いよ。ギュッとしてやる」


 いやまあ、努力はわかるんだけど。


「わかった、仕方ないな。頭ポンポンしてやる。お前これ好きだろう?」


 こういうことを、きっと歴代の彼女にしていたに違いない。


「わかった。じゃあ壁ドンでどうだ」


 どうだって言われても……


「わかった、出血大サービスだ。股ドンしてやる!」


 あれをされて嬉しい女子っているのかな? 普通に怖くない?


「なんだ。何が望みだ? 言ってみろ。お姫様抱っこがいいか。女子の憧れらしいからな」

 微動だにしない望にじれたのか、真鍋は両手を広げたまま望に近づいてきた。

 望は後ずさった。


「いやいやいや、真鍋くんなんかテンションおかしいから」

「そんなことはない。女子はだいたいこれで落ちるんだよ」

「そういうとこ。そういうとこだよ、真鍋くん。そういうのを言っちゃうから締まらないんじゃん」

「普段だったら言わねえよ。でも口から出てくるんだからしょうがねえじゃねえか。ええい! おとなしくお縄につけ!」

「お代官様かっ!」


 望はぐらっとバランスを崩した。片足を踏み外したのだ。穴はすぐ後ろ。風が背中に当たっている。

「あっぶねえな! お前、気をつけろよ! ここ、どこだと思ってるんだよ!」

 間一発で間に合った真鍋が片手で望の体を抱きとめた。

 もう片方の手で厚い胸板に顔を押し付けられる。ほっと息を吐いた真鍋の吐息が望の首筋に当たった。


 ドキドキドキドキ


 いや、違う。これは落っこちそうになったからドキドキしているわけで。別に真鍋くんに抱きしめられたからドキドキしているわけじゃなくて。


 望は真鍋を見上げた。真鍋は望を熱い眼差しで見つめている。

 望は思わず息を呑んだ。唇がうっすらと開く。

 それを合図に真鍋の顔がどんどんと近づいてくる。


 真鍋の唇がどんどん近づいてきて――


「えー、ごほん。盛り上がっているところ大変恐縮ですが、少々腕を緩めていただいてもよろしいですか? 私、お二人の間でサンドイッチになってるんですけど」


 ルナのくぐもった声が聞こえてきて、二人はびくりと体を震わせて顔を離した。

 望は赤らめた顔を俯かせて片手で真鍋の胸板を押すと、後ろに下がった。その瞬間、背後で突き上げる風に巻き込まれて、飛んでいきそうになる。

「お前! 危ないな! 気をつけろって」

 真鍋がまた自分の方へ望を引き寄せた。

「ごめん……その……えっと」


「……ええい、めんどくさい人たちですね。まったく。もう行きますよ」

 ルナが冷めた声でそう言うと、何の前触れもなくぴょんと穴の中心に跳んだ。当然、二人の体も一緒にだ。


「え、ちょっと!」

「お、おい!」


 ビュウウウウー


「ひっ……ぎゃぁぁぁ!」


 2人の悲鳴が風に突き上げられて、山々に響き渡った。

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