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十五夜の夜、うさぎは月に還る  作者: 上条ソフィ
十五夜の夜、うさぎは月に還る
18/38

18. 懐かしい

 せっかくの温泉だというのに、服が皮膚にぴったりとくっついて気持ちが悪い。


 望がそう呟くと、

「だったら脱いでしまえばいいんじゃないでしょうかね?」

 とルナがなんてことないふうに言った。

「そうだね。せっかくだしね」

 望は水を吸って重くなったジャケットを脱ごうとした。


 真鍋くんのスーツの事をからかってたけど、私のこのスーツも、もうだめだろうな。

 いや、確かこれウォッシャブルだったから、家に帰って洗って乾かせばいけるかもしれない。高級スーツじゃないって気が軽いわ。


 ……そういえばスマホは?


 望は恐る恐るスーツのポケットに手を突っ込んだ。

 ポケットに入っていたのは、ハンカチと飴の包み紙だけだった。


 そっか。スマホはカバンの中に入れっぱなしだった。カバンはまだオフィスにあるはず。

 よかった! スマホの水没なんて切なすぎる。でも、そもそも月って電波入るのかな?


 そんなことを考えながら水に濡れたジャケットと格闘していると、やっと片腕が抜けた。


「ちょっと待った! お前、そんなハレンチなことするなよ」

「ハレンチって、どこの時代の人よ?」

「不公平だ! 男が脱いだらセクハラで非難ごうごうなのに、女だったらいいのかよ!?」

「いや、確かによくないね。でも、こんなに広いんだしさ、お互い背を向けて入れば、そんなに気にはならないんじゃないかな? ほら、海外だと男女混浴のサウナもあるって言うし。すごいよね。温泉ならまだしも、サウナって目のやり場に困らないのかな?」

「そういう問題じゃねえ。とにかく脱ぐことは禁止だ」


「えええ」

「禁止!」


「はいはい、わかったわかった」


 望はあきらめて葉っぱの上に横になることにした。膝下だけ温泉の中でゆらゆらさせる。


 川のせせらぎが聞こえる。

 虫の鳴く音も遠くで聞こえる。

 鳥の鳴き声も、地球とそう変わらない気がする。


 地球と同じようで、でもところどころ違くて。

 うさぎがのびのびと暮らす、うさぎの楽園。



「なんだか落ち着くね」

 望は思いきり伸びをして、ふうと息をついた。

 うさぎさんもルナも望の胸の上でのんびりモードだ。


「そうだな」

 水面で仰向けになった真鍋が同意した。


 また突っかかってくるかと思ったら、意外に穏やかな声だ。


「なんか懐かしい感じがするっていうか」


 パシャパシャと水音を立てているのは、同じく温泉に浸かっているうさぎたち。子供のうさぎたちが、お友達と遊んでいるようだ。


 ブーンと音を立てて耳元を通り過ぎていくのはミツバチか。


 そういえば、風の匂いもほんのり甘い匂い気がする。何かのお花の匂いだろうか。


 なんだろう、この感じ。

 そうだ、季節の変わり目だ。


 望は季節の変わり目の風を感じるのが好きだ。

 日差しはまだ真夏かと思うほどに強いのに、足元に吹いてくる風はひんやりと冷たくて。

 風が運んでくる匂いは、どこか遠くの地を思い起こさせる。


 ギュッと掴んで離したくないのに、風はふわりと通り抜けてしまう。


 悲しいと思うには甘すぎて、嬉しいと思うには切なすぎて。わくわくするような、何かが始まるような、何かが終わるような。もどかしくて、でもつい口元に笑みを浮かべてしまいそうな、そんな感じ。


 クスッと隣で真鍋が笑った。


「どうしたの?」

「いや、小さい頃によく遊びに行ったばあちゃん家のことを思い出して。まだ幼稚園児くらいの頃なんだけど、俺がいきなりばあちゃん家の裏山で、『懐かしい』って言って泣き出したらしいんだよ。それが面白かったらしくてな。『幼稚園児が懐かしいって言葉を使うなんて』ってな。結構大きくなるまで、思い出しては笑われたもんだ」


 くすぐったそうに真鍋が笑った。


 望も幼稚園の頃の真鍋を想像して微笑ましくなった。


 そう。

 懐かしい。

 何かが懐かしいのだ。


 ずっと昔に住んでいた家のような、ずっと昔に見た風景のような。

 心の琴線を優しく触れられるような、そんな感覚。


「あなたたちは……」

 ルナは震える声で言った。


「どうしたの?」

 望は思わず体を起こしてルナを抱き抱えた。うさぎさんもぴょんとルナの背中に乗った。


「あなたたちはきっと、以前に月に来たことがあるのです」


「そうかな? そんな覚えないけど」

「俺もないな」

 真鍋も首を振る。


「もちろん生身の人間のまま月へ来ることはほぼ不可能です。ですが……」


 不可能。私達って一体何なんだろう。


 望と真鍋は同じ方向に首をかしげた。


 うさぎさんも真似して体を傾けた。


 ルナはごほんと咳払いをした。


「今回はいろいろイレギュラーなことがあったのでしょう。お二人は、『人は眠りにつくとき、夢の旅に出る』という話を聞いたことはありますか?」


「エジプトの方の伝説にそんなことがあったような気がする」

 ピラミッドとかがあった時代の話だったような。


「人は眠りにつくとき、その魂は体から抜けて、夢の旅に出ます。その行く先は、かつてはほとんどが月だったのですよ」

「そうなの? 月の夢なんて見たことあったっけ?」

「大抵の人は、夢の内容は起きたと同時に、忘れてしまいますから」

 ルナは寂しそうに微笑んだ。


「そっか。だから月が懐かしく感じるのかな」


「人間だけではありません。地球に生きる植物も、動物も、虫も、眠りにつくときには、月を訪れることがあるのですよ。もちろん全ての魂が月にたどり着くとは限りません。ここはうさぎの楽園ですから。うさぎに危害を加えようとする邪悪な魂は入ってこれません」


「……私、大丈夫かな?」

 望は思わずそわそわした。

「なに挙動不審になってるんだよ、お前だったら大丈夫だろう」

 真鍋が言った。

「そうだといいなとは思うんだけどさ」


 あれだ。道を歩いてるときに向かい側からお巡りさんがやってくると、途端に『や、私、何も悪いことしてないです』って挙動不審になるのに似てるかもしれない。


 正しく生きているかと改めて問われると、自信がなくなるものよね。

 真鍋くんは堂々としてるけど。

 この、男の人特有の、溢れる自信はどこから来るんだろう?


 望は相変わらずだらんとしている真鍋を見た。


「ですが、今は月を訪れる人間の魂も、他の生き物の魂も、めっきり減ってしまいました」


 いかんいかん、ルナの話に集中しないと。


「どうして? もしかしてみんなが邪悪になっちゃったとか?」

「そういうわけではないのですが……」

 ルナはため息をついた。


「睡眠不足ですね」

「……睡眠不足?」

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