13. 蜂蜜の川に到着
「お前ら、俺のことを置いていきやがって」
「真鍋くん。来たの」
「来たの、じゃねよ、俺のこと見捨てやがって!」
「いや、ちょっと運動不足なんじゃないかなと思ってさ。いい運動になったでしょう? ほら、営業は体力勝負だって言うしさ。明日にはいい感じに筋肉痛になってるかもよ。爽やかに汗をかくイケメン。よ! かっこいいな!」
見捨てた事は事実なので、望はヨイショをすることにした。
「そうだな、うさぎたちと決死の追いかけっこをしたからな」
馬鹿にするなと怒ってくるかと思いきや、真鍋は意外に乗り気だ。
「うさぎたちはどうしたの?」
「全員、千切っては投げ、千切っては投げ、星の彼方まで飛ばしてやったわ! ふあっはっは」
真鍋は、大声で笑い出した。
あれ、この人、こんなテンションの人だったっけ? もっと山のように動かない 堂々とした人っていうイメージだったけど……
望は目を見開いて固まった。
真鍋は、ゴホンと咳払いをした。
「いや、投げたっつってもあれだぞ、別に地面に叩きつけたとか、木に叩きつけたとか、そんなんじゃねえぞ。ただポッと投げてやっただけだ。それがなんか面白かったらしくてな、うさぎたちがみんな『あはは』って笑い出してな。ていうかうさぎって笑うんだな。で、みんな満足したのか行っちまったんだよ」
「そうなんだ」
この人は、実は子供をあやすのがうまいのかもしれない。
黙っているといかつくて怖そうに見えるお兄さんっていうのは、実は幼稚園児とかにも人気だし。よくタックルされたりしてるからな。子供って大きいものが好きなんだよね。保育士さんとか向いてるのかもしれない。
「誰も泣かせてないぞ?」
望は微笑ましく真鍋を見た。望の視線を感じた真鍋は、照れながらぶっきらぼうに言った。
しかもなんだこの少年みたいな行動、会社にいるときの真鍋くんとは別人のようだ。
「その、なんだ、あれか、お前のうさぎは、どうしたんだ? 動いてないし喋ってないぞ」
「寝てるんだよ。ちょっと疲れたみたい」
望はくすりと笑みをこぼした。
さっきまであんなに紙のうさぎが喋るわけがないって断言してたのに、今ではすっかりうさぎさんが言葉を話すことを認めている。
案外素直な人なのかもしれないな。
「……なんだよ」
真鍋は、いぶかしげに顔をしかめた。
「……いや、でもお前、なんか思ってたより、あれだな」
「何? あれって」
今度は望が顔をしかめた。
「いや、なんつうか、もっと地味で気が弱いタイプの女かと思ってた」
ああ?
「……ええ。私は地味で目立たないタイプの女ですけど、それが何か?」
「いや、なんつうかよ、それはそうなんだけど、もっと根暗でおとなしいタイプの女かと思って」
「……」
望の無言の圧に押されたのか、真鍋が望の目線を避けながら「怖えーな」と小声でつぶやいた。
しばらく真鍋の様子を見つめていた望は悟った。
そうか、この人はパリピ。
そして、自分と同じようなパリピに囲まれて今までの人生を歩んできたんだろうな。
きっとこの人の中のカテゴリーは、自分みたいなパリピの人、もしくはその他大勢、という二つのくくりしかないのだろう。
望はため息をついた。
「あのね、みんながみんな、真鍋くんみたいな人じゃないんだよ。世の中には目立ちたくないっていう人もいるし、人とつるむなんて御免だっていう人もいるんだから。それに、おとなしいからって気が弱いとも限らないんだよ。逆に明るくて目立つからって、気が強いとも限らないし。真鍋くんはどっちかっていうと、あれだよね、思っていたより神経質――」
しまった、『繊細だ』と言おうと思ったのに、つい心の声がこぼれてしまった。
「 俺のどこが神経質なんだよ!」
「そうやっていちいち突っかかってくるところ。……もしかして、結構自分に自信がなかったりする?」
真鍋は言葉を詰まらせた。
「違う、そんなことない。俺はできる男だ」
「そうやって自分に言い聞かせてるんだね」
「お前はいちいち人の心を抉ってくるな!」
「ごめんなさい? なにせ、地味で根暗な女なもので。人のことを観察するのが結構得意なんですよね」
「……わかった。俺が悪かったから……」
真鍋は手で顔を覆って、白旗をあげた。
うーん、意外に素直だ。思ってたより苦手なタイプじゃないかも。
無言の望にしびれを切らせたのか、真鍋がまた口を開いた。
「だいたいお前な、女なのにそんなふうにいちいち返してたら男がつかまらねえぞ」
うわー出た。セクハラ発言。
この人はきっと、自分の周りにいるようなきらきらした女の子か、自分の言うことは、『うん。うん。何でもいいよ、真鍋くん』って言ってくれるようなかわいらしい女の子としか付き合ったことがないのだろう。
前言撤回。やっぱり嫌いなタイプだった。
望の周りの冷えた空気を感じた真鍋は、ポケットに手を突っ込んだり、頭を掻いたり、スーツの袖をポンポンと払ったり、挙動不審な行動を繰り返している。
「違う、なんだ、その、もう少し優しくすれば男も寄ってくるんじゃないかっていう親切心だよ」
「大きなお世話です」
まさに彼氏に振られたばかりの望には痛い言葉だ。
彼氏に何度か『望は冷たい』と言われたことを思い出した望は、考えに沈んだ。
何が足りなかったんだろう?
どうすればよかったんだろう?
私には気づかない何かが、新しい彼女にはわかっているのだろうか。
「いや、俺は結構、お前みたいなタイプは……」
ごにょごにょと真鍋は口の中で言葉を転がした。
「なんだ、言いたいことがあるならはっきり言えよ」
せっかくの月バカンスなのに急に現実に引き戻された望は、真鍋を一瞥して言った。
「お前マジでキャラが違うからな!」
「会社で本性なんて見せるわけがないでしょうが! そっちこそ、このお子ちゃまが!」
二人が言い合っている間に、一同は森の中を突き抜け、川に辿り着いた。
目の前に広がっていたのは、悠々と流れる大きな川だった。
岸辺には大小様々な石が敷き詰められている。その一つ一つは虹色に輝いていた。
「すごい、この川、綺麗! 黄金色をしてる。それに何か甘い匂いがするね」
「そうです、ここは蜂蜜が流れる川ですから。ハニーリバーと呼ばれています」
「蜂蜜の川なんてあるんだ」
確かに一面にキラキラと光が輝いている水面は、蜂蜜のようにトロリとしている。
望の手の中でスヤスヤと眠っていたうさぎさんがむくりと起きた。
「うさぎ、おみずであそぶ」
うさぎさんはそう言って望の手から飛び立つと、川にぱしゃんと入ってしまった。
「うさぎさん! 濡れちゃうよ!」
うさぎさんは紙でできたペーパークラフトだ。
いくら喋れて、跳べるからといって、水に濡れたらたまったものじゃないだろう。
「うさぎさん、うさぎさん、どこ?」
望は必死にうさぎさんを探した。
目の端に、ぴょんと跳ねるうさぎさんが見えた。
あ、と望が思ったのも束の間、うさぎさんはまるで飛び石がぴょんぴょんぴょんと川の水面を跳ねるように、軽やかに飛び跳ねた。
そして、仕上げとばかりに水の中にばしゃんとダイブした。
「うさぎさんが沈んじゃった! やっぱり紙だから濡れて重くなっちゃったんじゃ!」
望は慌てて川に飛び込もうとしたが、ルナが望の前に立ってそれを止めた。
ぴょぉん!
川の中央から水しぶきが上がった。
伸びやかに跳び上がったうさぎさんは、弧を描くようにジャンプして望の肩に戻ってきた。
「のんちゃん、うさぎ、たくさん跳んだ。のんちゃん、みた?」
「見たよ。でもうさぎさん濡れちゃってるよ。大丈夫?」
「大丈夫ですよ、ここは蜂蜜の川ですから。濡れてもこの子の体が溶けることはありません」
「うさぎ、はちみつすき」
うさぎさんの体をよく見ると、いい感じに蜂蜜のつやつや感が残っている。
そっとその体に触れてみると、綺麗にコーティングされて、以前より艶やかな触り心地になっている。
「ピカピカになったね」
「うさぎ、ぴかぴか。のんちゃんも、かわのみず、のむ?」
「そうだね。蜂蜜だったら飲んでみようかな」
望はしゃがむと、片手で水をすくった。
「ちょっと待て。こんな変なところの物を口にしたら駄目だろうが」
それまで黙って成り行きを見守っていた真鍋が、望の腕を掴んだ。
「大丈夫だよ。うさぎさんも気に入ってるし」
「そういう問題じゃねえよ。こういうもののセオリーはな、こういう訳のわからない世界でその土地の物を口にしたら、元の世界に戻れなくなるって決まってるんだよ」
「そんなセオリーある?」
おとぎ話じゃないんだから。