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涙のあと

作者: 葉月



冬の凍てつくような冷たい風から、春の兆しを感じさせる暖かく時折強い風が吹くようになった。花粉症に悩まされながらも、何とか仕事を終えて帰路につく。


家に着いて早々にシャワーを浴び、全身にまとわりついた花粉を洗い流す。スッキリしたところで夜の楽しみである晩酌の準備をする。今夜の晩酌のお供は、磯辺揚げに水餃子だ。不健康だと言われようが独り身ならではの楽しみだから仕方がない。


冷やしておいたビールを飲みながら、録り溜めしていたドラマを流し見る。今期1番と評判の恋愛ドラマだが、個人的にはイマイチだ。

どうしても今いる場所を離れなければならず、恋人と別れを選ぶシーン。普通なら主人公の女性に感情移入して泣くところだろう。

だが、私は感情移入も出来なければ、泣く事も無かった。



私は昔からどんな事でも泣かなかった。

いや、泣けないと言ったほうが正しいだろう。

学生時代、部活で皆が悔し涙を流していても、卒業式で寂しがって泣いていても私はそれを眺めているだけだった。もちろん帰ってから1人で泣くという事も無かった。そんな私を皆は「冷たい」や「感情が無い」と言う。


感情が無い訳ではない。嬉しさや楽しさは感じるし、悲しい感情も人並みにある。ただ、泣けないだけなのだ。赤ちゃんの頃は流石に泣いただろうが、物心ついてからは泣いた記憶は無い。親からの愛情が無かった訳ではないのでこれはもう性格なのだろう。


なので、純粋に演技で泣ける人を凄いと思う。演技でもいいから、涙を流していればこれまでの人生で変わった事もあるだろう。今更そんな事を思っても遅いが、考えずにはいられずグラスに残ったビールをひと口で飲み切る。空になったグラスを見て、自分の涙も空なのだろうと小さく溜息を吐いた。それから、観終わったドラマの感傷に浸る間もなく、片付けて寝室に引き上げた。




泣けないからといって、普段の生活に困る事は無いが、冷たい人間に思われる事は多々ある。友人関係も悪くなった事もあれば、可愛げがないと言われ恋人にフラれた事もある。

だが、そんな事で切れる縁なんてそんなものだと思うように生きてきた。


そんな私でも数は少ないが友人はいるし、恋人だっている。今日だって仕事終わりにはデートの予定だ。何時もよりキレイめなメイクをし、服も明るめにしたりと身支度を整えて家を出る。


会社に着くなり同僚や上司に「デート??」と聞かれるが笑って流しておく。相手をする暇があるなら早く仕事を終わらせたかった。淡々と仕事を終わらせる私に近寄ってはいけないオーラでも出ていたのか、その日は誰も近寄って来なかった。そのお陰か、仕事も捗り定時で終わらせられた。



会社を出て、待ち合わせ場所に行くと既に彼氏の悠斗ゆうとが時計を気にしながら待っていた。駆け寄りながら「お待たせ」と声を掛けると、顔を上げて「お疲れ様」と微笑みながら言う。

「早かったわね」

「ああ。外回りして、そのまま来たから」

「そう、お疲れ様」

「ありがとう」

短い会話を終わらせると、行く予定にしているレストランへ歩き始める。


今日の悠斗は何だか落ち着かない様子だ。レストランへ来る道中もあまり話さないし、料理が運ばれてくる間も黙っている。私ばかり話していて、早々に疲れてしまった。

「………今日は元気が無いのね。疲れてる??」

食べ終えて、紅茶を飲みながら聞くが悠斗は首を振る。

「いや、そんな事は無いよ。……ただ、明美に話があって」

コーヒーを飲みながら、言いにくそうに言葉を紡ぐ。深く息を吐きながら、カップを置くと私の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「……明美あけみ、俺と別れてくれないか??」

「………え??」

突然、別れを告げられ頭が追いつかない。理由を聞くと「頼ってくれず、弱さを見せてくれないから」と返ってくる。

「そんな強いところにも惹かれたけど、やっぱ寂しさはあるよ。俺に何も言わないんだもん。それなら、俺がいなくても1人で生きていけるだろ??」

「そんな事無いわよ。悠斗と一緒にいて、私は凄く安心していたし、頼る時は頼っていたわ」

「悪いけど、俺の努力不足かもな。気付かなかったよ。………でも、もう決めたんだ」

「…そう」

随分身勝手な理由だが、悠斗がこれ以上意見を変える事は無いのを知っているので、私は素直に別れを受け入れた。


レストランを出て、いつもならバー等軽く飲める場所に移動するが、もう別れる事になった相手と飲む気も無いのだろう。そのまま悠斗は「じゃあね」と言い、私を残しその場を去って行った。その背中を見て少し寂しくなるが、仕方ないと思い私も帰路についた。




部屋に入り急に誰かと話したくなり、着替えもせずにそのままリビングのソファーに座る。そして、何でも話せる唯一の友人に電話を掛けた。出るかどうか分からなかったが、あっさり出てくれた。

『もしもし、どうしたの??珍しいね、明美が電話なんて』

「ごめんね、優花ゆうか。ちょっと話したくなって…」

優花は高校からの友人で、私が泣かないからって「冷たい人」等言わない、良き理解者だ。優花にだけは何でも話せた。


「あのね、実は…」

私は優花に別れた事を報告した。優花は黙ってたまに相槌を打ちながら聞いてくれた。

『そっか…。明美の良さが分からないなんてダメだなぁ。切り替えて、もっと素敵な男性捕まえよう!!』

「捕まえるって言い方どうなのよ。……でも、ありがとう。元気出た」

『それなら良かった。………ねぇ、悪いんだけど、私もちょっと相談したい事があってさ』

「どうしたの??」


ちょっと話しにくいのか、優花は言葉に詰まりながらもゆっくり話をする。

「最近、変な人に付き纏われていて…」

どうやら、優花に好意を寄せている男に付き纏わられているらしい。職場にプレゼントが届いたり、自宅の郵便受けに手紙や写真が入っているらしい。

『仕事帰りとか、後を追ってくる気配がするのよ』

「何よそれ、ストーカーじゃないの」

『そうなのよ…。実害がある訳じゃないから警察に届けても動いてくれなくて』

「それは困るね……。何日か泊まろうか??」

『いいの??』

「うん、どうせ独り身だから問題無いよ」

『ありがとう、明美』


優花が電話の向こうで泣いているのが伝わる。余程1人で不安で、怖かったのだろう。翌日の仕事終わりから合流する事にして電話を切る。優花の家に寝泊まり出来るように支度をする。友人が困ってる時にすぐ動けるのだから、別れて良かったのかもと私の心は不思議と前向きになっていた。




翌日、朝に駅のコインロッカーに泊まり道具を入れてから出勤した。仕事終わりに優花の会社に直接行く予定なので家に帰る時間が無いためだ。急いで仕事を終わらせ、優花の会社に向かう。まだ終わってないのか、会社の前には誰もおらず電話を掛けようとすると、肩を突っつかれた。驚いて振り返ると、そこには帽子を深く被り、サングラスをした優花が立っていた。

「……こんな格好でごめん」

「いや、びっくりしたけど大丈夫」

「意味無いかもしれないけど、一応顔隠してるんだ」

切なげに笑う優花の背中を軽く叩き、私達は駅へ向かう。


優花のアパートへ向かう道中、優花は常に周囲を警戒していた。少しでも物音がするとそちらに視線を送り、人影が見えると物陰に隠れたりしていた。毎日これでは疲れるだろうなと思いながら、怯えながら歩く優花の少し後ろを歩く。何事もなく無事に着いた事に安堵し、優花は部屋へ入るなりその場に座り込んでしまった。

「ちょっと!!大丈夫!?」

慌てて私もしゃがみ、優花の顔を覗き込むが、優花は笑っていた。

「大丈夫、ありがとう。安心したら腰抜けたみたい…」

ハハッと乾いた笑い声をあげ、何とか立ち上がる。靴を脱ごうとする優花を支えながら、私も靴を脱ぎ部屋に上がる。

優花と一緒にご飯の支度をしたり、テレビを見て笑ったり、久し振りの友人との逢瀬に私は楽しんでいた。



優花が入浴中に、私はリビングのカーテンを指でそっと開け、隙間から外を見る。外は夜道を照らす街灯や、家々の光のみで他は真っ暗だった。誰1人歩いていない夜道に、電柱の影で何か動くのが見えた。

そこだけ集中して見ていると、やはり動いている。暗くてよく見えないが、頭が大きいので帽子でも被っているのだろう。恐らくあの人が優花のストーカーなのだろう。こちらから顔は見えないが、じっとこちらを見つめているのは何となく分かる。背中に冷や汗が流れるのが分かり、別に何かされた訳では無いのに私は何故かその人影が恐ろしく感じた。


私は慌てて指を離してカーテンを閉めた。戻ってきた優花には何も言わず、私もシャワーを借りるため浴室へ向かった。戻ってくると、優花は沈んだ顔でテレビを見ていたので、冷蔵庫で冷やしていたビールを出して元気づけようと一緒に飲んだ。優花はだんだんと笑って話すようになり、私はホッとした。





しばらくは優花のアパートから出勤し、帰る時間も優花と合わせた。優花が休みの時は朝は私と一緒に出て、日中は1人きりにならない賑やかな場所で過ごしていた。


そんな生活が2週間経過した頃。

仕事がどうしても定時で終わらず、遅くなるため優花と一緒に帰れない。遅い時間に優花の家に行くのは申し訳ないので、電話をする。

「優花、ごめん。今日は遅くなりそうなの。だから一緒に帰れないわ」

『そうなのね……。それじゃあカフェとかで待ってるよ』

「流石に何時になるか分からないし…。遅い時間にお邪魔するのも悪いから今日は自分の部屋に帰るわ」

『……そう。それじゃなるべく1人にならないところで過ごすわ』

「明日の朝、集まりましょ」

『分かったわ。場所決まったら連絡するね』

「うん」

電話を切り、仕事に戻る。急いで終わらせ、ようと残っている何人かと手分けして何とか終電前には終える事が出来た。


会社を出てから駅に向かう途中、優花に電話するが繋がらない。メッセージで近くのビジネスホテルに泊まると来ていたから恐らくもう寝たのかもしれない。流石にホテルまではストーカーも入って来れないだろう。優花に朝行く時間だけメッセージで送り、私も駅へ急いだ。




翌朝、身支度を整えて家を出る前に優花に電話をする。だが、コール音だけが聞こえてきて優花が出る気配がない。今日は休みだからまだ寝ているだけかもしれない。一応、ホテルへ向かいながら電話しようと思い家を出る。


優花が泊まっているホテルへ行くと、何やら人が集まっている。団体客だろうかと思い人波を避けながらホテルの入口へ近付くが、そこには警察の規制線が張られていた。私は嫌な予感がした。急いで優花に電話をするが一向に出ない。

やっと出たと思ったら、知らない男性の声が聞こえてきた。

「も、もしもし!!優花!?」

『……佐藤優花さんのお知り合いですか??』

「は、はい…」

『私、練馬警察署の岡崎おかざきと申します。今、どちらに??』

「…警察??ホテルの前にいますが……。あの、優花は……??」

優花の話をすると、「迎えを行かせる」とだけ言われそのまま電話を切られた。


5分程待って、ホテルから男性2人が出てきて私に近寄り名前を確認される。そのまま2人の後に続きホテルへ入りエレベーターで6階まで行く。エレベーターから出ると、廊下の中央の部屋付近が物々しい雰囲気に包まれていた。男性の後に続いて部屋に近寄ると、年配の男性がこちらに気付いた。


「青木さん??電話に出た岡崎です」

挨拶よりも先に優花の事が気になった。優花の安否を尋ねると岡崎は渋い顔をしながらもゆっくり話す。

「……残念ながら、佐藤さんはお亡くなりになりました」

嫌な予感が的中してしまった。私は何も言えずその場で固まってしまう。倒れなかっただけ褒めてほしいくらいだ。


気が遠くなりそうな私と裏腹に、岡崎は淡々と状況を説明していく。

どうやら優花は昨夜殺されたらしい。防犯カメラの映像から時刻は23:30。優花が1階のロビーで飲み物を買い、部屋に入ろうとしたところを犯人に襲われたようだ。犯人は階段から6階まで来ていたようで優花は気づかなかった。部屋に入れないように抵抗した優花だか、力及ばず殺されてしまった。犯人は金品も盗らずに逃走している。


「ホテルの清掃の方が不自然に開いているドアを不審に思い、隙間から部屋を覗いたら倒れている佐藤さんを見つけ、フロントへ知らせたそうです。そのフロントから我々に通報があり、駆けつけました。調べている最中に、貴方からの着信を受けたのでお呼びしました」

一通り説明を終えた岡崎は、私に犯人に心当たりが無いか聞いてくる。私は優花がストーカー被害に遭っていた事を伝える。相談を受けてしばらく優花の部屋で寝泊まりをし、その時に優花の部屋にストーカーから送られてきた写真等を見せられた。それらはまだ部屋に残っているはずだ。


「なるほど……。ちなみに貴方はそのストーカーを見た事ありますか??」

「夜、優花の部屋の窓から外を見た時、こちらをじっと見つめている人は見ました。暗かったので、帽子を被っているのだろうという事は分かりましたけど、顔は見ていません」

私の話を丁寧にメモを取りながら聞いていた岡崎は、中にいる警察官に声を掛け何やら指示を出す。


部屋の中を見える範囲で見ると、床には生々しく赤黒い色が付いており、優花の姿は無かった。私は思わず、廊下の壁まで後退りそこに背を預ける。岡崎はそんな私に「大丈夫ですか??」と声を掛ける。

「は、はい……」

なるべくなら、一刻も早く自分の部屋に帰りたかった。だが、岡崎はこれから優花の部屋に行くという。その案内を私に頼んできた。鍵は預かっているが、勝手に入れないと伝えると優花の両親に許可はもらったそうだ。自分の荷物もあったので、私は了承して岡崎と共に優花のアパートへ向かった。



優花の部屋へ着いてからはあっという間だった。警察が、まず私の荷物を選り分け写真を撮る。指紋も採取するつもりだったようだが、部屋は荒らされた形跡が無いので採取せずに返してくれた。

「後は我々の作業になりますので、家までお送りします。今後のため、連絡先を教えてください」

住所と電話番号を教え、私は岡崎の部下に家まで送られる事になり、優花の部屋を後にした。



パトカーに揺られながら人が歩く街並みを眺める。この前まで私も優花と一緒に歩いていたのにと思い胸が苦しくなった。なるべく外を見たくなくて、窓から視線を外し俯きながらアパートに着くのを待つ。

1人で部屋に入ると、先程までの喧騒が嘘のように静まり返っている。その静けさが怖くなり、私は思わず自分を抱き締める。脱力感が急激に身体を襲い、重くなった身体を引き摺るようにソファーに座り込む。




優花がいなくなった。




それだけで、心にぽっかり穴が空いてしまったようだ。私の一部が欠けてしまった感覚が離れない。

視界もボヤけ、目の前の物の輪郭が歪んでいく。頬に冷たいものが触れ、私は慌てて手で拭う。



その時、私は自分が泣いている事に気が付いた。



止めようにも、次々流れ出てくる泪は最早自分の意思では止められない。


優花がいなくなった悲しさ、昨日一緒にいてあげられなかった後悔、助けてあげられなかった無力さ。

色々な感情が相まって涙となって溢れてくる。

どうすれば止められるのかも分からず、私はただただ涙を流し続けた。



いっそ、このまま涙が枯れてしまえばいいのに。

そうすれば、二度とこんな苦しい思いをしなくて済むのに。



全て出し切った私の心の中に残ったのは、悲しさ、後悔よりも空虚感だった。

きっと、流した涙が全ての感情を消し去ったのだろう。




涙のあとには何も残らなかった。







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