その2
(2)
「こんな小さな宿に都の調査団が来るなんて商売繁盛というより災厄に近いもんだ、まさにこっちはいらん迷惑ってやつだな。そう思わないか、ハリー?」
顎に生えた髭を撫でながらカウンター越しに帳簿へ書き込んでいる老人が客間のテーブルの上の食器類を後片付けしている若者に向かって言った。
若者はそれには何も答えず、唯、黙々と夜食の片づけをしている。食べ終えた食器類を急ぎ、厨房へと戻さなければならないのだ。
「無視かよ!!」
老人の侮蔑する声が聞こえたが、しかしハリーと呼ばれた若者は顔を向けずひたすら、食器類を集めている。
なんせ、この宿は今老人が言った通り小さな宿なのだ。
確かに今このガレリア東部では大きなチェーン店を持つホテル「風見鶏」グループとは言え、此処は辺境の小さな宿――いわばグループ内の格で謂えば「邸」クラスなのだ。
だからそんな大人数を回す程の皿なんぞが此処にある筈がない。
急ぎ厨房へ食器類を戻して、今皿洗いを始めているマリーへと届けなければ、これから夕食を食べ終えた客人達の飲むべき茶の食器類も無いのだ。
勿論テーブルの上の皿を片付けたら自分も皿洗いを手伝わなければならない。つまり目が回る程の忙しさなのだ。
とても悠長に老人に答える余裕なんぞ、まっぴら無い、というのが若者の心理だがそれをどこまで老人が察しているかは不明だが、次に言った言葉で若者はおおよそ察しがついた。
「――なんだ、ハリー。お前、また、だんまりか。だからなぁ,お前はこの地方の言葉でハリーって言われるんだよ」
――ハリー。
思わず含み笑いが若者に漏れた。
その意味は此処ガレリア東部辺境のカザルニアで「夜魔」とも「夜風」ともいわれている。それがこの地方の無口な無頼人を指す隠語で在る言葉だといのを彼は知っている。
カザルニアは古き世界ではジパングともいわれていたようだが、今は既に新世界に入り数千年が過ぎ、いまでは誰もそのジパングの痕跡を調べようにも分からない。かつては海に囲まれた美しい島国だと言われていたようだが、古き世界の文明を終わらせた最終戦争以後、海は干上がりここら一帯は深い峡谷と砂漠が広がり、そして僅かばかりの草木が繁る岩山地帯になった。
若者は垂れる前髪から含み笑いが漏れてはいけないと思いつつも、小さくふっと唇から含み笑いを漏らすと、両手に皿を抱えて厨房へと足を向けた。
その時だった。
「あんたかい?『風見鶏邸のハリー』って言う壁人っていうのは?」
低く力の籠った声にハリーが振り返ると、いつ二階の寝室から降りて来たのか階段の壁にもたれて自分を見ている赤毛の女と目が合った。その女は先程迄ここで食事をしていた都の遺跡調査団のひとりだった。
ハリーは夕餉の給仕をしながら気づいていた。女が食事中ずっと自分を観察しているのを。
壁にもたれかけながら自分を見つめる疑り深い視。赤毛の短髪で端正の整った顔つきでじっと見つめる女はまるで何かを探るかのようにハリーをじっと見つめている。。
女の射る様な視線に僅かに手を止めたハリーだったが、しかし次の瞬間には素早く動かなければならなかった。何故なら自分を急ぎ呼ぶマリーの声が聞こえたからだった。
「ハリー!!何してんの?早くこっちに来て手伝ってよ!!馬鹿!!」