羊たちの眠り 後編
◆◇◆◇◆
警察病院で点滴をしながら、ベッドに上半身を起こしているダイアナ。
無表情な彼女のもとに、恋人が現れた。
金髪の似合う美しいその男が、優しい声で言った。
「地下食堂に落書きにでも行ったのかい?」
彼の出現に涙を指先でぬぐい、ふるえそうな唇に力を入れるダイアナ。
側にある椅子に座る恋人が彼女を抱き寄せ、額にキスを贈った。
「大丈夫。事情は聞いている。事故ってことになるって」
「私・・・知っていたの。気づいていたわ」
静かに、涙声でダイアナが恋人の方を見て言った。
「ハイジさんが兄さんにとって、いいひとだってこと」
* * *
運転手の補助を受けて馬車から降りるハイジ。
介助の礼を言って松葉杖で歩いていると、斜め掛けのカバンが小さく揺れる。
そこに、ネイサンの幽霊が現れた。
あたりは田舎道で、緑が遠くまで豊富だ。
水辺には柳の木があって、葉が風にさらさら揺れている。
「やっぱり見えてるんじゃないのか?」
ネイサンがハイジに向かってそう言うと、ハイジは答えた。
「ああ、見えてるよ。今まで誰にも言っていない秘密だが」
「君が無事でよかった」
「は?」
目的地への正面を向いていたのに、側にいる幽霊の方にハイジは振り向いた。
ネイサンは微笑んで見せた。
「魔法使いから連絡があってね。未来を変えられたかもしれない。僕は、消える・・・」
そう言ったネイサンはゆっくりと天に昇りながら姿を消していく。
それを見ていたハイジは、なんなんだ、とぼやく。
ハイジが目指しているのは一軒家で、目的地はネイサンの継いだ彼の家だ。
玄関前でノックすると、ネイサンの世話をしている親戚のジョナサン婦人が出てくる。
松葉杖姿のハイジを見て、「もしかしてハイジさん?」と聞く。
「ああ。君にお土産」
そう言ってななめがけのカバンから茶色の紙袋を渡す。
受け取ったジョナサンは中身が好物のチェリー酒であることに機嫌を良くした。
「こちらですよ」
案内されてネイサンの自室に入り、ネイサンが眠っていることに気づくハイジ。
飲み物を持って来たジョナサンが、「気づいてますよ」と片目をつぶって見せた。
「なんのことだろう?」
「積もる話があるんでしょうに。邪魔はしませんから」
そう言って部屋を出て行ったジョナサンを見送り、椅子に座っていたハイジ。
「あぁ・・・ハイジ・・・なのかい?」
声に気づいてそちらに振り向くと、ネイサンは目を覚ましたようだった。
「熱、大丈夫かい?」
「そっちこそ、片足の件聞いたよ。妹がなぜひとりで地下食堂にいたか知らないか?」
「いいや、知らない」
「そうか・・・どういうことなんだろう?不良に育てた覚えはないんだが」
上体を起こそうとするネイサンをハイジが制して、思いのほかふたりの距離が近くなる。
「熱の原因は不明だ。あまり近くに寄るな」
「ロビンソンの死については、運命的なものを感じた」
「ああ、そうだったな」
ネイサンはハイジの腕を掴み解放した。
そのハイジの片腕が再度、かけてある布団の腹部辺りに優しくも強く沿う。
「ロビンソンは死んだ」
「生死問わず。賞金首の悪。妹を誇りに思うよ」
「・・・ふぅん・・・」
「・・・どうした?」
「どうして僕が、君の家を訪ねてきたのか忘れたのか?」
「いいや?近くに用があるから顔を見せに来たい、と手紙で知ってる」
「そうなんだ・・・そこで、ロビンソンに会った」
「怖かったろうな」
「怖い?」
「ああ、銃を向けられたんだろう?」
「・・・ああ、うん。そう言えば、そうだったな・・・」
「あ、妹の話をしているのかと思ったのかい?」
数秒の間。
「なぁ、ネイサン。兵役時代を覚えているかい?」
「覚えているとも。昨日のことのように」
なまめかしく移動した腹部に添えられていたハイジの手が、布団にもぐりこんだ。
そして椅子から身を乗り出してかぶさるように、ハイジの方からネイサンにキス。
唇に、だ。
* * *
乱れた上着のまま、上にいるハイジはポケットからテグスを取り出す。
眠っているかのように見えるネイサンの首に巻きつけると、それを引っ張った。
ハイジの首にかかったロケットが、脱がれたネイサンの上着やズボンの側に落ちる。
落ちた衝撃で開いたロケットには、写真。
その写真は、ロビンソンだった。
「ごめん・・・自分がなぜ今こうしているのか、もう、よく分からない。僕の仕事が本当はなんなのか知らない君たちが、のうのうと生きているような気がしてならないんだ。ロビンソンさんは、僕の憧れのひとだった・・・」
◇◆◇◆◇
霊園には、黒い喪服に身を包んだ者達がちらほらいる。
ダイアナも葬儀に参加することが決まり、彼女は薄いピンクのドレスを着ている。
遅れてきた縁者が、「葬式になぜそんな色のドレスを着てきた?」といぶかしがる。
ダイアナが、「兄の遺言で、俺の葬式には好きな色のドレスを着ろ、って」と返す。
溜息を吐いたその縁者が「らしいや・・・」と呆れたようにぼやく。
そこにダイアナの恋人が現れて、ダイアナを抱きしめた。
* * *
その様子を木陰から見ていたハイジは、車椅子に座っている。
そしてそこに、黒づくめのドレスの婦人が現れた。
そちらに見向きもせず、ハイジは言う。
「やぁ。ミス・ラビット」
「あら、知らないの?」
「ああ。最近結婚したんだって?何回目だ?」
「ターゲットとは結婚しておきたいのよ」
「それは前に聞いた」
「数えてないわ」
少しの間を置いて、不機嫌そうなハイジは言う。
「・・・それで、何か情報は手に入ったのか」
ふふ、と口元に手を添えて笑う婦人。
「なんだ」
「あのこ、ダイアナって名前だったかしら?」
「ああ、ネイサンの妹だ」
「妊娠してるらしいわ」
意外そうにしたハイジは、彼にとっては弾かれたとも呼べるような瞬きかたをした。
「それからね・・・」
ハイジはホルダーから、銃を抜き取る。
「ロビンソンのことだけど」
ハイジは軌道をダイアナに定めようと腕を伸ばした。
さもそれが面白いことかのように婦人は目を細め、うすら笑う。
「周りをうろちょろしていた貴方のことが気に食わなくて、殺すつもりだったらしいわ」
びくりと身体を硬直させ、ハイジはしばらく動けなくなった。
「なんて分かりやすいひとなんでしょう?」
婦人は嬉し気に言う。
「本当の話なのか・・・?」
「横のつながりをなめてもらっちゃ困るわ」
* * *
ネイサンの棺に、彼が欲しがったおおぶりなピンクの薔薇の花束がたむけられる。
静かに泣き出したダイアナの肩を抱き寄せた恋人は、彼女の額にキスをする。
* * *
「ああ。それから、君は免除だって。わけが分からなくなったんだろうってさ」
「どういう意味だ?」
「彼は熱で死んだ、ってことになるって、司祭が言ったって」
「熱・・・?」
「じゃ~あね~ん」
婦人は木陰から出ると、日傘を差して立ち去る。
ハイジの腕はまだ、銃口をダイアナに向けていた。
* * *
ダイアナが恋人の方を見上げて言った。
「ハイジさん、どこに行ったんだろう?」
「いいんだ、君は気づかなくていい。君も熱に浮かされてたんだ」
「熱?」
「お腹の子が無事でよかった」
「うん・・・」
片腕を恋人の腰に回してもたれるダイアナ。
そこに、銃声が響いた。
驚いてそちらに振り向く人々と、ほぼ同時に鳥が飛ぶ羽音と鳴き声。
「なにがあったんだーっ?」
声をかけてもそちらから返事はない。
縁者の男性陣が様子を見て来ると、こわばった表情で言った。
ダイアナが、「なに?」と小さく言う。
「大丈夫だ、きっと関係ない」と恋人。
「ハイジが自殺したーーーーっ」
そちらから縁者の声が響いた。
嫌味なほど、晴れた日だった。