羊たちの眠り 前編
その日熱が出ていて、眠っていた・・・
それで・・・まぁ、熱で俺は死ぬ・・・
地下食堂で兵役時代から親友だったハイジが、
もしかしたら殺人鬼に殺されてしまう。
熱が出たことを理由に、迎えに行かなかったからなのか・・・
俺が死んでも死にきれないのは、そこらの謎だ。
なので魔法使いに頼んで、過去に戻ってみたぞ、妹よ。
◇◆◇◆◇
国をあげた争いが終わって、戦後ってことになる。
まだ傷口は残っていて、人々の衣服は情緒的に黒か灰色か茶色。
一番明るい色だから、と、年の離れた妹のために茶色を好んで着ている男。
ネイサン、彼は妹のダイアナに新たな時代を見て清楚で最新のドレスをくれる。
ダイアナは兄のネイサンが大好きだ。
特に両親が亡くなってからは、父親のような役割までしてくれた兄。
今、彼は半透明な姿で宙に浮いていて、困った時のくせで腕を組んでいる。
組んだ腕を少し崩すと、片手の人差し指で自分のほほを小突いた。
急な現れ方に驚いて、自宅の床にへたりこんでいる妹のダイアナ。
まだ十代の美少女で、今日は兄が贈ってくれた黄色いドレスを着ている。
「それで、幽霊になったってことは成仏してない、ってこと?」
そこらの椅子に手をついて立ち上がるダイアナが、ドレスのすそを払う。
それを見ていたネイサンが「どうも物質、特にひとには触れないらしい」と言う。
「そうだと思った」
「なぜ?」
「レディが転んでいるのに、なにもせずにいられる兄さんじゃないもの」
「ダイアナ!お願いがあるんだ!優しい妹よ!」
「なに?」
「一緒に地下食堂に行って、未来を変えてくれっ」
数秒の間。
ダイアナの周りをくるくると飛び回る上半身と少ししか見えないネイサン。
「実体の方は熱を出して眠っているわ」
「うんうん、約束の日の前日に突如熱が出たんだったか・・・ここは事件当日か」
「兄さんは何を代価に未来から来たの?」
「秘密、だ」
「最近できた恋人を連れて行ってもいい?」
「ダメだ、ダメだ。未来が変わりすぎるかもしれない」
「うぅん・・・今、兄さんの実体に相談って言うのは?」
「禁止されている。対面したとたん消滅なんだそうだ」
「成功したら?」
「未来は変わって、俺は消える」
腕を組んで、崩したその腕の片手の人差し指でほほを小突くダイアナ。
わざとではなく、困った時のネイサンの癖が移ったものだ。
「本当のことかどうか分からないけれど、私が地下食堂に行くってこと?」
「そういうことになる」
「幽霊の兄さんと一緒に?」
「うん?そんなに地下食堂行ってみたかったのか?」
「なんだか楽しそうっ」
ダイアナは部屋のドアノブに手をかけて、振り向いた。
「壁とか、通り抜けたりできるの?」
* * *
戦後の闇市から始まったとされる地下食堂は、場所の治安が良くない。
なのでダイアナは今まで行ったことがなかった。
今日は兄の親友のハイジがたずねて来てくれる日で、ネイサンと行く予定ではあった。
なぜ急にネイサンが熱を出したのかは原因不明だ。
偶然なのかしら、と思いつつ、ダイアナは同行している幽霊の兄を見た。
「美味しいスープと天ぷらの話を聞いたわ」
「そうだった、そうだった。軽食にはもってこいだ」
「じゃあ、早めに地下食堂に着いたら食べてもいいの?」
「そうだなぁ・・・このままのペースだとしたら、ぎりぎりだ」
大きく肩を落すように残念がるダイアナ。
「地下食堂にはよからぬうわさが沢山あるから、気を抜くな」
「そう言えば、殺人鬼にハイジさんが襲われる、って理由はなんなの?」
「地下食堂は通り魔が時々現れる。ハイジは美しい見た目の男だよ」
「なるほど、なぁ・・・」
* * *
階段を降りた地下に、食堂。
文字に書いてそのままだが、地下食堂だ。
機関車の駅跡の広場スペースを利用したもので、出店が並んでいる。
フリーのテーブルと椅子があって、どこに座っても基本いいらしい。
木製のざりざりした木目は灰色がかっていて、ナイフを突いた痕なんかがある。
落書きはないのね、とダイアナが言うとそれを聞いていない兄。
「兄さん、今もうハイジさんはここにいるのかしら?」
「多分いると思う。今、探している・・・あ、あっちにいるかもしれない」
すいすいと移動を始めるネイサンに、人込みの中、着いて行くダイアナ。
「兄さんっ・・・兄さんったら!」
「いた」
動きを停止した宙に浮いているネイサンが見つめる先をダイアナは見た。
そこにいたのはネイサンの友人、美青年ハイジ。
声をかけようとしたダイアナより先に、近くにいた人物が彼に話しかけた。
あんなに嬉しそうにするハイジを久しぶりに見た、とネイサンがぼやく。
◆◇◆◇◆
ハイジは屋台からテーブル席に向かって、自分のプレートを運んでいた。
そこに突然声をかけてきたのは、美しい男。
「やぁ、ハイジ君だろう?少し話さないか?」
その人物を前に、ハイジはびっくりして「ロビンソンさんっ?」と声をあげた。
スーツにコート姿のロビンソンは微笑んで見せる。
ハイジが、噂に聞いてあなたを尊敬しています、と喜々している。
* * *
テーブルに向かい合って席に座ったふたりは、楽し気に会話をはじめた。
その様子を見て、ダイアナは兄に振り向く。
「殺人鬼が出現するって言っていたわよね?」
「斧を持っていたそうだ」
「だったら、ここから離脱すればいいじゃない?」
「ほうっ、なるほどっ。ダイアナ、ハイジに声をかけてくれっ」
◇◆◇◆◇
「俺たち時々すれ違ったりしてなかったか?」
「え、気づかれてたんですかっ?」
「まぁ、なかなか・・・もしかして、と思って声をかけてみたんだ」
「光栄だ」
「ほう・・・ここの殺人鬼のことを知っているかい?」
ロビンソンが次に何かを口に出しかけた時、ダイアナの声が響いた。
* * *
「ハイジさん、危なーーーーーーーーーいっ!」
対応したのはハイジで、横に突然と現れた斧を振り上げる殺人鬼がいる。
走って来るダイアナの声に気づいたわけではないようで、銃を取り出す。
そして引き金を彼が操った半瞬後、殺人鬼は額を撃ち抜かれていた。
倒れた殺人鬼を無視して尊敬するひとロビンソンに見惚れているハイジ。
突如として席から立ち上がり、ホルダーから銃を取り出したロビンソン。
そして対応できるはずの時間があったにも関わらず、ハイジは銃を手から落した。
銃が床に落ちる時、走ってきたダイアナがスライディングして銃を受け取る。
椅子の足の間でわたわたとバランスを取ろうとする手元。
それにあらがうかのようにしていた銃を落ち着けようとした時。
銃の暴発。
ハイジの右足を貫いた銃弾は木製のテーブルを経由、見事にロビンソンに命中した。
「なんなんだっ?」
ハイジがそう叫んだ時、絶命したロビンソンがうしろに倒れた。
悲鳴をあげパニックに陥るダイアナ。
その彼女を見て、ハイジが「なんなんだっ?」と繰り返す。
持っていた大きめのハンカチで右足の動脈あたりを縛るハイジ。
「わ、わたしはネイサンの妹のダイアナですっ」
「なんだってっ?」
そこではじめて、ハイジはダイアナを関係者だと認識したようだった。