06
「おにいはさ、おかしいと思わなかったの?」
「今でも疑ってはいるさ、おまえのファンだなんて」
「その直感は正しい」
皮肉のつもりだったのに、素直に肯定され戸惑った。
「そもそもが嘘なんだよ。わたしのファンだってことが」
「嘘?」
「そう、おにいに近づくための嘘」
「近づく? 取り入るじゃなくてか」
「いきなり『やあ僕はヒデ、友達になろう』なんて言われて、友達になりたいと思う?」
「そりゃあ、まあ……そんな奴がいたら絶対ヤバイ奴だろ」
「でしょ? 異性が相手ならナンパ扱いで済むけどさ。特定の同性と交友を持とうとするのって、キッカケとかタイミングがないと難しいと思うんだよね」
ちとせの言う通りだ。大学は幼稚園ではない。同じ大学どころか、同じ学部の相手であっても、始めのタイミングを逃すと声をかけるのは難しい。それこそ共通するなにかを見いだせなければ、次のタイミングがくるまで待たねばならない。
秀一と仲良くなったのは、そのキッカケがあったからだ。
「わたしはダシにされたんだよ」
「俺に近づくための?」
「可愛い実力派ロッカーの妹を持つ兄。近づくための仮の動機としては十分すぎるよ」
自らを持ち上げることをちとせは忘れない。
冗談めかしてはいるが、ちとせの声色は珍しいくらい生真面目だ。なにかを懸念しているのは伝わってきた。
また口を開こうとするところ、ちとせに奥ゆかしさがない証明が到着した。二玉のバニラアイスの上に、たっぷりの黒蜜ときなこがかかっている。
待ちわびていた鬱憤を晴らすように、ちとせはアイスを口にし、その美味しさにうなりをあげる。大げさに美味しいと言うだけのアナウンサーより、よっぽど食欲がそそられる。
一口くらい食べてみたい。そんな兄の心情が伝わったのか、ちとせはアイスを味わいながらスプーンの先を向けてきた。気持ち、その上に乗っている量が多目である。
「結局、なにが言いたいんだ?」
そう言い、スプーンを口の中に迎えた。ほぼ予想通りの味だ。しかしスパイスを上書きするその甘さは、冷たさも相まって爽快感をもたらした。
「この前見たんだよ、二人でいるところを」
ちとせは自分の口からスプーンを引き抜いた。
「あの人、お兄を見る目が普通じゃなかった」
「普通じゃなかった?」
「噂のヒデに恋人は?」
「意外なことにいたことがないらしい」
質問に質問で返されたが、そこは指摘せず肯定した。
「ほら、おかしい。もう大学生だよ? あんな人が、普通に生きてて恋人ができないわけないじゃない」
「なにがおかしいんだ。ただお眼鏡にかなう相手がいなかっただけの話だろ」
「だからさ、おにいがそのお眼鏡にかかったんだよ」
「は?」と口から漏れる間抜けな声。ちとせがさらっと告げた言葉の中身について、理解が追いつかない。自分が言いだしたお眼鏡にかなうとは、一体どういう意味を含んでいただろうか。
物分りの悪い兄に、ちとせはため息をつきながら、
「あれは間違いなく、恋する乙女の目だよ」
すばり、そのとんでもない分析を口にした。
◆
まさか、と。妄想だと、あのときはちとせの忠告を鼻で笑った。
まさか、と。現実味が出てきた今、ちとせの忠告が脳裏を巡る。
『噂のヒデとは距離を置いたほうがいいよ』
まさか、あのヒデが本当に?
待つのだと理性は叫ぶ。なにも告白というのは、愛を告げるためだけに生み出された単語ではない。
「僕は君をずっと騙していた」
「……まさかちとせのファンだってことがか?」
「とっくにお見通しか」
苦々しい失笑。出来の悪い自らの嘘を嘲笑っているようにも見える。
「そう、四季のファンなんて君に声をかけるために騙りさ。あの飲み会だって、最初から君に近づくために参加したんだ」
秀一は唾を飲み込む。
我が理性の叫び。その抵抗は既に虚しいまでに落ち込んでいる。むしろ告白とは、世間で流通している通りの意味であり、それ以外の使いみちはあっただろうか、と疑問を掲げている。
なんで、と声を絞り出そうにも、喉はその音を鳴らさない。我が理性はついには話を進めることを放棄したからだ。
「これを口にしたら君は、僕の頭が狂ってると思うかもしれない。それはわかってる。正気とは思えないだろうし、なにより変質者のそれと変わらない」
淀みなく秀一は語る。
「でも最後まで聞いてくれ。遊びじゃない。僕らの人生に関わる話だ」
理性は既に現実逃避を諦めた。僕らの人生に関わる話だとまで言われたら、もう逃げ道はない。
ついに自分は覚悟を固めた。
「わかった、聞くよ」
秀一は素晴らしい友人である。好意こそ持っているが、それは友情の粋を出るものではない。彼がこの先の言葉を口にしたら、もうこれまで通りではいられない。だがせめて、秀一の人格を否定することだけはすまい。
「君の――」
例えその気持ちに応じられなくても、真摯に向き合おうとした。
「妹は、僕の妹かもしれないんだ」




