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 秀一が大人しくなった後、すぐに警察に通報した。


 119番通報は事件性があるとそのまま警察へ連絡へ行く。ノックアウトゲームの犯人を捕まえた、既に連絡を受けていると思うから、こっちのほうへ来てくれと。


 秀一があれだけ物騒なことを叫んでいたのだ。あちらこちらから近隣住民が集まってきてくれたおかげで、現在地を告げるのに困らなかった。犯人は住民たちに任せ秀一に寄り添っていると、すぐにパトカーのサイレンが聞こえてきた。


 この都市を騒がしている二大事件の一つだ。何台も次から次へと現れるものだから、あっという間に野次馬だらけになってしまった。


 駆けつけた最初の警察官に、自分は刑事の息子であることを告げた。父さんの名を出すと、知っているようだから話が早く済んだ。


 茫然自失、心神喪失。


 そんな四字熟語が似合う秀一に、今はなにも聞かないでほしい。休ませてやってくれと頼むと了承してくれた。


 代わりに自分が、今日起きた全ての顛末を語ったのだ。


 ノックアウトゲームの唯一の死者。秀一がその兄であることを知ると、目を丸くするほどに驚愕された。加害者と被害者家族、その巡り合わせに唸りをあげながら、犯人が殺されかけた経緯には得心がいったようだ。


 そして最寄りの警察署まで連れて行かれると、また同じことを繰り返し話した。相手は秋の初めにメガネを光らせながら、自分を取り調べていたエリート刑事である。


 話を聞き届けたその人は、


「流石、宮野さんの息子さんだな。完璧な対応だったよ」


 質問を挟むことなく、そう褒め称えてくれた。


 ちわわ夫婦への咄嗟の指示、秀一を引き離したこと、そして警察官への理論整然とした説明。その一つ一つを持ち上げて、間違いどころかこれ以上ないものだったと。事件に居合わせた当事者が、皆こうであれば仕事が楽なのにと笑ってすらいた。


 そして最後に、


「お友達の過剰行動については悪いようにはしない。警察官の誇りをかけて、経歴に傷つかないよう全力でやらせてもらうよ」


 と、頼もしく言ってくれたのだ。


 いつもの調子に戻った自分は、


「なるほど、警察はそうやって、都合よく不祥事を隠匿してくのか」


 なんて軽口を叩いてしまった。


 彼はそれに気を悪くするどころか、


「なんだ、宮野さんの息子なのに、そんなことも知らなかったのかい?」


 と返してくる様は流石であった。




     ◆




 別室で休ませてもらっていた秀一。


 その部屋に訪れると、若い婦警が秀一と共にいた。どうやら自分がむさ苦しい男を相手にしている裏で、美人婦警に優しく手当てをしてもらっていたようだ。


 顔面を殴り続けた拳だけではなく、犯人の抵抗の跡か。右の頬にガーゼが貼られていた。


「誠に遺憾なハンサムが台無しだな」


 第一声でそう茶化すと、疲れたように秀一は口角をなんとか上げた。


「ははっ……僕は、誠に遺憾なのか」


「遺憾の意を表する」


 かつてのようなくだらないやり取りだ。


 違うのは、耐えられずお腹を抱えていなかったこと。


「トシ……ありがとう」


 そんな秀一の身を婦警から引き受けると、玄関へと向かった。


 今日の所は親を呼んでいるから、来たら帰っていいと言われたのだ。明日から同じことを繰り返し聞かされる日々になるが、そこは協力をしてくれ、と。


 玄関へと辿り着くと、父さんの姿はない。どうやらまだ来ていないようだ。


 代わりに、


「秀一!」


 秀一の名を呼ぶ二人の男女が駆け寄ってきた。


 いかにも身なりの良い二人。それが秀一の両親であることは、顔を見ただけで自分にはわかっていた。


「心配かけて、ごめん……」


 駆け寄ってきた両親に、秀一はそう応じた。心が疲弊しきった秀一の、今口に出せる精一杯の言葉だ。


 母親のほうは秀一の胸元を掴みながら、ただ嗚咽を漏らすばかり。娘が亡くなってまだ一年も経っていないのに、次は息子のほうがこんなことになったのだ。筆舌に尽くしがたい感情に飲まれているのだろう。


 父親のほうはそんな息子になんて声をかけたらいいか、わからずにいるようだ。


「君が和寿くんだね。警察の方から話は聞いている」


 代わりに自分の顔を捉えると、その頭を下げてきた。


「本当に……本当にありがとう」


 涙声を滲ませながら、心からの感謝を向けられた。


 命を救う仕事を目指していた息子が、人の命を殺めんとしたのだ。仁美のこともあり仕方ないとはいえ、その胸中は計り知れない。


「いえ、友達ですから」


 軽口も、気の利いたことも言えず、ただそれしか言えずにいた。


 秀一を囲う二人を見て、改めて思い出した。


 これがちとせの血の繋がった夫婦。本来であればちとせは、この二人のもとで仁美と呼ばれながら育つはずだった。


 そんな世界の正しい形を思うと、不思議な気分だ。


「和寿!」


 朝倉夫婦を真似するように、自分の名を呼び駆け寄ってくる二人がいた。


 男女二人。違いがあるとすればそれは夫婦ではない。


「おにい!」


 親子であった。


 まずい、と。目を剥くほどの衝撃を受けた。それこそかつて、自分に顔を見られる危機一髪に陥った、仁美の心境がわかってしまったほどに。


 こっちに来るな。


 自らを心配する二人……いや、妹に向かってそう叫びそうになった。


 時は既に遅し。


 二人はもう手が届く距離まで来てしまったのだ。


「話は聞いた。よくやったな」


 珍しいほど真っ直ぐな、父さんから捧げられる称賛。自らの息子の活躍に、誇らしそうにすらしていた。


 一方、ちとせもまたいつものように、その口が『おにい』と目の前で開きそうになったが、それはすぐに閉じられた。


 時が止まったのだ。


 そう表現せざるえないほどに、その比喩表現は正しかった。


 朝倉家の両親が、ちとせの顔を見て呆然としていたのだ。それに気づいたちとせは、自らがここには来ていけなかったことを思い知る。


 父さんもまた、秀一の母親の顔を目を丸くしながら注視していた。


 その間、五秒ほどか。


「和寿くんのお父様ですね。息子が……ご子息に救われました。本当にありがとうございました」


 時を進めたのは、秀一の父親であった。


 襲われた衝撃よりも、社会人としてあるべき面目を優先したのだろう。


「いえ、息子は当然のことをしたまでです」


 父さんもまた、慌てるように止まった時間を推し進めた。


「挨拶が遅れて申し訳ありません。朝倉秀徳です」


「宮野寿幸です」


 両者は握手を交わすも、お互い不思議な顔をしていた。


 喉まで出かかっているのに思い出せない。そんな既視感に囚われているかのように。


「秀一の経歴に傷がつかないよう、警察は全力でやってくれるそうです」


 それは思い出してはいけないことだと、慌てるように口を挟んだ。


「だから今日のところは、秀一を早く休ませてあげてください」


 この場から立ち去ってほしいという思いから、つい早くなんて表現を使ってしまった。


 秀一の父親はそれに気を悪くすることはない。むしろ言葉に甘えるように、


「わかった。本当に、ありがとう」


 息子の身を慮っていると受け取って感謝を述べた。


 秀一もまた、疲れながらもこの事態を重く受け止めてくれているようだ。急くように母親の肩に手を置きながら、この場から一刻も早く立ち去ろうとしてくれた。


 そこで初めて秀一の母親は、ちとせへの視線を外されたのである。まさにそうしなければ、一生ちとせの顔を見続けていただろう。


 帰りの車。その後部座席でちとせの横顔を見る。


 自分の視線に気づくと、困ったように笑ったのだった。






 全ての真実が明らかになるも、不穏なものを残して秋が終わった。

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自殺を止めてきたオタク青年の話。そのまま隣人にオタクへ染められた話。そんな彼が死んだ話。(仮)
流行りのお隣さんものを書こうとしたら、なぜかこうなった。
結末はタイトルの通りですが、悲しさを引きずらない救いがありますのでご一読ください。
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