16.夢の中なら言える
予定を変更したおかげかアレクが現れることもなく、止められることもなく、旅は順調に進んだ。
ダーンの叔父ルーダスの邸に着くと、先に来客があったようでバタバタと出迎えてくれた。
それからしばしそれぞれの部屋で仮眠をし、旅の疲れをとると、再び広間に集まった。
そこには私たちの他にも五人いた。ギスモーダ国王の側近、重臣たちだ。
「志を同じくする者たちです。みな、ギスモーダ国王が元に戻り、無用な戦を終わらせることを望んでいます。明日は我々六人で、手助けさせていただきます」
彼らが私たちに味方する動きをとることで、周囲もそれにならってくれるかもしれない。
ギスモーダ国王に取り憑いた魔を祓えれば、無駄な戦を終わりにできる。元の慕われていたギスモーダ国王に戻すことができる。ユラシーン国だけでなくギスモーダ国にとってもメリットのある話だ。
問題は、土壇場で周囲にもそのことに気づいてもらえるかということなのだが。
本来ならもっと多くの人に事前に味方になってもらえらえばよかったのだろうが、手あたり次第に声をかけては密告される危険がある。少数精鋭で臨むしかなかった。
それから私たちはそれぞれに挨拶を交わすと、明日に向けての最終確認に入った。
◇
用意された部屋に戻り、どさりとベッドに身を横たえる。
全身が疲れていた。けれど、私にはまだ考えなければならないことがある。
ここは私にとっての現実だけれど、同時に誰かに創られたゲームの世界でもあるかもしれないのだ。そのことを踏まえて、イリーナから聞いた「死亡フラグ」に注意を払わねばならない。
一、大怪我してもこの世界に魔法はないから、そもそも大怪我はしちゃダメ。
当たり前のことではある。けど、「くっ、俺はもうダメだ……」が始まると完全な死亡フラグらしい。それはわかる気がする。
二、無事帰れると思って気を緩めたところで背後からバッサリ! というパターンもあるから気を抜かないこと。家に帰るまでが戦です。
確かにスリルと波乱と悲劇が大好きなこの世界の神ならやりそうだ。でもそれを考え始めたら、帰り着いた家にまで間諜が入り込んでるんじゃないかとか際限なく心配になり、どこで安心していいのかがわからない。平和な日常はいつやってくるのか。
三、死にそうになった相手と口づけを交わしてはいけない。それが最後になる。
実際それどころではないと思う。けれど本当にもう手の施しようがないとわかると、思い出を残す以外にできることもないのかもしれない。
でもアレクはユラシーン国にいる。まずそんな事態にはならない。大丈夫。
こんなことを考えながら眠りに就いたせいだろう。
夜中にふと人の気配を感じてそっと目を開けると、黒い人影が私を見下ろしていた。
月明かりがその顔を照らす。
柔らかく波打つ金の髪とアメジストの瞳。
「アレク……」
最近のアレクは私が寝ているときにしか会いに来てくれない。
今度こそ夢なのかもしれない。
だって、最後に一目会いたいと思ったら来てくれるなんて、そんなの都合がよすぎるから。
「やあ、ユニカ」
アレクはいつも通りにそう言った。
「どうしてここに?」
アレクが幻のように消えてしまわないよう、そっと身を起こす。
アレクが優しく笑った。
「これは夢だから。朝目が覚めたら全て消えている。だから安心して」
そうか。やっぱり夢だったか。
そうよね。だってこんな、何も心配することがないような柔らかい顔、いつもは見せてくれないもの。だからこそ、夢でも忘れずに覚えていたいのに。
「ずっと考えてたんだ。ユニカにとって何が幸せなのか」
私はきょとんとして瞬いた。
アレクは少しだけ眉を下げ、静かな声で続けた。
「だけど結局わからなかった。僕はどうすべきだったのか、今でもこれが正しかったのか、わからない」
なんでも思い通りになる私の夢なのに、どうしてアレクはそんなに悲しい顔をしているんだろう。
「ユニカのことは、僕が必ず守るよ」
アレクの手が、私の頬にそっと触れる。
待って。
何故こんなにも悲しい気持ちになるのだろう。
何でこんなに今生の別れみたいな気がしてしまうのだろう。
待って。
これは本当に夢?
現実?
夢ならば、ただひたすらに甘えていたい。
だけど現実だったら。
私は必死に、頬に添えられた大きな掌をぎゅっと掴んだ。
「アレク!」
喉の奥が苦しくて塞がりそうだった。それでも声を絞り出す。
「私、好きな人ができたの。アレクのことは、やっぱり恋じゃなくて憧れだった。言われた通り周りをよく見てわかったの。だから、守ってもらう必要なんてない。金輪際私に近づかないで。アレクのことなんて、……」
ぎゅっ、と奥歯を噛みしめた。
「だいっきらいだから!!」
アレクのアメジストの瞳が、優しく細められた。
もう片方の大きな掌がわなわなと震える私の手を包み込む。まるで怯えを丸ごと包み込んでくれるかのように。
「僕もだよ」
どうして、そう言って笑うのか。
これまでに見たことがないくらい、優しく。
アメジストの瞳が近づき、唇に優しく触れた。
その瞬間、胸から何かが溢れ出て、涙がぽろりと零れた。
「き……らいだって、言ってるじゃない」
「うん」
もう一度、今度はついばむように唇に触れた。
「近づかないでって、言ったでしょ!」
ぼろぼろと涙が零れる。
「うん。聞いたよ」
今度は深く、口内を探るように、長く。
やっと唇が離れたとき、私は荒く息をしながら、くらりとしてアレクの肩にもたれかかった。
「どうして……」
「僕の大切な幼馴染よりも大事なものなんてない。ただそれだけのことだよ」
いつのまにか私の体はアレクにふわりと包みこまれていた。
「ユニカは死なせない。何があっても」
耳元でささやかれた言葉に、私は激しく首を振った。
「それじゃダメなの! なんで今さらこんな……。こんなの、完全な死亡フラグじゃない! アレクは絶対に死んじゃダメ。何があっても生きていてほしいの!」
だから私を守るなんて言わないで。私を守ったら、アレクは死んでしまう。
「ははっ。大丈夫だよ。僕はまだ死ねないから」
「どうしてそんなこと言えるの?」
ぐすぐすと泣きじゃくる私の頭を撫で、もう一方の手で髪を弄ぶようにさらりと流しながらアレクは言った。
「乙女たちは続きが見たいからだよ」
私は体を離し、アレクに「何の……?」と訊いた。
アレクが、にこっと笑った。
あ、この笑顔は見たことある。
「だけどやっぱりあの時、何が何でもキスは我慢すべきだったなあ。ユニカがあまりに無防備に笑うから。長年の我慢なんて一瞬で吹き飛んじゃったよね。はあ、一度触れると、もう我慢ってきかないんだね。だからごめんね? さっき結構暴走しちゃった。で、このまま続きする? 声抑えないとカイルとダーンが起きちゃうけど」
かわいく首を傾げられる。
「なんかわかんないけどこれ以上はダメな予感がするからいい! 今しなくていい!」
「ははは、大丈夫、レーティングに引っ掛かるようなことは、こう、暗転っていうのがあるから」
「ちょっと待って、いよいよ何の話?!」
アレクが私の体をベッドに押し倒す。
顔の横に両手をついていて、私は身動きがとれなかった。
間近に迫ったアレクの顔が、優しく笑う。
――そして。
私の目の前は真っ暗になった。
アレクの大きな掌に覆われているのだ。
「冗談だよ。今日はゆっくりお休み」
額に優しい口づけが落とされた。
「続きは帰ってからね」
「だからそれ死亡フラグーーー!!」
叫んだ自分の声で跳ね起きた。
はあはあと肩で息をつき、呆然とまだ暗い部屋の中を見回す。
誰もいない。
窓の鍵もきちんと閉まっている。そもそもここは二階だったから、アレクが入り込みようもないと思うけれど。
「やっぱり夢……」
私はバタリと倒れ込み、枕に顔を埋めて声にならない声で『あああああぁぁっ』と叫んだ。
恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
こんな欲と煩悩にまみれた夢を見るなんて。
でも途中でそうではないかとは思っていた。
だってアレクが言っていることはなんだかおかしかった。
イリーナみたいに耳慣れない言葉をたくさん言っていた気がする。
苗佳の記憶を持ってるわけじゃないんだから、別の世界の言葉を話すなんて、そんなことはありえないのに。
でもふと、思った。
本当にイリーナだけ?
イリーナが苗佳の記憶を持っているのなら、他にもそういう人がいてもおかしくはないんじゃないだろうか。




