11.抜かせていただきましょう、聖剣を
「もし私が本当に聖剣を抜くことができたら、聖剣の乙女としての役目を全うすると誓うわ。だけど代わりにお願いがあるの」
イリーナから聖剣の乙女の辿る結末について聞かされた私は、翌日フリードリヒに自ら話しかけに行った。
初めてのことだった。
そして敬語もやめた。フリードリヒを王子としてではなく、一人の友人として見ることに決めたから。
そんな私にフリードリヒは、わずかに目を瞠った後、嬉しそうに、だけどどこか照れたように破顔した。
「勿論、何でも言って。城を挙げて全力でユニカを守るけど、それでも国のために危ない目に遭わせることに変わりはないんだし。僕にできることは何でもすると誓うよ」
「ありがとう。まず戦の前に聖剣のこともいろいろと知っておきたいし、事前準備もしっかりしておきたい。だから先に、本当に私が聖剣を抜けるかどうか、試させてほしいの」
人の多く集まる舞踏会で聖剣を抜いて見せる予定だったのは、兵たちの士気を高めるのと同時に、私を守る対象であると知らしめる目的もあるのだろう。だがそれから作戦を立てたのでは、出撃するまでに敵国に情報が洩れ後手に回ってしまう。かと言って先に作戦を立てても聖剣が抜けなかったらすべてが無駄になる。
そう説明すると、フリードリヒは私が状況に流されるつもりがなく、主体的に動こうとしていることに驚きながらも、早速城の地下室へ連れて行ってくれた。
◇
聖剣はごつごつとした岩に絡めとられるように深々と突き刺さっていた。
岩から生えているようにそこだけ姿を現している古びた柄には、灰色の何の変哲もない石が一つだけ嵌まっている。それだけを見るととても大それた力のある剣には見えなかった。
だがフリードリヒが剣の柄に手をかけ思い切り引き抜こうとしても、びくともしなかった。
「何人もがこうしてこの剣を引き抜こうと試みた。だが一人として……」
フリードリヒの隣に立ち、私は聖剣を引き抜いた。
引っ掛かる感じもなく、すんなりと。
グゴゴゴ……とかいう地響きがなることもなく、地下室がパアアァッと光で満ち溢れることもなく。
フリードリヒは、私が模擬刀を持ったときと何ら変わらぬ様子で剣を持っている姿を見ると、「え」と小さく呟いた。
話の途中でさっさと事を済ませてしまったことは心から申し訳ないと思っている。
私はそっと剣を元に戻した。
「いやいやいや! どうして戻すの」
「だって、今これを持ってても仕方ないじゃない。準備もなく戦に出るわけにもいかないし、こんな二人しかいないところで勝手に引き抜いたら泥棒騒ぎになりそうで怖いし。舞踏会で私の力を試すことになってるんでしょう? だったらそれまではここにそっとしておいた方がいいと思って」
この剣に合う鞘など持っていないし、抜き身の剣を持って町中を歩いたらただの危険人物だ。
「いや、国王である父上にも軍の総指揮官にも了解はとっているよ」
「遠慮するわ。家に保管しておくといっても城ほどの警備はないし。あ、でもちょっと確かめたいことが……」
そう言って再びさらりと剣を引き抜くと、フリードリヒがまたもやぎょっとした。
「気軽に出し入れしすぎじゃない? それが鞘ってわけじゃないんだけど。仮にもその岩って封印なんだけど」
「いや、魔を祓うって言ってたけど、物理的にも斬れるのかなと思って」
そう言いながら、スラリとした刃を自分の腕に軽く当てて引いてみるが、傷一つつかない。感じたのは刀身の冷たさだけだ。
「ちょ……! 本当に刃があったらそんなやり方したら刀身の重さで結構深く斬れるよ! 怖い、ユニカを見てるの僕怖いよ! 心臓が三つくらい欲しい……」
動じない性格だと思っていたが、それは王子としてそう見せていただけで、根は結構心配性らしい。真剣を持ったことのない私がそんな真似をしたらひやひやするのも当然かもしれないけど。
でも、これでもし周囲の人に当たってしまっても刀傷を負わせることにはならなそうだとわかって一つ安心した。
「斬れないということは、どうやって魔を祓うのかしら。殴ればいい?」
首を落とせと言われなくてよかったとほっとしながらも、ただの重い模造刀にしか見えないこの剣ではどう戦えばいいのかがわからない。
「引き抜いただけじゃ魔を祓う力はないそうだよ。『華』を舞うことで剣の封印が完全に解かれ、さらに魔を祓うときにも『華』を舞うんだ」
「ええ? 戦場で形を舞うの? そんなことしてたらやられちゃわない? 弓兵がいたら終わりよね」
フリードリヒは黙り込んだ。
確かに。と思っているのだろう。
「やっぱり、これは作戦が必要ね」
私は再び剣を岩に収め、地下室を後にした。
私が扉に向かう背後で、フリードリヒが何も言わず再度剣が抜けないか試していたが、やはり抜けなかったようだ。
何食わぬ顔で扉を閉めていたので、私は気が付かなかったことにしておいた。
◇
翌日の昼休み、作戦会議のため空き教室に向かうと、にこやかに挨拶するフリードリヒの隣にはカイルがいて、驚く私に目礼してくれた。
戸惑いながらも私も同じように返し、フリードリヒの手招きに応じて部屋の中央に進み出た。
「ユニカ、こっちに座って」
中にあった椅子と机は端に積み上げられていたが、フリードリヒが人数分の椅子を中央に用意してくれていた。
「ありがとう」
座り、何故ここにカイルがいるのかとフリードリヒに目で訊ねる。
フリードリヒが「ああ」とちらりと見やると、カイルが自ら訥々と話してくれた。
「戦に出るんだろう? 周囲の兵が守ってくれるといっても、できるだけ自分を守れるだけの力を身に着けておいた方がいい。剣の腕ならフリードリヒより上だ。俺も協力する。城でそれなりの人に稽古をつけてもらう方が確実だけど、今はまだ周囲に聖剣の乙女が戦に出ることは悟られるべきじゃないから」
フリードリヒから聖剣の事を聞いたのだろう。それだけ彼から信頼されているということだ。
そしてその申し出は私にとっては、願ってもみないことだった。
剣技クラブに入るつもりだったが、他の生徒の手前、クルーグ先生につきっきりで見てもらうというわけにはいかない。形と素振りばかりしか練習していなかったから、必要最低限、実戦に必要なことを教えてもらえるのは心から助かる。
魔を祓うために必要な『華』は練習を積んでいたが、それだけではそもそもギスモーダ国王の眼前まで辿り着けない。私が自分を守れることがアレクを守ることにも繋がる。
「ありがとう、すごく嬉しい。だけどその前に、二人に話しておきたいことがあるの」
「戦に出る代わりにお願いしたいことがあるって言ってた、その話?」
フリードリヒの言葉にこくりと頷く。
「私が戦に出るのは、この国のためでも敵国のためでもない。好きな人に死んでほしくないからよ。だからお願い、彼を戦に行かせないで。私が戦を終わらせるから」
兵士たちなら死んでもいいと思っているわけじゃない。だけどアレクは死ぬことがもうわかっている。だから彼は戦場からは遠ざけたかった。
唐突な話だったはずだけど、私が何を言い出すのかわかっていたように、フリードリヒは苦笑しただけだった。
「ユニカは本当に不器用だなあ。そんな言い方しなくても、大体考えてることはわかるよ」
「相手はどんな人なんだ?」
カイルは表情も変えずにただ聞いた。カイルにとってはどうでもいいことだろうに。話を聞くことで、少しでも私の心苦しさを取り払ってくれようとしているのかもしれない。
「三つ年上の幼馴染で、私のことは妹みたいにしか思ってない。だけどすごく優しい人。時々意地悪だけど、小さい時から私を守ってくれた。だけどそれだけじゃない。今は私がアレクを守りたいの」
「聖剣のことをすぐに受け入れたのも、そのアレクのためだったんだね」
納得したように、フリードリヒは小さく笑った。
聖剣の乙女とかあんな唐突に話を出されても私がすぐさま了承したのには、やはり理由があると思っていたのだろう。
「そう。だけどきっと、アレクがこのことを知れば、自分も行くって言うと思う。そして私に何かあれば、きっと身を挺してでも守ろうとしてくれる。そういう人だから。だからこそ、アレクは巻き込みたくないの」
勝手なお願いだとはわかっている。
それでも膝に置いた拳をぎゅっと固く握り、真っ直ぐに見つめる。私の願いは誰にどんなに非難されても変わらないから。
そんな私に、フリードリヒはまぶしそうに目を細めた。
「そうか……。いろいろと腑に落ちた気がする。その、アレクには何も言わず黙っておくつもりなの?」
私が頷くと、フリードリヒは少しだけ考えるような顔になった。
「わかった。周囲のことを考えると、アレクの出兵を取り消す理由をつけるのは難しいから、参戦時期を遅らせるか、それより前にギスモーダ王の魔を祓えればいいわけだね」
「ありがとう」
私を守る人たちには犠牲が出る可能性が高い。それなのに私の我儘でアレクだけを外してくれというのは、他の兵たちに申し訳ない。
だから私は考えていたことがあった。
「それから、私は前線には立たない。前も言ったけど、真っ向からの武力衝突は犠牲が大きすぎる。私一人で敵陣に乗り込むわ」
そう伝えると、フリードリヒもカイルも、ぎょっとしたように私を見た。
「何を言ってるんだ! そんなこと許せるわけがないだろう!」
その時だった。
そう言ったフリードリヒの言葉を割るように、乱暴に扉が開かれた。
「無鉄砲にもほどがありすぎんだろうが! 無駄死にするつもりか、ユニカ!」
ずかずかと教室に入ってきたのは、ダーンだった。




