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9.フリードリヒと聖剣の乙女

「ユニカ!」


 放課後、後ろから声をかけられて振り向けば、フリードリヒがこちらに走り寄ってくるところだった。

 いつもなら気づかぬふりをして歩み去りたくなるところだったけれど、向き合うと決めたからしっかりと足を止めてその場で待った。


「これから帰るところ?」


 実は今日もこれから私の家でイリーナと乙女同盟の作戦会議がある。

 その名称は恥ずかしいと一刀両断されて再考中なのだけれど。


「ええ。この後約束がありまして」


 今日のは嘘じゃない。


「ごめんね。じゃあ短く済ませるから少しいいかな」


 望むところだ。

 私が「ええ、なんでしょう」と請け負うと、フリードリヒはわずかに目を瞠った。


「ありがとう。今日は逃げないんだね」


 わずかに息が止まる。

 気づかれていたのか。

 気まずい空気が流れる前に、間髪入れずにフリードリヒが笑みを浮かべ次の言葉を継いでくれた。


「さっき聞いたんだけれど、ユニカは剣技クラブに入るつもりなの?」


 一体どこで誰に聞いたのかと驚く。まだダーンと話していただけで、入るとも決めていなかった。


「いえ、お誘いはいただきましたけれど、家の者とも相談しなければなりませんし、まだ何とも……」

「そうか……。ねえ、ユニカ。君はいつから剣技を学んでいるの?」

「幼少の頃に幼馴染と一緒に師事しておりましたが、今は一人で素振りをしているだけです。試験結果にもあります通り、大した腕前ではありません」


 そう答えると、フリードリヒは苦笑を浮かべた。


「あれを大したことないと思うのは剣を持ったことのない令嬢たちだけだよ。試験を受けた者にはみんなわかっている。君がこれまでどれほど剣を振って来たかということは。だからこそ、クルーグ先生も君の姿勢に敬意を表して、女性だからということを差し引かずに評価をしたんだと思う。令嬢に試験を受けさせるだけでも例外なのに、普通は『二』なんてつけたら総合成績優秀者の平均評価をむざむざ下げるようなことをにするなって上から怒られるだろうからね」


 私が試験を受けることでクルーグ先生がどうなるかということは、考えていなかった。先生には申し訳ないことをしてしまったと今更ながらに気が付く。

 そして同時に、フリードリヒの視野の広さも思い知らされる。こうしてみると、彼は王子の器なんだなと思う。彼は空気をよく読むし、場をよく見ている。

 思わずまじまじと見ていると目が合ってしまい、思わず逸らしてしまった。しまった、不敬だった。

 けれど頭上で、ふっと笑う気配があった。

 顔を上げると、フリードリヒは私をほほ笑んで見ていた。


「やっとこっちを見てくれたね」


 胸を突かれた。

 何もかもを、見透かされている気がした。

 しばし見つめ合ったあと、その真っ直ぐな視線に耐え切れずに私はやはり目を逸らしてしまった。

 フリードリヒは私の気まずさを感じ取ってくれたのだろう。何もなかったように、話を続けてくれた。


「ユニカはもしかして、『華』もできたりする?」


 何故そんなことを訊くのだろうか、と私は戸惑った。

 最初は私が剣技の経験があったことが意外でいろいろと訊かれているのだと思ったが、ここまで具体的な質問になると、何か確かめたいことがあるように見える。まだ本題に入った気配はないけれど、質問の意図がとても気になった。

 怪訝に思いながらも「ええ」と頷き返すと、フリードリヒは確信を深めるように考え深い顔になった。


「そうか……。ユニカ。今度、城で舞踏会が催されるんだけど、来てくれないか? 君に見て欲しいものがあるんだ」


 話の流れが掴めず困惑し、とりあえず形式通りに答える。


「フリードリヒ様にはイリーナという婚約者がおいでです。私が親しくさせていただくわけには参りません」

「ああ、いいんだ。イリーナも婚約者でいることを望んではいない。いずれは婚約破棄するつもりだから」


 思わず目を瞠ってしまったが、フリードリヒがどこまで知っているのかわからない以上、何も知らないふりを通すしかない。


「そんなこと……イリーナに確認された上で仰ってるんですか? 都合の良い思い込みでは」


 フリードリヒは何の裏もないように苦笑した。


「本人の口からは聞いていない。けれど、どうやらイリーナには別に想う人がいるようだよ。一応皇妃になる人だからね。頼んでもいないのに周りが勝手にいろいろと調べて、その報告が僕のところにも届くんだ。彼女が取り巻きの子たちにいいようにされて放置しているのも、僕に嫌われて婚約破棄の理由を作りたいからなんじゃないかな。僕としても早く彼女を解放してあげたい気持ちはあるんだけど、国としてそうはいかない事情があって、今は時期尚早なんだ。だから今は僕も、彼女の思惑にのってあげることしかできないんだ」


 私は息を呑んだ。

 フリードリヒは全て知っていたのだ。

 それだけじゃない。知らぬふりを決め込み、愚かな王子まで演じていたのだ。イリーナ一人が悪者にならないように。


 今日初めてきちんと彼と向き合って話して、彼を観察するうち、私がこれまで抱いていた彼の像への違和感が生まれていた。

 それがはっきりとわかった。

 彼は私が思うよりも、もっとずっと、王子だったのだ。

 国と国民を守る責務と気概をもった、次期王。

 私は彼が演じる表面的な馬鹿王子の一面しか見ていなかった。


 でも本当は、どこかでわかっていたような気がする。

 フリードリヒが短慮ではないことを。ちゃんと人を見ているということを。

 ただ、私はその事実を見ないようにしていた。

 知ってしまうと、どうしたらいいかわからなくて困るから。

 だけどもう見ないふりはできない。


「――あなたのことを誤解しておりました。申し訳ありません、フリードリヒ殿下」


 ただ心からそう告げ頭を下げると、頭上でふっと笑う気配があった。


「知ってたよ。ユニカは僕のことなんて見てもいない。ユニカも、誰か想っている人がいるんだろう?」


 その言葉に、私は固まる。

 正直に答えていいのだろうか。

 しかし私のその沈黙こそが雄弁な答えとなっていたようで、フリードリヒはさらに苦笑した。


「いいんだ。僕が勝手に好きになっただけだから」


 息が止まった。


 何と答えたらいいのか、どう動いたらいいのかもわからない。

 そうなることなど見透かしていたかのように、彼は話を変えるつもりか、間断なく次の言葉を続けた。ただその言葉は私に別種の衝撃を与え、結果として混乱に陥らせた。


「ユニカが聖剣の乙女なんじゃないかっていう声が城内で上がってるんだ」

「ふぁ?」


 突然の方向転換に、詰まっていた胸から力の抜けきった声が出てしまった。

 ちょっと待ってほしい。

 いよいよこの話がどこに向かっているのかがわからない。


 最初は剣のことを聞かれ、それから舞踏会に出てほしいと言われ、好きと言われ、聖剣?

 そんな私の混乱を知ってか知らずか、フリードリヒはかまわず先を続けた。そういうところは俺様な王子の匂いがする。


「ピンクの髪に翡翠の瞳の乙女が聖剣を抜き、『華』の剣舞によって人に取り憑いた悪しきものを祓うという伝説が王家には伝わっているんだ」


 やっぱり待ってほしい。

 確かにピンクの髪で翡翠色の瞳で『華』が舞えるなどという特徴を持つ乙女はそうそういない。

 だが、いよいよこれは「少しいいかな」で済む話ではない気配がする。

 しっかり時間を取った上で、ソファに腰を沈め、組んだ手に顎を乗せてどっしりと話すものではないんだろうか。

 それにそんな話はイリーナから聞いていない。聖剣? 悪しきものを祓う? 私にはまだそんな仕事があったのか。


「この学園に入学してからというもの、僕はその言い伝えにある聖剣の乙女がユニカなんじゃないかと思って、陰ながらずっと見ていたんだ。最初はそれを見極めるつもりだった。けれど、君の何にでも一生懸命なところや、時々誰かを思うように柔らかく笑う姿だとか、時に苦しそうに耐えて前を向く姿、そんな君がとても気になっていた。時々何かに巻き込まれても毅然と立っているところも、その後落ち込んでいる姿も、全て愛しいと思うようになった。君の傍で、君を守りたいと思うようになった。気づいたら好きになっていたんだ」


 私が赤くも青くもならず、ただ固まったままどうにもできないでいると、フリードリヒは力なく笑って見せた。


「いいんだ。別に返事が欲しいわけじゃない。今はまだ勝負にもなっていないこともわかっているからね。ただ、あの剣技の試験の日から、ユニカに興味を持ち始めた人が何人もいたから、ちょっと焦ってしまった。少しでもこっちを見てほしくて、黙っていられなくなったんだ。困らせてごめんね」


 フリードリヒは言葉の最後に、そうして何にも言えずにただ固まっている私のことすら、思いやってくれた。

 聡明で紳士な人だった。

 彼が私を見る目は優しかった。見守ってくれていたことは知っていた。私がイリーナの取り巻きたちに囲まれ、どうやり過ごそうか考えていると、いつも助けてくれた。そのやり方はいつもどこか不器用だったけれど。

 だけど、私は優しくされても、応えることができない。

 だから、彼のその好意には気づかないふりをしたかったんだと思う。


 ふと、アレクのことを思った。

 明け透けに好意を伝える私に、いつも困った顔をして見せていたアレクも、今の私と同じように思っていたのかもしれない。

 そう思うと、胸が痛んだ。自分に対しても。フリードリヒに対しても。


「ごめんなさい……」


 私はうまく言葉が紡げず、それしか言うことができなかった。

 彼は何もなかったかのように、場の空気を改めてくれた。


「いや、いきなりこんな話をしてごめん。珍しくユニカが、僕の話に耳を傾けてくれているようだったから、つい勢いで言ってしまった。困らせるつもりはなかったんだ。とにかく、本題に入るよ。舞踏会のときに、聖剣の乙女をお披露目したいと思っている。もしその聖剣を抜くことができたら、戦にも同行してもらうことになるかもしれない」

「ええ、なんで?!」


 もう迷路のような話は着地したと思っていたから完全に気を抜いていた。本題はそっちだったのか。まさかの半回転だ。

 目を見開き答えを求める私に、フリードリヒは少しだけ難しい顔をした。


「今回の戦は、長く友好的だった隣国のギスモーダ王が、急に人が変わったように仕掛けてきたものなんだ。あまりの突然の変貌ぶりにギスモーダ国の人たちも戸惑い原因を探したところ、王家で代々厳重に管理されてきたはずの封印が解かれていたそうだよ。どうやらギスモーダ王はその封印されていた魔の者に憑かれているらしい。いずれ国境の戦線まで本人が赴き、総力戦を仕掛けてくるという話がこの国まで聞こえてきている。その時に、聖剣で彼に取り憑いた魔を取り払えたら、誰も望んでいないこんな戦は終わりにできるんだ。だからどうか、力を貸してほしい」


 そう聞いて、私は「行きます」と一も二もなく答えていた。

 戦が終わるなら、アレクが戦わなくて済むのなら、やらないわけがない。

 突然やる気を出した私に戸惑っていたけれど、フリードリヒは少しだけ複雑な笑みを浮かべると「ありがとう」と応えてくれた。


「本当はユニカをそんな危険なことに巻き込みたくはない。けれど、ギスモーダ国の人々も無理な戦に疲弊している。それなのに総力戦をしかけてくるとなれば、どちらも払う犠牲が大きくなる。被害を最小限に食い止め、早々にこの戦に決着をつけよう」


 かくして、家に帰りイリーナにこのことを報告した私は、安請け合いしたことを思い切り「大バカ者!」と怒られたのであった。

 だがそれには理由があった。

 イリーナは苗佳の知るこの世界について、私にまだすべてを語ってくれていたわけではなかったのだ。

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